イノシシは 臭くない?

 


 

飽きれは尽きない世

 

この青では、よくよくニンゲン以外の知的存在をほのめかしてきたが、

そんなん、どーでもいーくらい、フツーに身近なナゾを放置していた自分に気づいた。

カタツムリは移動が遅いから、とかく地域の固有種になるのがアタリマエである。

むしろ、ウスカワマイマイのように、広域に分布するのは、ナゾである。

しかし、淡水生のカワニナの方が、もっと分布が広かったのである。

島のカワニナは、鎌倉時代以来の稲作で分散した・・・とタカをくくっていたが、

縄文時代の遺跡から、どっと出土しているのだ。

しかも、分布域たるや国内のみならず、朝鮮半島、中国東岸、台湾にもいる。

そういえば、ギンブナやメダカにしても、どうやって川を往き来したのだろうか。

ノアの大洪水でもなさそうだし・・・

調べたところ、どうやらアマミノクロウサギがやってきた、地質時代で謂うところの

中新世、日本列島の形成そのものと深く関わってるらしい。

 

シマンチュはズングリ体形であるが、それ以上に肥満が進んでいる。

ズングリに出腹がマッチしているし、皆そのような体系だから、判り辛いのだ。(笑)

ここに至り、痛風がトレンドになっているらしい。

農業にしても機械化が進んで、あまり肉体労働になっていないのだろうか。

スーパーへ買い物にやってくる主婦にしても、1ミリでも近くに駐車しようと、余念がない。

駐車禁止の四字熟語が読めないんじゃないか?というほど、見事に無視する。(笑)

ババが隣の家に行くのにも車を使う土地柄・・・メリケン以上のモータリゼーションである。

先日、右折しようと信号待ちしていたら、その右方向から左折してきた軽四が、

あろうことか、私の車の前に向かってきて停止した。

なぜに交差点で、車どうしが見合いをせにゃならんのだ?(笑)

シマンチュはとかく、右左折でハンドルをあまり切らないで楽しようとうとするから、

反対車線にはみだすのは日常だが、ハンドルを切られない老人の車両も多いのである。

結局、私がバックして通してやったが、なにやら目つきのおかしいジジだった。

酒、たばこ、豚バラ、揚げ物、甘塩っぱい濃い味、甘い間食が好きなシマンチュたち。

長寿の島と謂われたのは、何でも食べるしかなかった貧しい時代の話。

 


 

以前、なぜかシマンチュから気前よくもらったイノシシ肉・・・肉とは名ばかりの

骨や筋のところをあつめた、アラだった。 どうりで、気前いいハズである。

シマンチュがくれるのは、捨てるに捨てられない・・・ようなものが、わりとある。(笑)

なので、ありがとうと謂ってしまい、損しちまったと感じるような場合も、わりとある。

いわゆる、ありがた迷惑というヤツだ。

 

とはいえ

自称イノシシ好きなので、捨てるに捨てられない。

 

以前、半解凍にして一部をスキ鍋にしたが、ものすごい硬さである。

成獣のオスといった風味だろうか。 地鶏も、オスはかなり硬い。

 

とかく

世間には、野生動物の肉は、臭い・・・という伝説が蔓延している。 

常識的に考えればわかることだが、臭みの成分は、ほとんど脂に宿っているから、

市販の肥満肉とはワケが違い、臭みが溜まる余裕などないのである。

血まみれで最悪に近いアラを食べてみれば、臭みがあるかどうか判断がた易いのだ。

 

折しも

石器時代の食べ方が気になっていたから、昔ながらのアースオーブンのような

調理法で食べてみることにした。

仕事を終えてからスーパーで買い物し、その足でゲットウの葉を採りにいった。

 

南の島で大きな葉といえば、バナナかバショウ、ツワブキ、アオノクマタケランかゲットウ

くらいのあものである。

本当にたくさんあるのはクワズイモの葉だが、クワズイモと謂うくらいだから、

きっと毒があるに違いない。

手軽でもっとも大きいのは、ゲットウである。

 

本当なら海水を汲んで数十分浸し、味付けするつもりだったが、その日は雨降り。

丁寧に血をキッチンタオルでふき取ってから、軽く塩をもみこんで・・・しばし。

 

横浜から持ってきた、昔ながらのフライパンにゲットウを敷き、

肉を置いてから軽くたたむように包んで、少量の水を足しながら焦げないように蒸す。

肉汁が少し流れ出たようで、ゲットウの葉が少し焦げた香りとが混じり合い、

い〜い香りが漂ってきたのには驚いた。

 

時間を計るのを失念していたが、昔のアースオーブンは半日〜一日放置らしいから

あまり気にする必要はなかったらしい。

 

後で調べて知ったのだが、石を熱して蒸し焼きにするには、

かなりキッチリと葉で包んでやる必要があるらしい。

んま゛〜そこは、オッサンの知恵と勘でカバーした・・・ってことで、シーンを先へ進める。

 

思いのほか、香りが素晴らしい♪ とゆ〜か、現代的にも優れた香ばしさ。

肉は、っでぇ〜らい硬いものの、おそらく長時間の蒸らしを経れば、もっと柔らかたろう。

 

アラだったお陰で、大古の感覚がよくわかる。

砕けた骨があちこちにあって食べづらい。

骨の周りには、わずかな脂肪があって、その風味が食欲をそそる。

大古の人は、アゴも発達しているし、歯がすり減っていたから、骨も小々の土も

気にせず食べていたのかもしれない。

 

しっかし、旨い。 あんまり旨い。 たかが塩とゲットウだけの味なのに、すこぶる旨い。

もっとたくさん蒸せばよかった・・・と後悔するほどに。

 

ゲットウの葉は想定外に香りが好く、ローズマリーに似ていたのである。

謂うまでもないが、市販の香草は乾燥させたもの。

ゲットウは採りたてで、新鮮で柔らかな香りが愉しめる。

 

なんでこんなに好い食材があるのに、シマンチュは使わないのだろう・・・

たまの、もてなしなどで、バラン代わりに利用する程度である。

 

残りは、ショウガとタマネギを少量加え、甘いしょうゆ味で煮込んでみた。

汁の香りは、吉野家の豚丼そのもの。 いやむしろ、豚脂のニオイがしない。

冷静になれば判るのだが、市販の豚肉の臭みは、ウンコ臭さに似ている。

あの脂身のツンツンしたニオイは、どうも鼻について離れない。

だからこそ、豚ショウガ焼きに人気が集中するのだろうが・・・

イノシシに、あの手のニオイは感じられないし、脂肪はむしろ牛肉に近い風味だ。

 

いづれにしろ

イノシシと豚は、親子のような関係だから、見た目こそ多少違うけれど

DNAはほぼ同一である。 あとは肥育時の、エサや薬品、環境の問題か・・・

 

過日

昼のおかずの玉子とじが、やや失敗した。

せっかく用意していた、化学調味の丸鶏ガラスープを入れそこねたから・・・なのだが、

ただの塩と、粗挽きコショウの味付けなのに、箸が止まらないのである。

 

冷蔵庫の中で、かなり熟してしまったゴーヤは、苦いのに甘いのだが、

冷静に味わってみるに、タダの苦いニラ玉炒めでしかない。

 

だのに・・・ご飯がすすむ、すすむ・・・不思議さ。

体が欲しがっていた成分が、テンコ盛りだったから・・・だろうか。

 

ちなみに

私はニラ玉と謂うのはコレだと思っていたが、煮るバージョンがあった事を知るのは

この後のことだった。

そうして、先のイノシシの煮汁をとっておいて、それでニラ玉をこさえたところ・・・

タマランものになり、煮るニラ玉が好物になったのは謂うまでもない。(笑)

 

さらに過日

とあるお返しとしてもらった、内地の高級黒毛和牛。

ん゛〜 軽く焼いて、生(なま))じょうゆとワサビでいただく。

ずいぶん、ぅん゛〜まいなぁ゛〜。

 

だが

でっぷりとしたシモフリ風味は、どうも人工的で、自然には感じなかった。

私たちが美味しいとしてきた、促成肥育された獣肉は、最初から自然の肉とは違うのを

美味しいモノ・・・として刷り込まれたものに違いないことは、痛いほど理解できた。

安くて手軽な獣肉を否定するわけではないが、翻って、野生のモノは臭い・・・などと

伝説をまき散らすのは、実に恥ずかしいことでもある。

 

マトンすら食えないような、味覚の巾のないニンゲンが、臭いなどと発言するのは

食材に余裕のない、視野の狭い親に育てられ、自らも浅薄な人生経験しかなく、

味覚の巾が狭い・・・のを自慢しているようなもので、裸の王様プレイに近い。

 

なにも

クサヤやウミガメ、トカジャーの胃袋を食べるのを勧めているわけではない。

少なくとも、親と自分の体つきや健康状態、わが子の様子を看て、正常じゃないと感じたら、

食生活で改善できることは、山ほどあると思う。

 

生きることの要点は、せいぜい生き方と、食べ物、繁殖、でしかない。

本来の好き嫌いは、毒のある苦味、腐った酸味を嫌がる性質である。

私たちは、資本主権に傾倒するあまり、本能や健康を軽んじ、人造風味を発達させた。

反面、美味しいモノが体にイイ時代ではなくなり、妙な顛末にいるポン人は

挙句、人口減少と超高齢社会に臨んでいる。

 

科学だなんだと謂いながら、結局、ワガママや食わず嫌い、サボリ根性に満ちている

程度でしかない社会らしかった。

ニンゲンがもっとも科学的ではなく、不合理、不条理のカタマリである。

ストレス解消に食い、それを吸収しないよう、さらにオカシナ物質を摂取する・・・

軽く、世も末だよなぁ。(笑)

 

イノシシが臭い・・・

という前に、イロンナものを食べておいた方が、人生が豊かになるのでは?

むしろ、賞味期限内なら、なんでも美味しいと考えるなど、オカシイんじゃないか?

食に重要なのは、味以前に、鮮度、栄養価、時節である。

風味、人気、安価・・・ では、ないんじゃなかろか???(笑)

 


ではまた