カレーパン
世の遷り
○○ハラスメント・・・やたら弱者を保護する向きが加速している。
ホモサピエンスがネアンデルタールに勝ったのは、強力な社会性だったらしいが、
その社会性に疲弊するホモサピエンス・・・無駄に増えすぎて、弱体化し始めたらしい。
戦後、銃弾で遊んだような昭和育ちには、まったく理解できない、
ウスッペラな概念に感じられてしまうのは、仕方ないことだ。
現代ポン人が、命がけで生活することはないために、生活が軽薄になってしまった。
コンプレックスに被害者意識の加速。 もはや、情報統制さながら・・・である。
キムチ半島の北側は、国として認められた集団ではない。
ならなぜ、チャンが併合して、ひとつの自治省にしないのか・・・不思議でならない。
ロスケへの遠慮でもあるのだろうか。
確かに、気まぐれで面倒な南と対峙するのは、チャンにとって何のメリットもない。
米朝会談について、北はずいぶんとチャンに釘を刺されまくっているようだから、
どうあっても、北に無駄な投資するのは避けながらも、西側との障壁を維持したい
意図がモリモリと感じられる。
北にしてみれば、神格化された歴代の将軍様の上にチャンが居た・・・というのは、
建国そのものにとって、根本が揺らぐのも否めないのではあるが、ここに至っては
北人民が、カネもモノも、食うモノもない、餓死寸前というか、日々餓死している事態を
キムチン一族はどのように捌いてみせるのだろうか。
大陸間弾道弾を撃ち放っておいて、今更、都合よく経済支援と謂う名のカネの無心が
できるほど、気まぐれドナルドは甘くはない。
しかも、一帯一路とか、経済停滞で、チャンもロスケも、支援するだけの余裕は薄い。
一方で、もう西側に迎合するしかない・・・とする北の姿勢を見せることによって、
チャンの支援や、国連のユルみを引き出す・・・のもアリかもしれない。
ただし、ロスケもメリケンも、半島で兵器を試すのは辞さないというか・・・むしろ好む。
一方チャンは、自国開発と謂う名のパチ装備しかなく、貧武装がバレるから
絶対に戦争は避けねばならない。
パチ・ドローンの大量投入といった、オモシロ戦術はアリだと思うが。
攻撃用ドローンだか、ターゲット・ドローンだか、わからんほど飛ばす・・・んだな。(笑)
やはり、数撃てば当たる・・・は古来より基本だし、物量も戦争の基本だ。
ところで
このごろメッキリ食欲がなくなった。
いよいよ暑くなり、来秋までにわたる夏バテが、もう始まってしまったのかもしれない。
寝不足も拡大というか延伸しているようで、どえらい眠く、目がショボついて赤い。
夢見はすこぶるよく、様々かつ奇想天外な夢が展開する。
短時間であれ、夢を見ている間だけは寝ていたんだな・・・と認識するようになった。
あるいは、かなり衝撃的な夢なのに起きなくなった・・・のもある。
よほど、眠気が極大に至っているのだろう。
さて
何年かぶりに、急にカレーパンが食べたくなり、スーパーで求めてみた。
一口めからシッカリとカレーが感じられ、イケルじゃん・・・イケダパン! と思った。
しかしながら・・・である、二口めも三口めも・・・まったく同じ味である。
裏返して原材料を確認してみたところ、やはりカレーでなく、カレールーのみだった。
折々に感じるのだが、この頃のルーは、ベゥリーデゥリシャァスである。
小学生がキャンプこさえても、いかに下手な大人が手を出そうとも、
不味くするのは逆に才能だ。(笑)
だから、ルーだけでカレーもオツかもしれない・・・と考えたこともある。
だって、例えば、3種類のルーをそれぞれお湯で炊いて、ごはんにかけたり、
パンにつけたりして、贅沢気分が味わえるではないか。(笑)
量だって自在にコントロールできるから、ロスも少ないし、具材も不要ときた!!!
しかしながら、それはド貧民の嗜好であって、庶民一般の味としては哀し過ぎる。
と思っていたのは私だけだったようで・・・永く続いて出口のない景気低迷は、
庶民の感覚をド貧民レベルに貶めたか、あるいは鹿児島のイケダパンだけなのか?
それとも、バレイショやニンジンアレルギーなど、野菜が厄介者扱いされたか?
でもカレールーには、様々なエキスが混入されていて、もっと厄介かもしれないが。
パチ風味のポテチなど駄菓子が蔓延しているどころか、カレーパンも仲間入り。
コンビニ弁当や、ファミレスにそうしたメニューがお目見えしていても不思議はなく、
〇〇のタレで調理したものが、立派なメニューとして、多々供されているハズだ。
カネを稼ぐことが人生そのものにスリ替わり、ずいぶん侘しい時代になったものだ。
食べる事と繁殖する事は、もっとも大切な事柄だが、そこはワリと軽くなった。
思ったように稼げず、時間もなく、食べるものもパチモンとは・・・
私が気にするのは全くの無駄だが、世の中どうかしている。
あれもこれも、ニンゲンが無駄に増えすぎたせいなのだろうか?
食べてみて情けなくなり、妙な敗北感を味わわされる食品ばかり多くなった。
ひょんなことから、イノシシ肉をもらった。
氷水に1時間ほど浸して半解凍し、包丁を入れたものの、骨だらけで
思ったように切れぬ。
どうやら、アラのような部分を集めた袋詰めのようだ。
しかも
冷えがまわりにくい、ゴロンとした塊にまとめられ冷凍されており、
さらに血まみれで、到底血抜きされていないものらしかった。
どうりで
気前よくもらえたはずである。
もらった手前、捨てるに捨てられかった・・・有難迷惑な肉だったのだ。
オオウナギ釣りのエサくらいしか使えまい。(笑)
まずは味を確かめるために、スキ鍋にしてみた。
すこぶる硬いのはさておき、砕けた骨も多いし、血なまぐさい。
くれぐれもイノシシが臭いとされるのは、猟師の処置が疎かだから・・・の可能性大だ。
ただ、硬さに関しては生命力にあふれた、グリグリした硬さが好ましい。
狩って食べていた、古代人の嬉しさが感じられるよう。
獣の肉だ! これが肉なんだ! そういう味がするし、
逆に市販の肉は、筋肉と謂ってもブヨブヨの肥満肉なのだな゛〜と思い知らされる。
茹でて、塩でガシガシ食らうのが、もっとも味わい深いのかもしれない。
イノシシが臭いと謂われるのは肉の臭さでなく、血なまぐささの問題だろう。
豚肉独特の鋭いウンコ臭さ?のような、キンとした気になる臭気はなかったし。
おそらく、あの臭みは冨栄養の飼料と、脂肪の多さによるものだ。
おおむね臭みは、脂質に含まれるからだ。
硬いからスープにするか、おでんに炊くのも好かろうが、もう暑い時節に突入した。
やはり、予定通り餃子をこさえるのが好さそうで、歯ごたえが愉しみである。
タレだろうがレトルトだろうが美味しければイイ・・・そういう時代だからこそ、
その土地だけの味や、自分なりの美味しさを求めたい気がする。
ところで
青も900回になったんだなあ・・・改める以前のを除いても。
あと2年くらい生きていれば、ただ単にダラダラと1000回になってしまう。
イノーや浜も釣れなくなり、渡り鳥も減ったし、自然のコンビニのはずが品ぞろえが
ガタ減りしてしまった今、愉しみを何に求めたものか・・・悩ましい。