ようやく 晩夏

 


 

銃の乱射、テロ、戦争、いづれにしても人が増えるほど比例して増える。

原因は様々だ、寂しさ、そねみ、闘争心、生殖欲、どれもこれも動物的な理由に起因する。

権力などというと、どこか威風を感じるかもしれないが、サル山のリーダーと同じだ。

 

わかっていても、どうしてもニンゲンは格好つけたい欲が強い。

自分を飾り立てたい、褒めてほしい、好かれたい。 そのために他人を蹴落としたくなる。

果てには自暴自棄で、知らない他人まで巻き込んで死にたい・・・に至ることもある。

 

中高生のステイタスがアイフォーンらしい。

誰もが持っていれば、差がつくわけではないが、ポン人はとかく遠回しの集団リンチ的な

大衆意識が強いので、ついつい手軽に差が付けられる方法に飛びつきやすい。

中高生がアイフォーンでプログラム開発するわけでもなかろうし、頭脳明晰にもならぬ。

昔、私がラジコンが好きだったように、ただただ欲しいのだろう。

でも、持ったからと謂って自分は変わらぬから、さらにその先が欲しくなるだけである。

カネさえあれば勝てるミニ四駆と同じだ。

 

そういえば久々にタミヤのサイトを眺めてみたら、プラモデルが倍に値上がっていた。

戦車やウォーターラインシリーズが、手軽な価格から遠ざかっている。

反面、ラジコンは1/10の電動で、平地走行なのにダブルウィッシュボーン、ダンバー、

シャフトドライブ4WDでボディ付きで、13,000円程度とは・・・半額近いのイメージだ。

プラモは完成したら終わりだが、ラジコンは調整して走らせることもできる。

実際に動くメカだけで構成され、ボディ以外はナンチャッテ部品を組み立てることもない。

この体験は、単なる完成品かつドレスアップしかないアイフォーンには得られぬ感覚だ。

部品の組み方次第で走行も変わるところが、ラジコンカーの奥深い愉しみである。

今もそのような愉しみを好む男子が少なくない・・・ということか?

世界が自分の内に閉じてしまうプラモは、やはり昭和の暗い愉しみだったのだろうか。 

 

ドラえもんが、いてくれたら・・・ という宣伝を見かけた。

離島では、シミジミそう思う事だろう。 どこでもドアがあるだけで、救われた命は多い。

救急病院がないのだから仕方ないが・・・

 


 

ところで

内地で過ごしていたころと違う感覚が、夏の太陽の角度だ。

たぶん今時分が、内地の夏に近いんだろうと思う。

これまで記さなかったかもしれないが、真夏の真昼は、存外半袖Tシャツでも日焼けしない。

愛用のクバガサ(菅笠)を被いていれば、ほとんどカバーされてしまうし、

腕そ下げていれば太陽が当たる確度はほぼ平行に近い。 つまり太陽が垂直なのだ。

内地の暑さと違い、こちらでは暑さよりも紫外線に焼かれる感覚が強い。

ようやく、やわらかな夏がやってきた・・・といったところだ。

とはいっても、秋はもうすぐだろう。 秋と謂っても日中は暑く、年末まで暑いかもしれない。

ただ、こうした快適な夏はじきに去り、急にぐっと冷えて明け方に風邪をひいてしまう。

 

さて

ようよう本格的にセミが鳴きだした。 徳之島のセミは内地と少し違う。

ヒメハルゼミ → 同じ、初夏に鳴くらしいが、声を聞いたためしがない

クマゼミ → 同じ、ただし梅雨明け一カ月限定で爆発的に繁殖

ニイニイゼミ → 同じ

アブラゼミ → リュウキュウアブラゼミ、一気に盛り上がるように鳴く

クロイワニイニイ → 黒岩兄さんという意味でなく、小さなニイニイゼミ

クロイワツクツク → ハルゼミっぽい地味な鳴き声の、ツクツクボウシ

オオシマゼミ → どこかの大学のゼミはなく、変な声で鳴くツクツクボウシ

そのうち、アブラゼミから下が本格的に鳴きだしたのだ。

 

だが、まだ暑い。 最高気温は29〜31℃ 最低気温は、24〜27℃くらい。

最低気温は不思議と明け方でなく夜半で、朝方は上がってしまう。

なので、コンクリ家屋のわが家は、蓄熱で暑さと涼しさが相殺されるので実質熱帯夜は続く。

 

わが家の周りでは、8、9月の日中はことさら暑く、また何の物音もしない、灼熱の夏だった。

このごろになって、集落でもクロイワツクツクが地味に鳴きだして、ようやく9月らしくなりだした。

(実はメス)

ジジジジジ〜クワッと、さほど大きくない声なので、うるさくはないが、元気もでないし郷愁もない。

ツクツクボウシやヒグラシの様な、爽やかな個性が欲しいところだ。

 

さて

きょうは天気がいいから泳ぎに行こうかな・・・といったら人妻に「一人で?」と笑われた。

一人で泳ぎに行くのは、寂しいヒトなのだという。 なるほど・・・そういう感覚なかったわい・・・

私は中学は友達いなかったし、高校はそれぞれ遠すぎて海へ行くという感覚がなかった。

ただひたすらに伊勢湾の沖へ出て、足がつかない水深になったら、岸と平行に泳いで・・・

疲れたら岸に戻るのが海水浴であった。

 

ん゛〜 確かに海水浴と謂うよりは、水泳鍛錬っぽいような。

大学になっても、一、二度だけ先輩やらと泳ぎに行ったけど・・・なんかこう下世話な感じすぎて

ずいぶん気色悪かったのを覚えている。 どうやら生来の坊主で、寂しいヒトらしい。

ずっとフツーのことなので、寂しいという感覚はなく、ただただ自由な海水浴である。

と意地を張ってみたかったが・・・ そういえばビミョ〜に違う。

 

中高生のころ育った官舎は、なんと防風林の外側に立地していたヒ村八分住宅だった。

自衛隊は上空を飛んでウルサイからと嫌われていて、いろんな意味で風当たりが強かった。

そのお陰で、1分もかからず海だから、どうせ大した仲間もいないし・・・ メンドクサイから・・・

お散歩というか、ジョギングというか、ちょっとした用足し感覚だったのだ。

それが今も続いていて、なんで海に行くくらいのことが、家族イベントみたいになるんだ?

という感覚がある。 ちょっとタバコと缶コーヒー買ってくるわ、くらいの感覚だ。

 

他方で、島にしろ内地の都会にしろ大げさだ。

きょうは、家族みんなで、お弁当と水稲を持って公民館までジョギングだ♪ のような違和感。

 

今月はまだ、自分なりのテーマが定まらないから、ほとんど仕事をしていない。

依頼された仕事ながら、私なりの意味がないと、どうもヤル気が起こらない。

無論、仕事をしていないから考えていないのではなく、仕事でなくとも始終考えている。

そうしているうちに、解決策は浮かんでくるものだ。

 

ともあれ

やはり自由こそ我が人生。 思ったときに泳ぐのも、また愉しからずや。

ヨナマビーチは爽やかで、水温もちょうどいい。 濁りはそこそこある。

 

今回は、ハタゴイソギンチャクの生息を確認したかったが、どうも記憶と位置が違うらしい。

ウミガメにも逃げられたし、さしたる成果もなかったが、ひとつだけ。

いつも恐れていたゴマモンガラに寄れた。 正直、かなり怖々で、あんまり寄りたくない。

なぜか、いつもビーチ内で一頭だけ見かける、50センチほどの個体。

 

シマンチュは釣れたらナンでも美味いと食べる習慣があるが、モンガラ系は味がない。

旨味が少なすぎて、内地のカワハギとは全く別物である。

もとよりウロコがあるのだから別物なのだが・・・時に肝臓にパリトキシンがあるから、

下手に食べたら一発お陀仏なヤツで、地味に恐ろしい。 アオブダイのと同じ毒である。

 

こいつはもしや・・・

3センチくらいのモンガラを撮影しておいたら、やっぱりチビ・ゴマモンだった。

とかく縄張り意識が強い動物たちは、親子でずいぶん姿が違うものである。

 

ヨナマビーチは人工浜で濁りもあるが、サイバーショットはピントを合わせてくれる。

オリンパスやペンタックスはセンサー側の手ブレ補正だから、こういうのは苦手らしく、

やはりシャッター前にブレを防ぐレンズ側補正の方が、水中には向いているようだ。

ただ、画像はやはりコンデジで、期待薄である。

そもそも、濁っているところで撮影するのに凝る必要もなく、記録としては問題ない。

 

次にハタゴイソギンチャクを見つけたら、ちゃんとスマートウォッチで地点を記録しとこう。

 

真夏と晩夏の違い・・・それは水シャワーに対する体の反応である。

真夏はだらだら暑いので、信楽狸でおなじみのアレもダラダラしているが、

この時節になると水道水がひんやりし、キュッとちぢこむようになる。

男だけが感じる、特別な夏の終わり感だ。

  

島ではこの時節を、男たちの晩夏という。 (ケーシー化?)

 


ではまた