敬老のシーズン
衆議院がバカイサンする。
どっちみち増税か、国債浪費体質は変わらないんだろうから・・・はっちゃけて
いつぞやの自慰眠党否定タイプの投票も面白かろう。
だいいい、これで自慰眠党政権になっちまったら、選挙の意味がない。
たまには、気分を変えてみるのもオトナの余裕というものだ。(笑)
問題の本質は、金を重んじるあまり、繁殖をやめてしまうような民意にある。
繁殖にも育児にも優しくない社会。 旧い経済思想と既得権益の限界だ。
ニッポンは悪い国ではない、でも繁殖を抑えるような経済は、在り方が間違っている。
ロスケやチャンは、矛盾ばかりの立場を正当化するため、コトバ遊びに長けている。
キムのロケット外交に際し、対話が相応しい・・・などと、毎度のことながら笑わせる。
アレだ・・・昼寝しながらハナクソをほじる勇気、のような言い回し。(笑)
しかし、そんな小細工では抗えないほど、気まぐれドナルドの下品なコメントには、
さしものキムも慌てている。
問題は、キムにとって一度でも撃墜されたら、メンツも国威も丸つぶれになる。
そうなれば、次に何をしでかすか想像できない。
核自爆用おんぼろ爆撃機を飛ばし、潜水艦や艦船を右往左往させるかもしれない。
無論、移動型ロケット発射台は、民家に隣接して設置することは想像に難くない。
国家元首が、国際問題をツイートするとか、それをマに受けた挙句、宣戦布告などと
いいながら、公海上を飛行する軍用機を撃墜すると明らかな宣戦布告を発したり、
もはや、口喧嘩が戦争の引き金になりつつある。(笑)
ライブで、あ゛・・・言っちゃった・・・となれば、もはや後に引けないバカ大将たちは、
そのまま仁義なき戦争に雪崩れ込むシーンが、目に浮かぶ。
経済制裁といえば聞こえはいいが、圧倒的に輸入に食料を依存している場合、
それは無差別殺人行為であり、私たちは経済で戦争をし続けている意識が薄い。
もともと経済は弱肉強食であり、戦争の概念と何ら違わないうえ、無差別というより
貧民狙い撃ちという非人道戦術とも謂えるのだが・・・それを無視することを
美徳とし平和憲法を貫こうとするポン小市民の姿勢が、至極滑稽なことに気付かない。
経営者なら経済が戦場であることを、とっくに知っているが・・・
南海トラフが、予測不能だという。
つまり、八方美人だったはずの原子力がオニモツになってしまったのと、ソックリ現象。
浅知恵の国民を煙に巻いて、国家予算がじゃじゃ漏れに流れた先がある。
まさに無駄解散をしようとする自慰眠党の事情に相応しい。
カケー獣医学部とか、モリトモ土地売却とか、そのたぐいの事柄よりも大きいインチキだ。
ドリーム等土壁のようなヤツである。
アレの効力や、維持管理の疑問が終わったわけではない。
長良川河口堰や諫早干拓のようにわかりやす漁場破壊であっても、
未だに握りつぶされているのだから、もとより専門的でツッコミ入れる国民自体が
ごく少数の有識者だけなのだから、ヤリホウダイであるジャンルなのは考えに難くない。
問題は、誰が儲かるか・・といった初歩的な問題ではなく、国家が一部の企業や
富裕層を優遇して、それらを残し、そうでない民衆を切り捨てる志向に至っていることが
安易な増税に走らせていることである。
私個人としては、そもそもマトモに働いたり、信用を得られないニンゲンが、
社会生活をできずに落ちぶれるのは当然だと思っているが、
自己中心的な人道主義者である、ほとんどのポン人がおとんど漏れなく騙される姿が、
笑うに笑えないことだ。
私たちは、言葉やメディアに誘導され、生活していることを意識しないようなシステムに
組み込まれてる。
そんなの映画の世界じゃん・・・だが、そのくらい、私たちは安易にNHKや気象庁を
信じ切ってしまうクセを刷り込まれてきた。
信じるべきは、テレビで有名なヤツでも、会ったこともない学者でもない、
むしろ自分だろううに・・・ ただ、ポン人は他人を無駄に信用することが好きである。
それは、責任転嫁とも謂うのだが。
毎年恒例、おとなりの天城集落の敬老会写真が持ち込まれた。
事前準備として、撮影者にレンズの長さと最小絞り値をたずねておき、
パンフォーカスになり、レンズのシャープさを損なわない絞り値とISO感度を指定しておく。
あとは、三脚を据えて、できるだけ多くのカットを稼いでもらう。
今回は28ミリ、F5.6、ISO400を指定した。 自然光で、シャッタースピードは成り行き任せとなる。
つまり、撮影者もある程度、一眼レフが扱える人物である。
現像は、いつもの市川ソフトのSILKYPIXでなく、自由度の高いアドビLight Roomである。
ピント、頭と頭の間からのぞく顔の見え具合、つむり目、メガネの不自然な反射、低速シャッターのブレなど、
あれこれ見比べて数カットを選定して現像する。
全体の明るさ、白トビ黒ツブレの回避、肌色の自然なカラーバランス、レンズのタル形歪み修正、ノイズ低減、
このごろのソフトは、彩度を上げずにコントラストを調整できる、鮮明度の指定もできるから便利。
同じ設定をコピーして、複数枚を同じように現像する。
頭の間からのぞく顔を基準にして、ベース画像を選定する。
つむり目やブレ、よそ見などを見つけ、別カットからレイヤーマスクを利用して上から重ねる。
レイヤーマスクは、黒いところは不可視、白く塗ると現出する。 右に出ているのがレイヤーとマスク。
マスキングはシビアな作業が必要なので、ワコムの旧型ペンタブレットINTUOSを用いている。
ベース画像を表層にして、不利な顔をマスクしていく方が簡単そうに思えたが、やってみたら逆だった。
顔を重ねるとき、必ず微妙に動いているので、肩の高さ、服のシワや柄などを自然に合成する。
ずいぶん動いているときは、特に女性の肩巾が広く見えないように処理する。
隣の頭の影で暗い顔になっていたり、和服は襟の左右のバランスに注意する。
右から外光が入っているので、左を持ち上げて均等な配光に整える。
人物と光の調整が終わったら、天井の終点とステージの段差を平行ににし、パースペクティブを調整。
A4用紙の縦横比でカットし、たいがい足りないので・・・天井か床を延長する。 今回は床。
壁のセロテープや押しピン(がびょう)を消し、光って敬老祝い文字が見えないので、看板を取替え。(笑)
なるべく、味気ない文字を入れて、いかにも田舎風な写真館の仕上がり・・・な雰囲気を出す。
意外と、天の上の横棒が短いフォントなどがあるので注意。
ちなみに毎回、有料の華康ゴシックを用いているが、堅そうに見えつつゴシックの中ではオシャレである。
ダイナフォントの、華康ゴシック/明朝は、地味にオシャレで読みやすく、好ましい書体だ。
テストプリントしてクライアントに提示たところ、顔色や顔の傾きなどの小修整の注文があったので対応。
ただ・・・前の顔と重なっている顔の傾き修正は、いささか神経を使う。
ほか、若干コントラうストと明るさを落とし、シワの深さを和らげて仕上げとした。
受け取るご老人は、キレイに撮れてる・・・くらいにしか感じない自然な仕上がりにするのが狙い。
しかしながら、絶対的に不可能写真という点が、画像処理職人のモチベーションをくすぐってくれる。
報酬は五千円。 今年はずいぶんご老人が増えたので、人数割りにすれば安いモノだろうが、
シマンチュに理解いただけるかビミョ〜な金額でもある。
そのくらシマンチュは貧しいし、価値も対価も知らなすぎるのだ。 本件はとても稀なケースである。
おそらく、他の集落なら・・・年下なんだから目上の写真くらいタダでヤレ・・・くらいな空気で困る。
そうすることで、自分のまわりが安っぽい/安いモノで満たされることに気付くことがない民族だ。
欲を言えば、カメラがもっと高解像になれば、ご遺影にも用いることができる。
寄る歳波でワガママ+偏屈になり写真に写してもらえず・・・ご遺影がない哀しいご老人は、存外多い。
パソコンは、CPUがAMD製・旧型6コア3.7GHz、メモリ24GBうち10GBがRAMディスク、
起動、作業用がそれぞれ個別のインテルSSD・128GB、保存用はフツーのSATAハードディスクであり、
処理速度には、さほど不便は感じていないが・・・そろそろWin7は代え時かもしれない。
ほとんどの作業が左マウスで済むのに、この作業だけは右手のペン操作を多用する。
年に一度、なくてはならないスキルの維持向上の機会でもある。
なんといっても、一枚の写真ながら、写っているお一人それぞれの目で処理するのは得難い体験だ。
そういえば昔、オヤジ殿が集合写真を撮るのに、自前でカメラを用意して、どえらい貧乏だったっけ・・・
カメラの名は、ホースマン。 40年以上前の話である。