ネタと謂うより ヤル気がない
世の遷ろい
台風5号。
これまでにない、遅く、強力コンパクトな台風だったように思う。
その最中から、ずっとおかしいことがある。 高気圧が見当たらないのだ。
我が国の周辺が、低圧帯になっているのである。
徳之島は、台風の後は一際蒸し暑い日々が続いていて、
全国的にそうだと信じ切っていたから、
東北や関東は日照不足だというニュースに驚いた。
毎年、梅雨から冬までずっと夏バテ状態が続くが、今年はヒトシオである。
食欲はないのをはじめ、あらゆることに意欲が薄まっている。
チャレンジングな仕事がない・・・というのも原因の一つだが、
実力のないオッサンに冒険などさせてもらえるハズもなく、退屈な日々が続く。
もとより
田舎暮らしというのはロマンとは遠く、現実的で退屈上等・・・なハズなのだが。
あまりにロマンも将来性もない島生活は、精神的にもキツイこのごろ。
このごろ
ナニを食べてもイマイチ美味しくない。
だからと、店屋物に走ってみるが、なお美味しくもない。
キュウリの奈良漬けを求めてみたら、なんと甘くてドエライ不味い。
こんなものが市販されているのか・・・
やっていけるのか? こんなの販売して・・・世の中、食べ物には割と甘い社会とか?
いろんな意味で。
幸せのためでなく金のために働く両親は、食事をおろそかにするためか、
店屋物はカスでも何でもチマチマ売れるらしい。 もとより奈良漬けはカス漬けである。
駄菓子もタレも麺類もカレーも漬物も、なんでもカンデモのべつ甘塩っぱくなった。
よくもまあ飽きぬものだ・・・と憮然とするが、さもありなん。
目先を変えるためにキツイ香辛料など、パチ風味で住み分けているらしく、
ナニモノか判らぬキツい風味の代物が増え、たいがいハズレ食品ばかりになった。
なにかこう、似て非なる平行世界に引き込まれたような気分である。
私の体質が変わったから、味覚が変わった・・・というのが本当のところかもしれない。
珍しく税抜きで100円を切る豚小間切れ肉があったから、ピーマン入り麻婆にしてみた。
美味い・・・自画自賛だが、私の麻婆は、たぶんそこらの店より美味い。
無論、化学調味もない。 キモは刻み肉と、仕上げのゴマ油、じっくりと焼くことだ。
仕上げに、サンショウをたっぷりと。
ミンチ肉は、旨味が逃げてボソボソになるから論外。
こんなに簡単なのに、なぜレトルトなんか求めるのか気が知れない・・・といつも思う。
島料理の独特の調理、煮炒めるのを知ってから、私の料理は一段進化した。
蒸らすことの大切さを覚えたからだ。
香ばしさは高温の油で簡単に得られるが、旨味や甘さを引き出すには蒸らしが重要である。
ただまぁ
島料理は蒸らしは意識しておらず、ただの炒め煮なので、油っぽいグジュグジュ物体だ。
不味くはないが、とりたてて美味しくもない。(笑)
正月につぶした豚のラードで炒め煮してきた食文化なのであって、
美味しさを追究する余裕などありはしなかったのだ。
薩長が切り拓いた歴史において、島での薩摩藩の犯した黒歴史は、内地で知らされぬ事実。
通称、砂糖地獄という。
とはいえ
特売食材は、そうそう販売されない。
あ゛〜 だるうい゛〜 調理にもヤル気でね゛〜日々。
夏バテに窮まりすぎて、サボりたがって脳みそが吐き出したアイデアがあった。
私は無類の蕎麦湯好きである。 蕎麦よりも、むしろ好きなくらい蕎麦湯が好きだ。
ある日、アレ?と思った。
わが家には、いただきものの蕎麦粉も、蕎麦茶もあるではないか!?
蕎麦茶で乾麺を茹で、香りをチューンナップ、その湯と麺つゆで蕎麦粉を溶いてみたら、
これまたハッピーなことに! 特濃も自在にこさえらえられるではないか!!(笑)
ぶっちゃけ、もはや麺なんてど〜でもい〜ぞ、蕎麦湯バンザイ!!!
暑いとき、冷やい粥や汁も捨てがたいが、熱く香り豊かな蕎麦湯はなお嬉しい。
いささか元気が出てきた。
これならば、ヒラアジの赤だしであっても、ちょちょいっと蕎麦風味にできるのだ。
蕎麦屋の赤だしなんて、これまでにないが、刺身を食える蕎麦屋があっても好い。
巷では、あれこれキツイ風味に依る風潮が花盛りだが、私は自然風味が好きだ。
週末は、外道のヒラアジでも狙ってみるか・・・(笑)