コダワリ は 守りか

 


 

世界の恥話

 

豊洲は、権力を得て調子に乗ってしまった知事のチョンボの気が強くなってきた。

誰しも、頂点に立った気になると、ついついウヌボレるし、ヤッチマウものである。

こと、弟が伝説的人気者だっただけに、目立ちたい気持ちもヒトシオだろうし。

 

どこぞのゴルフクラブが、女を正会員にしないという。

意識しすぎの中学生か!?そんな意識でゴルフとはプレイされるものなんだね゛〜

たかが、球を転がすだけの戯れに、そこまでコダワルのはナゼだろう。

玉の大きさが、最大級というか最大球の黄金球っぽいからだろうか?

さながら・・・タマタマ、プライドが許さないというか。(笑) 

 

ハナフダじゃないや、トランプさんのボケっぷりは、十分に効果的である。

ジャイアン的な国家元首像は、相手に一歩引かせ、駆け引きに優れている。

メリケンファーストの思想は、これまで伏せてきたメリケン的自由の正体だが、

プーやんにしても、自分の思いと結論がそっくりだから、露骨にやりづらくなった。

それに、アメ車はどうもポン人には合わないから、ロスケに売ってはどうかと思う。

 


 

私は自他ともに認めるコダワリである。

おそらく幼児期に母親から刷り込まれた、キツい性格が発展?した結果だろう。

私が超メンクイなのも、極端な性格なのも、おそらく原因はソコにある。

母親の容姿や、おそらくモテ女子特有の、チヤホヤと実力のアンバランスから生じる

トゲトゲしい性格なのである。 だが、育てられた手前、完全に気づくことはできない。

私にとってのデフォルトであり、基本ソフトのようなものだから。

 

自分の身の丈も考えず、とりあえずココまでやっとけば・・・と背伸びしてしまう。

 

結果、実力との差が生じて、心も病んでしまったし、さらに突飛な島移住に至った。

でも多分、すべて保身だ。

そのようにすることが、私にとって幸せる、と考えたからに違いない。

 

Oちゃんは感覚はまあまあ鋭いのだが、いかんせん全く努力しない人生である。

したがってコダワリはまったくない。

本人があるというのなら、コの一画め0.2ミリぶんくらい許そう。(笑)

だが、このごろコダワリの土産を買ってくるようになった。

陣太鼓と王様堂のせんべいである。

陣太鼓は押しも押されぬ西日本を代表する和菓子。

戦後創業ながら、ひよこよりも高級ブランドである。

一方の王様堂は、浅草で大正創業のおかき屋の製品だ。

 

これまでは

手焼きらしく、とても香ばしい正統派の醤油味せんべいであったが、

今回は見当たらないので、違う商品になったという。

「大柿かき揚げ」という、4センチあまりの大型柿の種のようなおかきだ。

ラベルなんて、ろくろく見やしないから・・・食べてみて驚いた。

醤油味でありながら、揚げられている。

しかも、油っぽさが感じられず、袋にもほとんど油脂がついていない。

技術とコダワリの凝縮された雰囲気まんまんである。

 

ラベルを眺めるに、やはり。

調味エキスや発酵調味料は怪しげだが、安易に化学調味はしていないようだ。

それに、様々な隠し味を用いているためか、あとからジワリと風味が広がってくる。

 

こういう商品を味わうと、まだまだ日本の食品も捨てたもんじゃないと思う。

 

化学調味は、パチ風味であって、繊細なポン人の舌を日々壊し続けている。

ポテチや麺つゆもさることながら・・・漬物や明太、納豆のタレに至っては異常な味だ。

それでも、菓子でありながら易きに走らぬ姿勢は、コダワリそのものである。

 

コダワリは、守りの姿勢なのだろうか。

ある事柄に、しつこく関わる、考えることだが、単なる意地のようでもある。

コダワリは、ない人物にはわからないだろうが、事柄をつきつめる原動力になる。

ナンの得になるのかわからないのに、無性に究めたくなってしまう。

反面、完璧主義などと揶揄されることもあるし、自分の立場などが窮まることも多い。

 

だからといって、そうそう止められるものでもない。 妙な特性だ。

 

コダワリは、ある一品であったり、ジャンルだったり様々だ。

たぶん、私の場合は、気付いたことにほとんどコダワル性質。

 

釣り、パソコン、カメラ、釣り、米研ぎ、スーパーの特売、100円野菜、

デザイン、女子の好み、タオルの色、役場職員風の擬態人着、ハブの素手づかみ、

ガセのワキ洗い、冷凍ごはんのレンジの温度設定に至るまで・・・

枚挙に事欠かぬほど、気づけばヤタラ究めようとしてしまうし、

日々の実験こそ我が人生・・・的になっている。

 

ただ・・・コダワリとは、そのような軽いことなのだろうか?

私の場合は、どうも凝り性というか、単なる熱中好きであって、美味しいとか愉しいとか、

そういう気分を味わうための衝動のような気がしないでもない。

 

つまるところ、なんでも遊びにしてしまう子供のようなもの。

○○する勇気のように、運転しながら鼻毛を抜く勇気・・・のように恰好をつけるなら

面白き、ことがなくとも面白く、あるいは面白き、ことがないから面白く・・・か。

 

おそらく、一般的なコダワリでなく、私はコダワリそのものを嗜むことが、

人生の歩み方になっていて、コダワル事柄については、さして意味がないのだろう。

 

先日、ふしぎと美味しい煮物に出逢った。

レシピ通り、ゴマとネギをふりかけて食べるのは大賛成だった。

厚揚げと、ちぎったコンニャクを醤油味の出汁で煮含ませ、赤味噌で仕上げる。

ブログなどを書き書きこさえるので1時間半くらいかかったろうか、

コンニャクにも味が馴染んで、かなりイケる。 しかも赤味噌が好い。

 

このこっくり感・・・あれ? おでんの美味しいとこ取りではないか?

私はコダワリのせいか、おでんの竹輪などの練り物が許せない。

なぜ無駄に再加熱するのだ?と。

山口県は極めて美味い練り物が多く、かまぼこや竹輪を再加熱するのは邪道だ。

このごろのコンビニに至っては、脂っこいウインナーや、化学調味のつくねなど、

ニオイも臭いし、吐きそうになるネタがテンコ盛りで食えたものではない。

 

んが・・・この赤味噌風味は捨てがたい。 私は赤味噌の味噌汁で育ったからか。

あとは、ゆで玉子あたりだろうか。

カツオ、昆布出汁ベースなので、牛筋など肉類は下品なニオイになってしまう。

 

このおでん風は、時間が経つほど美味しくなる・・・ものでないのが弱点である。

醤油の下味と、キリッとした赤味噌の風味が失われないタイミングがベスト。

時間がたつと、ナニ味がぼやけてしまうからだ。

ならば、下味状態で保存しておいて、赤味噌で仕上げるのがポイントか?

今気づいた。(笑)

 

こんどはもっと渋い、八丁味噌を用いようと思う。

もともと味噌田楽から転じたから、おでんに味噌が合うのは当然だろう。

なにしろこの冬は寒いから、暖かい煮物は嬉しい一品だ。

 

それにしても

この冬の日照の少なさ、寒さ、否、風の強さは尋常ではない。

釣りというか、竿を出せるタイミングどころか、まともに生活し辛い強風続きだ。

平均風速が10〜14mもあれば、鉄板の凧が上がる。(笑)

加えて、超低気密、ポジティブに表現すれば、超通気性住宅の我が家は、

畳のすき間からでさえ、寒風が吹き込んでくる。

 

奄美群島の北部は、国内屈指の少日照地域であり、南国イメージとは程遠い。

裏日本と呼ばれる地域に近い、暗く長い冬が続いている。

 

さて

こうなると、どこに面白さを求めるのやら悩ましい。

とりあえず休日は、引きこもってチビチビやりながら、料理するのが妥当か。


ではまた