ノコギリガザミ情報は ガセ/伝説?
世間の珍況
東西両岸で大統領ネタのデモが頻発している。
ホントにやりたい、チャンやロスケは国家権力が無駄に分厚いので起きないだけだが・・・
老人運転による、アクセルとブレーキの踏み違え事件が着々と積み重なっている。
ただ・・・その年齢になれば、意図的に踏み違え事件を起こすことも容易になった。
ど〜せ増えすぎたニンゲンだから、事件でも事故でもイイのかもしれないなぁ。
さておき
老体が成体や幼体を殺すのは、生物として限りなく醜く哀れな姿であることは否めない。
動物として、あってはならない極悪の行為であることは間違いない。
それは、イスラミック・ナンチャラがやっていることと、手段は違うが結果は同じだ。
ロンサムジョージ・・・ガラパゴスで長寿を極めたゾウガメは、あえなく絶滅した。
長寿は進化を阻害し、絶滅への道を築いてしまう。
自分が長生きしたいと考える知恵が働くほど、種の未来は縮まってしまう。
摂理とは、実に面白い構造になっていて、なぜか文明の進化を阻むような仕組みだ。
これが自然なのだろうか? 果たして神がもたらした自然な仕組みなのだろうか?と
疑ってしまいたくなる。
大宇宙には、我らのような敵をがいるから進化する・・・のとは全く逆の摂理、
共存/結合を競うことで進化する摂理が存在している可能性もある。
社会通念=人道でやむなく弱者を救うだけの我らとは、真反対の摂理となれば、
とんでもない進化の生物・・・である。
摂理どころか物理現象などにおいても、全宇宙共通ではないのだから。
ニュートン力学や相対性理論は、出たこともない宇宙に対する憧れから生まれた、
ある程度あてはまる理論・・・でしかない。
二週間おきに、ガセネタが続いているこのごろ。
ワタリガニ=ガザミのことを、島口でガセというが・・・・夜行性というのはガセネタだろうか?
現在の仕事の大半は、町の文化遺産データベースに生物情報を登録することだ。
知識を共有することが労働になるのだから、私としてもこの上なく好い仕事だ。
しかもテレワークもできる。
いろいろ調べているうちに、○○伝説じゃね〜のそれ・・・みたいなことが結構ある。
怪しげな情報については、らしい、とされる、などで濁しているが、できるだけ海外サイトも
参考にして情報の精度を上げるようにしている。
英語はさっぱりだが、右クリックひとつでgoo辞書できるから、和訳はさして難しくはない。
英語は結構オモシロで、ナマコのことは海キュウリ、イソギンチャクは海アネモネ、
イシネバリことカンモンハタは、イシガキっぽいパターンをハチの巣に例えてハニカムハタ、
ウニに至っては、海のいたずら坊主だったり。
研究が進めば情報も変化する。
土星の輪がいくつだ・・・みたいなのが、正解のように教科書を飾っていた時代もあった。
科学が進むと、学問の中身はどんどん変化し、教科書が学業という仮想価値を土台として
存在してしているかもしれない・・・と感じられてくる。
明らかに勘違いのネット情報もある。
この頃登録したハマクマノミについては、メスが大型化してテリトリーを構成するが、
オスが大型化する・・・というサイトすら見受けられる。
んま゛〜ネット情報は好事家ベースだから、思い込みや勘違いは仕方ない。
我が青も、だいぶその傾向が強い。
研究者のサイトには興味深い情報があり、当然メスがデカくなれば雄性先熟かと思いきや、
性転換しないどころか、必ずしも雄雌を決めずに成長する・・・場合もあるのだとか。
つまり、都合によってオスなりメスなりになってしまえる、ご都合体質の個体もいるらしい。
ハマクマノミ恐るべし・・・
生命の在り方が異なるクラゲたちに比べたら、まだ解かりやすい方ではあるが。(涙)
通常、クラゲは卵が岩にくっついて、にょきにょきサンゴのように成長し、10匹のクラゲが
実って?旅立っていく。
登録したカツオノカンムリなどは、さらに複雑で、サンゴのように成長しながら、
何百匹もクローン増殖して、それぞれ足やら部品に変形、一匹のクラゲっぽい姿で離床、
でも一匹でなく群体で、自分の分身が部品となってくっついた数センチのクラゲになる。
しかし、それは繁殖できず、さらに小さい繁殖用の1ミリほどのクラゲをたくさん産み放つ。
卵→ポリプ→群体として成長し離床→繁殖用の親クラゲを生産→小さな親たちが卵を生産・・・
卵から、親の親となるクローン群体クラゲが成長する・・・という、ビミョ〜な過程を経る。
国内サイトには、情報がなかったから、だいぶ往生した。
知っていてもモテもせず、得しそうにないが、データベースに載せるには好い情報だ。
私は、デジタル図鑑をこさえるのが夢のひとつだったが、撮り置いた写真をベースに、
調べ物をしながら給金がもらえ、最新の情報を登録できるのだから、願ったり叶ったりだ。
図鑑は人類の好奇心の友だが、重いし雨風に弱いのが問題だった。
現場で見られない図鑑など、大半の存在意義を失ってしまう。
殺して採取できるような動植物ばかりなら、問題ないのだろうが。
そんななか、最も厄介な生体情報のひとつが、夜行性だ。
「夜行性」というのは、どうも先入観を招いてしまう言葉である。
人類の英知、分類が陥る知識のドツボのひとつ。
以前、載せたことがあるが、冬眠明けのアブラコウモリが真昼限定で採餌することがある。
アブラコウモリは、そこらで見かけるコウモリの代表で、立派な夜行性である。
生物に絶対・・・なんてないが、夜行性動物が昼間に活動するのは異様に感じてしまうのは、
先入観によるところ。 ニンゲンだって、くっっっっだらないゲームで、徹夜するクセに。(笑)
アマミノクロウサギだって、安全なところでは「昼間にも」活動することがわかっている。
問題は昼夜の明るさでなく、天敵だから、むしろ明るさは副次的な習性に過ぎない。
鳥目などという伝説があるから、野鳥は夜は飛ばないと妄信するニンゲンが多いが、
多くの渡り鳥は猛禽を嫌がって、夜間に移動している。
昼間、尾の長いサンコウチョウや、派手なアカショウビンの渡り見かけた沖縄の漁師は居ない。
地磁気が感じられれば、さして視力は必要なかろうし、気流の乱れで障害物も感じられるはず。
ニンゲンレベルの知力・体力・能力をベースに、他の動物を考察することは無意味だ。
過日、あんまり赤いガセだから、とりあえず水揚げしてみたら・・・どうやら別種らしい。
足がずいぶん黒っぽいし、ハサミの先がかなり赤いのは、アカテノコギリガザミだそうだ。
アカテというより、英名の Orange mad crab の方が的を射ている。
アミメはその名の通り、足に網目模様があるが、それ以前にハサミは青っぽい。
せいぜい600グラムくらいしかないから、写真をとってリリースしておいた。
私が2週間おきに捕獲するのだから、夜行性というのは怪しいというより、ほぼ嘘っぱちだ。
一応先人を尊重し完全否定はせずに、ハナハダ疑問がある・・・としておこう。(笑)
雄のワタリガニがメスを確保するのに、おそらく視覚を用いていて、
片っ端から抱き着きチャレンジする必要があるが、夜はそもそも相手が見えない。
あまつさえ、アミメがアカテに抱き着きかねない。
とはいえ、ストーキングして鋭い嗅覚で体臭を確認・・・などという裏技?もなくはない。
上海ガニの近縁、たいそう美味しいというモクズガニは、秋の夜陰に乗じて河口へ下り、
オスはひたすら、モクズガニを見つけたら、かまわず抱き着いて交尾しようとするそうだ。
ワタリガニはメスが脱皮するまで待たねばならず、まずはメスを捕獲せにゃならぬが、
カニはろくな頭脳がないから、やはり同様に手あたり次第ロジックの可能性が高い。
当然だが、非繁殖個体ならば夜間に行動する方が安全に違いない。
チヌに、足をバリバリかじられる可能性も、気が立ったオスに遭遇する機会も減る。
エサ探しは、強力な嗅覚でやれば済むし。
ノコギリガザミは南方系だから、内地では繁殖期が短く、夜行性の時間が長い。
一方島では、半年以上繁殖期が続くから、昼間に出歩く個体を見るチャンスが多い。
不思議なこともある。
内地の産地は、干上がらない地域が多い。 とゆ〜か、干潟は埋め立てられ残っていない。
脱皮前の甲羅干しを、ど〜してるのだろうか? 私が心配することでもなかろうが。(笑)
ところで
私にとって、ガセネタ最大の関心事は、貝を割って食べる伝説がアリなのか?だ。
メスを探して歩くガセは、ほとんどエサを食べるのを見ない。
一度だけ、岩につく海藻を食べるところを見た程度。
割らずに食べて、サンプルをこさえてみた。 右が伝説の割りバサミだ。
それによると、太い方のハサミで、エサとなる生の貝やヤドカリの殻を割って食うという。
九分九厘、誰かがチラと見ただけか憶測の域にある伝説だと思う。
貝類も、泥の中だけで生きられず、海底に出て海水とプランクトンを取り込んだり、
そうした貝類を食う貝類もいるから、それらを襲うとも考えられなくもない。
でも、そんなに器用にはさめるのだろうか?
丸っこい貝を、捕獲の騒ぎで濁った水中で、キチンとはさむなど尋常ではない。
何しろ、ハサミの歯も丸っこいし、さほど広く開くこともできないら、はさめる貝といっても
せいぜい殻長3〜4センチ程度だから、知れている。
その割には、やたら巨大で強力なハサミである。
ひょっとすると
他のカニと同じく、雑食とはいえ肉食は少なく、植物の葉などを食べているのかもしれない。
あの、陸のカニとしてはデカいオカガニも、じゃんじゃん枯れ葉を食べているし。
他方で
カニの寿命はせいぜい2〜3年だから、枯れ葉で1キロ以上に成長するのは無理だろう。
水産試験場の育苗事業の情報では、一年で甲幅10センチ以上になるというから、成長は早い。
確かに、先にも述べたように、超節約体質によりヒキコモリ時に代謝を抑えることで、
効率的に成長できたとしても、やはりハイカロリーな食事は必須だと思う。
一度だけ、春先のアオサ(ヒトエグサ)を直に口で食べていたのを観たことがある。
そういえば
以前、オスのガセにジグミノーをチラつかせたら、素早くはさまれ、つぶされたことがあった。
すなわち、優れた視力、鋭敏に水流を感じる触角と、強力な筋肉による俊敏性で、
周囲で動くものを全てはさみ捕る・・・と考えればシンプルだ。
短絡かもしれぬが、カニの頭脳?はその程度と考えても不思議はなかろう。
泥水の中で、千載一遇のエサか仲間かを瞬時に判断する手段はないし、
更にダメ押しし、夜行性ともなれば・・・
どうやら
小魚だろうと、エビ、カニだろうと、同族だろうと、手あたり次第食う・・・のが真相のようだ。
一定以上の大きさになると、繁殖相手と認識するが、それ未満だと手あたり次第ロジックで食う。
関係ないが、抱き着きグセのある、オスガニ用ルアーも可能かもしれぬ。(笑)
こうして書きながら調べるうち、私の脳内もやや流れが変わってきた。
そもそも、トリトリデッキ周辺は不自然な自然?であることと、ノコギリガザミにとっては
生息しやすい場所ではない・・・とか?
ノコギリガザミの生活は河川内の浅場/泥干潟と、深みのある河口海域の往復に支えられる。
しかし、イノーには細くて家庭排水に汚染されたドブ川のようなのしかないし、
干潟の外はいきなり外洋で、出ていくこともできない。
豊かなノコガザ・ライフを送ることができず、やむなく稀有な行動に出る・・・とも考えられる。
反面、深い河口域はエサも豊富だが、自分がエサになってしまう天敵も多い。
そうした面では、天敵が少ないのが増加の原因かもしれない。
背理法的な増加・・・?
河口周辺を巡る天敵は、一年未満の小さいノコギリガザミにおいては、
鳥では大きくてもハトかニワトリ程度のシギやチドリで、
魚ではコトヒキ、ミナミクロダイ、ゴマフエダイ、様々なヒラアジのメッキ、オニヒラアジ成魚あたり。
幸か不幸か、大潮の満潮でもせいぜい数十センチしか水深がないイノーには、
大型魚ではミナミクロダイとオニヒラアジの2キロオーバー程度だし、個体数もまばらで、
入ってこられ潮位の日数も限られる。
夜行性で、水深のある河口域を徘徊すれば、かなり大きなノコギリガザミであっても、
大型魚類に襲われ足から先に食われてしまう。 歩くのと泳ぐのとは、機敏さが桁違いだ。
反面、浅すぎるイノーは、圧倒的に天敵が少ない。
加えて、おそらく主食?としているヒメヤマトオサガニが鬼のような密度で生息しているし、
小さな数センチのモエビ類も、満ち潮になると砂泥から無数に湧いてジャンプしているし、
セスジボラは浅くても群れで入ってくる。
他方で、大型のノコギリガザミは繁殖期には河口に降りてパートナーをフルタイム探せるが、
イノーでは歩ける潮位の時間が短いため、昼夜を問うていられなくなった。
つまり活発に繁殖したい個体が、昼間も徘徊するのでは? という仮説に至る。
色眼鏡/伝説で透かし見るのはマズイが、ある程度は想像が必要だ。
ご当地の生物模様を登録している手前、他地域の常識を重んじる必要はない。
んが・・・標準的な生態を知り、記載する必要もありそうだ。
ひるがえってみれば
むしろ私が体感してきたガセ現象は、ご当地限定の稀有な事実であり、
ヨソでは伝説・・・の可能性が高いし。
よりロマンのある表現をするならば・・・私の招く偶然が、シュレディンガーのネコの箱を、
よりによって一方の可能性のタイミングのみに開けてしまっている・・・と謂えるかも。(笑)
世の中には偶然など無いという学者さんとかホーモンジとか居るかもしれんが、
進化の方向のみならず、そもそも宇宙の最初、ビッグバンの引き金だって偶然だらしいぞ。
でも、偶然が重なって現在に至っている。 偶然は何故か必然的に起こっている。
残ったものが必然・・・勝てば官軍なわけだが、必然は概ね願った方向性でもある。
ビッグバンの引き金を願ったのが誰かは知らぬが。
私が体験している現実は、他人にとっては非現実となってしまうと、
私の価値観は誰とも共有できないことになってしまう。
統計的に薄めて考えるか、私の現実のみお披露目するか、大人の落としどころはどの辺か。
私がこのごろ痛感しているのは、そもそもネコの箱の存在を知らないで、過ごしてきた自分。
それに、開けるタイミングもある。
箱はキッチリ一時間後に開けることで、ネコは統計的に50%の生死となる仕掛けだが・・・
その0.0000000001秒後か先かを証明することは、現実的には無理であるし無駄である。
時間の経過は、厳密には物体の重さによっても異なる。 それは相対論が語っていることだ。
質量によって空間が歪むから、開ける人物によって、そもそも一定しないことになる。
んま゛〜論理空間だから、ナンデモアリだが、現実は論理空間ではない。
つまるところ、揚げ足を撮りまくるとするならば、
私が開けるのと、あなたが開けるのとは、根本的に違う結果が前提となるのだ。
偶然を予測することは非常に難しいから、オモシロイ箱をこさえたわけだが、
箱を一度開けてしまえば、そこには100%どちらかの結果しかない。
すなわち、開く人によってはとても偏ってしまう可能性がある。
じゃんけん大会の優勝者のようなものだ。
すべてを勝ち抜く人物が必ず存在し、その人物の立場から見た世界は、確率論から遠い。
とある異性が自分を好むかそうでないかは、回答の存在は1/2だが、確率とは無縁だ。
ニンゲンは分断と普遍を前提とした概念を重んじるから、自分で伝説にハマルのだ。
教科書を彩っている正解であっても、本人が体感しない限り、仮説、伝説、ネコの箱のたぐいだ。
ただし、箱は存在しているから、開けるかどうかは本人次第、運次第。
例のデータベースは、そうした箱の存在を広める仕掛けにできやしないか、思案中である。
ともあれ
私のガセネタにまつわる伝説は、ある程度整理できたような気がしてきた。
メスが脱皮時にしか交尾しない伝説、夜行性伝説、貝を割って食う伝説も、ほぼ白黒ついた。
浜のツバメコノシロ釣りも同様だが、私が箱を開くキッカケは、美味いかどうかで決まる。(笑)
ガセが不味ければ、たぶんゼンゼン考えず、伝説はそのまま解釈していたに違いない。
科学全盛の時代とはいえ、金にならない生物の生態には、伝説がまだまだ巾を利かせる。
例えば、浜のオニヒラアジは魚ばかりが胃の腑に納まっていたが、イノーのはどうだろう。
私はボラとともにカニを食っているとみるが・・・真実はいカニ?
でもまだ、釣る手立てがない。 目の前で見られるのに・・・
釣りも、科学と運である。
できるだけ楽しく、美味しく伝説を解き明かしたいものだが、このごろまたウツっ気が増し、
ナニを食べても美味しくない時分に突入してしまった。 やれやれ。