懐かしい味

 


 

世はかなり変

 

このところ高齢者のボケ走行による、子らの襲撃が盛んになってきた。

公共交通が不便とか、そもそもなかったり、あるいはボケ老人は少しの我慢も無理、

などなどが重なって事に至るわけだが・・・責任を負えないようなボケが増えると、

いったい誰が責任を負うのか、妙なことにはならないだろうか?

放し飼いにした家族か?

それはあまりに無体だし、二世帯檻つき住宅などを流行らせることになってしまう。

ボケ本人の預貯金があるうちは、そこから慰謝料を払えるが・・・ペットでもない、

人格も失われかけている動物を、どのように扱うのか、非常に微妙である。

 

銀河系lの中心には、ブラックホールがあるとされる。

物理現象が通用しないし、時間すらも進まない領域という。

遠いか近いかが問題なのでなく、それに支えられているのが我らの太陽系ということ。

まるでオカルト?によって私たちの世界が成り立っているというのは、全くイタダケナイ。

ホントにこの世は信じるに値するのか、生きるに値するのかビミョ〜に感じられてならぬ。

 


 

ソウル・フードというのを、たまに聞く。

言わずと知れた、どこぞの半島の在りもしない宮廷料理のことだ。(笑)

もとは、メリケンの奴隷黒人が転々としながら作ってきた、郷里っぽい料理・・・らしい。

 

味覚はもともと絶対値よりも慣れが大きい。

その最たるものが納豆ではなかろうか。

ネバネバして臭いのに、たまらない味である。

大豆を腐らせたものに、さらに大豆を腐らせて製造した汁をかけていただく。

しかもカツオをカビさせて作ったかつ節を混ぜると、旨味がすこぶる増す。

アツアツごはんの朝食には、豆腐の味噌汁とともに、実に相応しい食品だと思う。

朝食は、なんとも大豆だらけだ。

まてよ、日本人は気づきにくいが、生玉子・・・かもしれない。

生のまま玉子を飲んだりできるのは、限られた民族だろう。

 

昔からある郷土料理は、さして美味しいものはない。

もともと貧しい生活の中で、こさえてきた料理だから仕方がない。

 

島の郷土料理は、例外的に美味しいかもしれない。

本土では食べなかった豚を食べてきたから、塩漬け豚の煮込み・・・は

シンプルにして、かなり豪華で美味しい郷土料理ではあるまいか。

皮と脂の部分の塩漬けをラードで揚げて、それを煮込む料理もある。

これまたコッテリと美味い。

 

美味しいとは習慣であり、思ったほどシンプルなものではない。

 

このごろの私は、美味しいと感じる食べ物がガタ減りしている。

既成の食品の味が一定に人工的で、素材の味がしないからだ。

その最たる例が、ミンチとハム、ソーセージである。

餃子や肉まん、コンビニおでんのつくね・・・あの肉はナニを混ぜたらあのように

半日以上、口が臭くなる風味になるのだろう。 肉の新鮮さは一切感じないし。

ハムやソーセージに至っては、もはや完全人造風味で、肉っぽさすら感じ辛い。

 

瀬戸内で育った私が、エビカニを嫌っていたのは、ナニも地元産のクルマエビが

苦手だった・・・ということではなく、むしろ好きだった。

だが、海沿いの集落にあるエビカニの加工場は、とても臭かったのだ。

幼少の頃、スーパーで最も苦手だったのが漬物と茶の売り場だった。

今も多少その気はあるが、私は鼻の奥の粘膜が薄く、匂いには多少敏感だ。

その証拠に、島にはカサブランカの原種である希少種のユリがあるが、

確認のために登山すると、私が真っ先に香りに気付く。

しかし、友人らは全く感じていないらしいことが、不思議でならぬ。

 

山口県は、クルマエビ養殖の先進地であり、高級品ながら食べる機会はあった。

おふくろ様のこさえるエビフリャ〜は美味かったし、頭のから揚げもイケた。

 

ちなみに

シバエビやクルマエビは、クルマエビ亜目で、

越前ガニ、イセエビ、ヤドカリ、ザリガニなどは全てエビ亜目だから、かなり違う甲殻類。

亜目の違いは、分類する立場や生物の在り方によって違うが、例えば魚ならば、

スズキ目のなかのスズキ亜目とサバ亜目だとどうだろう。

スズキやハタに対する、サバやマグロくらいの差がある。

日産とルノーくらいの差とか?

 

さておき

私にとって、匂いは食事のなかでも一際強い刺激であり、好みに影響している。

実は今朝はガセ捕りのチャンスにあたる潮回りだったが、気が乗らなかった。

このところ2週おきの潮回り毎に食べてきたが、ちょっと飽いてしまった。

味はそこそこ美味いのだが、台所がしばらくカニ臭で満たされるのが嫌なのだ。

旬から外れつつあるし。

 

また、食べたくなったら捕ることにした。

でも、目の前に来ると、ついつい捕ってしまうだろうね。(笑)

 

いつものように、マエフリが長くなったが・・・

 

山口県人限定の郷土料理といえば、安平麩・・・などでなく「けんちょう炊き」である。

くれぐれも、私の身近で安平麩を知っている人は居ない。

肉主体食だったころは、イマイチ好きになれなかったが、このごろは好物になった。

大根を油でしっかり炒めてから、ちぎった豆腐とともに、だし汁で煮る料理である。

味付けは醤油と砂糖少々で、炒める以外はシンプルな料理だ。

何度も加熱して、くたくたになるほど美味い。

大根と豆腐と出汁の混じり合った、おでんのような汁がまた・・・たまらん。

今回はイワシの炒り子でなく、鹿児島らしくアジ炒り子を用いてみた。

臭みが少ない分、くたくたになったときの風味がイケて、大成功だった。

 

アジ炒り子は大きいので、出汁をとるのも二日かかるのが面倒ながら、

イワシのそれよりも単価が安いのが嬉しい。 しかも匂いが優しい。

残念なのは、ゼンゴや骨がキツいので、そのまま残して調理する口に刺さるところ。

したがって、出汁をとったアジは、今のところまるまる捨てている。

他方で、イワシはそのまま残すから、頭とワタを取るのが面倒で、その点では楽だ。

歳だから、なるべく調理のハードルも低いにこしたことはない。

 

以前も記したと思うが・・・

 

大根を炒めるときに、水を少々加えて水蒸気と油の双方で加熱する水炒め?を

用いることにしている。

フライパンから出る熱を大根と水で受け止め、水は水蒸気となってさらに大根を蒸す。

大根がフライパンの全面に接するわけでないから、そのすき間の熱を利用する。

まんべんなく加熱しやすいし、効率的だ。

スープなどで、タマネギをじっくり炒めるときも同様に。

オリジナルの技だが、焦げずにムラなく加熱でき、とても重宝している。

芯まで火が通ったら、水分を飛ばして、じわり油による炒めに移行すればいい。

  

このごろ

たまにボンカレーの安売りを見かけるようになった。 辛口限定のようだ。

島人は、超甘党のためか、辛いものが苦手である。

総じて、甘く柔らかい食品が好きだ。 しかも、酸っぱいのも嫌う。

ひょっとすると、超高齢社会だからかな? 絶対的な、年功序列社会でもあるし。

 

辛いとすぐに大汗をかく私だが、体の反応と好みは別問題だ。

カレーはやや辛くらいが私にはぴったりで、レトルトの辛口はちょうどいい。

 

わが家のカレーは、英海軍式の小麦粉入りでなく、サラッとしたタイプだし、

牛とバレイショでなく鶏とナスとトマトなどが具である。 しかも、たいがい冷やしだ。

 

でも、たまにネバネバのカレーが食べたくなるので、レトルトカレーは買い置いている。

不思議なことに、旧式ボンカレーは他のレトルトカレーよりもカロリーが高い。

このごろは、箱ごとチンできる、かなり美味しいレトルトもあり、レトルトも捨てがたい。

所詮は栄養バランスの悪いラーメン準拠のB級食品だから、気合は入れていないが。

 

わが家のカレー率はとても低く、二月に一度食べるかどうか・・・だ。

コテコテの海軍カレーは胃もたれしてしまうから、ハードルが高いためもある。

 

ボンカレーはパッケージの懐かしさから、つい買ってしまう。

といっても、子どもの頃は食べたことがなく、横浜に行ってから食べた気がする。

久しぶりに食べてみたが・・・安いのはやっぱり美味しくはないね。(笑)

健康には悪いが、ちびっとウスターソースを垂らすと、食べやすくなった。

ボンカレーは、温泉玉子を落としてソースをぶっかけて食うスタイルがピッタシみたいだ。

乾麺で、ちゃちゃっとカレーうどんこさえるとか。

いづれにしても、代謝の落ちたオッサンが食らうタイプの料理ではないなぁ。

消化時間もかかるから、休日のブランチ向きかもしれぬ。

にしても・・・さして辛くもないのに、やっぱり大汗かいてしまったわい。

 

まだ、セミが鳴いていて、煮物シーズンのような気がしないが、全国的にはそろそろ冬。

庭先には、冬鳥のウグイスやジョウビタキがやってくるようになった。

スーパーに並ぶ食材も冬じみてきたので、やっぱり煮物が恋しくなる。

 

なかでも、炊くほどに美味しくなる煮物は、とても嬉しい。

もう少し柔らかい大根が出たら、またけんちょう炊きをこさえようかな。


ではまた