ガセネタに新事実
巷のやっかい
今度は、鳥取で震度6。
震源が浅く、断層の仕業である・・・と片づけるのはどうだろう。
断層は結果であって、せん断応力はこれから産まれる断層ではわからないと思う。
ラジオで聴いていると、南国の首長の名はルテルテちゃんに聞こえて微笑ましい。
実際、やっていることもガキ大将のような振る舞いで、なかなか微笑ましい。
困ったチャンも、さすがに子供のような振る舞いには動揺が隠せないのが微笑ましい。
南国のヒトとは、たいがい相当に考えない民族性だ。
脳内がシンプルでありたいというか、サボりたいとか、チカラで何とかしたいとか、
自分たちが足りないために溜まったストレスを、どこかへブチマケてスッキリしたいのだ。
進歩したいとか、そういう意識でなく、ただスッキリあしたを迎えたいだけなのだ。
それは、困ったチャンも同じことなのだが・・・
外海を抑えているのだから、内海くらいサルにくれてやれ、というのはアリかもしれぬ。
ただし、サルはホドを知らぬ・・・ものである。
客観性がないニンゲンは、限りなくサルになってしまうのは、仕方がないことなのだが。
それを、おてんとうさまが観ていらっしゃる・・・とした、本国の習わしは社会性のメリットを
無限大に高める機能を有していて、驚かされる次第。
要は、客観性をいと高き存在に求めることは、究極のエアー客観性である。
木曜の昼休み、どうも腹がへってないから、トリトリデッキへ。
中潮で10時ごろの満潮だから、昼には浅めになりガセ≒ノコギリガザミを見つけやすい。
見知った役場の卒業生がカニ網を放るのを横目に、タモ網片手にガセ探してみることに。
前回の捕獲から、潮が一回りするタイミングである。
15mくらい沖をウロウロするガセを見つけたが、5mくらいまで接近して去ってしまった。
それでも、せっかくガソリン使って来たのだし・・・と、イノーを観ながらウロついていると、
ちょろっと動いた小さなメス、のぞき込むと都合のいいことに手前にオス。
メヒルギがウザウザと生えてるが、ここを出るのは待つのは距離があって無理。
逃げ去る前に、すぐさま捕獲するのが得策だ。
カニは複眼で、とても広範囲を察知できるから、ウカツにの祖き込むと逃げられる。
だから、いささか邪魔でも、タモをしっかり伸ばしてから、素早く差し入れる。
網が回転すると操作できなくなるので、かなりしっかり伸ばす。
ヘビも鳥もそうだが、カニにも一定の反応や行動パターンがあるものだ。
脳が発達していないから、反応はシンプルである。
メスはひたすら泳いで逃げるが、オスは危機に対して立ち向かおうとする習性を利用し、
沖側からタモを入れた時に、背をこちらに向けさせ、カニの真正面になるのが理想だ。
そうすれば、横方向に逃げるだけだから、タモが届かなくなる心配はない。
たいがいタモに対抗しようとして、具合よくそういう向きになってくれる事が多い。
甲幅15センチほどで、さほど大きくないが、元気のいい食べ頃と判断することに。
元気すぎて、ずっと左ハサミでタモ枠を挟み続けて、いささか厄介だった。
いつもならボウルに移してからブラッシングするが、タモ枠を放さないから、
風呂場のタライで網がぐしゃぐしゃに絡んだまま・・・ワキというワキをブラッシング。
これはこれで、意外にも安全で洗いやすかった。
けれど、挟まれないようにしながらブラッシングする方が、スリルがあって愉しい。
干潟のタイミングで、巣穴に針金をつっこんで捕まえるのが島の定番だが、
こうしてイノーを歩くのを捕獲する方が、弱ったり脱皮直前などでなく、
健全なガセの捕獲率が高くて効率的。
釣りと同様に、食べるぶんだけ水揚げするスタイルがスマートだと思う。
意外にもタモ入れにテクニックを要するところも、結構気に入っている。(笑)
んま゛〜島は大家族だから、一匹だけ・・・というわけにもいかぬのだろうが。
つぎの日
ガセを捕る気はないものの、どうしてもイノーをジロジロしてしまう。
思わぬラッキーなシーンに出逢うことになった。
おそらく
自然界のノコギリガザミの交尾シーンは、本邦初かもしれない。
通常はマングローブの茂みの中とか・・・だろうし、
オスがメスを確保した姿を交尾と勘違いしている向きも多そう・・・でもあるし。
水深が浅くて太陽の角度が高いから、偏光フィルターなどがなくても記録できた。
曇っていたら、画面は真っ白になっていたことだろう。
パナのピーキングが出づらく、ピント合わせには苦労させられるし、
超望遠だから画角が狭く、退いて撮影してみたり・・・ ズームが欲しいなぁ。
いやむしろ、マウントアダプターを買いなおして、ソニーのNEX-7にした方が合理的か?
でも、お手頃価格のTECART製は、ガタが大きくてエラーが出るというし・・・
さておき
メスのフンドシが開き、オスをしっかりと受け入れている。
こうした姿勢になることができるのは、メスが脱皮直後だから・・・ということらしい。
フンドシを開く角度の限界に、その解がある気がする。
交尾の時にしか、こんな角度に開く必要がない・・・と考えれば合理的だ。
ワタリガニ科のカニがメスを抱いて、二重(ふたえ)になった様子でウロウロするのは、
メスが脱皮するのを待つ必要からだったのだ。
伝説?は、ホントだったんだ・・・
とはいえ、このヤラシイ・シーンを希少と感じられるニンゲンも、実に希少だろう。(笑)
たかがカニの交尾であり、こんなシーンを喜ぶなんて変態扱いなのだろうと思う。
一方、自然観察していると、意外に知らないことが多い自分に気づかされるもので、
こうして一つ一つ、事実を確認していくのは、なかなかどうして嬉しいものだ。
もちろん
食べる方がもっと嬉しいに決まっているのだが・・・(笑)
元気だが小ぶり。 脱皮して間がないようで、甲羅がいかにもキレイだ。
甲羅の右前に傷があるが、下側には穴があり、ライバルにザックリやられたのだろう。
今回も、昼休みに味噌汁にしておき、夕にベストなタイミングでいただく算段。
身が少ない足を活かすには、はやり汁が好ましい気がする。
ミソが散らないように、今回はグラグラ煮立てないように用心した。
エラの泥は食べるときに厄介だから、必ず外しておく。
このミソ、苦いばかりで美味しくなく、むしろ汁のコクになるだけのようだった。
交尾する気まんまんなオスと、そうでないオスは違うのかもしれない。
虫や甲殻類など外骨格の生物は、太さだけでなく、長さや面積を筋力に変える仕組みがある。
足の中にある、白くて平たい部品を、外骨格に固定した筋繊維が引っ張るのだ。
なので、筋繊維は人間のように腕と並行でなく、白い板=腱に対して斜め後ろへ引くように付く。
矢に対する矢羽のような角度、と表現したほうが解かりやすかろうか。
越前ガニなどは、深海で貧弱な動きしかしないため、芯になる腱がフニャフニャだが、
ノコギリガザミのハサミのそれは、薄いがとても強い。
こんだけデカいと、構造がとてもわかりやすいなぁ。 勉強になるうえ、美味いときている。
このところ雨が多かったせいか、塩分ひかえめな味がする。
カニなんて、わざわざ食べなくても・・・と思っていたのがウソのようである。(笑)
高級食材を、ひょいと捕獲できるところが痛快だし、調理するにもスリルがある。
ハサミもさることながら、熱湯で絶命させるのも一苦労。
こうしてスムースに調理できるようになったのは、たぶん前回くらいから・・・だろう。
ハッピーエンドといきたいが・・・大人の世界はそうもならん。
三角の水辺。 ここは、移住当時はもっともっと広かったし深かった。
今はもう底の起伏が水面に露出して、干上がる寸前・・・といったところ。
空港建設の際に水路建設をサボった県・・・当時の鹿児島県が発注できる予算の技術では、
サボらざるを得なかったことは明白だが、それを根に持った住民が無思慮に植えたメヒルギのため
泥土の蓄積が加速してしまっている。 まったく哀れなイノーであるが、そのためにガセが増えた。
時限付きで・・・
たぶん、南西諸島の奇跡のようなイノーは、いづれ島人によって無思慮に埋め立てられるだろう。
様々な野鳥や甲殻類、ウミアメンボに至るまで、駐車場から数十秒以内に観察できる利便と豊かさ。
これまで記録なしとされている、ミナミトビハゼやらコアマモの群落もあったりして・・・結構トンデモだ。
定期的にしゅんせつするよりも、埋め立てた方がラッキーだと短絡する確率が高い。
アマミノクロウサギが頻出する県道の法面を、コンクリで固めちまう土地柄である。
鹿児島人も南国人も、ともかく維持するのが苦手で放置主義なのが大問題。
埋め立ててしまえば、岡前、前野、松原上区・西区集落の汚水が分解されずに外洋へタレ流され、
イノーの出口にあたる松原漁港周辺も異臭を放ちだすだろう。
あまつさえそのすぐ北に位置するヨナマビーチは、汚水で遊泳禁止になるのも想像に難くない。
イノーのプランクトンやゴカイ、カニたちは下水のない町の浄化槽の役割を担っているから、
自然が豊か・・・というよりも、汚染の緩衝地帯の意味合いが大きい。
ま゛〜長良川や諫早があの体たらくなのだから、南国では仕方あるまいか。
イノーも河口の一部、河口が死ぬと海が死ぬのは判り切っている。
国政からしてオマヌケなのだから、地方が短絡するのも無理もない。
地球に生物が豊富なのは、月による干満と、河口の生物相の多様性による。
最初に地球に酸素をもたらしたのが、そうした場所に生まれた生物だった・・・のを忘れている。
とまあ、イノーをジロジロしていると、美味しい情報のみならず
わりと知らなくていいことも知ってしまうような、考えなくてもイイことを考えてしまうような。