7月6日に生まれ
世の移ろい
メリケンとのTPP、どうやらかなり我が国に不利な内容が含まれているらしく・・・
発効すると厄介なことになりそうだ。
ラジオで聴いたが、メリケンが薬価を操れるようになるようで、
そうなれば、薬価を高騰させることで、公的保険制度を弱体化させ、
民間保険の投入が可能となり、ポン人の貯蓄を切り崩すことが可能となる。
やはり狙いは、ポン人の貯蓄であることには違いなさそうである。
ただ、問題はポン人の貯蓄は国の名で借金してこさえたようなものだから・・・
そこにつけ入ると、ますます世界経済の不安定を招くことになる。
んま゛〜投資家とかいう、金儲けのためだけに資金を動かすダメニンゲンの
遊び場がなくなるのも面白いかもしれない。 資本主権社会は、カネで遊びすぎだ。
他方、資源頼みの社会主義も、いつまで続けられるやら。
ともあれ
久々に円高で、国力が正当評価された・・・とみてよかろう。
増税に物価高とあっては、内需も奮いようがなかったが、この風がどこへ吹くのだろう。
本日をもって五十である。
シジュウカラ・・・という鳥の名に励まされることもできなくなり、四捨五入すれば百だ。
今月から、人生初のタイムカードというのを用いることになった。
ガッチャンと押すのかと思ったら、うぃぃぃぃぃぃんと電動でモッサリとカードが呑まれて、
カリカリと時間を記すのが、妙に技術の無駄づかいっぽく、時代錯誤感がある。
松下時代のICカードが懐かしい。(笑)
このログも、いつの間にやら800号を超えた。
800週間が過ぎた・・・ということだ。
こうしてだらだらと、勝手な思い込みを書き続けて800回。
なんとまぁ、トンデモな人生の無駄遣い・・・といったところか。(笑)
もう何文字、打ち込んできたのだろう。
私も、文体もずいぶん変わったのだろう。
それに、サラリーマンでもなくなったし、島に移住したし。
今や、デザイナーで写真家で、文化財保護審議委員で自然保護協議会委員、
それに防災専門委員・・・ナニモノかわからない島のオッサンである。
二兎を追うものは・・・というが、追うことができるときは追っておくべきだと思う。
ミサゴだって、左右の足でそれぞれボラを捕まえることがある。
とかく、不器用なポン人男子は、剣の道一筋・・・のような、なにもかもかなぐり捨てて
楽に物事を極めんとする傾向があるが、そんな狭い視野では極めようにも窮ってしまう。。
どうせ、歳をとれば頭も体も弱くなる。 足も悪くなったし、体力など細々としている。
ならば、今のうちに、少しでも出来ることを増やしておくに越したことはない・・・と思う。
自ら希望を失った父親に会って、なおさらそう思う。
年金生活は働く必要がない。 しかし、張り合いがない生活は精神を削る。
無駄に稼ぐ必要はないと思うが・・・誰かの役に立ち、さらに対価をいただく・・・
これは、物質優先の現代社会において、精神的に大切なことなのだ。
私が抑ウツ症状になったのは、自分の目指すべき道を見失ったときだった。
だが、本来なら道などというものは存在していないのだが、なぜか安易な道は存在する。
この世に確固たる道があるとすれば・・・そこらにいるサルやヤギにも通用するはずだ。(笑)
道は、それぞれの解釈であって、さほど重要ではない。 問題は志である。
資本主権社会において、稼ぐというのは第一義となっているが・・・それでは満たされぬ。
稼ぐのでなく、役立ちとは何か・・・が社会的生物のニンゲンが求めるところである。
自分だけの尺度で、自分の中にこもって生活を続けられるような、強い精神の人物は希。
それは松下生活では知らなかったが、ガス屋生活でしみじみ感じられた。
ニンゲンは仕組みのために生きるのではなく、ニンゲンの役立ちこそ喜び。
シンプルだし当たり前のことが、全然わかっていなかった私。
島に来て、もっと色濃く知ることになるが・・・いろんな価値観が違いすぎて混乱した。(笑)
自分のため、身勝手に生きるためなら、ダラダラとナンデモありなのが島である。
島は内地と違ってチャンやキムチに近い途上国というか・・・未開レベル?
つまるところ貧乏ベースだから、自分のことしか考えないし、クオリティという概念がない。
仕事にも生活にもクオリティを探求する意識がないというより、余裕がない。
同じポン国民なのに、貧富も人格もずいぶん差があるものだなぁ・・・と感慨至極。
だから、職人の技が低すぎるというか・・・アルバイトレベルがプロレベルとなっているワケだ。
日曜大工で家をこさえる日常がある。
ちょい前のこと。
目抜き通りに、トラックが出入りし赤土を撒き散らしながら、地ならしした場所があった。
そしたら後日、板を持った島の職人?が、ペタペタと土を打っていた。
さながら幼少の頃の「石より鉄より硬くなれぇ゛〜」のノリだった。(笑)
さらにその後、そのペタペタした土壌の上にブロック細工の家を建てるのである。
しかも、ブロックはハスに組まず、そこらのパチ・ブロック塀(べい)と同じ、ただ積んだだけ。
こうした風景を見るにつけ・・・品位を知るということが、社会的に大切な資質であることを、
再認識させられることとなった。
内地のポン人が世界的に優れているのは、完成度≒品質を心得ていることだった。
このごろ風に表現すると、ツクダ品質。
人生は体験こそ宝である。
ガイコクに生活することなどない・・・と思ったが、徳之島は内地とかけ離れた土地。
言語や価値観が内地と似ているが、実のところ根本的に違う民族である
いやむしろ・・・似ているからこそ、信じている部分が違いすぎるというか。
クオリティの感覚がない・・・というのは、私にとっては驚愕の状況である。
おそらく低所得者というか、動物共通で本来の感覚だが、私は完成度の探求が人生だった。
だが、完成度はシマンチュの概念にはない。 時間内に出来た姿が、完成の姿なのである。
ただ、そういう完成度の低い社会だからこそ、プリミティブなニンゲン社会の有り様を、
つぶさに知ることができる。
仕事のみ頑張り過ぎず、家族・・・だけでなく親族一同との時間を大切にする生活。
探究心の薄さを除いたら、実にライフワークバランスのとれたライフスタイルだ。
富とか地位とはなんだろう・・・幸せのためにあるのだろうか?
幸せとは、ユルユルだらだら生活することか??
ライバル心にイライラし、歳上だから歳下をアゴで使うのが平等なのか???
もともと、生物が性別を必要としたのは、ライバルを打倒する進化をするための仕組み。
分裂やメスだけで増えていたら進化できないからだ。
その生物にとって公平安寧の社会が、本当に必要なのだろうか・・・
厳しい競争社会にいたからこそ、私は島で生きるためにデザインを用いることができる。
生物は、生きるための優位を左右する「差」があることで進化してきた。 のに
社会性で他者を圧倒するよう進化してきたニンゲンは、なぜかニンゲンしか見ていない。
正しさや平等を探求しても仕方がない、一時的な幸せを探求するのがニンゲンらしさ・・・かな。
さて
人生の振り返りは、自分でもあまり面白くないので別のネタへ移りたい。
おそらく、未来がもっと面白そうだからか、あるいはもう人生に飽きたか・・・(笑)
やはり、50ともなればボケが気にかかる歳頃である。
いい写真というのは、うまいことレンズのボケを利用するからである。
痴呆の時代・・・とは違うぞ。
私が嫌いなチャンのファーウェイから、なんとライカを背負ったスマホが登場した。
ライカを2機も搭載して5万円台。 すごくね?!(笑)
カラーとモノクロ用だそうだが、ステレオ撮影することで、被写界震度を合成し、
小さいセンサーなのに、背景をボカシた画像を得られるという。
仕事でも、シュノーケリングにも、星空の撮影にも使いたいのが、キヤノンのコンデジ。
下手な一眼レフを求めるよりも、ずっと好い7万円台。
本来ならば、比べるものでもないのだが・・・予算は限られるから比較されることになる。
ボケに注目すると、レンズが明るいとはいえ、ボケが少ないキヤノンのド真面目カメラ。
他方で、測距データをもとに、専用の画像処理チップでボカシを生成するスマホ。
さらには
強力な手振れ補正を搭載するコンデジと、無防備な遊び道具のファーウェイ。
ひとくちスマホと謂うが、私にとっては防水とかデュアルSIMとかワンセグも抜け抜けだ。
どちらも防水性能がないのが、共通のダメ要素でもある。
キヤノンには、潜り用の防水パッケージが用意されている。
なぜスマホに手出ししたいのかというと・・・タフパッドがモバイルルーターとして役立つのは、
相手がWindows機だった場合だけで、スマホやiPadにはインターネット接続させてくれない。
SiMロックフリーのスマホは、私にとっては喉から手が出るほど魅力的。
ただ・・・国産の防水スマホは、防水でワンセグでも、デュアルSIMではない。
どれをとっても、私の物欲に対してはピンボケなのである。
モバイルルーターの値段は下がっているから、そっちがお得でもあるが・・・
送受信だけの物体を持ち歩くというのは、なんぼ田舎者になったとしても、無粋な気がする。
誕生日を前に、物欲を自らに問うてみたものの・・・寄る歳並みか、望みっぷりが薄い。
ほか、もう少し高速の格安SIM契約を求める、というのもある。
しかしながら、あんまり堅実すぎてログネタにしては、つまらない。(笑)
何かボケられる物欲はないものか・・・ボケにコダワルのは、ピンポイントのみを捉え、
他で得られぬ面白みを探求したいからだ。
人生は、そこらの薄っぺらな小説やドラマよりも面白いほうがイイ。(笑)
自然が崩壊しようが、突き進むしかない・・・のがニンゲンかな・・・とか。