夏 と 夏バテ はセット
世間の思い込み
九州で豪雨が続いている。
世界各地で洪水が起こっているから、国内でも避けられるわけもないが、
温暖化のもっとも顕著な現象が、大気中の水分が増大だから仕方がない。
いづれ、大きな雹がふるのかもしれない。 そして次は風である。
増税延期だ財源がないだ無駄な議論が止まないが、小国の国家予算にも匹敵する、
無駄の根源、政党交付金をやめるという話がなぜ出ないのだろうか。
税金で政党の飯がまかなわれるなんて、まったくもって妙な話である。
これでは政党は、ろくに働きもしない穀つぶしの役人集団ではないか???
このごろ、AIがよく聞かれる。 人工知能、ニンゲンの思考を電子的に処理する技術。
SFやアニメではすっかりお馴染みの技術だが、道は遠い。
認識とは、ゲシュタルトと学習によるステレオタイプがあった気がするが、
ニンゲンらしくなるためには、ニンゲンとして生活する必要がある。
すなわち、AIも「誰か」になってしまうことになるが・・・なにやらイメージとズレがある。
もっと機械的で無性別な人格?の気がするものの、もとよりそのような理性的AI人格が
可能たりえるなら・・・ニンゲンもそうありたいものだ。(笑)
ニンゲンができないものをAIに求めるのは、相当に無理がありそうだ。
伊勢からもどると、島は夏になっていた。
シャワーは天然のぬるま湯に、シェーバーは滑らず、便座は尻にひっつきガタンと鳴る。
風呂上りにパンツをはこうとすると、うまくあがってこず転びそうになる。
気温は高いときでも32℃くらい、湿度は昼間で80%台、朝夕100%であれこれカビる。
しかしながら、たぶん真夏は8月いっぱいで、9月になれば、わりと朝夕は涼しくなる。
今年はまだ台風はわずかしか発生していないが、来ればデカイに違いない。
そういえば、まだセミはちょこっとしか鳴いていない。
問題は・・・伊勢の父親と同様に、食欲がなくなることだ。
勢い、麦入りのカユとおろし大根の定食?になる。 違うのは、水分だけはやたら飲めること。
いやむしろ、汁気のもののみが、喉を通るイメージだ。
食欲がないときにすするのは、梅酢入りの冷やい吸い物だ。 無論のこと、非加熱で簡単。
多少、栄養価にも気をつかってみたりしているが、根本的には栄養価のない水分で、
カップ麺の汁のようなものだから、あんまり体には好くない。
しかしながら、空腹なのに食欲がないとき・・・これを飲むと食欲がもどってくる。
といっても、熱々の料理はどうも喉を通らず、スタミナのつく食事とまではいかぬ。
体温が上がらないから、ダルぅいままの生活が続くことになる。
体温は意外と?大切で、元気そのものが出ない。
体が動こうとするときの原動力であった。 爬虫類は大変なのだろうと思う。
ミトコンドリアは偉大だ・・・
気づいたのは、おととし秋のシュノーケリングだったと思う。 だいぶ水温が低かった。
両足がつり、いい感じの激痛がすねと足首を襲い、泳いで戻れないかと思ったときだった。
あのときは、ホントにドMでよかったと心底感じられた。 常人なら、たぶんパニックだ。
それまでは、まだ暑さの残る秋、その早朝に決まって足がつってもだえていた。
医学的には、つるという現象の解明がされていない・・・とラジオで聴いた気がしたが、
私なりには体温の低下による、神経や筋肉が制御を失ってしまう現象だと感じられる。
そして、最終的には心臓も例外ではなかろう。
エアコンなしでも、気温28℃で扇風機使用であっても体温は下がる。
睡眠中は、ダルさが快眠につながるように思うものの、起きられないのも事実。
伊勢から戻ってきて、午前中はまともに動けない状況である。
帰省中は、家族が発する異音?に目覚め、断続睡眠ばかりで、かなり消耗した。
疲れなのかダルさなのか、眠気なのか判別つかない倦怠がまとわりつく。
そこへ夏恒例の食欲不振である。
私は南国生活に向いていないことは、ここ数年んで痛いほど判っている。
でも、痛いことは結構好きである。(笑)
野生に近い生活で、聴覚が鋭敏になったり、禁肉生活で味覚も変化したり、
サラリーマン生活では得難い感覚を得ている。
とはいえ・・・そろそろ体のどこかに不具合が出ていても不思議はなさそうな気がする。