毎日が雨、思い出もいつも雨・・・釣れないので目にも雨・・・
社長の令嬢が結納であったので 好物の赤飯のご相伴である。 握りにして磯でいただいた。 天気はさておき、味は格別。 潮風で食べる赤飯握り、うまい! |
にんぐゎちかじまあい(二月の風回り)という言葉があるという。
宿の社長がホテルの前の階段に座って空を見上げながら話してくれた。
何のことはない、実はトンボ男のOも知っていた。
この時期度重なる低気圧の通過でどうしても数日で風向きが回転するのだ。
その日、空を見上げている間に、Oがやってきて、3人で朝のラッシュ時に
南大東メインストリートを前に、暇な男が揃っている状態となったのだった。
大東島にはラッシュなど無かろうと思っていたら、以外に車が右往左往するし
小学校の前に一機しかない信号は教育用で交通整理にはならないので
ところどころ交差点で滞り、二、三台の「渋滞」となることもあるそうだ。
しかし、あいにくの天気である。かじまあいのため見ている間に10度くらい
雲の行く先が変わっていくのが判ったが、20度に達しない気温と
怪しい雲行きで、あまりよろしい気分にはなりにくい状況である。
と、
道行く軽トラのおばちゃんから「社長、そげなところでなにしちょるんね」
といった趣旨の言葉(ウチナーグチ)が投げられる。
社長にしてみれば「自分ちの庭先に腰掛けちょるとよ、何が悪いとね」
といったことらしい会話がくりひろげられることもある。
ただ、実は暇だったのはOと僕だけで、キビ刈りが盛んなこの時期
最近自分の黒糖工場を作った社長は忙しい身だったのであった。
あわててそれに気づいてどこかへ行ってしまった。
島の先輩(年齢的に・・・)はよくいろいろと教えてくれる。
多少お節介なこともあるけれど
実に的を射た忠告をさらりとしてくれることも多いのだ。
コレは本来、人生の先輩として、人間社会の自然な姿であり
世代を超えた何かを着実に伝えたいという
文化の伝承を怠らないDNAによるところに違いない。
アタフタと金儲けだけに奔走し、要領だけを教えればOKという経済社会には
ちょっと教えることがズレテいることもあるし、時間がないと省略される事も
きっと多いだろうが、その省略されていることが、本来大切なことだったりする
そんな気がする。
顔のしわの分だけ、ずいぶん含蓄のある事を教えられることもシバシバで
沖縄に来て色々とこうして教えてもらっているのである。
早朝の釣りが終わると潮が悪いのとシケがかじまあいと共に島を回るので
ポイントは港に限るのだが、ここのところ連絡船の大東丸がやってきており
荷役があったり、そのせいで陸から漁船を下ろすのに別の穏やかな港を
漁協が使うために、結局釣りをするスペースがない。
南大東は最近漁港が開港したが、まだ全部できていないので船だまりがなく
漁船全てを収容できないため、未だに全漁船をクレーンで陸揚げするスタイルを
守り続けているのである。
本島などからやってきた大型の漁船が停泊するのに利用されているだけだ。
そう、この絶対穏やかな漁港内で釣りをするのがもっとも正しいのだが
いかんせん今回は電子装備のためライトタックルというか、お遊び用の
やや細い本土並みの仕掛けは持ってこれなかったのである。
ふとみると意外にゴミがたまっており、全世界的に美しい水質でも
漂流するゴミはやっぱりあるのであった。それに開港して間が無いため
水質もやや濁り気味で、地元のS氏いわく土砂が島の周囲の海底にたまり
魚が減っているようだとのことである。しかし、漁港内には魚も入ってくるので
それなりの釣りはできるとススメてくれた。
曇天がつづき、気象条件としては絶好だ。風さえ避けられれば波気のある磯は
本来ならかなり有望ではある。
港がだめなので、磯にいくしかないが、いつふるか分からない雨と
寒さのためにカッパを着て行くのはちょっと気が重いのである。
そうはいっても島の人から見れば、僕はどう見ても坊さんか釣り人なので
行くしかない定めとなっており、ぼんやりしているとスレチガイざまに
「今朝はどうでしたか?」ときちんとヤマトグチで問いただされる事になっている。
いざ行ってみれば風はやわらかで、逆に風があるからカッパを着て磯歩きしても
それほど暑くならないですむ。磯際には少しサラシ(白い泡)が広がり
とっても心躍る状態ではないか。
曇っていても晴れていても、青い海は青い。
空が写って青いというのは真っ赤なウソで
空の青さが映らないと青くならない海は濁りが強すぎるだけである。
透明度が高い海では、四六時中青い。これは自然の原理である。
(空が青いのと同様、光が水の分子にぶつかると青い光が散乱する現象)
原子力発電所のプラントに入っている純水が、室内なのに
どこまでも青いのはこのためである。決して放射能で青いのではない・・・。
皮肉だが、真の水の青さは原発にあり・・・である、が、見学をオススメはしない。
ともあれ、さっそくポイントを見定めて釣りを始めてみた。
けれどもいくらキャストしてルアーを引いてきても、いつもならルアーに驚いて
逃げ惑う岸際の小魚の姿がどこにもない。ただ、ルアーを検(あらた)めると
カッターで傷つけたような痕が時折着いている。水面を良く見るとたまに
小さなシジャー(50センチくらいの肉食のサヨリ→ダツ)がうろついているのだった。
魚の気配といえばこの程度である。
そうそう、一度だけ派手な色のルアーを使ったとき
一度だけナンヨウブダイ(緑色のブダイ)が、テリトリーを守るために
果敢に出現したこともあった。
けれど、魚が竿先に重みを加えることは全然ないのであった。
バイクの油が切れかけている。
週末は土曜を含めて三連休だったのだが、これが実は災難の始まりだ。
この三連休はスタンドも三連休なので、バイクは満タンにしていても
急な坂道やぬかるんだ磯への道を二輪ドリフトで走り抜けるので
事のほか燃費がよろしくない模様である。
一旦宿へ戻り、キックボクサー館長に事の次第を述べると
そういえば、タンクにチョッとだけのこっとったわ、という。
この島では不足?の事態に備えてタンクにガソリンを満タンにして
買っておく、これジョーシキである。
30分もして戻ってきてくれたら、予告どおりタンクの下にチョビットだけだ。
でも、バイクはほぼ満タンになった。
夕マズメ(夕方の釣れる時刻を釣り人はこう呼ぶ)にはまだあるので
せっかくの自然を見ておこうと、内陸部、大東神社方面へ行ってみる。
大東神社の向こう側には湿地を伴ったキビ畑が広がっており
その草むらには様々な生き物がいるのだ。
怪しげに飛ばずに走る鳥が横切ったので、そっと撮影しようと
バイクを止めた。カメラを構えたころには、とうにその鳥は姿を消している。
未だに調べがつかない、黒いコジュケイのような鳥であった。
それを追いかけていたら、突如何かが飛び立った!
初めて見るアカショウビンだ。
「初めてなのにナシテ種類が判るとですか?」と思われる向きもあろうが
島好きサラリーマンとしてのジョーシキの範疇と思っていただきたい。
真っ赤なクチバシを持つ赤茶色の巨大なカワセミである。
というか、実のところ間違えようがないほど
一度写真を見たら断然脳裏に残っちゃう、濃い印象の鳥ということなのだ。
「しもたっ!」と追いかけると次々に大型の鳥が飛び立って行く。
こんどは大詐欺師コンビいやダイサギとクロサギだ。
トンボ男のOが尊敬する大東の自然の権威、ニシハマ先生という方が
いらっしゃるのだが、この方に聞いても、クロサギはアマリ見ないという。
どれもみな撮り逃してトボトボとバイクに戻る。
さて、釣りにでも行くか・・・とエンジンを掛けるとチョッと変だ。
アクセルを吹かすと同時にスポンと落ちてしまう。
なんどやっても同じだ。
やれやれ、なんてこった、バイクのトラブルは三度目だ・・・。
まあ、集落までは1キロくらいしかないので、押して帰ろう。
慌てようと、アタフタ後悔しようと焦ろうと、なるようにしかならない
この辺も、この種の旅の成果である。もっとも簡単な確実な答えを出し
即座にそれに向かって努力するしかないのである。
それに、途中で何か見るかもしれない。
しばらく押して歩いているとさっきのクロサギが上空を通過する。
やっぱりクロサギである、間違いない。
クロサギはコサギくらいの小さめなサギで、その特色は一目瞭然。
灰をまぶしたように艶消しのマッタリとした色の全身がマゴウ事なき姿だ。
厄介なのは、この種はどういうわけか、白色のタイプとこの黒いタイプが
同じ親から生まれるという。つまりコサギだかチュウサギだかクロサギだか
一羽で居ると極めて判りにくいやつなのである。
今回は黒タイプで幸い判りやすい、というか白だと見分けがつかん。
そんなとき僕は焦らず「あれはシラサギなのだ」と思うことにしている。
引き続きトボトボ歩いていると、軽トラが通り過ぎるが、ふと、このボディーには
「Oモータース」の文字がある。宿のバイクはここから買っていることが多い。
しかし、無情にも通り過ぎるので「アンタとこのバイクチャウンか、おーい・・・」と
つぶやいてみたら、聞こえるわけもないのに軽トラは止まった。
しかも、ギュウウウンとえらい勢いでバックしてくるではないか!!!
恐るべし、ゴメンナサイ、もう陰口はたたきません、お許しを・・・と思ったら
若いニーチャンであった。
「ウチのバイクかもしれないから待っていてください」という。
在所村までまだ少しあるので助かった。
のんびりとその辺を散策しながら待っていると、どうしようもなく酒飲みで
タバコ飲みで、油だらけのつなぎが良く似合うやせたオヤジと戻ってきた。
二人は自然な段取りのように、バイクを軽トラに載せ、僕に助手席に乗れという。
運転はニイニイ(ウチナーグチでニーチャン)である。
ならあのツナギオヤジはどうすんだ・・・と荷台を見ると
バイクにまたがり、足を踏ん張って仁王立ちしているではないか!
何荷台でカッコつけちょるんね、このオヤジ・・・と思ったら、これが
バイクを輸送する手っ取り早く正しい段取りであるようである。
ロープで縛り付けるより手っ取り早いわけだ。
タバコを横にくわえながら、すれ違う車と挨拶するなど
結構オヤジは得意げだ。
逆に助手席の僕の方が恥ずかしいくらいである。
ほどなくモータースに到着し
バイクから荷物を出してニイニイは宿まで送ってくれた。
今回のトラブルは実に速やかに解消したように見える。
が、明日の釣りに行くバイクがない。
夕刻までバイクは戻ってこなかったのである。
その夜、S氏の家においてあるOのバイクを借りに行くと
いつでもそのテレビの横にカギがあるから、持って行け・・・という。
なんともオープンコンセプトなお家柄であった・・・。
ついでに車も乗っていいぞ、とも。
次の日いよいよ、かじまあいは主要なポイントをほとんど釣り不能にする
南西の風へと向きを変えていた。
こうなると、北港しか釣り場はない状況になってしまった。
東側は険しい磯の表情と同じく、シケが残りやすく、入れることは少ない。
南部は昨日までのシケが残っているし、風もあたる。
西側は風が回ったばかりなのでシケはあまり激しくはないが
風が吹き付けるので釣りづらい。
しかし、シケていた北港は、ようやく潮が乗らなくなったばかりで
その朝は、まだ水浸しであった。
大東では台風のとき、波がゆうに100メートル以上島をかけあがり
家をなぎ倒すことがあるのだというから、港などはちょっとシケれば
波が乗り始めるのが常識でなのだ。
ということは、まだいつ千一といわれる千回に一回の大波が
乗ってくるとも限らないのでバイクは少し岸際から放して駐車するのが
よろしいわけである。ふとコンクリートが黒くなった部分に足をのせると
ズルッというよりはツルッと実に滑らかにすべる。
波の乗ることが多い港は極々短い岩のりのような海苔がはびこり
小学校の頃、木の床に塗ったワックスの上を歩いた感覚に似て
ヌラヌラととどまることなく良くすべるのである。
あわててコンクリートの肌が出ている場所を選って釣りを始めた。
ジギングといわれる釣り方である。
細長い鉛を魚のように見える加工を施したルアーを使い
人間が力任せにアクションを加えないと釣れないルアーだ。
こういった港など、足場が高く、はたまた水深の深い場所では
事のほかルアーをポイントまで深く沈めることが難しいため、
この手の比重の重いルアーで釣るわけなのである。
しばらくシャカシャカとシャニムに投げたが、何もこない。
痺れを切らしてというか、疲れたので、ゆったりとしたシャクリを入れて
伊豆大島での釣り方を始めたとたん、何かがハリにかかった・・・。
力は強いが、魚は軽い。不思議な引きだがダツに近い感じだ。
ジャンプしないのでダツではないようである。
近づいてみると、長くない、普通の格好である。
慎重に抜きあげてみると
久々のヒンガーテイクチャー(バッチゲなタイクチャー)こと
30センチくらいのイシフエダイだった。
この魚は島の人には釣れない魚で、生き餌(小魚)でしか釣れない。
冷凍オキアミか、馬鹿でかいムロアジの一匹掛けといった両極端な
釣り方しかしない島では中途半端な魚が僕のターゲットとしてふさわしい。
以前は良く釣れたのだが最近釣れなくなりどうしたものかと思ったが
まだまだ居たのだ。
釣り人は魚の食いが渋いとき「魚が口を使わない」という表現をする。
正にこれはその現象を捉えた貴重な証拠写真である。
目で食ってる・・・(笑)
鋭い尾ビレで分かるように、非常に高速で泳ぐことができる白身のお魚だ。
サンゴ礁の外周のやや水深の深い場所にいる魚だけれども
いきなり水深のある大東では当たり前のように居るし、西港では一度だけ
サボって岸際の真下にルアーを落とし、座ってシャクっていたら
ガツンときた事もあるくらいである。
結局、陸に上げた魚はこれ一匹であった・・・。
釣れない・・・どうしたものか・・・などと悩んでばかりいたのではない
なにせ、水温が低いこの時期はこういったモノだろう。
(ヘタッピだと思って反省しても後悔しても始まらんし・・・)
OやS氏と共に、普段見られない南大東を満喫することも
忘れていなかったのであった。
帰る日の朝、戻ってきていたバイク。多分五月もこれに乗ることだろう。
シーサーが宿泊者に迷惑をかけるもんじゃないぞとバイクを諭してくれている・・・。
はたして、バイクは反省しているのだろうか?
つづく