写真の光陰

 


職場の先輩からすすめられ、田淵行男という人の写真を見に行った。

ナチュラリスト、くすぐったい肩書きの人とされている。

へ〜え、そんな微妙な仕事の仕方で好き勝手に生きて来た人が

居たんだ・・・・すげーな先人ってのは!と思っていた。

 

だが、そんな、ここ何年かで思いついたようなモンじゃなくて

レッキとした写真家じゃないか!この言われ様に驚いた。

 

最近の日本語、日本人の価値観は文化的に危ないなぁ。

なんじゃナチュラリストって・・・

そんなシャッキリしない職業とも趣味ともつかぬ肩書きの呼称で

先達を呼ぶものではない気がしてならぬ。

過去の先達の偉業を、意味不明、定義不能の思いつきカタカナ用語で

世間に訴求する事は、いかがなものか・・・

故田淵氏のご家族の方はどうも思わんかったんだろうか???

 

おお、こんな小言を言うなんて、おやじ味(み)深くなったか・・・長男・・・

ナチュラリストを気取る方々よ、良く考えられよ、日本語で語れぬ

あいまいにも曖昧過ぎて意味不明になった所在の言葉を・・・

我々は日本人ぞ、曖昧にすべきは概念の巾であって

概念そのものの在り所を煙に巻くものではないはずぞ。

 

さて、驚いたのはそんなことではない。

長男のオヤジ殿も写真を志した人であった。

今はどういうわけか、ほとんどカメラを使わぬのが残念だが

この独学カメラ男兼父親に育てられたのが長男である。

 

今朝、うらやましくも農家の家に生まれた方が

小さい頃から農業を見てき、あれこれやってきたから

何をすべきか肌で分かる、って言っていた。

 

そこまで肌でかどうか分からぬが、長男はカメラについて

何気なくカメラを持つと、どうしていいか体が教えてくれる気がする。

 

細かい事は分からぬが、当時オヤジ殿が言っていたアレコレが

今はずいぶん体で分かる。

 

そのスリコミが行われたころはまだ、白黒写真も通用していた。

でも、カラー写真の分かりやすさ、記憶のような再現にカラーが本物だ・・・

と、いつしか長男も信じていた。

 

だが、今日の田淵氏の写真は明暗を分けている。

否、長男はそう感じた。

 

氏の展示されていた大半の写真はモノクロ(白黒)だ。

後半はカラーも出現している。

だが、骨太で立体感があって、臨場感や奥行き感、寒さといった空気感

まで

感じられたのは白黒写真だけであった。

 

理由は良く分からぬが、多分

光のコントラストが、温かさとか眩しさ、空間に満ちる光の奥行きを

長男に伝えたのだろう。

 

カラーになった瞬間、薄っぺらな色と、良く分からぬ主題

感じぬ光の強さ、力・・・

おそらく、色再現にやっきとなったカラーフィルムでは

本来大切にされていた、光の強さ「明暗」がとらえきれないのだろう。

 

思い起こせば、オヤジ殿から借りた300ミリレンズとカメラを使って

中学の頃、傑作アングルで撮影した、航空祭で飛行する戦闘ヘリがあった。

それは当時カラーフィルムで撮影したのだが

オヤジ殿がナカナカ傑作だと、引き伸ばしてくれた。

 

モノクロ化された写真は、どうも鈍い画像だった。

中学生の僕が見ても、明らかに眠たい。

 

カラー写真はモノクロにするとシャッキリしないんだ、だからカラー写真を

白黒にするのは、あまり良くないんだ・・・と苦笑いしていた。

 

確かに、航空雑誌に載っている怪しげなグラスノスチ以前のソビエト機の

隠し撮り写真みたいな感じであった。

 

デジカメを手にして8年足らず。

 

どうも、ほとんど力のない画像しか撮れんなあ・・・と思っていたが

人間の目ほど明暗に強くない画像素子では、色を出すのが精一杯。

さもありなん・・・と、今日は改めて納得したのであった。

 

さりとて

モノクロ写真で大東の青の海を撮影しても意味はない?

その透明度は明暗なのだろうか??

カスミアジのコバルトブルーのヒレ、真っ赤なバラフエダイやバラハタ、

微妙に茶色いアマミノクロウサギ、サンコウチョウの空色のアイリング、

おいしそうな刺身、豊かな色合いのおせち料理・・・

色じゃなくては語れないものもある。

 

このところ、気づきつつあることもある。

それは再生する大きさ。

 

大東で撮った、断崖の写真、キロを超えた魚の大きさ

これは大きくしないと分からぬのだ。

 

体感がない被写体に関しては、大きさが問題みたいである。

田淵氏の写真も、大きいものほど感じるところが大きい。

最大でB2くらいまで大きくなっていたろうか、光と闇が、空を雪渓をバックに

雄大に展開するのを感じるには、それなりの大きさも必要のようだ。

 

体感がないと、色も想像できぬ。

脳は既知の光景や動物には、やっぱりキチンと着色しようとする。

だから、未知では駄目なのだ、どうしても体感できぬらしい。

 

最近、窓の外が朝夕となく生き生きしている。

メジロにシジュウカラが高鳴きするのだからたまらない。

朝一番、常用薄明時(うっすら明るい時)はメジロ、それからシジュウカラ。

どうも度胸がシジュウカラのほうが勝るからのようだが

夕刻ともなるとそれは反転するみたい。

 

同じアンテナで、方やメジロの高鳴き

片やシジュウカラの妨害の警戒鳴き??の

卑怯なツイーツイーツイー鳴きである。

 

メジロが他の鳥と張合って高鳴きできるのも珍しい気がする。

(左上がメジロ、右下のカタマリがシジュウカラ)

 

メジロを知らない方はいないと思うが、案外まじまじ見たことなかろう。

メジロはウグイスのような緑色で、白いアイリングがある。

この鳥をモノクロにしたら、印象は半減してしまいそう・・・

 

妨害含みな高鳴きはストレスがたまるのだろう

しょっちゅう伸びだの毛づくろいだのをする。

っていうか、どうも今は毛のはえかわり時期らしい・・

ムクムクした妙な毛をまとった鳥が結構いる。

 

とはいえ、どちらが良かろうか・・・この場合、派手な鳥のせいか?

撮影意図が、日陰のために薄まってしまったのかシャッキリしない。

(大東の研究者、H江さんの言うとおり、確かに上の本土のより喉の黄色は鮮やか!)

 

だが、左の写真は、多分白黒写真の時代には、ない風合いなのである。

ISO感度1600で鮮やかで細やかな描写。

右の写真はといえば、ISO感度1600のモノクロ画像・・・

通常狙わなかったろう、かのモノクロ全盛時代には。

大東でとらえた大東メジロである。

(モノクロは眠かったので、コントラストを少し上げてます)

 

一方、スイレンは白い花。

スイレンは白黒もカラーも変わらぬ。ただ無調整の白黒は

やや花の下の方がシャッキリりないが、花びらの表情はなかなか。

むろん、カラー画素のデジカメだから、白黒表現力は疑問だが。

 

ベニイトトンボ、立体感は互角、羽根の感じはモノクロ、

でも色が分からぬとモノクロの意味が分からぬ・・・残念っ!

色がわからないと訳がわかりませんから、切りっ!!!てな所である。

カラーだと色がおかしくなるので、出来ぬコントラスト調整も

モノクロだと出来てしまう。

右のトンボはコントラストを調整してあるし

にも関わらず、羽根の表情も増している。

立体感は確かにモノクロの方が正しい気がする。

 

カラーをモノクロにすると表情が失われる事が多い。

だからこそ、デジカメ画像を魅力的なモノクロにしたい・・・と思うのは

長男だけではなかろう。

 

ふとよぎる・・・

ひょっとして、動物には向かぬのか?ひょっとして

岩や山や水、風景に向いているのかも知れぬが・・・

シマウマだってカラスだって居るしなあ・・・

 

ともあれ

デジカメはカラー再現が精一杯なんだが

それでも表情を失わない、いや豊かな表情になるイメージもあるはずだ。

さっそく研究に突入しよっと。


ではまた