ココロが立ち上がろうとした時、逆風が吹く・・・トクトクメニューがやってきた
眠れない、でも、酒を飲めば、記憶もなくす代わりに眠る。
でも、酒は残る・・・
ようやく、正体不明なヘコミ現象が薄れてきたころ
重大なことが判ってしまった。
伊豆諸島が遠くなったのであった。
ココロの回復には、やはり大自然と釣りだ!
この秋は、命ある限り、釣だ、それこそが長男最後の砦だ・・・と
いつになく、弱気かつ後が無い賭けに頼るしかない状況であった。
長男はわけあって、人に頼ってココロを回復することはほぼアリエない。
先日、昼休みに大島航路の発着を確認すべしと
HPをのぞいたときのことだった・・・
奇妙な高速船を無理して配備したことは知っていた。
これによって、朝出れば午前中に島々へ行けて、日帰りできます・・・
という、行けるだろ、帰りもあるだろ、だから行けよ!という
無理ムタイでベタ(直球)な会社本意のプランがミエミエである
珍妙な船出が用意されていることはウスウスわかっていた。
朝10時に着いて、午後3時に帰れるからといって
大島へ行ってもなんら、得ることはない。
やはり、夕焼けぐらいはジックリ見て、それからサッと帰りたい。
それ以前に、日帰りしたくなるほどの魅力を感じる人類が
東京に住んでいないことを知らなかったことが問題だろう。
が、しかしそれどころではない。
島々の人が愛してきた客船の就航が、週末だけになっていた。
高速船は便利だが、高価だ。
島の人は割引があるのだろうが、それでも値上げしているに違いない。
横浜、大桟橋は確かに駅から遠いから不便だ。
だが、横浜界隈の利用者にとっては、大切な伊豆諸島への
唯一の日帰り航路ともいえる、大切な便であった。
もう、大島へ行けない・・・
ヒラスズキ釣りもできない・・・
その瞬間、上司や、釣り仲間の先輩が近くにいたが
僕の衝撃はアマリにも大きかったが、伝わりようがなかった・・・。
午後の仕事は、なんとか勢いで乗りきったものの
体全体からどんどんと、ゆくゆく力が抜けていく。
会社を早めに出て、帰りの土手を歩くにも力が入らずフラフラする。
僕の人生にとって、これほど釣りが大切なものであったのか・・・・・・・・・・
と初めて知ったのであった。
もう、横浜に居られない・・・
そう思うと、妙に悔しかった。
たかが東海汽船のヘッポコ経営のために、長男の人生が挫折するのか?
その夜、シコタマやけ酒に励んだ。
その次の日も考えに考えた。
結局、長男は、それを知る以前以上の元気を取り戻したのだった。
不思議なモノである。
あの、小笠原の1.2mのカンパチも、我家の秋味である大島の子カンパチも
真冬の大島のシケの磯で釣れる美しく美味しいヒラスズキも
我が人生で
断じて失ってはならない
ココで居切るからこそ、の得難い賜物なのだと気付いたのであった。
行き場所を探すより、生き場を見た気がしたのである。
都会はきらいだ。
でも、今の仕事は、天職に近い。
ヘッポコかもしれないが、好きだ。
他の土地に換え難い、伊豆諸島を望める場所にあるではないか。
もし、会社を辞めて、移住するなら、三宅島復活の時だ
今じゃない!
と、不思議な抵抗心がドバドバと涌いてきて
抑えきれなくなるくらいだ。
この冬は、メッポウ釣れるという、伝説のある?
冬の新島にも通うつもりである。
だが、その前にやらなきゃならないことがある。
夏バテの克服と、山手線に乗れるよう
最小限、最軽量の装備を作り上げることだ。
初物!質も良く安い北海道産スジコでイクラ漬けだ!
負けないぞ!!!と意地を張ることも大切だが
一度は負けを認めて、疲れきってみて
失ってはならないことが見えてくる・・・
そういうこともあるのかもしれないなあ。
どうしてもできなかった
一時間半もかかる、竹芝桟橋通い・・・
これに慣れれば、三宅島復活の暁には
春先に釣モノのない時期に、ヒラマサ三昧だってできる!
運良く、恵まれていたことに甘んじていたら
大切なことを忘れてしまうのだろう。
歳相応の倦怠感もあるのだが、長男は独身だ。
枯れているヒマは無い、釣りだ、伊豆諸島の大自然だ。
最軽量の装備が揃ったら、一眼レフでも持っていこうかな・・・。
仕事場も変わったし、近くに二目ボレの女性も居るし
そっちの釣りもソロソロ本格化か・・・?
不思議な野望が芽生えつつある、セイシン不安定な長男でもあった。