短いようで長い、けれど駆け抜けた夏、21世紀最初の夏の出来事である
A面、いわずと知れた南大東
だが、チットモ釣れなかったことは先週ぼやいてしまったところだ。
だが、ただ単に釣りだけで、疲れきっただけの旅ではない
が、僕は観光はしない。
観光というのは、本来の姿ではない飾り立てた姿である気がして
その土地に行っても「いつかそのうちカミサンとでも観光しよう」と
今は大切にとってある楽しみでもあった。
観光は何が何でも楽しまなくてはならない時にとってあるのだ。
土地の人と話し、僕なりの生活を味わう、これが旅のスタイルだ。
もう、大東に行き始めてずいぶん経つらしいと思っていたが
吉里会館の社長、おふくろよりも一つ年上で島一番の友人、
正清さんは「家族の節目にはいつも居るさぁ」と言った。
世知辛い人間関係を癒すために訪れた島だったけれども
こちらでもまたゆっくりと人間関係が生まれてきている。
宿の隣の大東の植物の権威、西浜先生夫妻とも顔見知りになれた。
もちろん、その息子さんである商工会の尚登さんも同様である。
海風に揺れる海パンの向こうに見える植物群は西浜先生所有である・・・。
釣れないというのは、直感的に分かっていたので
実は泳ぎに言って、美しい海中写真を撮影していたのだが
これはまた次回にでも・・・。
そして、今回初めて訪れたのが
新たに建立(こんりゅう)されたビジターセンターである。
一見、発掘途中の古墳に屋根をふいて、開放した感じだが
これで立派な新造建築であった。
何しろ、この場所に到達する道のりも過酷で
昔の空港敷地内なのだが、ココへ至る案内は一切無く
まして、ビジターセンターや
世界屈指の全天候型ゲートボールアリーナへは、
建築資材が積み上げられた
元空港施設の横を通りぬけなければならないのだ。
そして、その難関をクリアした果てに立て札一つないビジターセンターが・・・。
まあ、あてどなく訪れることは出来ないので、
まず宿やら役場で案内を聞いてから来るので
一応理屈の上では、立て札などは不要なのだが・・・。
味気ないなあ、とさしもの長男とて苦笑するところだ。
教育委員会より、ココを任されたのが偉大なる滋賀県の大学生M君であった。
多い日だと、来訪者は二人もやってくると言う。
どちらかというと、人間よりはこういった来訪者が多いのだが
せっかくの人間向け展示がイマイチ大きすぎて理解できないようで残念だ。
せめて精一杯休憩してもらおうと、撮影もひかえめにしておいた。
けれども、人間にとってもイマイチ理解しづらい内容も残念だ。
見た目には白亜の石灰岩の石造りで明るく、また斬新なイメージの建築で
どの角度とて日当たりもよろしい。
ただ、随所に難解なシャレのような展示があって
えせ「大東通」と増長していた僕には全然分からない内容であった・・・。
これは、ダイトウオオコウモリ用ジュースを作ったらこういうことである・・・。
と言うことらしいのだが、何のコメントも無く、ただこの展示があるのだ。
ガジュマルジュース(右)やアコウジュース(左)を製品化か???と思ったら
M君の予想では「ダイトウオオコウモリはフルーツバットなので汁だけ吸います
だから、ジュースだっていうシャレで展示してるんだと思うのですが・・・」
と力強く悩み、語る。
うーむそう言われれば、確かに「烈しく行きすぎたシャレだ」と納得できる。
南大東へ上陸して、青い風に心を洗われた人間には
ちょっとヒネリ過ぎていると思われるのだが・・・。
ちなみにビジターセンターでは、インターネット見放題のパソコンも
配備されており、インターネットカフェとしても素晴らしい。
ココへ行けば、南大東のキビ畑をわたる素晴らしい風を楽しみながら
(展示にホコリが乗らないで風の抜けるドアを巧みに開放するのがM君のコダワリだ)
管理人兼学生M君の山あり谷ありの楽しい南大東ライフのエピソードを聞き
ついでにインターネットで島で見た見知らぬ動植物の検索ができるのだ。
ふと、南大東でヒマが出来たら是非行ってみて、あなたの活用アイデアを
このビジターセンターにぶつけて欲しい。
ココで何が見られたら、何が出来たらステキかということを。
その声が教育委員会に届けば、ここは即座に変われるだろう。
釣り、泳ぎ、ビジターセンターにも尚登さんとカワユイスタッフの居る商工会事務所にも
行ったのだが、帰る日の朝は、宿の近くの伊佐商店、大東そばの伊佐さんに
挨拶しに行った。毎日おいしくてコシのある大東そばを昼食としていただいているからだ。
顔はややコワオモテだが、気のイイ伊佐さんは是非にと出来たてのそばを持たせてくれた。
一人前は100グラムで十分だ・・・と言いつつ、あとで計ったら800グラムも、である。
イタリアントマトのソースで長男の真剣勝負だ。
本職のシェフも試したと言うパスタ、
腰の強い麺だから、アルデンテが長続きするので
ゆっくりとワインを傾けながら楽しめるのだ。
ぶん流、透明スープ仕立ての、ぶんそば。
スープは鳥ミンチと豚モモを静かに煮ながらもゴージャスにとる。
骨からはコクのある出汁が出るが、やっぱりウマミの中心は肉、
すっきりとして、手軽にとれるのでこのスタイルである。
このあと
いつも週末に作ってある昆布とサバ+ムロアジぶしとカツオぶしの
和風出汁とあわせるのだ。
でも出汁ガラは捨てずに、仕上げにとったスープを絡めたチャンプルーである。
そして、その出汁を使って伊勢の実家でも作った、シンプルぶんそば。
(初公開!左がおふくろ様、右が弟)
わずかな醤油と塩のシンプルな味付け、ねぎではなくたっぷりのワケギが
爽やかな夏の熱いそばを演出するのだ。
うどんでもない、大東そばでもない
アッサリとしていても味わいぶかい?
長男渾身、夏のスッキリ爽快アツアツ麺である。
一味でどうぞ。
はてさてB麺は・・・いやB面は伊勢である。
とはいっても、伊勢での釣りも振るわなかった。
もちろん、家族水入らずの毎日は、至福のひとときだ。
だが、その前に帰路の東名で妙な男を拾ったのだ。
とある静岡のサービスエリアで、いつになく高級な食事を終えて
いざ出かけようとしたとき、その男は立っていた。
「浜松」という、よれよれダンボールを胸の前に掲げて
実に日に焼けて、無愛想な面持ちで立っていた。
A面の大東で、め一杯人情を、友情をもらっていたので
心は満タンであったから、迷わずヒッチハイクに付き合いたくなった。
「北海道から、13日も何も食べずにやってきたっすよ」
半ば吐き捨てるように彼は妙に重みのある顛末を語ってくれた。
一年間バイトをがんばり、貯めたお金を持って故郷の九州へ帰ろうとするとき
何物かに狙われて、襲われ奪われたと言う。
しかし、ナゼか警察に届けたあと、彼はそのまま故郷へ向かっているのだ。
とりあえず、次のサービスエリアで、出来るだけ腹にやさしいメニューで
食事をすすめた。
食事の直後、そばとヤッコと納豆だけだが、どうも腹が張って苦しかったと言う。
中学生の時、野球部だったから、ずいぶん高校野球も好きらしく
車中は空腹から癒された彼の野球談義で満ちたりていた。
僕は名古屋を回って、南下する。
従って名古屋が限界だった。
九州はまだまだ先、もっともっと西である。
僕は一つのお願いをした。
「俺の財布の札を全部貸すから
名古屋から高速バスかなんかで九州へ帰ってくれんかなあ、寝覚め悪いし・・・」
せっかく乗せたヒッチハイカーが行き倒れなどとなれば、長男の名折れである。
名折れではあるが、財布の札はタカだか二万円強しかなかったのだが・・・。
「気が向いたら返してくれりゃあエエんじゃから」
彼のぼくとつとした薩摩言葉に、僕もいつしか山口弁に近づいていた。
名古屋東部は、学生時代、自転車で走りまわった地域で
名古屋インターの近くは10年以上の歳月を経てはいても、十分地理勘はある。
地下鉄東山線の駅まで送って、彼は「いろいろありがとうっす」といって
何度かがっちり握手をして帰って行った。
あれから連絡もないが、Iよ元気か?
金はまた、同じような境遇のやつに出会ったら貸してやってくれればいい。
今は一年分の稼ぎが盗まれて最悪な気分だろうけども
いつかもっとデッカイ人生を歩んで、今回の顛末を笑って語れる日がやってくるだろう。
そのとき、薩摩隼人らしく、豪快に笑って快く貸してやってくれ。
おまえならやれるぞ。
釣れなくっても、伊勢の夕暮れは美しい。
波の音、風のにおい、やっぱり心が安らぐのは
育った土地だからだろうか。
アチコチジタバタしてはみたが、とりたてて何もない夏休み
うまい空気に懐かしい海、うまいおふくろの手料理。
これできっと十分、心も体も夏休みだったんだろう。