21世紀最初の魚が早くも登場
つまり長い・・・右のスクロールバーが縮んでいく・・・ともあれサッソク総力特集号
予報は西の風がやや強くのち北東の風が強く、波の高さ3メートルのち2.5メートル
昨日までは西の風が強く、波の高さ4メートル
この日、伊豆大島の日の出前、二度目の奇跡がやってきた。
波の高さは確かに3メートル程度、しかしなぜか風は止まった・・・。
(写真左の波は最大ではないが実のところ2.5メートル程度の盛り上がり具合である・・・)
ヒラスズキ
それは磯のルアーを楽しむものにとって、格別の魚である。
白い泡のジュウタンが広がるときだけ大胆に行動し、ルアーを追うので
狙うものにとっては命がけであることもままある対象魚だ。
しかし、今回は波しぶきこそ頭からどっぷりとかぶるものの
足元を高波にさらわれるような事はなく
やや安心して竿を出せる状況がそろったのだった。
ただ、ほんの2メートルほど位置を変えると波にさらわれる場所ではある。
そんなとき、そんな場所でしか逢えないやつでもあるが
安全らしき場所が見つかることはラッキーである。
ヒラスズキを釣るには、この微妙な足場探しと
更に、もし釣ったときに取りこむことが出来る場所を近くに見つけておくなど
魚が居る条件はそろっても
いや、居るのが分かっても竿を出せないこともあるのである。
紀伊半島と違い、磯が火山岩でできており、足場が高いうえ
水の透明度が高く、川がないため、あまり居そうな場所ではないが
6年前の丁度今ごろ、同じ磯で逃がしてしまったたことがあった。
というのも、波をかぶりながら
シケの波が猛るサラシ(泡のジュウタンのこと)の中で掛かった魚を
6メートルの柄のついた網ですくい取るというのは
至難の技に近かった。
考えてみれば、6メートル、普通乗用車の1.5倍の長さの棒を
怒涛の中に片手で(片手は竿を持っている)突っ込むのだ。
波の間に見え隠れする魚の頭の前に正確に・・・。
こんなことができるなんてスゲーだろーというのではない
そりゃ無理なのがジョーシキでやる方がオカシイという事なのだ。
6年前は網にルアーが引っかかって魚が針から外れてしまった。
こういった自覚症状がある失敗、ヘボな腕やら魚の実力が人間を勝った時に
魚に逃げられる事を釣り用語で「バラシ」というが
このバラシというのはとても釣り人に強い心のバネを作ってしまうことが多い。
それは意地であり浪漫であるが
このシケを相手にし、確率の低いルアーで釣るロマンというのは
かなりイカレた部類に入り、釣り人の中でも少数派であるため
同じ釣り人の間の会話でも呆れられる事がままある存在なのだ。
それに、オオムネ例外を除き・・・このご時世である
人間の作り出したハイテク釣具を越える実力の魚しか
逃げられないことが多いのだから
「逃がした魚は大きい」とは、ごもっともなお話しである。
関西に居たころ、大切な事を教えてくれたのがこの魚である。
ヒラスズキが釣れるのは
シケの海と、梅雨どきの大水のでた小川が海へ流れ込む場所など
離れた場所で土日しか釣りを楽しめないサラリーマンにとって
「今だ!」と思えるとき平日・・・なんてことは当たり前。
太平洋に面した黒潮の当たる、川のある場所が生息場所。
というのが通説であるのだが、これだと大阪に住む僕が
なんぼ憧れても、土日毎に通っても、それは釣れないのが常識であった。
年間、40日も車の中で寝泊りしたとしても・・・。
周囲には「ヒラスズキは僕ら大阪住民には無理っすよ」そう僕は語っていた。
それにルアーは、プラスチックや金属である。
けれど、投げなければ絶対に何も始まらないし、釣れはしない。
ある年末押し迫った朝の事である。
スズキ類を釣るには夜が明け、明るくなりすぎているので
通常ならば竿を納める頃であった。
だが、その朝の僕は
数日前に見た
「何物」かに追われ浜に自ら飛び上がって死んでしまったサヨリを思い出し
「絶対にあきらめんぞ、ここで投げるのをやめたら、またタダのボーズや」と
ひとり言を言いながらざっくざっくと広大な砂利浜を歩きつつ
最後のポイントを目指していた。
サヨリをおびやかす「巨大な何者」かの存在を確信していたのである。
(ボーズとは釣り用語で「なーんも釣れんですたい」という意)
スズキは目が大きい、言うなれば長くてでかいメバルといった魚であるから
目が鋭く、夜が明けてしまうとルアーを見破ってしまうのである。
しかもルアーの仕掛けというのは先太で
通常は針に近い部分と言うのは細いのが常識だが
逆に太い糸を使って魚の強烈な抵抗を阻止するように出来ている。
(ルアーには不思議と大きな魚が掛かるため、掛かった魚を捕える事が重要)
つまるところ
この太い糸に引きずられているプラスチックのルアーがバレバレになるようだ。
ただ、バレバレだろうと何だろうと
あきらめたら魚は釣れないことだけは、言うまでもなく確かだった。
だから歩いていた。
静かな、しんしんと静かな朝だった。
辺りには霜が降り、指先は何かが貼りついたように感じなく、動きも鈍い。
珍しく波のない黒潮の海原からはもやが立ち上り
西の空に朝ぼらけの月が残って、もうすぐ太陽が顔を出す時間である。
それでもルアーを投げれさえすれば、可能性はゼロではない・・・気がする。
たとえ条件は最悪でも
投げない限り絶対に釣れない、だから絶対にあきらめてはイケない
それを教えてくれたのがこのヒラスズキである。
静かな海から上がったのはサイズこそ63センチだが、立派な体高のメスだった。
というか、最初はスズキとは思えないほど、キラキラな銀色とは違う
滑らかな真珠色の光沢を放つ美しい魚体が砂利浜に横たわる。
ただ一人、南紀の海辺で大声を出してガッツをしたことを覚えており
その時、勢い調子に乗ってガッツしたグウの手を砂利に向かって打ち放ったために
しばらくコブシがチョッピリ腫れていたことも思い出す。
そんなことがあってから、ヒラスズキは僕の中で特別の魚となった。
さて
伊豆大島でこの特別な魚を釣るには荒々しい磯で狙うのが
長男的ロマンにはフサワシイ・・・。
西風が一日以上吹き荒れ
竿を出す朝に波の高さが3メートルあり
気象庁の予報で風が「強い」と表現されなければ、磯に立って居られる。
気象庁が「強い」と表現する風を、さえぎるものの全くない海辺で
正面から受けてしまおうものなら、とても立っていられない。
自転車に乗って、チョットした坂をこがずに登れるほどである。
一定の風なら斜めになって立っていれば済むけれどももちろん一定の風なわけもない。
一日以上吹き荒れる必要があるのは、彼らが住家からやってき磯により付くだけの
時間的余裕が必要だからである。
この立っていられる風におさまって、波が残り、
かつ大島の高い磯で泡のジュウタンが広がるには
更に大潮か中潮の朝でなければならない。
大きな潮のときは決まって朝が満潮である。
その際、潮位が上がっていることで高い磯の上までシケの波が這いあがり
戻っていく時に泡のジュウタンこと、サラシが広がるというわけである。
小さい潮まわりでは同じ3メートル程度の波では
高い磯の途中で波が砕けるだけなのでサラシは出来ても小めなのだ。
ここ大島は透明度があるので、大型魚が磯際に居続けるためには
ある程度水深があり、さらにこのサラシが絶え間なく発生しながら
人間が磯に立って居られる程度という条件が全部揃わないと釣りにくいのだ。
平たく言うと
●強風が一日以上伊豆大島に吹き、シケて波が3メートル以上あること
●釣る時、サラシ(泡のジュウタン)が広がるための波が3メートル程度あること
●釣る時、強風がおさまり、「〇〇の風、やや強く」程度以下であること
●釣れそうな釣り場に風が吹きつけること(背後からではサラシはできない)
●大潮であること(大島では磯が高く、潮も高いほうが効率良くサラシができる)
●サラリーマンが行ける土日であること
●風邪をひいていないこと・・・
この朝、それは奇跡的に全部揃いに揃っていた・・・。
この条件さえ揃ってしまえば、後は運次第。
魚がその絶好の磯に回ってくれるかどうかである。
「なして、そげん磯にヒラスズキが回るとですか?」と思われる向きもあろう。
一説には泡のベールに見を隠し、酸素が多い磯際にあふれた場所に戯れる小魚を
虎視眈々と狙うためだと言われている。
そして、長い長い前置きや前振りや理屈はさておいて、ヒラスズキは回ってきてくれた。
雄、65センチ。
足元というには遠いけれど、磯の手前まで追ってきてバックリとルアーを食う姿が
はっきりと見え、その後はスズキより広い体と尾びれで力強く潜ったり
かと思えば、いきなりジャンプしてエラ洗いしたりと
いかにもヒラスズキらしいガッツのあるファイトである。
「エラ洗い」とはスズキの口に針などの遺物が掛かった時
水面からドバッとジャンプすると同時にエラごと口を大きくあけて首を振る動作で
これによって、油断した時にふと糸がたるむとエラにある刃物のような棘で切ったり
掛かりの浅い針を振り払ったりするため、思いのほかスリリングなのである。
確かに口を開けエラを全開にして首を振る姿はエラを勢いよく洗っている感じだ。
醍醐味ではあるのだが、磯なので潜らせれば岩があり、浮かせればエラ洗いと
どちらにせよ糸を切られそうな状況におちいってしまい
タダでかくてパワーのあるお魚とは違った危ういカケヒキの魅力があるのだ。
例によって、安全最適な足場が高めの磯なので
タモ入れ(タモとは網のこと)が大変で
6メートルの柄をフルに伸ばし
波が高くなったときにすくおうとするけれども何度も失敗。
波が低くなると柄が届かない!
このタモの柄は磯釣り用として最も長いもの。
それが荒波で洗われたり届かなくなったりする。
網が波の抵抗を受けている時は片手で操作するのもヒト苦労であって
掛かった後はシケ状態が災いになるのである。
ヘボなタモ入れもようやく成功。
糸を緩めて竿を磯において柄を手繰るとズッシリと重い!!!
スズキのルアー釣りをはじめて10年
ようやく直径60センチの大きなタモが本格的に役だった、
実にめでたい21世紀の夜明けとなった。
知っている人が見ればわかる、ヒラスズキの特長
下あごの両脇に一列だけあるウロコ、分かっていただけるかな?
こだわっているレバーブレーキのリールと
季節はずれで場違いなアユカラーのコダワリなきシンキングミノー。
こんなのでも、条件が揃えば釣れちゃうのである。
今回はじめてスズキとレバーブレーキでやり取りして
思ったとおり快適であった。
通常はあるテンションが糸にかかると
自動的に糸が出るリールを使うのだけれども
それではどうもカケヒキしている感覚が乏しく、機械任せな感が強い。
魚の動きに合わせて竿を操作し、更に糸も操作するわけである。
これが最高に楽しい。
竿は年代もので4.5メートルの長竿、チャンスがなかったので
何年かぶりの活躍である。
海の向こうにはうっすらと富士山が見え
これまた一段とおめでたいポイントでもある。
キリリとしまった空気も格別にウマい!
シケで誰もいない海岸、美しい海、美しい魚、美しい風景
これほど素晴らしい釣りが関東に住んでいながら
やれるということは、すごいことではないだろうか。
関西ではポイントが多く、チャンスも多いが、地続きなので人も多い。
まあ、多いといっても、一人、二人と出会う程度だが・・・。
一人占めという贅沢はできない。
それが、この狂った人口集中地帯に住んで、気軽に味わえる。
都会は好きではないが、これがあるから住んでいられる。
魚は大きすぎてクーラーに収まらず、頭をおとして収納し帰路についた。
トボトボと道を間違えたことに気付かず歩いていると
元町に向かう軽バンの奥さんが僕を拾ってくれ、
近くのバス停までのはずが全く反対方向の岡田港まで
送ってくた。
「また大島へおいで」と実にあったかい言葉までくれた。
やっぱり島はいい、最高にいい。
関係ないのだが
日本は島国といわれる。
しかしホトンドの本州、四国、九州、北海道の皆様が
我々の住んでいる場所を愛していることが表れた言葉を聞かない。
島に行くと、本当に島を愛し、島に来て欲しい・・・という心からの言葉を耳にする。
南大東の方にしてもそうだ、また来てね、と観光関係者でなくとも口にするし
リピーターは大切にしてくれる。
我が家のある横浜は日吉本町でも、南日吉商店街の方々は
また来てください的なお言葉を述べられるが、町内に住む近隣の方々で
「おいでませ日吉へ」のようなコメントは聞いたことがない。
愛していないのか、来て欲しくないのか分からないが
根本的に、自分の住む土地の認識というか、自意識というのが全くない。
これで本当に良い町がつくれるのか???
良い意味での、日本人の島国根性って大島のような島にしかないんじゃないの?
温かみとか自分の住む場所を良くしようと感じる事がないのである。
原子力発電所でも近くにできそうになれば、強烈に反対して
被害者ヅラする・・・その程度が関の山であろう。
被害者になりきるのは、どう良くする?と考えるよりハルカに楽である。
少なくとも、島に住む方々は自分たちの置かれた地理観をもっている。
それがオノボリ王国の関東で感じられることは、今だかつてなかった。
困っている人間に声をかけ、車に乗せ、温かい言葉をかけてくれる人間性が
自分の住む街で、本当に存在するのだろうか・・・と虚しくなる。
それはさておき
食べきれないので
その夜はルアー釣りの弟子?(巻きこんだとも言う)であり
仕事では計り知れないほどお世話になった大先輩であるKさん宅へ押し入り
無理やりキッチンを借り、さばかせてもらってしまおうと画策。
正直なところ、釣りやお魚の味で話のわかるお宅で一緒に食事できると
こちらもより美味しく味わえるし、お魚とても幸せであっただろう。
マダイのようにモッチリしスズキのようにシコシコする
スズキとは違った味わいがやっぱり美味い、美味すぎる!
K氏は流石に鋭い。
一口食べて「これ、スズキと違うわ」と目の色が変わった。
釣った本人は釣った興奮から冷静ではないので
そこまで感じてはいなかったが
彼が言うのでハジメテ僕も気が付いた。
香りが違うのである。
スズキ独特の川のような香りが、このヒラスズキには全くない。
ただ、釣り上げた瞬間は、南大東のヒラアジなどと比べると
妙に川臭いニオイがしたものだが、こと、身を味わったときには全く感じない。
スズキに精通し接する人間だけが感じる鋭さであった。
美味さは知っていたが、そんな点が違っていたとは
魚に精通したはずの伊勢の我が一家ではこれほど直感的に理解できなかった。
あまりに鋭敏なK氏に脱帽である。
もともとスズキは汽水域(海水と川の水が接する水域)で生活することが多い
だから、そういった味わいになるのだと思われるが、ヒラスズキは幼少期だけ
汽水域で過ごし、主に外洋に面した磯場に住みつくことが多いためだろう。
ただ、夏場はヒラスズキも河口に集まることはある。
はてさて
さんざキッチンをウロコだらけにし、料理まで作っていただいて
K様一家には感謝感激である。
白子もお刺身にして食べたが、マッタリとしていながらサッパリとして
これまたヨロシイ。
今が旬、脂ものり産卵を控えたこの時期
冬にしか味わえない最高の味である。
実は、スズキとヒラスズキの旬、それは夏もあるが
今、産卵を控えて脂の乗りきったこの時期も捨て難いのである。
スズキ類が不味いのは春。二月までにオオムネ産卵は終わる。
すると痩せて体力をなくし、ゴールデンウィークでも、まだ痩せている事がある。
夏場は、痩せた体が元に戻り美味しさが戻る。
暑い次期なので、サッパリとした白身が旬となる。
ただ、脂が乗るのは冬場、11月から産卵を終える2月ごろまで。
和歌山では、この次期だけヒラスズキを狙ったセミプロも居るようだ。
生きたまま卸せば一匹「浜値」で二万円くらいにはなるという程で
もちろん、料亭にしか行かない。
関取が九州場所で食べるアラ(関東ではモロコ、本来はクエという)は
大きい魚で漁師が獲れるため、まだ金を出せば食べやすい魚だ。
しかし、この次期のヒラスズキはそう簡単には獲れないため
正に知る人ぞ知らないかもしれない、釣り人と超「食通」の味わいなのである。
ともあれ、Kさんちの方々にはひたぶるに感謝である。
いきなりのお願いを快く受け入れていただき、また
よっぱらっていたとは言え、帰り際にゼーン部ヒラスズキの切り身(サク)を
持って帰ってしまい、ウロコ飛び散り三昧でさばかせていただいた上に
料理をいただいた事に加え酒類をいただいてしまったことと
更にお出迎え&お送りに至るまでしていただいた事に
誠にもって不人情なアダを返す私におきまして
巨大な失礼をお詫びしますと共に、この場にて今後ともアタタカイ目で
ご協力いただきますようお願いするものであったりします・・・。
ところで
個人的に、これだけはやっておきたい「断じてメニュー」があった・・・。
断じて欠かすべからずな食べ方なのである。
順当に刺身を、ウシオ汁を、酒を味わい、その後必ずやる事
それは「茶漬け」!!!
これがないと、ナゼかこの魚を征服したとは言えないのである。
最高のヒラスズキ茶漬けは、アツアツご飯の上に
10分程度、醤油とわさびのタレに漬けた薄切りの刺身を
当然?、ヒラスズキのアラでとった出汁で
薫り高い、その日に買ったとか、その日に開封した玉露入り緑茶を入れ
沸かした(沸騰した)お茶をタップリ注ぎ、青ねぎとわさびを添えて
しばらく置き(好みによって数十秒から3分程度)いただくと
これが絶品というか、他にはない味わいな「気がする」わけであった。
ヒラスズキ
次はいつ出逢えるかわからないけれど
チャンスさえあったらまた行こう。
(雑魚寝スペースが椅子に・・・)
東海汽船は予約が必要になり、体が痛くなる椅子席で眠らされても
着時間が遅くなって釣りには不利でも
友人宅での傍若無人な不人情極まりない行為にあきれられたとしても
可能性がゼロでない限り。
これだから、なんだか釣りはやめられない。