足で稼ぐ仕事

 


 

とりとめない自問自答

 

伊丹で67歳のジジが、バレンタインチョコを万引きしたという。

伊丹だけに、妙に痛いネタだな。 それが云いたかっただけだ。

 

高島屋京都店の生麺うどんから、針が見つかったという。 大丸でも見つかっているらしい。

そもそもわざわざデパートで生麺を買う・・・ビミョ〜だ。

庶民だかブルジョアだかわからん。

そこを文字通りピンポイントで狙うとは・・・コダワリの意図がわかりづらい。

きっと頭のイイヤツならピーンとくるのだろうな。 と、云ってみたかっただけだ。

 

ロスケはウクライナとかイスラムナンチャラを動かして、ナニをしようとしているのだろう。

自作自演の911に匹敵する何か・・・だとすると、厄介なことだ。

ムスリムの人らの社会を混沌とさせるというか、混沌をコントンロールしようとでもゆ〜のだろうか。

コイツは、いささか厳しかった。

 

どうやら、シューナットクリームの副作用らしい。 ねばっこいジジ・ダジャレになりやすいようだ。

それにしても、納豆とクリームは、なかなか合う。

やるときは甘ったるいクリームでないと、甘さが薄まりすぎてしまうから。

どうしても、いくつか食べなければならないとき・・・一つくらいやってはどうか?

引き割りで、大粒で、いろいろ愉しめる。

 

ちなみに

キレの悪いダジャレになったのは、カスタードがとても少なかったからだ。

カスタードがなければダジャレシオが上がらない。 私はそういう設定の上に生活している。

 

 

それはそうと

消費増税、地味にキツイわ・・・役場の人件費のレートが上がるわけでもないし。

アベノミッキスで、私が潤うのには、どうしたらよいのだろう。 そもそも島に住んで潤うのか???

全中の弱体化も、単にTPPでメリケンに媚びたいだけだしなぁ、島はいよいよ厳しくなる。

ニンゲンが増えすぎると、混沌や混乱によって利益が生まれるようになるらしい。

 


 

たいがい私の仕事は、机上で推し進められる類のものだった。

 

昨年9月に、防災専門委員に任命され、一段と防災に力んでいる。

デザイナー+システムコンサルの時代にやってたことが、いささか役立つことになった。

といっても、電気的なシステム構築の仕事ではなく、人間的なソフト、システムの構築事業である。

昨年の大雨や土石流などで周知の事実となった、システムで人は避難しない・・・ことを鑑みれば

電気的なシステムは、ぶっちゃけ添え物程度の役にしか立たない。

否、むしろ逃げないための情報提供と成り下がっている。

焦って全市に避難指示を出す首長もいたが、ほとんどの市民が戸惑い無視してしまった。

維持費ばかりかかるし、イザと云うときに電池切れだったり。

都会でぬくぬく生活している連中が設計するのだから・・・アマアマなシステム仕様だし、

運用側もさっぱり意識が低いと、何の役にも立たない。

そもそも単一電池が24時間しかもたないような戸別受信機など、よくもまあ設計できたものだ。

台風が、一日でサクッと通過するとでも思ったのだろう。

 

この程度なら、この程度逃げればよい・・・そういった半端なシキイ値など不要だ。

だが、現代の小ズルイ教育を受けた、生半可に賢い小市民は、無駄に自己判断しようとしてしまう。

んま゛〜、摂理がダメニンゲンを減らそうとしている・・・と切り捨てたいところだが、

立場上そうもならなくなった。

ともかく、いかなる理由があっても、死んでしまうのはダメニンゲンということだけは、正解である。

そのことだけは、摂理も私の防災理論においても共通している。

 

他人を見殺しにしたら、寝覚めが悪いから無駄に人命救助に向かう・・・カッコイイがダメニンゲンである。

 

自分ひとりでも助からないかもしれないのに、無駄に誰かを救おうとする、腐れヒーロー願望などを

バッサリと切り捨てるのが私の仕事である。

人道と云うコトバがあるが、あれはニンゲンしか救わない。 しかもニンゲンが死んだら無意味だ。

人道を貫くならば、生き残ることが大前提である。

自分の身は自分で守ると云う基本を浸透させるのが最優先。

自己犠牲を重んじるのはわかる。 だが繁殖力がなくなったニンゲンにのみ許されることだ。

母が子を助けたいのは仕方のないコトだが、ニンゲン以外の動物は 産みなおしを選んでいる。

繁殖力を守ることこそ、最善なのである。 ニンゲンがいないところに、人道も防災も不要だ。

 

基本的に、島はボロボロだ。 カネもないし、知識も技術もない。

ともかく安くこさえたいようで、ナンチャッテだらけなのだが、それが老朽化すれば一段と危険だ。

そもそもブロックをハスに積んでいる家は希である。 よほどの金持ちだけだ。

鉄筋が入っているから安心というが・・・鵜呑みにしたところで安全は得られない。

日常的にも崩れている。 空港の出口にほど近い、新たに歩道を整備した県道わきで、塀が崩落している。

鉄骨らしいものは、な〜んも入っていない。

 

具体的にナニをやっているかというと・・・津波のときに逃げられるかどうかを測定している。

松西集落では、私の算出値で避難可能距離が360mである。

鹿児島県から提示された、島の南東で起こるであろう、巨大地震を回避するための行脚だ。

避難可能距離は私が設定したもので、地震発生の5分後から避難を開始し・・・津波到達までに、

50センチ/秒で歩いて逃げられる距離である。

東北の震災のとき、避難速度の平均が「62センチ/秒」だったのを参考にしている。

 

前の仕事で、ハザードマップをこさえたのだが、県からはチープなデータとともに

無理な防災計画を求められるようになっている。

広島の土石流があってから、一層無理で無駄な基準づくりなどを強いられる。

県は、末端の実情を知らないし、云ったんだからヤットケというスタンスで仕事が済む。

高齢化が進んだ島では、逃げるのにも一苦労である。 しかも車で逃げようとする。

 

ここであえてオトナゲナイないもの言いをするが・・・

貧乏自治体の想定はインチキだ。 津波でなく高波想定ではないか! バカバカしい!

スパコンで計算できるコンサルが鹿児島には居ないから、ネンゴロにテキトーな大浪の予測を

住民に提示し茶を濁しているだけ・・・といった相場だろう。

腹立たしいのは、コレを信じたら・・・死ぬることだ。

オメデタイことに、フラットな空港や平土野(へとの)港には津波が来ないことになっている。

4mあまりの津波が・・・である。

どう割り引いても、海抜2m台の空港と3m台平土野港の津波の予測ではない。

鹿児島本土の県民は阿呆ぞろいで、鵜呑みにしているようだ。

私がこさえたハザードマップがこれ。 天城町では最大津波を想定し、15mで一律に線引きした。

とかく5m、10mだの無駄に段階を設けている自治体も多いが、段階に意味が在るか甚だ疑問だ。

中途半端に避難して死んだら、逃げないほうがマシだ。 誰かの避難の邪魔にならずに済むから。

 

なんと、国土地理院の紙の地図は、等高線が雰囲気で入っているところがあるという。

地形図は、その名のとおり地形をイメージしやすいように描かれているそうだ。

民家が無いところはイイとして・・・可能な限り正確な標高測定のために、先の山歩き用GPSを用いて

何度も現地で測定を繰り返し、確定した。

 

コツは、風があまりなく、気圧が安定している10〜15時の間で測定。

風は気圧の変化で発生している。 GPSの標高は、気圧「も」関係しているのだ。

測定する地域に近く、標高差が少ない水準点、もしくは三角点で標高を補正してから計測に赴く。

標高補正はメートル単位なので、数十センチの差はGPSの上げ下げで微調整する。 わりと勘頼み。

標高差が大きい水準点を選ぶと、全く精度が出ないので、三角点の方が有利な場合が多い。

それと、3回以上測定する。

GPSの使い方すら知らなかったが、使いながら工夫を重ねて測定を可能にできたワケだ。

 

役場の業務は時間はタップリあるから、金をかけずに時間をかけて洗練するような仕事の仕方だ。

なにしろ私の人件費は自給900円だから。

 

そもそも業者が測量すればいいのだろうが・・・測量が必要な場所を考えるのにも時間がかかるし、

現場を回りながらでないと要不要がわからないのだから、こうした仕事の仕方の方が有利だ。

 

元々、私への依頼は、最初の時点では着地点のみで、解決方法も道具もない依頼が多い。

やっていて楽しいのはソコである。 私にしか模索できない手法で、私だけが実現できる仕事だ。

正解ではないかもしれないが、自分なりに正解への筋道に見当をつけながら仕事できるのが面白い。

 

途中段階でも、ある程度できたときに原寸大で出力してはり合わせ、仕事場に掲示しておく。

そうすると、私の仕事の進捗も皆が認識できるし、私も客観的に作品?を眺めることができる。

役場企画課や総務課には、私の作品?の名残や動植物の写真などが、たくさん貼られている。

暫定的であれ、必ず作業の結果を見せておくことも、大切な秘訣?となっている。

もちろん、見栄えが悪くないからデキル荒業だが。(笑)

 

そうしておくことで、仕事ぶりを訴求できるし、やっていることの説明も不要だったり。

次の仕事の依頼も受けやすかったり。

劇的にイイ仕事っぷりなど出来るはずもないが、漸進できているような気がして悪くない。

 

ただ、

このごろ苦痛なのは、地域防災計画の見直し。 文字だらけで、とても厄介だ。

私は書くことは得意だが、読むことはヒドク苦手だから。

しかも物語りでもない、長文の箇条書きである。

外勤も無く、ひたすらデスクワークで気晴らしできぬ。 やれやれ

 

地域防災計画は今年度、津波や土石流は来年度もつづくから、また暑い外勤が待っている。

これまでのハザードマップと違い、津波の避難可能距離を的確に示したマップは存在していない。

どうやって表現したものか考えながら現場を回り、外勤を重ねるのも、なかなかイイものだ。

何といっても、人助けにもなるし。

 

とりあえず、仮にルート2をかけた、避難可能距離をシミュレートから始めた。

ルート2をかけたのが味噌だ。 ケーサツの緊急配備円に、工夫を加えた。

緊急配備は、最大限の逃走範囲を示すが、避難可能距離は逆に辛く短く見積もる必要がある。

避難路が一直線でない、くの字に曲がっている情況を、一律に標準としたのだ。

円が二重なのは、50センチ/秒と1メートル/秒。

実際に歩くとわかるが、50センチ/秒は遅すぎて、バランスをとりながら歩くのが難しいほどだ。

 

ういういしすぎる中学生カップルが、夕暮れの帰宅を遠回りして、

つらつらデートまがいの下校をするような速度?(笑)

 

東北311での平均が62センチ/秒だというのが、いかに遅いか体感すればわかるだろう。

このごろのスマホにはGPSが入っていて、アプリを入れれば計られるハズだ。

戸惑い、道の混雑に迷い、デマに狂い、瓦礫を乗り越え、おぼつかない老いた足でうろうろ歩み、

あるいは子を抱き、手を引いて逃げたスピードだ。

 

私は、来年度もまた、ずっとこのスピードを噛み締め、歩き続けるのである。

重いような、苦いような、塩っぱいような。 結論はないが、結果として避難路は必要だ。

 

それと、通りかかる人妻の視線や、手を振る姿に悩まされることだろう。

島人は、歩いている人を見かけると、自動車のトラブルと感じるらしいのだ。

そのくらい、メリケン人並に歩かない人たちだから、ユルさと優しさが融合した結果である。

 

ともあれ

あと2種類のマップが、総務課での次年度の仕事。 席は企画課にあるけれど。

ほか社会教育科の仕事もあって、そこそこ忙しく、あんまりダラダラ釣りするヒマはなさそうだ。

 

3キロあまりのヒラアジが釣れた浜が久々に凪いで、ようやく一尾。

30センチくらいのツバメコノシロだが、ぜんぜん引かず、ユルユルのドラグがジリともいわなかった。

どうやら水温が低いらしい。

磯や養殖のアオサ(ヒトエグサ)の生育も遅いし、ヒカンザクラなど葉と花が同時に出たり、

いっせいに満開が来ないで、バラバラに咲いたり、咲かなかったりしている。

もう例年という表現がわからないくらい、オカシナ冬である。

 

来年の今頃も、釣りできている自分が居るかどうか・・・ビミョ〜だ。


ではまた