島の秋の愉しみ

 


 

世間の過ち

 

アベノミクスは、これまでの資本主権社会としては正しい手を打って見せた。

つまり富まぬものから富むものへ資本を注入させることで、景気を流転させ、

変化を好転とカンチガイさせる効果を出すことだ。 景気が良くなることはアリエナイ。

 

バブル以降、出産数を減らすことでしのいできた社会が、

いよいよ若者が下支えしてきた内需の腰折れに至り深刻な不況へ移行。

衣食住というように、そもそも若人がいないのだから、衣も食も増えることは無い。

 

人口増が抑えられるのだから、当然住も不要になる。

 

動物の世界で絶対の力は若さである。

正しいさとは結びつかぬが、若さは転んでも起きる元気が在る・・・それが世の動力源である。

社会自体が浮かれていた。 私たちの社会は、将来を支えてくれる若手が減りすぎたから、

支えられる私たちは、支えきれずに死ぬるのがスジ・・・なのかもしれない。

 

日本の国力が衰え、チャンや半島の連中との差が失われている。

格差こそが資本主権社会の原動力だが、格差がなくなっているのだから、システムの限界である。

 

旧来のような、刺激策による景気動揺によって景気が復活するような余裕があるのだろうか。

 

ところで

フクシマではお笑い沙汰となっている。

無駄に維持費のかかる冷凍壁とやらで儲けたい業者にダマサレタわけだが、やっぱり無理だった。

国の存亡や命がかかった事態を食い物にする卑劣な業者など、大々的に駆逐するのがスジだが、

癒着が激しいのか、ダレも協力しなくなるのを恐れてか、なんの反応も無い。

おつぎは特殊なコンクリというが・・・浅場で固まったら、深層へ至ることもなく地下水は素通りだ。

どうなることやら。

想定外?の地域で汚染米が発覚したことだし、やはりフクシマ界隈は、まだまだ風評被害は迷惑などと、

ありもしない安全性を振りかざすべきではない。

 


 

昼の暑さや日差しがやわらぎ、ようやく過ごしやすい季節がやってきた。

ただ、20度前後の夜というのは意外に面倒で、毛布で寒く布団では暑い。

北風だと涼しいので長袖、晴れると暑いのでTシャツという、ビミョ〜なシーズンでもある。

 

寒くならなぬお陰で、無駄にせわしい師走の印象にもだまされず、マイペースに生活している。

年越しなんて、だらだら無段階に歳を経ていたい私にとって、今や無意味なイベントだ。

 

夏場はアカショウビンやらイソヒヨドリのヤカマシイさえずりで目覚めることが多いが、今は冬鳥。

島はすぐに植物が繁茂して、うっそうとしたところが多い。 我が家も例外でなく・・・ウグイスが入る。

意外かもしれないが、島には多くのウグイスが渡ってくる。

そして朝、ヂャッ、ヂャッと濁った太目の声でなく。 地鳴きだ。

もちろんスズメ、メジロ、セッカ、ヒヨドリ、イソヒヨドリやシジュウカラ、冬鳥のシロハラ、ジョウビタキもいるが、

ウグイスの声がひときわ粘っこい。

この時期のイソヒヨドリは、鳴きはするものの独り言のような小声である。

内地では、冬場探しづらいセッカが庭にやってくるのは嬉しいことだ。

スズメより小柄でカワイイ姿に癒される。

 

我が家の草ぼうぼうの庭は、林と草原の野鳥が入り乱れている感がある。

ハブが入ってヤバイかな?とも思ったが、意外に来ていない。

ハブは今年から安くなり、引き取り費が3,000円になってしまった。

バンシロウ(グアバ)の木が、もう一本生えてきたから、数年後には収量が増加しそうだ。(笑)

そういえば、実りのないオスのパパヤは、相次ぐ台風で折れて枯れたので助かった。

 

きつかった台風のあと、野菜が育つのに一月はかかる。 ようやく100均直売所に青菜が復活した。

島でも水菜は出回るが、島産のものはほとんど牧草状態で、硬く厳しい。

一方、チンゲンサイはハクサイのように密巻きで分厚い葉の根元部分が美味しい。

甘みはないが、あっさりとした大根葉のような風味は水菜に通じるものがある。

気が向いたとき、葉は別の料理にし、根元だけを適当な太さに切り、はりはり風の鍋にすると

ずいぶん美味い。 水菜のようなギスギスした歯ざわりでなく、やさしいシャキシャキ感だ。

100円でヘビー級のチンゲンサイが手に入る、島らしいメニュー。

一袋、2〜3株でキロ近い目方がある。

 

仕事は、一ヶ月66時間勤務で、時間には自由が利くようになり、

野鳥観察や釣りと仕事が、同じ重みで扱えるようになった。

だからといって、釣れるわけでもないのだが・・・

ラテオはとても優秀な竿で、左投げでも狙いが正確になったし、感度も食い込みも悪くない、ようだ。

最新式のKガイドが採用されているが、やたらガイドが多く、結びこぶが引っかかるのが気になる。

ぶっちゃけ、売り上げをアップしたから無駄にガイド数を増やした・・・と云えなくもないような。

それでも十分な飛距離があるわけだが、もう少しガイドを減らせば、もっと飛距離が伸びそうな気もする。

 

そろそろチヌ(ミナミクロダイ)のシーズンである。

まだ荒食いをする様子はないものの、キロオーバーがイノーに入り始めている。

縦糸を嫌うので、チヌの釣り方は意外と苦労させられる。

ラテオの釣果は、まだこれだけ。 数日前30センチオーバーのチヌが食ったが、アワセが効かなかった。

ヒラアジなどは勝手にダッシュして針がかりするが、チヌはその場で首を振ることがあり、

大げさにアワセる必要がありそうだ。

 

竿先の向こうには、鳥たちがやってくることもある。

ピッピリーピッピリーとうるさいなぁと思うと、カワセミたちが喧嘩。

繁殖期以外はオスメスかまわずライバルどうしで、縄張りに厳しい性格らしく、よく争う。

たまに竿の下をくぐって、エサ場へ急ぐ姿も。

 

満潮になると、定位置で休むのはクロツラヘラサギたち。

世界に3,000羽くらいしかいない稀少種を眺めながら釣りできるのは至高だ。

 

午後まで潮が引かないこともあり、竿を出そうか悩んでいると・・・鳥たちが動き出す。

以前からクロツラヘラサギに好奇心を持ち、一緒に採餌したがっていたコウノトリだが、

この秋やってきたクロツラヘラサギはコウノトリを怖がらないので、ようやく受け入れられたようだ。

逃げられないように気をつかいながら、さりげなく接近を試みるコウノトリは、とても健気に見える。

 

そうそう

関東からやってきたという観察者に見せてもらった機材。

このごろはスマホでナンでもできるんだね゛〜。 これなら顔本とかにもすぐアップできる。

私も昔欲しかった、横から機材を支えるアームが装備されている。 これがワリとお高い。

昔はケータイといえば、アンテナをビヨ〜ンと伸ばさないと入りが悪かったのに、今はただの板状。

時代は進んでいるなぁ・・・とシミジミ感じられる。

 

我が家のスマホ・エクスペリアは、月額483円分の仕事をしていない。

防災用メディアとして購入したが、台風シーズンが去り、冷静になってみると意外にスマートでない。

アップルのように、タスクを管理できず、バックグラウンドでやたら動いて電池の消耗が激しい。

データの出し入れが七面倒だし、貧弱なソフトしかない。 やっぱりウィンドウズのパッドが便利そうだ。

 

家に戻ると封筒が届いていた。

裏側の寝室に届ける係員もいれば、こうして重しを置いていく者もいる。

ポストが欲しいが、錆びるのも面倒だし、金もない。

 

このごろ

池へ赴くことがある。 行きしなに、嬉しいものを発見した。

島は井戸でなく湧き水を汲んで暮らしていたが、このごろ復活させることがある。

天城集落には、かんぎょういじゅん、めえたんぎょういじゅんが守られていたが、ここは埋もれていた。

はなはだ荒っぽい復活だが、水場は生物が好むので、維持管理の大変さを考えれば妥当だ。

右の溝のようところが、しまごーと呼ばれていた川だ。

三面張りとなった川には、わずかに水がせせらぐのみ。

 

それぞれ感じを当てると、内地人にも理解しやすかろうか?

島川泉、神?川泉、前田川泉・・・あたりだろう。 かんぎょうだけは、よくわからないが、

近くに神田という小字があるので、神川かな?と考えてみた。

一応、文化財保護審議委員なので、そのくらいの知識は必要か・・・こんどカンギョウの意味を確かめよう。

 

川はコーと発音する。 内地でも河野という姓があるが、島では川をコー、皮もコーと発音する。

言い回しによってはギョウとなる。 いづれも、このしまごーと同じ川筋にあるので、川がついているのだろう。

ちなみに、豚の顔の皮を食べるが、ツランコーとして売っている。 もちろん、沖縄同様に耳も売っている。

 

向かう名道(なぁみち)池は、このコーの水源のひとつ。

北方系のホオジロガモが渡ってきているのを眺めるために赴くのだ。

この冬はきっと寒そうだが、いまのところそうでもない。

さらに上流の上名道池には、南国らしい赤い頭のサギ、アカガシラサギがいたが、撮影には失敗した。

 

役場での仕事は、おおむね10〜12時、14時〜17時である。

モスクのような役場に、カトリック幼稚園の幼児がやってきた。 勤労感謝のようだ。

島の役場はのんびりでイイ。

企画のY課長はフェイスブックにハマっており、ネタ集めに余念がない。

ただ、パスワードを時折忘れ、部下を困らせている。(笑)

左は総務のN原課長で、両手首のリウマチに悩まされていて、好きなギターや釣りができないという。

私と同じで、文系でも理系でもない美術系である。

ちなみにY課長の右手にあるのは、このごろ愛用のマイバッグで、カメラやスマホを入れている。

買い物の時には、当然エコバッグに復帰する働き者だ。

私のデスクは、更に右にあり、さらにもっと右には南大東で出会ったOちゃんがいる。

出逢いとは不思議なものだ。

ただ・・・Oちゃんは自然遺産担当という性格上、基本的にヒマなので、余談が多く・・・

仕事の集中力を欠かされてしまう。

話題も、私とは食い違っているしテレビネタはわからない。

おそらく、自発的に集中力をアップするような、真剣な働き方をしたことがないのかもしれない。

 

こっちとら、おそらくどこの自治体も実施していない、津波到達時間に対する、

避難可能距離の算出手法などを考案したりとか・・・命に関わる仕事をしているというのに。

困った友人だ。

 

ともあれ

お金はないが、時間には恵まれている生活。 トキはカネなりとも云うではないか。

時の使い方の自由があるのは、人生にとって素晴らしいことである。

タテマエもプライバシーもないが、島は自由でいい。


ではまた