暇人の自然観察と御嶽山と写真生活

 


 

世間のナニソレ?

 

円安が進んでいる。 もともとメリケンのリーマンショックによる経済社会の危うさを知った。

のに・・・変動為替などという投機マネー専用の仕組みを営むマヌケさは、私は理解に苦しむ。

というより、メリケンの属国だから仕方ないと諦めるのが正しい属国民族の姿なのだろう。

 

ニンゲンは増えすぎた。 青を読んでいる方はミミタコだろう。

生物はつねにせめぎ合い、発展していく姿勢を持つことでバランスするようにできてい「た」。

しかし増えすぎたニンゲン社会で、拡大傾向はキケンだ。 地球のバランスを無視している。

そうはいっても、摂理はニンゲンをヒイキしてくれるわけでなく・・・ニンゲンの活動を制限したり

人口を減らす方向に働くしかない。 それが地球の摂理である。

 

私たちニンゲンは、それに対抗できると信じたいが・・・格差によって利益を得る、安直な思想では

もはや地球と相容れることはできないのは明らかである。

ただ・・・生物は死にかけないと学習しないから、これから先、ニンゲンは死んで苦しむだろう。

資本主権が大多数の世界において、私のようなビンボ〜人は、真っ先に死ぬる立場である。

 

貧乏では体質も変わる。 肉や揚げ物は効率が悪い。 だから食べない・・・

ご飯も節約するために粥が多くなる。

すると・・・たまに脂物を食べただけで、胃腸が下ってしまう。 貧乏とは、そういうものだ。

私はまだ、ビンボ〜を営む余裕があるが、成長期の子らを抱えた家庭では、そうもならぬ。

成長のための栄養を得ようとする体に対して、栄養が追いつかない。

子らの体は細長くなっていく。 ポン国内では人気の体形だろうが・・・由来が異なる。

 

島では、社会保障などよりも、ずっと絆の恩恵が大きいから、死なずに済むだろうが

都会ではこれから、無理心中が増えてしまったり、結婚難が激しくなってしまうだろう。

 

おまけに

ろくに除染が進んでいないフクシマ出身となれば・・・私ならお断りしたい。

放射線を甘くみている方は、ほぼいない。 放射線は、宇宙に生物が発生できない最初の理由である。

放射線は、ただの光ではない。もともとは穴が開いたり、壁を抜けて影響をおよぼす恐ろしい光だ。

本来、薬品や薄い鉛板程度で、どうこうできる代物ではない。

 

ところで

我が家にスマホがやってきて3週間が過ぎた。

NHKのニュースや、笑点がワンセグで帰ってきたものの・・・やはり、真実味がないというか、

こんなもんを楽しみにしてたんだ〜 やれやれ、な感じである。

よほど大きな事件でもないかぎり、映像は不要でラジオで十分なのだ。

無駄に映像を視ないことで、記憶を侵されないで済むような気もしている。

 

おそらく、今もテレビが生活の主人公の方は多いだろう。

そ〜ゆ〜民族?にとって、タレントさんはエライ存在かもしれないが、私にとってはタダの意味不明な人だ。

知識豊富でもなく、私の生活を豊かにするチカラもない、テレビ好きにウケル技に長けただけの人ら。

島では、現実に直接タレントさんを相手にすることがあるが、私のテンションが上がるような人はいない。

そんな人らを毎日テレビで視続ける、不思議生活・・・ 私は戻れない。 

 

そんなにテレビって、面白いのか? あるいは、枯れた家庭の賑わいとか、単なる寂しさ緩和剤か?

生活保護家庭でもテレビは認められているというから、ポン人はよほどテレビ好き。

むしろ、テレビ禁止でパソコン優先、公共交通のない田舎生活のために、軽自動車を認めなければダメだ。

娯楽優先の社会・・・ポン国は余裕に満ち満ちているように見える。

あるいは国策で、テレビが世論操作装置か?

 

テレビがなかった時代、年貢のためだけに働き、疲れ果てて家族と話す気力もなく飯を食い、

眠り・・・また早々朝から働く・・・ポン人のシツケ上、黙って飯を食え・・・なのは暗い過去の仕業に違いない。

たとえひととき豊かであっても、まわりにバレないようにする知恵であり汚点。

今となっては、黙ってテレビを視ながら飯を食らうようになった。 時折、笑ったりしながら。

 


 

御嶽山の噴火で47人が亡くなった・・・という。 あまりの不幸、お見舞い申し上げる。

天変地異など、当面の科学では予測はできぬが、起こる理由が理解できるようになった。

 

スーパームーンを眺めるにつけ、地震が起こることを危惧していたのだが、火山も・・・だったのだ。

地殻の運動は、地殻そのものの摩擦によるものと、そこから沸きあがったマグマによるものがある。

島には火山がないから、私は防災専門委員のくせに、地震ばかり気にしていた。

 

ところで

太陽運動の極大期は11年周期だという。 2011年は、それにあたる。

太陽黒点が増える極大期は、磁力線の影響が大きくなる・・・ということを、私はつい最近知った。

地球も内部はドロドロで、磁鉄を含んだマントルで構成されているから、太陽の磁力線で伸縮する。

私たちの地球は宙にうかぶカレーパンか、あるいはシュークリームのような感じなのかもしれない。

 

さらには

311のころ、月面が近づくスーパームーンだった。

つまり、太陽の磁力+重力、月の重力が加わっており、東北の震災は満を持して起こっていたのだ。

 

月面の接近など、生活に影響ないから気づきようがない・・・と高をくくっていた私だが、

このごろ実感できるようになった。

毎度おなじみ?、トリトリデッキの前のイノーの魚を釣りに出かけている。

ココ最近、めっきり風向きが悪かったり、台風17号の荒波が続いたりして、東側は手出しできぬ。

もちろん、もう18号の荒波に満たされている。 仕方なく地元天城町で釣るしかない。

 

イノーの小潮といえば、これまでほとんど干潟が続いていた。

が、中秋の名月以来のスーパームーンの名残か、真昼に潮位が高い。

このくらい水深があれば、1.5キロくらいまでのオニヒラアジが入ってこられる。

潮位を何十センチも嵩上げできるほどのチカラがかかっているのだから、地殻に影響が出ても不思議はない。

 

月面の最接近は8/10あたりだったはずだが、急に遠ざかるわけではない。

一ヵ月後の中秋の名月もスーパームーン。 この数ヶ月でエネルギーが蓄積していたのだろう。

最接近時のエクストリーム・スーパームーンと、フツ〜の満月?を重ねると、かなり大きさが違う。

むしろ地異は、地球単体で起こることよりも、むしろ重力で起こることが多いのではないか?と思いたくなる。

 

私たちは自然の猛威というのは、見えないこところで起こっていると信じているところがある。

けれども、現実には目の前に原因が浮かんでいて、キレイだ・・・とか思っていた。

月の接近を恐れていても、御嶽山が噴火することを予測できるわけでもないだろうが・・・活火山の近くには、

寄り付かないほうがいい、ということが私には理解できた。 然るに・・・富士山もそろそろ・・・?

休火山などは、休みが長いほど危険なのかもしれないし。


ところで

スマホがやってきてしばらく経つ。 地味に便利。

 

このごろハザードマップづくりのために標高の測定精度の低いGPSで、ちまちまと標高を測ってまわる。

山登り用のガーミンGPSは、気圧で補正がかかり、標高はそこそこ測定できることがわかってきた。

時間が経つほどまわりの気圧が変化し、精度が落ちるから、遠い水準点よりも現場に最寄の三角点で代用する。

三角点の標高を示した地図を忘れてきたのだが、国土地理院サイトを閲覧すれば・・・OKである。

250Kbpsは高速とはいえないが、パケット量に一切の制限がないのは気が楽でいい。

 

アンドロイド4.04にバージョンアップしたら、昔のブルトゥース・キーボードも使えるようになった。

意外にも、アンドロイドはキーボードを積極的に活用するようにはできておらず、受身な人用のようだ。

なにしろテキスト編集できるメモ帳が標準でない。 アイパッドにはある。

アンドロイドにも、タブレットには入っているのだろうか?

 

タブレットは、表面がガラスで傷が入りにくい。 スマホも同様だろう・・・と思ったらプラスチックだった。(涙)

新品同様ピカピカの中古だったのに、早速傷が入ってしまった。

 

ほか、ホーム画面が横にならないのは意外に使いづらい。 それとアプリがいちいち宣伝入りでウザッタイ。

意味不明なアプリがドッサリ入っているがアン・インストールできない。

 

おまけに、

想像していたとおり、グーグルのピーピング・プログラムがバックグラウンドで常に動き電力を消費している。

あまり使い込みたいと思えない、ガジェットである。

 

ちなみに

よく使うのはブラウザー、NHKらじるらじる、ワンセグ、潮見表(宣伝入り)といったところ。

カメラは専用のシャッターボタンがあり、反押しまでできるものの、本押しが重すぎて使えなかった。

 

これからルート化して、なんとかテザリングを実現したい。


キヤノンの一眼レフ、いよいよ新機種が発表になった。 7Dマーク2。

ほとんど変わっとらん・・・(涙) 地味な仕様変更だけで、新品を購入するだけの意味を感じない。

んま゛〜一眼レフの機能は枯れてきていて、さほど驚きのない商品になってしまったのだろう。

私が期待していた高感度特性は、そおらくほとんど変化していまい。

カタログの最初に現れてない機能で、飛躍的と謳われる機能は進歩ナシと考えるほうが妥当である。

 

動画性能が向上しているというものの、電子ファインダーのオプションはなく、全く使えない。

シャッターは秒10コマに向上しているため、おそらくやかましくなっている。

 

野鳥の撮影に、ハイエンドのEOS1DXを使う向きもあるが、私に云わせればアレは愚の骨頂だ。

デジタル・テレコン効果がないばかりかシャッター音がウルサイので野鳥が反応してしまう。

かといって、ソニーのα7sほどの高感度でもない。 それでいて60万もする。

スポーツ報道用に特化し割り切ったわりには、高額すぎだ。

仕事ばかりしてストレス蓄積の多い人向け・・・高額なオトナ買いでストレス解消・・・な散財専用機。(笑)

 

確かマーク2は、2000万画素ちょいだったと思うが、我が家のNEX−7は2400万画素である。

もちろん、この画素密度を越える機種は、ほとんど存在していないし、画素が小さいぶんノイズも多い。

ニコンの800シリーズが多画素で騒がれているが、NEXに比べたらたいしたことはない。

手ブレについては、とてもシビアな機種である。

 

このごろは専らキレイに撮ろうと願うシーンが減ったので、証拠写真用の50倍ズームのコンデジで十分。

実際のところ、EOS7の出番は著しく減っていて、ほとんどがNEXである。

ナゼか・・・オートフォーカスが信頼できないのである。

飛ぶ鳥などは仕方ないが、サーボモード(四六時中ピント追従)では、追従の働き自体がブレになることが多い。

しかも野鳥はのっぺりしていて、イノーなどの砂地や小波のある水面にピントがもっていかれることが多すぎる。

NEXでマニュアルフォーカスする方が、よほどキレイに撮られるのである。

シャッターチャンスはいささか減るが、確実にピントの合った写真を得られる。

拡大機能つき、電子ファインダーさまさまだ。

 

使用比は、S1とサイバーショットのコンデジ97%、NEX−7が2%、EOS1D3と7D合わせて1%といったイメージ。

やはり小型ということは、機動性そのものである。

サイバーショットは常にポケットに裸で入っており、ピントの合焦も高速だったり、手振れや逆光をカバーする

オート機能が充実しており、利便性は最大だ。

 

それに比べると、旧態依然とした一眼レフの利用シーンは限定されてしまう。

ココ最近では、あのグリーンフラッシュ以来、ほとんど用いていない。 勘があれば「とっさ」には強いといえよう。

グリーンフラッシュも、とっさにマイナスの露出補正をかけて撮影した。

が・・・ファインダーの光景が変化するわけでなく、ひたすら自分とカメラを信じてシャッターを切るしかない。

 

その昔、カメラはフィルムを現像し、紙焼きするまで見られないため不便だった。

現在は、露出補正がファインダーに反映されない一眼レフは時代遅れとなりつつある。

 

昔の写真家さんは言う。 デジカメは、シャッターを切る緊張感がない。

コレは古い感覚なのでそっと放置しておきたい。 メンドクサイだけだから。(笑)

今は、自由に連続してシャッターを切れるから、超高速の連続性の先に、いかなる麗しいシーンを想定できるか・・・

を追究する時代に入っている。 緊張感は変わっていない。 利用思想が変わっただけだ。

 

もし自動車がない時代、自転車はニンゲンがむき出しで40キロも出せば、急ブレーキが危うくなる。

もし急ブレーキがかからなければ、避ければいい。 自動車よりも、ずっと道が広く感じられるのが自転車だ。

しかしながら、現代の幹線道で軽自動車が40キロで走行していたら、イライラするだろう。

緊張感は必要だが、自転車で下り坂を滑りくだるような危機感はなく、軽ならラクラク運転できる。

他方で、狭く感じられる路地から出てくる子らを想定したり、車間をすりぬけようとする二輪に気をつかう。

科学のお陰で移動が高速化、安全化したが、新たな危険も生まれ注目するポイントが変わったのだ。

 

好奇心旺盛で、チョコマカ動き回る小笠原のメグロ。 キレのいい写真を見たことがない。

(換算640mm、開放F5.6、1/160、ISO 800、トリミング)

おそらく、マニュアルフォーカスを想定していないことと、レンズの選択を間違えたことによる。

 

私もタマタマ・・・だったのだが、レンズに救われていた。

イマイチな画質と酷評されることの多い、キヤノン100−400mmズームレンズ。

だが画素数が〜800万画素くらいでは問題ない。

 

このレンズの最大の特長は、ピントリングの動作が非情にオオザッパだということだ。(笑)

少し回すだけで、合焦する位置が大きく移動する。

デカくて高額なズーム無しの500mmや600mmでは、シビアにチビチビとピントが調整できるようになっている。

んが・・・それではメグロのキビキビに対応不能だ。

 

もうひとつは

最短撮影距離である。 超望遠レンズは、チョ〜望遠なのだから近くを撮影できなくても良いはずなのだ。

メグロは接近してくる野鳥であり、常識とは異なる。

たいがいの超望遠レンズは2.5mより手前は無理だが、100−400なら1.8mまで近接可能だ。

 

私は、その問題を意識せず、偶然に克服していた。 だって、そのレンズしか持ってなかったもんんね。(笑)

 

100−400は古く、ピントがすこぶる遅かったので、すぐさま手動でピント合わせせざるを得なかったし、

偶然にもメグロに対応できるほど、ピントの移動が高速に実現できたわけだ。

ただ、ハシナガウグイスのメスは1mくらいまで寄って来てしまい、笑って諦めざるを得なかった。

カワイイしぐさで、あんまり寄って来るので、ほほえましくて仕方ないのだ。

ピントを、徐々に前後させながらシャッターを切る。

薄暗い林内でファインダーをのぞいてもピントの山はつかめないのだが・・・半日くらいで慣れてくる。

 

同い年の動物カメラマン戸塚学も、さほどキレのいいメグロを撮影していないようだ。

キヤノンのテスターだから立場上・・・仕方あるまい。 

 

現代の子らに、マニュアルフォーカスは理解できないだろうが、アマミノクロウサギを撮影するときも

薄暗い照明でマニュアルだ。 動物写真では、科学技術よりもニンゲンの感覚の方が役立つ。

 

とまれ

マーク2の性能が、私の撮影にサッパリ貢献しないのは、キヤノンがユーザーでなくニコンを視ているせい?

ではないかと念じている。 進化はしておらず、ニコンに追従しただけだ。

デュアルピクセルで、動画のピント合わせが高度化しているようだが、島の野鳥には効果が得られない。

 

キヤノンには、もう少しワクワクするような新機軸を期待したい。

 

そういえば、口笛でメグロを呼ぶガイドがいるという。 メグロはキーヨ、キーヨと単純だから楽勝に違いない。

シマキンパラのトーンを高くしたような声である。 私も、次の野鳥を探すとするか・・・

 

コウノトリとかクロハラアジサシとか、クロツラヘラサギとか・・・ ほとんど鳴かないなコイツラは。(笑)

クロハラアジサシは、一応グジリグジリと独り言のように・・・鳴くことは鳴く。

 

私もできるだけのマネを開拓しているつもりだ。 金はないが暇はある。

 

リュウキュウコノハズク&ダイトウコノハズク、アオバズク、内地のコノハズクも練習済み。

アカショウビンをマスターしたことで、ホトトギスとカッコウも済んでいる。 試す機会がないのが残念だ。

サンコウチョウは、おそらくだれでも吹ける。

口笛はアタック音と低い音が難しい。 内地のフクロウが吹ければ、カナリの鳥に対応できるだろう。

フルツクフーフーとかゴロスケホーホーというアレ。 まだ、イマイチうまくいっていない。

キアシシギ、アオアシシギ、チュウシャクシギもほぼ終了・・・つぎはダイシャクシギあたりだろうか。

ソリハシシギやムナグロ、メダイチドリなどはカナリ難しい。

ウグイスやホオジロの類は舌打ちの応用だから、だれでもスグできる。

カモやツル、キジ、モズは・・・ほぼ無理だ。 ヒドリガモならなんとか・・・?

ヤマガラやシジュウカラは、あえてマネする必要もなく寄って来る。

そういえば、ヤツガシラもビミョ〜な声を出していたような。

 

警戒声くらいしか出さないシギやサギ類は注意が必要で、代表的な声が警戒だと練習する意味がない。

もっとも身近なキアシシギ語?はほぼ分析が終わった気がする。

 

キアシシギたちは積極的に寄って来ることはないが・・・イノーを望もうと歩み寄ったとき、

間近で採餌している個体が慌て、数が多いため警戒声を放って逃げ回ると厄介だ。

そこへ「ピーヨ?」といった口笛を投げかけるのだ。 すると・・・2、30mくらいでやめてくれることが多い。

慌てているときほど、口笛に反応しやすい特性がある。 いつぞや、ハヤブサに襲われ中の個体もそうだった。

 

口笛の使い方も、鳥によっていろいろだ。

 

そういえば、絶賛練習中?だったリュウキュウキビタキは、またシーズンが過ぎてしまったなぁ。

反応はするが、20m以内にやってこない。 山奥にしかいないので、燃料費がかさんでかなわぬ。

 

このごろようやく、カメラの性能に依りすぎて撮影していたころを脱しつつあるように感じられる。

いや、カメラの性能が高まり、ニンゲンの反応に追いついてくれるようになったから・・・かもしれない。

さらなる高性能を期待していないわけではない。 ソニーα7sのような高感度である。

電子ファインダーと高感度は、これからの動物写真を変えてくれると思うのだが。

あとは、鳴きマネ機能付き・・・とかね。(笑)


ではまた