島は、強風と長雨

 


 

経済の発展と等価交換の嵐が吹いている。

 

資本主権の世界は、いつも生成発展していくという、とても理性的とはいえぬヘリクツに満ちている。

要は単なる弱肉強食を、キレイに見せているだけである。

スーパーで買う肉は、残酷でない・・・だから私は野蛮な人間ではない・・・みたいな視点。

しかし、別に場所が圧縮されただけで、やっていることは変わらない。

そうしたスーパーのパック現象こそが社会を歪ませている、と短絡はしないけれども

自然を誰かのコブシを借りてブッ飛ばしておいて、私は手を汚しいませんから、なぜ嵐に見舞われるのか・・・

生まれながらにして罪を背負う子供なんていない、などと都合のいい思考になりやすいことは確かだ。

ムシケラを踏みつけにして喜ぶような子供に、罪がないとはいえない。

虫からすれば、そのガキは悪そのものにしか見えまい。

 

それを罪でないとするならば・・・

地球がクシャミシした程度で、人間がザクザク死ぬことは、さしたる問題でない。

歩くとき、知らずにアリの列を踏みつぶすようなものだ。 視点を変える事は、理性にとって大切なことだ。

 

私が云いたいのは、理性を摂理から切り離して考えられるほど、人間には余裕がなくなったということだ。

大災害が来れば、危機感が異常に刺激されて無駄な消費は増える、そして事態は加速する。

経済は拡大傾向でなければ破綻する、そうした単純な志向でやっていけるほど、自然は優しくなくなった。

と・・・ようやくポン人もわかってきたのかな〜と思ったり。

 

地球上の摂理とは、とてもよくできた進化の仕組み。

独占的に増殖するようになった生物は、大型化+長命化する。 長命化は進化の留まりを起こさせる。

あるいは、増えた生物に寄生する生物を増やす。 長命化した生物は、寄生生物の進化には追いつけない。

その寄生生物の最たるものがウィルスだ。

殺しても減らない宿主だと判れば、自分たちの敵や、増殖に適さない宿主を選択的に殺すようになるだろう。

生物進化は私たちが考えるような甘い共存を望んではいないし、死を与えることで一時の優位を得ながら、

相手の短命化を招き、進化を促す。 とてもよくできた摂理。

 

結論は、限られた空間で生き残るためには、体を適度に小さく保ち、短命でありながら

資源を食い尽くさずに数を増殖できること・・・である。 適度に・・・とは資源量に応じてということだ。

 

私は増えずに進化した生物はいないと思ってきたが、アマミノクロウサギは違っていた。

男の遺伝子を持たないトクノシマトゲネズミよりも、窮極的に進化したのがクロウサギである。

育児できる資源も少ない、天敵はハブだが、成長したらほぼ天敵がいなくなる。

人間以外で、思考を用いずに、自然なまま少産長命を選んだ生物がいるのだ。

ほか、ナマケモノもそうした類なのかもしれない。

 

ニンゲンがトップランナーだと過信しているのは私だけではなかったろうが、現実は違う。

ウチュ〜ジンを含めなくても、我々より進化した側面を持つ生物は、わりとその辺にいるようだ。

 

今さらウダウダ云っても、災害は拡大の一途をたどるしかないだろうが、

思ったより加速度的に事態が進んでいるのが、資本主権の甘い夢を追いかけている連中を

無駄に刺激しなければ良いが・・・と危惧している。 それこそが摂理の仕業である。

 

こうして、ウツを傘にモラトリアムを延長し続けられるのも、あんまり長くはなさそうだ。

体調の方も、五十肩を機に悪化が加速している。

 

さて

島はさほどの被害などもない。 夏冬両面でやられてたまるか・・・でもある。

このたびの内地のようなドハデな被害は、やはり台風に譲る。

 

この冬の変化は、幾度か記してきたが、おおむね風向きが東向きだったのが西向きになり、

強風が続いてしまうことだ。 この3年間では、もっとも雨は少ないと思う。

松の内を過ぎた頃から、ウジウジと雨が多くなり、このごろは滅多に晴れ間を見られなくなった。

四年目の私にとって、本来の冬?はこんなイメージだった。 バレイショは病気に侵され、野菜が育たない冬。

 

そういえば、西風の増加もあるが、正月すぎてから春一番?が何度か吹いて、ビミョ〜に暑かった。

このごろは、ウチナーグチでいうところの、ニングゥワチ・カジマーイ(二月風回り)のようにコロコロ変わる。

 

土曜。

大時化。

いきなり真南の強風。 空港のフキナガシが真横だと10mくらいあるらしい。

不思議なのは、普通なら南風だと小夏日和になるのに、17、8度くらいまでしか上がらなかった。

 

日曜。

久しぶりに晴れ・・・2週間ぶりくらいだろう・・・と思ったら、午前だけで午後は曇り始める。

せっかく雨が遠のいた時間なので、まずは野鳥。

2羽のクロツラヘラサギを確認しておく。

トリトリデッキのイメージキャラクターでもあり、トリトリデッキを生むキッカケになった私なので、誰より知っときたい。

私がチマチマ干潟を観察し、その写真を見た友人らが盛り上がって、それが大島支庁長まで伝染し、実現した。

トリトリデッキが完成したことで、私のイノーへの愛着はグンとアップしてしまっている。 ゲンキンなものだ。

 

先に述べたように、西風はイノーの正面であり、クロツラーズtたちには避けるところのない最悪の風。

なのだが・・・時化がおさまると、すぐに戻ってくる。

伸びをしている成鳥の後ろには若鳥が休んでいるのだが、島の反対の亀津に往っていたらしい。

グレーのは内地にも多いアオサギ。 足元の緑はオーサ(ヒトエグサ)だが、今年は成鳥がすこぶる悪い。

11〜12月に雨が少なかったから、成長期の栄養が得られなかったみたいだ。

 

誰に習ったことでもないが、ほとんど毎日通っていると・・・自然にいろいろ見えてくることが多い。

 

観察していると入電。 収穫中らしい友人が野菜をとりにいらっしゃいというので、さっそく畑へ。

白菜を見繕ってくれているユーキォさんは、役場職員であって、営農はしているが専業農家ではない。

しかもここは、家庭菜園であって・・・ご家族で営む兼業の畑は何ヘクタールもある。

これからバレイショ、ニンジンの出荷が本番に。 ただ、わかるように彼は農家よりよほど農業が上手い。

金ゴマ栽培を導入する仕掛け人だったり。 島にはこうして、営農を愉しんでいる方は多い。

島なのに、家庭菜園が広大すぎ・・・ってのもあるが。

こうした生活の工夫が、低所得、高輸送費の社会を支えている。

 

その恩恵を、チャッカリ私はご相伴させていただいているのである。

ま゛〜、でかいブロッコリーとカリフラワーを同時にいただいても、足が速くてヤヤコシかったり。(笑)

 

っていうか・・・このところ100円販売ではチンゲンサイが売れてしまったあとばかりで、

でかブロッコリーばかりを求めていて、前日も2コ買いしていた・・・

 

島の反対側にある都会・・・亀津にはブログ仲間で「徳之島じじとばばのホームページ」の友人がいるから、

情報にはことかかない。 数百円分のガソリンを費やしてまで観察に赴かなくても、チェックをお願いできる。

同様に、島のアチコチに友人知人ができたので、ガムシャラに観察の足を伸ばすことはないのである。

ダラダラと生活圏の情報ばかりで、わずか北の漁港へ赴くこともオックウな始末。

 

野菜をもらい・・・せっかくなのでその先の松原漁港へ。 といっても、家から4キロも離れていない。

今の私にとっての生活世界は、とてもコンパクトにまとまっている。

 

釣りするつもりだったが、潮がたるくて釣れそうにない。 帰りかけたら・・・あら? まだいたんだ!!!

ハチジョウツグミは、たぶん日常にいる鳥ではないらしい。

今シーズンは、松原漁港の草地に1羽だけ越冬している。

天城総合運動公園の周囲の林は、デイゴヒメコバチでデイゴが裸にされたために来なくなってしまった。

草地でエサ探しするのがツグミの定石だが、すぐわきに避難する林があるのも定石だ。

森にはライバルや天敵が多いので、人家のまわり林と草地が適しているようである。

といっても、人家の周りには同じツグミ科で気が強いイソヒヨドリがいて、いつも追いかけられている。

 

すると・・・イノーに鉄杭を立てて仕掛ける定置網?を手入れしているオジサンから、話しかけられた。

 

超望遠レンズの異様さが珍しかったのだ。 なにしろ迷彩ジャケットを着せているし。

そりゃそうだ、内地でも滅多に見かけないし、島で大型超望遠レンズで500mm以上を保有しているのは、

私のほか、使ってるところを見たことない800mmを温存している伊仙町の先輩くらいしかいない。

ほか超望遠レンズは私の知る限り、50〜500mmが2名、150〜600mmが1名である。

 

閑話休題

魚網オジサンと話すうち、あれよあれよという間に・・・酒盛りに。 私はよくよく肴に向いているらしい。

んが・・・ホントの肴もやってきた!!!

今の時節には珍しい、数百グラムの小ぶりなアオリイカの造り。

胴も耳も上等な味わいながら、右下のタマゴが絶品で、まんまイカ味のイクラである。

もちろん、イクラでもイケル感じ・・・(いやホント)

 

昨年10/1に泳いだとき、産みつけられた卵なら、もっと若かろう。 1年しか生きないわりに・・・なのか、

1年しか生きられないからか・・・とてもバラついているような生態である。

イカだけに、まイ〜カ・・・とか、イ〜カげん・・・と思いたくなりそうだが、生物的戦略を感じられる。

無論、ダジャレ的な戦略でなく、生存戦略・・・・・・じゃないかと。 ダジャレも捨て難い。

 

スーパーで売っているミズイカは、もはや2キロクラスである。 なぜかいつも長崎産。

右上のホタテ貝柱が5センチだったとしても、半端ではない大きさというのが判るだろう。

 

結局、運転手だから水でチマチマと刺身をいただきつつ、いろいろ話をした。

イカ刺しをもってきたのは、役場職員でルアーを営む釣有というか、職場の同僚というか。

明るくなった朝8時ごろの水揚げらしく、とはいえ、島の日の出は7時過ぎだから一応朝である。

さすがジモティーと感じてしまったが、わずか4キロ弱を遠いと感じる私もジモティー感アリアリかもしれない。

数百メートル先の釣り場があるから・・・4キロはえらい遠く感じていたり。

 

マチャァラ(=まつばら)の網元?のオジサンふたりが、すっかり馴染んでくれたのは、

役場のルアー仲間がいてくれたお陰である。 天城町の人らは、沖縄のような懐っこさはないのだ。

 

そうこうしていうるちに、夕の釣りする時間もなくなり、水でウダウダしてると寒くなったので撤収。

酒が入っていれば平気だったろうけれど・・・無念。

 

港に木造の屋根付きステージができたが、オッサンらの優秀なウダウダスペースになっているらしい。

休日の午後は、オッサンの社交場?というより、家族にトヤカクされぬノンベの憩いの場である。

 

ちなみに、イカ持ちの釣り仲間は小学生以下の娘さん二人を連れていながら飲むところが島らしい。

娘さんらからしても、うだうだ夕方から飲む父親は普通なんだろうね。

何れにしろ、オジサンたちは10時以降でないと黒糖焼酎が回りすぎて暴れだすことがないのを

すっかり学習しているのかもしれない。

 

月曜。

朝方はチヌのチャンス。 このところ食い渋るので、細いハリスにしてみることに。

いつごろ買ったか、何のために求めたか知れないライン・・・このごろ、記憶の脱落はメッポ〜順調である。

それより、ボラが一匹も入ってこない、魚が一匹もいないイノーは異様であった。

2キロクラスのチヌがビュン!とダッシュして通過したのみで、結局魚はチヌのみしか見かけないという

アリエナイ状況を味わった。 せっかくの仕掛けが意味ナシに。

 

昼には、北風がびょうびょうと。

いきなり10m前後吹きだした。 こうした極端な気象が日常になっている。

五十肩でもあるし、小ぶりなルアーを使いたいものの、竿がたたかれて釣りどころではない。

 

火曜。

未明から穏やかになり、朝から数メートルの真西の風に。

この大潮まわりは月面が遠いのか、潮があまり満ちないし引かない。

最後のチャンスだったが、竿を出せるほどの情況でないので、スルー。

凪いでいれば、30センチほどの水深で、イノーの釣りを愉しめただろうが、次の大潮を待つしかなくなった。

 

内地では、記録的な大雪で被害が収まっていないというのに、釣り談義とはユウチョウなものだ。

ただ、それはお互い様で、南国で台風被害のニュースの後、内地は自然に修復したと感じるだろうが、

全島で貧しい懐事情と、職人や物資の不足などがたたって、なかなか復旧しないことが知られぬままだ。

内地のアナタらが台風通過と同時に復旧したと信じているように、我ら南国の島からすると・・・

雪が止んだらもう平気と信じてしまう。 地続きなのに、雪くらいでナニしてるわけ?!くらいの勢いだ。

無論、雪を体感していない島民がほとんどだから仕方ない。

それは、竜巻一歩手前の台風をいつも味わっている島民の意識の裏返しのようなもの。

 

ここ数年の台風は、居座るタイプ。

食糧が届かなくなり、近海で勢力を増す台風を感じながらジワジワと締め付けられる恐怖は独特だ。

 

こうした双方の危機感を比較するようなことは、これまでのジャーナリズムでは行われていない。

もちろん、比較することが大切なのでなく、互いの意識が大災害の瞬間報道だけで、以後は薄まって

復旧まで遠くても、経済情報が優先することである。

こうした社会構造がある限り、互いにテレビでつながっているように念じているから、

自分たちは知り尽くしていると信じながら、認識の乖離が進んでいくのだろう。

マスコミやジャーナリズムがスポンサーありきなので仕方ないが、イイコトとは思えない。

 

かといって、防災最前線の役場職員の責任感は薄い。 1、2年でコロコロと人事異動があるからだ。

人情があついからこそ、今のところ救われている日本。 雪ごときで?震災同様の想定外を連発する自治体。

 

このごろボケ老人(認知症)が増えているのだが、若年化も進んでいる。

それらを閉じ込めずに寄り添うように・・・などと甘ったるい優しさをブチマケルのを美徳とする風潮があり、

否定する向きは私くらいなものだろう。

今はまだ余裕があるからダラダラつきあえるが、働く余裕もないほど10人に8人が老人になったとき、

初めて爆発するようなバカ社会になるのは目に見えている。

私から見れば、カワイイことや弱者を救う意識について、盲目過ぎるように見えている。

弱者を救おうとして、健常者が巻き込まれることこそ、摂理の狙いであるからだ。

 

私は摂理に対抗したいとは思っていないからスルーしてもいいのだが・・・

なぜそこま理性がバカになれるのか、知りたいのである。

っていうか、良心の呵責に弱すぎる社会が生まれるくらい、良心に対して従順になれるのか・・である。

これでは、社会性が弱体化につながっていて、進化の意味がない。

 

おそらく、これから遠くない未来、私たちは良心と信じていた事柄と戦うことになるだろう。

間近では英才教育を受けた、子供のテロリスト。 次は、ペットタイプの生物兵器。

さらには、子供たちの良心を刺激しながら、洗脳していくゲームソフトとか・・・社会性は意外に利用しやすい。

常々申し上げているように、ドラえもんがノビタ君を優しいと嘯くのを信じて育った世代が、現代のテイタラク。

繊細なだけで何もできない弱者を優しいと励ますなど、あってはならぬ暴挙である。

優しいだけでは何もできない。 優しいのだからどうするか・・・を示さないのは、ホメテのばすことにならぬ。

 

閑話休題。

私は摂理に従う立場なのだから、あんまりフツーの人らを刺激してはいかんな。

 

なんにしろ

私たち人類が最先端生物と信じていようがいまいが・・・生存を脅かす超自然現象が顕現している。

それはまだ自然のうち、と信じるのもよし。 どう思おうが止まらないから都合のいい解釈をするもよし。

正直なところ、私はこの夏秋の猛烈激甚な台風を生き延びられるか、まったく自信がない。

自動車に逃げ込もうが、役場に逃げ込もうが、竜巻にはなすすべもないからだ。

竜巻どころか、台風自体が激烈であれば、逃げるすべもない。

 

アナタは、目の前で猛烈に発達する台風があったとき、まわりに逃げない人らばかりだったら逃げられるか?

しかも島はそれ以前に、交通が遮断されているから、逃げ場はないのである。

 

私が南国に来て、もっとも恐怖を感じつつある意味が、わかってもらえるとは思えないが。

 

そうそう、いただいたブロッコリーもカリフラワーも10秒くらいサッとゆでた。

本来なら欧州のように生食したいが、コチラのナメクジやアフリカマイマイは広東住血線虫を有するからだ。

脳に入って最悪死ぬ。 沖縄では死者が報告されている。

これまでゆで時間を悩んでいたが、生食基準ならゴリゴリした歯ごたえを平然と受け入れられるのが不思議。

 

ブロッコリーはそのままマヨ+無塩ケチャ、カリフラワーは歯ごたえを味わえるよう、初めてマリネしてみた。

どこか汚れているのは、バジル。 カリフラワーにもアクがあるらしい。

それが酢と反応すると赤紫になるようだ。 漬かるほど赤っぽくなっていく。

 

ついでに

カリフラワーがブロッコリーより更に高価なワケは、カリフラワーは一回の収穫で株が終わり、

ブロッコリーはわき芽が成長して何度か収穫できるから・・・だそうだ。

栄養価は同等だが、高価なカリフラワーの方がビタミンの耐熱性があって、シチューとかグラタンに向くという。

 

これらをもらいにいったとき、ユーキォさんが言っていた。 もうアチコチで根腐れが始まっていると。

急に雨が増えたので、植えた当時は読めなかったのだが、寝腐れするとわかっていても自家用に植えただろう。

そのくらい、島の経済はもともと深刻で、笑顔で判り辛いだけである。

いやほんと、運賃やガソリンが安い沖縄の豊かさとは段違い。 車がボコボコなのはそのためだ。

公共交通もなければ、雨が多いし電動カートでは生活できないから軽に乗り続ける。

 

先進国ニッポンを前提にやってくるユネスコの連中が、徳之島を視察したときアゼンとすることは明白だ。

道には闘牛のウンコ、ヤブや谷あいには粗大ゴミの冷蔵庫やらテレビに家具、畑のわきには廃車が見られる。

これで世界自然遺産になるのなら、ユネスコのネタ切れの焦りが深刻ってことだろう。

 

ともあれ、きのうの夜は13度、きょうは18度だと、マルハチの羽毛布団の切り替えが大変だ。

きのうは厚布団、きょうは薄布団・・・ 内地からやってくると、寝具のチョイスも変わってしまい、面倒なのである。

私の体調やら不眠具合がビミョ〜なのは、そうした背景もあるが、至って精神的には軽くなっているのも確か。

せっかく慣れてきたところだが、いよいよ気象が激化して、甘えていられなくなりそうなこのごろ。


ではまた