ハイレゾ

って昭和

 


世間話っぽく

 

今週もまた、また台風である。 しかも、台風と熱低のコンボのあと、更に台風だ。

私たちが信じてきた科学の副作用が、とめどなく効力を発揮するようになった。

内地では、皆考える・・・なぜ急に・・・? 

その前、私が島に引っ越してからこちら、島では四季を通じてほぼ雨の日だったのを黙殺し、

今年は、また一歩温暖化が進み、内地へ台風ごと逸れただけのことだ。 急でもなんでもない。

と・・・結果から見れば、非情なわかりやすさがある。

作用があれば反作用がある。 台風の反作用もありそうだが・・・

もともと私たちが貯めた熱エネルギーの帰結だから、これが反作用。

あらためて、スゴイ時代になったものだと感じられる。

 

不思議と、北向きの風なのに、生暖かい風が吹き、暑くなった。

風向きは北だが、風の根元は南にあるのだろう。 また一丁&扇風機生活が蘇った。

いつまで台風が続くのだろうか。

 

内地は台風で野菜が値上がりしているという。

あるだけいいじゃん・・・

 

台風の前後で定期船が来ないから、一週間くらい生鮮品が品薄になる。 島の畑は毎度被災する。

震災の人らは、島の家屋のように雨漏りしない家に住み、台風がきたくらいで値上げで文句言える余裕、

島国根性は、やはり客観性のなさに窮まる。 島もそうだが、結局のところ内地も同じだ。

島に引っ越して、被害者面すんな!という向き・・・そりゃ世界的に見てもポン国内は恵まれすぎだろうよ、

気づけよそんくらい・・・と申し上げておく。 地球上には、まだQOLを云々する以前の生活者が大半なのだ。

 

こうした環境に陥りつつ・・・

経済という名の空米切手が行き詰まったら、そろそろ人類は減少に転ずるのだろうか?

経済とは、信用という意味でなく、価値だと書かれた証文が売り買いされていく、無価値の行き交う仕組み。

清算されない、なぜか舌先三寸で値打ちが変わる、貸し借りの連鎖。 正直私には意味が判らない。

ただ、野菜が100円で買えることを感謝するくらいしかできない。

100円だ、と刻印されたニッケルと、それ以上らしい価値を提供してくれる生産者の方に感謝するだけだ。

 

けれど、私の知らないところで、この100円だ、は、常に人為的に価値を変化させられている。

それはもう、アインシュタインが、時間や空間はしなやかで一定でないというのより、もっとわかり辛いほどだ。

あえて、動かない経済を意図的に揺さぶって変化を生みだすことで、変化そのものを価値化していく。

それはだいぶ無理があるように感じられてならない。

まるで貧乏ユスリで発電しましょう・・・のような奇行に思えて仕方ないからだ。

確かに、貧乏ゆすりも億人分だと、かなりの振動になる・・・という理屈を展開しているわけだ。

実際それで社会が動いているかのように思わせているとろが、経済の面白いところである。

動いているかのようにすることで、実際の貧乏ユスリの方向を制御しようとうするのだから、なお面白い。

 

ただやはり、そこでやりとりされる価値は、本当に価値として認めて善いのだろうか・・・と私は常に感じる。

 

災害が起こると、救援物資として、無駄にカップラーメンを送る人が多発する。

カップラーメンは安いから、安っぽい支援心で沢山購入して、支援したぞ感を救済するのに適した食品だ。

現実には、被災地で必要なのは1、2日だけで、三日目からは栄養が欲しくなり、食べたくなくなるし喉も渇く。

必要な支援物資の置き場をふさいでしまう、食べられないカップ麺・・・それが経済の揺さぶり似ているような。

あるいは、眺める角度を変えれば、使われない貯蓄は、変化を邪魔するお荷物・・・でもありそうな。

もともと価値の無いものから、有を生むには、変化を求めるしかないが・・・経済を道具のはずが目的になり、

何一つ生産されないのに、貧乏ユスリで価値だけが膨らんでいる社会・・・

 

くれぐれも、不思議で、少し先の未来も読めない社会になったものである。

技術的な進化は読めるが・・・そもそもそれは安全で安寧な社会が基礎にあってこそ、のこと。

 


 

ハイレゾとかDSD対応・・・このごろのオーディオ用語だそうだ。

CDよりクオリティの高い録音技術なんだそうだが、その自己満足の窮極感がすでに昭和らしい。

そんな無駄なハイスペックが必要かどうかでなく、もともとなんで4K動画とシンクロしていないのかとか、

小型のデジタルオーディオプレーヤーにかさばるヘッドフォンアンプを付加して無駄な苦労をたしなんだり・・・

そんだけ投資するのに、オーケストラの演奏会や、ジャズのライフハウスに行かないのだ。

客観性ゼロ、今更どんだけ自慰的な趣味やねん! とツッコミ砲台から撃ち放題。(涙)

 

それだけクオリティが高いのに、映像と音とが別々になっていて、どんなリアリティ?

釣具やカメラを揃えるのは、その先の目的があるが、ハイレゾは趣味と目的がほぼ同義に陥っている。

なんと窮極した趣味なことか・・・これほど哀しみあふれる技術応用を、私は知らない・・・

 

4K動画で、AV女優の剃り毛がビミョ〜にのびかけたのを、ムフフ気分でハーハーするのならまだしも、

サエナイ独身中年のショボクレ人生を、電車の中や寝床のひととき忘れさす道具のニオイが強すぎる。

 

ここアタリがありすぎるなぁ・・・

 

今は、人生が自由になったし、まわりには、鳥の声とか潮騒とか、風の音くらいしかしないので

むしろ自然の音の方が癒されるようになった。 昔は、音楽を聴くというより効く音楽を探していた。

気持ちがウキウキしたり、和んだりするような。

音楽も、睡眠薬同様に、すぐ慣れて効かなくなるから、またつぎを探す必要があったが、今は平気だ。

 

ここ20年くらいで、直線的に進化するのにも、かなり無理がある世の中になった。

たとえばパソコンの処理スピードも、ハイビジョン動画の編集には遅いが、その他の処理なら十分。

音楽はハイレゾに、テレビは不思議と昔の賃貸アパートを思い出すよな・・・4K動画が出現しているが

必要性も必然性もない技術である。 確かに、あと百年後には、もっと進化しているだろうが、

むしろ大失敗した3Dハイビジョンの方が、数段必要性も必然性もある。

 

不況になり、個人用デバイスを、小ぢんまりとたしなむ世の中になった。

テレビはむしろ、ガス風呂釜と同じように、家の設備系になるべき時代になったのだろう。

それにしては・・・見るだけなのに電気を食いすぎている。

だからといって、安っぽい未来映画みたいに、テレビに向かって家電のコントロールを話しかけたり、

遠隔の家族や友人とオシャベリするのとか・・・そういうのもまだ早い。

 

だからといって、ただ面白くもない再放送や再編集番組、テレビショッピングなどを視聴するのに

4Kもハイレゾも必要ない。

むしろ昭和のオーディオのように、ややぼやけてモッサリとした真空管アンプのたしなみ・・・

みたいな方が、今でも面白いと思う。

 

リチウムポリマー電池で駆動する、真空管アンプ式モバイルスピーカー・・・いいねぇ。

そんなのを陽だまりに持ち出して落語とか聴くのが、オッサンらしい文化の香りがする。

ハイレゾは、そのくらいニッチなわりには、妙な萌え具合の市場で、病的。

同じニンゲンなのに、萌えどころがわからない。

アナログのレベルメーターとか、真空管のほの明かりとか、視覚的なゆかしさもない。

合理的でないほど無駄に電気を食うハイレゾにあって、あまりにも無駄をそぎ落としたところに

より窮極さがプンプン臭って、ヘッドフォンアンプなどを見ると目を背けたくなる。

そんなのをムフフ的に購入し、狭い部屋に閉じこもってヘッドフォンやイヤホンして聴く・・・

どこをどう間違っても、憧れとか、カッコよさとか、男のたしなみ感とか・・・まったくない。

大枚はたいて修行してきたものの、冷やし系なダジャレみたいなもんだ。

 

音楽は、本来参加型の楽しみ、慰みであって、奏でたり、歌ったり踊ったりして楽しいものだ。

耳をそばだてて聴くだけ・・・ それは、お祭りの映像を4Kで眺めるような痛ましさが否めない。

それでなくてもゲーム漬けなニンゲンが多いのに、もっと不健康になろうとする趣味・・・

なんぼ曲がりきった根性の私でも、新製品の発表をチラと見てしまっただけで嫌悪感が募る。

 

ここ2年ほど、ハイビジョン同等のモニターのパソコンを使用している。

1920 X 1080 ドットの15インチモニター・バイオのことだが、最初は神経質なほどの細かさに

老眼が入った自分には無駄なハイスペックだな・・・と後悔していた。

なにしろ、解像度が高いと、相対的にギャオやアンタ管の再生動画が小さくなってガッカリした。

そのわりにはドットを多く消費するので、グラフィックパワーをやたら食われる。

 

今はどうか・・・といえば、ご想像通り慣れてしまった。

老眼の歯止めになっているとは思えぬが、明らかに役場で使用している24インチIPSが粗い。

カタカタした文字などが、いささか雑な作業環境のように感じられてしまう。

 

耳の方は、おそらく自然音に慣れているので、ハイレゾを聴くとすぐ慣れるだろう。

島は本当に静かなので、耳は自然と鍛えられ、ゴキブリがゴミ袋をあさる音とか、ネズミの声とか

半野生のような生活とあいまって、とても繊細に音を聞き取れるようになったから。

 

そこらに闘牛のウンコがどさどさ落ちているとはいえ、基本的には美しい自然の中で生活すれば

必然的に4K動画やハイレゾ感覚になるものだ。 だからこそ、なぜ切り離されているのか・・・が難解。

確かにデータが膨大になるだろうが・・・それは貧乏人志向であって、趣味性とは反対だ。

 

ま゛〜いづれにしても趣味は自慰jの権化なのだから、各々が聴きたい、心地よくすることが最善だが

半年くらい動かしていなかったら、グリスが固まったのか・・・動かなくなっていた。

少しずつ励ましたりスカしたりしながら、動くようになった。

動きが悪いのは、どうもカセットテープがかびて動きが重くなっているのが原因のようだが、

空回りさせても停まっていたから・・・グリスだろう。 30年もたてば固化するわなぁ。(汗)

 

あらためて、磁気テープが回転しながら音楽が再生される姿に感動する。

これからはやっぱりオープンリールだな・・・とか。 趣味の世界は不合理こそ至高であろう。

とはいえ、なんでもかんでもカビる島では、厳しい趣味である。

デジ・テレビすら壊れるから、デジタル化すればすべて幸せる・・・ということでもない。

 

ハイレゾの醜さは私の趣味の世界、料理と似たようなメンがある。(涙)

 

昨年の台風時に購入して、期限切れしてしまった熟成(ひね)カップ麺。

いわゆるチョイワル食材。

このところ、体のあちこちが痛く、不眠続きなために吐き気を催しやすいので、

なんとか吐かないように消費したい。

思いつきで、スープを後から入れてみただけ。

当然のことながら、無駄にキレがあり、見違えるほど澄んだ濃い味に。

これから冬に向かい、よりお湯の温度が下がりやすいから、麺に出汁を吸収されない分

お湯多めにできる。 しかもスープを飲みきらなければ、いつもより塩分ひかえめ。

コツといえば・・・冷たい粉末スープは仕上げで温度を下げてしまうので、

粉末スープといえど、フタの上に置いて鍋蓋や皿などをかぶせ、加温しておくこと・・・かな。

 

いつもの雑然とした吐きそうになる味は、最初からスープを入れるから・・・だった。

いやちょっと、どのカップ麺がもっとも効果的かチャレンジしたくなるくらいの変化である。

最もハードルが高いのは・・・当然最初から混じっている元祖チキンラーメンとカップヌードル。

さすがにコリャ無理である。

袋ラーメン麺では、麺をゆでるのとスープの湯は別々にするのが常識だったが、

この程度のことも思い浮かばないとは・・・カップ麺に対して、よほど前向きになれない自分に気付く。

粉末ソースも然り、ニッポンの粉末化技術は圧倒的に美味しい味を再現できるのだから

カップ麺は突出して技術を活かし、磨いてきた先端であるから、美味しくて当然ながら・・・

麺の油が溶け出た湯に混ざり、麺も具もスープからもそれぞれの味が出て交じり合うために

雑然とした味になってしまったのだ。 なんともったいない・・・

 

無論、湯切りし、スープを加えて湯を注ぎなおせば、抜群のカップ麺になることは間違いない。

 

これまで、いろんなことがあって、完成されたカップ麺だが、完成されたあとも進化し続けて

麺もスープも、完成されたはずの20年位前より、段違いに美味しく進化している。

それに気付いていれば、たとえ安っぽい粉末スープであっても、調理法を変えるべきだったのだ。

 

音楽は音質でなく、好ましさと共感にポイントがある。

ハイレゾはリアリティでなく、やはり聴いたときの満足感であり、好ましさに窮まる。

わざわざカップ麺を嫌いながら食わねばならないのを、ヘリクツつけて美味しくする必要もない。

150円くらいのものなんだから、捨てればいいのだ。

 

社会性で暴走する生物として、なぜ社会性を無視して、自慰に窮極するのか・・・

往き過ぎた社会性はそもそも生物の個性を失わせるため、その反動から利己の局地、自慰に戻るのか・・・

 

さらなる窮極するとすれば、ヒトの感覚そのものは、正確性でなく記憶や思い出の中にある印象が最重要だ。

絵画しかり、デジカメの派手な色合いしかり、ポップスのギンギンドンドンした音色もしかり、

モコモコした真空管アンプやカセットテープの録音しかり。

 

いまさら先端テクノロジーを趣味に反映させるならば、もう少し昭和のようなニンゲンらしい無駄さを、

聴覚だけでなく、五感やあるいは六、七勘?にまで気付かせるような、一見無意味な味わいがあってもいい。

無駄に放熱性の良さそうなヒートシンク・デザインにしてみるとか・・・アナログメーターをつけてしまうとか・・・

コンパクトフラッシュカードを何連も装着できるとか、ただのブラックボックスや板から脱しないとワクワクしない。

 

そんな折、アップルの新製品が発表された。 バイオがやばいので、マックブックもアリだろう。

デスクトップは小型化して円筒形になったが、他のノートやパッドは、一段とそっけなくなった。

パッドは仕方ないとして、ノートの廃熱の悪さは定評があるというのに、もっと薄くしてしまった。

高性能とスマートさを両立する・・・というアップルの姿勢はわかるが、新たな円筒形デスクトップのような

高速系進化を形にしたような、薄型でないノートがあってもいいような気がするし、

デスクトップ用の8コアCPUを搭載してガシガシ映像を編集できるような機種があってもいい。

 

残念ながら、私の使っているバイオの高速性は、次世代には引き継がれず、小柄なモバイルノートに搭載された。

映像や画像のプロの場合、15インチ以上は欲しいのだが13インチが最速化され、15インチはホーム用になった。

バイオの速さはCPUではない、クアッドSSD(四連SSDによる、RAID0の内部構造)がウルトラ速いのだ。

ノートパソコンの中に、RAIDが入っていることは感動を越えるほどの革新なのだが・・・ほとんど認知されてない。

そうした機能がアップルにも欲しい・・・ そっけないデザインだけでなく。

 

ついでにツッコミさせていただくと・・・今度のバイオは11、13がバイオプロとされている。

プロ用モバイル? 何のプロ? といったスペックで、高速CPUに先の高速SSDなのに・・・画像・映像用の

GPU(グラフィック用の専用処理プロセッサ)が内蔵されていない・・・薄型にしたからCPUとGPUを

同時に冷却する廃熱ユニットが入らないからだろう。

空気抵抗を極限まで減らしたF1を造ろうとしたら・・・エンジンが納まらなかった・・・ようなもの。

 

ということで事実上、我が家にあるバイオが15インチ世界最速?レベルに君臨しっぱなし・・・となる。

世の中、うまくいかないなぁ・・・

 

閑話休題

 

密かに孤高の感覚を得たいと、無駄に志すには相応しそうなハイレゾのオーディオ。

趣味として愉しそうではあるものの・・・アップル同様、デジタルだからといって、音の再生以外はそぎ落とす・・・

というのは寂しい限り。

 

ハゲはハゲなりに、いろんなハゲ方があるように、無駄なハイテクノロジーにも味わいがあるはず。

いささか味付けが欲しい気がする、趣味人の今日この頃。


今回もアップロード期日の水曜に遅刻したので、念のため報告。

台風27号での我が家の被災はなし。 町内は南部を中心に停電が続いている。

直撃していたらどうなったことか・・・昨夜はあまり眠れなかったから、目がヒクヒクだ。


ではまた