だいたいこんな雰囲気で

 


世間話っぽいの

 

このごろやっと、パンツ一丁生活で扇風機を回さなくても過ごせる朝夕になった。

ただ、飯を食うと・・・その熱量が直線的に体から出ようと、脇や肩甲骨のとこ、オッパイの下から汗になる。

泳ぎに行きたいが、連週台風の影響を受けて時化、それどころではない。 釣りもだ・・・

 

アイフォンは、ポン人にとってはアイホン社があるのでアイフォーンとか言わなきゃならない。

知ってた? こんな無駄なことをたずねたら、彼女に嫌われるだろう。

 

アイフォンがスゴイ勢いらしい。 ポン人は娯楽が足りないか、ストレス解消にお買い物なのかもしれない。

私は昭和のオッサンだから、どうしても電話用途が優先するから、強度のないガラス張りの端末は願い下げ。

島では通勤時間はマイカーなので、トランスミッターで音楽再生するか、顔本の更新などに使うのだろう。

もちろん、ブラウジングも。 なんといっても今年のトライアスロンのためにクロッシーが導入されたしね。

ほか、島の反対からバス通学する高校生には人気に違いない。

 

ジョブス氏も亡くなり、そろそろ世間の理想像を描くことのできる御仁がいなくなった。

しばらくは、つまんない工業製品ばかりになってしまうかもしれない。

アンドロイドの名が示すように、これからは認識技術を向上させて、端末を経てメイドロボを目指すことになる。

ゆくゆくは男女の関係に割り込むほど精巧で、ニンゲンよりもイイ〜セックス機能を搭載した擬似夫、擬似嫁な

アンドロイドが流行るだろう。 なにしろメンドクサくない上に、理想的な外見も選べるし。

つまりそれは、増えすぎた人類の繁殖能力を減少させる、社会性特化型生物への摂理の働き方である。

私達が、害虫の毛虫を排除するために、雌のフェロモンを出す紐を張り巡らせて、雌と交尾させない・・・

アレとマッツイ(@やまぐち、真対=まったくおなじ)なメソッドである。

 

ただ、繁殖より社会性(資本主権)を信じるあまり、子育ての徒労感に嫌悪する方向に人間が動くのは

仕方のないことなのだろう。 要は、カネあってのキズナに過ぎないのだ。

 

そうそう

といったような気軽な切り出しでいいのかわからぬが・・・

もう2年くらい、結核のような症状が続いている。 年中咳が止まらず、タンというか鼻汁が喉に落ち、それを吐く。

年中咳払いしていて、自分ではもうオッサンが朝に響かせるエ゛ッへぁ゛ー!と、タンをはくような振舞いを

繰り返し続けていて、すっかり生活の一部になっている。

 

おふくろ様が皮膚結核を持っていたので、本ちゃんの可能性はアリアリだ。

正直、役場の周囲の人らが、わりと咳をしているので、気になることもある。

季節を問わず咳が続き、食欲もなく、疲れやすい上、寝汗をかく・・・そのものだ。

しかし一致しなくて、M的にいささか悔しい症状では、タンでなく鼻汁が喉にたまるだけでタンではない、

食欲がないわりに、食べ始めると反動で食ってしまうのか・・・さっぱり痩せる気配がない。

 

これでは

島の超デザイナーでシステムコンサルタント、悲運の動物写真家・・・時々料理研究家・・像を目指せそうにない。

然るに、カビの多い風土で、気管支アレルギーが加速した、咳ばらいばかりウルサイおじさん・・・でしかない。

 

ことばの調査のことをラジオで聞いた。

キンキンに冷えたビール・・・はビール好き専用のような新語で、逆にビール好き優先にしては普及している。

たぶん、コンコンでなくキンキン音のする凍結バナナで釘を打つ音の印象が、脳裏に作用しているのだろう。

 

サクサク動く・・・というのは定着していないらしく、サクサクは不思議な表現で、私にも期限が判らない。

ただ、わりと使う。 ただ、違和感も大きい。

サクサクはチョコをサンドした美味しいウェハースの歯ごたえにのみ許され、動きとは違う感じがするのだ。

 

怒り、心頭に発す・・・は、現代と古代の異なる社会性によって誤解というよりも、意味が移行トしたコトバである。

心頭に発す・・・は、許せない言動に対して激怒し、心頭に(よって)怒りを発するに至る、が短縮された感がある。

我々は、コトバが生まれた社会より複雑になった社会に生き、怒ってはならず・・・怒りが心頭に達するほどの

ネチネチした状態を示しているように感じられる。

古来のコトバは、読み書きできる有力者によってのみ記載されてきた記録。 上から目線が本来の主旨。

おおむね、昔のコノヤローは、単なる堪え性のない有力者の、無体なヒステリーだった。

が、あまりにも有力者は力を持ちすぎていたので、わがままに気付かず、ヒステリーは増長して、

このような・・・みじめなコトバが残ってしまったのかもしれない。

現代のM主体社会では、これだけ我慢してやったのに、もう我慢できね〜!

コノヤロー死ねバカアホクソチンウンコタレ!が集約して、我慢してやったのに、もう許さん!というコトバに進化。

NHKもそのくらいの見地を、コメントしてくれると解かりやすいのに。 受信料はムダっぽいぞ。

 

とりつくシマでなくヒマ・・・と感じてしまうのは現代人として正しかろう。 シマでなく時間的なイトマがないのだ。

ややこしいから、とりつくのにヒマが必要・・・と考えたわけだ。

的を得る、これもなかなか言い得て妙である。 狙おうにも的がない・・・的外れ以前だよ!という使い方。

伝家の宝刀、を、天下の・・・コレはない。 宝刀は、すべて天下に存在している。 天下一の宝刀・・・のバカん違い?

ほか憮然・・・なんてのも、おそらくブス然とした顔・・・として使われていて、ガッカリとは知らないだろう。

何れも、調べずに単に耳で覚えたコトバを、直感的に使った結果だ。 私とて、すいぶん勘違いしていた。

いわゆる、重いコンダラを引いてグランドをならす・・・巨人の星的なアレだ。

 

コトバも文化も、環境が変われば自体が変化するから、意味が変化することもアリだろう。

ただ、古来の使い方も、どこかに記録しておくことは必要だ。 せっかくの文化だし。

チャンネルをまわすとか、電話をかける・・・とか。

おそらくコンピューターが枯れた技術になれば、そもそも1度起動したらケータイのように再起動しない機器になる。

パソコンを起動するとか・・・そういうのも特殊言語になるだろう。 再起動するなんて、だめコンピュータな時代は来る。

ま゛〜マイクロソフトだから当面無理だろうが。

 

家事アンドロイドが暴走したので、警察のアンドロイド鎮圧隊が捕獲しシャットダウン・・・とか恐ろしいぞ。

埼京線が、最も強いJRだったり、楽天が、手軽な天ぷらのように感じるのは、誰しもあること。


 

さて、本文だが・・・やっぱりちょっとネタがない。

鳥ネタもイマイチだし、ヤケに体がだるくて半日しか活動できない日が多いのもある。

 

内地では、かなり涼しくなったようだ。 こちらも扇風機なしで過ごせることが多くなった。

あるいは内地に台風が行くようになって、今年の晴れの日の多さは異常なほど。

内地に台風が行くと、適度に雨が降り、晴れが続く。

 

かわりに、太平洋側に波浪が続き、強風の日が続くから、風裏とはいえ、竿をたたかれたり、

レンズをボンボンと揺らされたりして、私の活動には芳しくない。

とはいえ、シトシト降っているより晴れていること自体、かなり幸せでもある。

カビも来ないし、100円作物だってそこそこ出回っている。

惜しむらくは、突風を伴った通り雨がやってくるので、窓を開けていたらアウトであった。

無論、閉めて出かければ、コンクリ屋根が日射で熱くなり、家中で岩盤欲放題となる。

スリット状態でビミョ〜に数センチ開けておき、風が通りさえすれば部屋干しもカラリ仕上がってくれる。

 

上の写真は

鹿児島〜沖縄への日々の定期船が、島の西側にある近所の平土野(へとの)に入港するところへ

北風に向かって鹿児島からの航空便が着いたところだ。

大型定期船や、航空便を身近に生活しているなんて・・・局所的には非常に都会的な町である。

通常、定期船は徳之島町の亀徳港へ入港するから、こちらにくるのは例外的。

亀徳港に車を停めて出かけた人らは、エライコッチャなのである。

 

ま゛ しかし・・・奄美大島でUターンとか、スルーしないだけマシなのだ。

 

このところ、メディアに接することが多い。 コチラからでなく向こうから・・・

都会にいたら、砂の一粒のような人生が当たり前だが、小さな島では取材されちゃったり

依頼されちゃったりするのだ。

 

タレントさんである。

JALで1.5時間以上フライトする南方向け空路で流すビデオを制作するという。

当然ながら、我が家にはテレビがないから、ネタとかは知らない。

パッさんの方は、NHKの英会話で見かけたような気がする。

マッさんはダレ・・・?だった。 ただ芸人として大切な声のデカさは、なかなかのもの。

天賦の才能?かもしれないが、本人は大したことではないと思っているだろう。

大声は、そうそう自然に出せるものではない。

 

実は彼らは、このカニの多さに気付いていて、かなり食いつきがよかった。

ただ、私はボランティアで、テンションは低い。 しかも、もともと出演しないつもりだった。

というわりには、キッチリと黒頭巾でガイド姿なのが不思議だが・・・

 

現場では、ただシオマネキと答えておいたが、トリトリデッキのまわりにいるほとんどがヒメシオマネキだ。

なんでも知っている風に気取るのもいいが、もう若くないので、知識の制限をかけておいた。

このあたりの動植物は、ほぼマスターしているから、何でも知ってるオジサンも可能だが、

正直なところ、口笛ガイドやヘビガイド以外は、イマイチ気が向かないから、ムダに知名を上げたくない。

めんどくさいボランティアが、あちこちから飛び込んでくるからだ。 依頼は当然、当日に来る。

下見もしないでガイドをしてはいけない・・・それが私の、なんとなく信念である。

自然相手に、単なるわがままニンゲンの勝手に合わせた臨機応変・・・は考えるだけ無駄である。

死んでもいいなら、別にかまわんけど。

 

そんなわけで

島のなかで、誰かより多少長けていることがあれば、依頼が来てしまうのだ。

しかも、限りなくボランティアである。 メンドクサイこと、富士山の如し・・・

ハブの島でガイドすることは、その辺の街のボランティアガイドとは、ワケが違うわけである。

集落だから、ハブは居ない・・・なんてことはなく、むしろ森よりもネズミの多い集落周辺や

とくに牛小屋のまわりはキケンなのだ。 だからどうした・・・だが、私はハブに毒を注入されたくはないし、

一度でも客に、そのような体験をさせたら、ニンゲンが終わりそうな気がしてならない。

 

もうひとつのボランティアが、身を切るものである。

以前こしらえたポスターだ。 その時点では、一応デザイン料をいただいた。

関東の方々は、足を運んでみて欲しい。 もちろん、私の写真も多少ある。

QRコードも読めるが、多くを期待してはいけない。 スマホ対応でもないし。

 

このポスターはもともと、キレイなだけでなく、写真そのものの意味するポテンシャルを引き出すもの。

上の青空バックの井之川岳は、徳之島随一の固有種の宝庫で、今はいささか危機的で徳之島を象徴。

女性にも男性にも興味をもってもらうよう、ちょっと女性よりでユリやラン主体のイメージにしてある。

そうして最後に右下へ視線を運んだときに、え゛?!となる仕掛けである。

 

一応解説しておくと、井之川岳の下に左から、カサブランカの原種であり、大輪のウケユリ、

トクノシマトゲネズミのジャンプ! これは非常に貴重。 超絶写真好きな歯科医の先生の作品、

そして海中にただようコブシメ(巨大なコウイカ)、その下にはナゴラン。

ここまでが一般人向けの視線を意識したもの。

 

右隅の4カットは、ちょっと驚かせるもの。

ブルーメタリックの甲虫は、アマミハンミョウ(通称みちおしえ)の徳之島バージョンのみがブルーになり、

ウーパーノレーパーみたいなのは、ほとんど人目に触れたことのない、自然状態のイボイモリ幼生、

キツイ目つきなのは、徳之島にしかいないオビトカゲモドキ、最後に派手さでギョッとさせつつも、

ほっとする小鳥・・・アカヒゲで締めている。

 

小ぶりなイボイモリ、オビトカゲモドキ、アカヒゲは私の写したものだが、他の作品は島の有志からお借りした。

このポスターは、とてもフツーにはこさえられない作品に満ち満ちているのだ。

 

それだけに、今回の文字編集は、画像をなえさせないよう細心の注意を払った。

 

一方で

なにしろ島は高齢者こそ先輩であり、無駄に巾を利かせている連中であるから、ネットなんて無理だ。

当初、あれこれURLを記載するように・・・とか、細かな国連大学の住所の指示があった。

都会に生活したこのないシマンチュにとって、都会生活は想像を超えているから、仕方あるまい。

 

ネット常習者が、URLを入力するなんて、アリエネ〜ってのがわからない。

場所を知りたければ、国連大学を検索すれば早い・・・という発想そのものがないのだ。

島はクレグレもそういうところなのだ。

こんなところで、得意でもなかった都会生活が活かされようとは、思ってもいなかった。

 

そもそも都会で、ネット検索も使えないようなご老体が、PASMO使ってバスと電車、地下鉄を乗り継いで、

渋谷に到達しなければならぬことは、想像の外側に存在する事柄に違いないのだ。

 

当初はゴチャゴチャだったけれど・・・私もさすがに切れてしまって・・・都会対応にシンプル化させてもらった。

指示には、会場の住所と番地があった。 幕張の場所がわからないやつが、行くだろうか。

あるいはその時に番地が必要だろうか・・・という想定ができないのだ。

無論、島では番地はあまり意味を成さない。 地籍自体がアイマイだからだ。 手紙は名前で届く。

 

駅なかで、すれ違いざまに視線を運ぶような土地柄と、ネット前提でなく、じっくりとチラシをジロジロ視る

島のジジババ環境とは、デザインの指針が変わるのは当然である。

視線のやり場と、記憶に残りやすい印象的な文字列を選択してレイアウトして仕上げておいた。

もともと島内向けのデザインでない。

 

ただ、島でこそ暗黙なこともある。 イチイチ展示施設の住所も電話番号も入れる必要などない。

ユイの館、ほーらい館、文化会館なんて、電話番号を問う方が間違っている。

そうした常識を踏まえたりしながら、日々作業しているわけだ。

 

ど〜でもい〜が、印刷が上がって掲示するのは一ヶ月前を切っている。

それこそが島時間である。 島では一ヶ月前では、覚えていない。(涙)

5日くらい前に通知し、前日に歳通知して、やっと覚えるような社会だから、常識も様々である。

 

もうひとつ種明かしがある。

いのちつながる徳之島写真展の形状は井之川岳の傾斜に沿っている。

 

生物多様性などは常識的でつまらないから、インパクトのあるコトバを、あえて改行して

大きく、そして徳之島を目立つよう、清々しい青空に配したのに・・・ この状態だ。

清々しい≒派手なことは島ではフツーなので、自分たちの風景がいかにグレイッシュでないか知らない。

この空の青さと島にそびえる山の意味がわからないから、つまらぬ文字列を上書きしたくなってしまうのだ。

生物多様性なんて、頭でっかちな都会人にとっては一般的なことでガッカリな内容でしかない。

シマンチュも知らない生物の写真展・・・とかなら、ちょっとイイカンジである。

 

正直、いろいろやれやれだが・・・私もよる歳並みに説明がめんどうなのでサボった。

勢いで何事も運ぼうとする人らを口説くのは、メンドクサイ以外のナニモノでもない。

豆腐をこさえようとしてるのだけれど・・・ちょっとまって、お酢を加えたら健康にいいんじゃない?みたいな。

だって酸は大豆タンパクを溶かすじゃん・・・のような根本の間違い発想ながら、アイデアにする体質なのである。

つまり島では、押し倒してナンボなのだろう。

 

口説きの一言もそうだが、コトバでは力押し・圧力でなく、静かに気持ちのこもった一言である。

私には口説きは無理だが、デザインは別だ。 テンコモリほどわかり辛いものはない。

 

それはそうと、日曜休館なGEOCという組織・・・クセがテンコモリだね。

自分たちも、カタチだけでもキリストを礼拝に行こうというのだろうか? 家族の団欒?

家族の団欒なんて、定時でキッチリ帰られる仕事量をこなしていれば、問題ないレベルの矮小なことだ。

確かに都会は土曜が休日の中心だが、展示スペースで日曜休日・・・そりゃ常識的に閉鎖だろ。

と思ったら、近々閉鎖らしい。

 

NPOだから甘えていい・・・もうニッポンは、そんなに甘い社会ではないようだね。

 

そういったわけで、島風でありながら、どこかアカ抜けなさを残したスマートさが渋いデザインなのだが

その達観は、もともと都会嫌いな私にとっては遠い事柄でありつつ、やらにゃならん事でもある。

ボランティアでやる必要などまったくないので、脱力しながら取り組むのも、なかなか愉しいものだ。

ゆるゆる都会生活を思い出しつつ、なんとなく取り組む感じ。

無論、先も述べたように都会の常識的猶予はないのだけれど、依頼主がノンビリだから、私もノンビリだ。

 

勉強になってしまっていいのか、ビミョ〜な事柄ばかりだが、経験とはありがたいものだ。

それに、煮詰まったら気晴らしするところは沢山ある。 風俗はないけども。

 

関東の友よ、かの日に写真をみて、ガッカリに勤しんでくれたまえ!(笑)

多分、世界が違いすぎて、スゲー写真なのに理解不能だと思う。

基本的に島で撮影している人らは派手さに慣れっこだから、美しさでなく驚きを起点にして撮影を始める。

なにしろ、写真展にある写真は、いろんな意味で徳之島でなくては撮れない写真ばかりなのだ。

 

あ゛〜しかし、もう少しシビレルような快感を味わう展開が欲しいが、

なぜか内蔵が調子悪く、先日地を吐いたか?と思ったら、どうやら喉の方にできたデキモノが

破れただけだったようだ。 食欲もないのに胃腸が悪いとは、ナンテコッタ。

釣りにいこうにも、魚を味わえるだけの胃力(いぢから)がないとは、無念であった。

 

あれこれあるが、いまさら急ぐ人生でもなし。 ゆるゆる生きられる幸せ感は、替え難いよ。


 

ではまた