帰省の情景

 


日課である。

朝は8時前にモコモコ起き出し、雨戸を開ける。

テレビをつけてNHK・Gチャンネルのデータ放送で天気予報とニュースをチェックする。

やがて、オヤジ殿がポストからとってきた新聞、やたらパチンコ屋のが多い広告も一応目通し。

そうしているうちに、おふくろ様がアツアツの朝食を用意してくれるので、冷めないうちにいただく。

オヤジ殿は私以上のヘンクツだったようで、ハミガキやヒゲソリがヤタラ長いのを待てないので

朝食後の茶を飲んだら、素早く歯磨きに赴く必要がある。 ヒゲソリは、夜の風呂で済ませてある。

 

グルーミング後は自由時間。 というか観察時間。

大気がやや温まるころにならないと、鳥の活性も上がらないから、うだうだしてから出発。

ジジババが増えたから、平日から散歩する人が増えた大仏山公園には、ルリビタキがいるが

大声で無駄口を叩くジージーズ&ババーズのお陰で、地鳴きは聞くが出てこぬ始末・・・

世の中は、ジジババが増えると、増税以上の様々な面倒が増えそうな予感がする。

金は払えば何とかなるが、ジジババは世話がかかるし、災害になれば足手まとい。

 

昼飯にはキッチリ昼前に戻らないと、ヘンクツオヤジ殿の空腹パワーが爆発し、不機嫌になる。

昔からオヤジ殿は、さしたる運動をしなくても、やたらキッチリ空腹になるようで

飯の量も、空腹感もあまり昔から変化していない。 然るに、空腹感にすら逆らえぬ幼さも感じる。

食事量のコントロールは難しそうで、おふくろ様もサラダを大量にこさえてカロリーを抑えたり、

いろいろメニューに工夫しているようである。

戦中派にとって、空腹は苦悩で、精神的苦痛やトラウマに近いのかもしれぬ。

反面私は油物や肉をサッパリ食わなくなったので、食べたいものが思い当たらず、胃腸も不調。

少量を、ゆっくりと味わいつついただきたいものだ・・・

 

伊勢の夕は早い。 暮れは午後5時すぎで、関東よりは10分くらい遅めではある。

3時過ぎには、冬の昇りきらぬ陽が傾き、陰がゆらり長くなってくる。

(島ではもう、この時期だと暮れが遅くなり、6時ごろ暮れる)

内地にいたころは感じなかったが、冬の陽は白夜に近いのではないか?と思えるほど低い。

午後は、あまり眠り心地のよくない寝床のために、たいそう眠く、食後油断していると・・・

2時ごろに観察へ出発となる。

するとたちまち影が伸びて、画素数多め、感度低めの一眼には、ノイズでボンヤリした画像しか

記録されなくなっていく。

 

反面、暖かな陽だまりは陽だまりで・・・地表の陽炎が思いのほか強かで、

ハッキリと見えていているのに、揺らいで写らぬこともあったり。 冬の伊勢はナカナカ面倒。

 

4時には撮影が限界になるので、早々に帰宅するとすぐ風呂。

4時過ぎに風呂は贅沢でもあり、なんか年寄り風情漂う気もする。

風呂に入ること自体、大変なご馳走である。 30分くらい風呂に入ることにしている。

なぜ風呂が早目かというと・・・これまたヘンクツのためであった。

オヤジ殿は風呂を使った後、壁をふいたり、床にスクレーパーをかけたりして磨き上げる。

平成16年に建造された実家だが、風呂は新築の頃のままピカピカであった。

ゆえに、オヤジ殿が最後の風呂に入ると・・・1時間以上でてこないから、

6時に夕食を摂りはじめる仕来たりに間に合わせようとすると、4時過ぎから入らないと

間に合わぬことになってしまうのだ。

歳をとるということは、ヘンクツになり融通が利かぬということは間違いないと痛感する。

 

私の夕食は非常に長い。 そのわりに量は少なめだが、実家は量が多く時間が短い。

しかしながら、私の夕食は2時間より短くならないので、ゆっくりのんびり晩酌を愉しむことを

強要することにしている。

肝炎をやってしまったのと、後片付けのあるおふくろ様には気の毒ではあるものの、

せっかくこさえてもらった大量の馳走を、酒でバサバサ胃に流し込むのは忍びない。

そのあと、大好きなテレビも視ないで、皿を洗うおふくろ様も忍びないのだけれど・・・

 

夜8時すぎ・・・一日のイベントを全員が終えるのであった。

眠い目をトロテレリンとさせつつ9時半すぎまで視ると、自然に限界が訪れる。

寝入るかどうか別として、床に就くのは午後10時ごろである。

 

馳走に腹が張って寝られぬときは、ケータイのワンセグでドラマなどを視て過ごす。

島では曜日がない生活をしているので、いささかドラマの放映時期がわかり辛い。

週末、夕方のニュース番組の構成が変わったことで、あ゛〜週末なんだ・・・と感じたり。

 

ことごとく、浮世離れしたような我が身を感じた瞬間でもありつつ、意味不明なテレビリズムに

踊ってない、自然に任せた脈動に生きていてよかった・・・とホッとしたり。

 

10時ごろに寝入る生活・・・豊かさとは、そういうタイミングについてもアリかな・・・と思う。

ただ多数の物品に囲まれた生活では、心身が満たされないのは仕方ないことだ。

現実の時空間、心の時空間ともに満たされていくこと・・・だろうか。

 

本来の生物は、楽で豊かな生活を目指しているものの、現実には常に危機に臨んでいる。

ダラけた生物は狩られて食われて絶え、ビビッて生きる生物だけが生き残っていく仕組み。

満足が得られてしまったら、進化のないダメ生物になってしまう。

が・・・イルカやボノボなど、一部の動物では憩いを知っている。

ゆるむのは、悪いことバカリではないのかもしれない。

 

寝入ろうとすれば、ずしりと重い真綿の布団が体を責める。

10キロ以上のオモリを持って散歩し始めたからか・・・理由は定かではないものの、

仰向けで寝られていたころはイビキを激しくかいていたが、今は舌が喉をふさいで

息が止まるようになったから、横を向かないと息が詰まって眠れない。

横を向けば、肩についた肉が邪魔になり横向きの姿勢が保てないし、

布団の重さが下になった肩にのしかかって、肩関節が痛くなる。

はたまた胸にあるAカップの筋肉を圧迫して、呼吸がし辛い。

不眠症を抱えている上に、体つきで寝辛い情況が続いて、昼食後の眠気の強さは一入だ。 

 

夕食にいただいている純米日本酒は、私にとって悪酔いしやすい酒だが、

程よい量のためか、重たい眠気を更に後押ししてくれ、寝つきは悪くない。

 

ネット環境がないから、メールチェックなども最小限で、それはそれで早寝しやすい気もする。

ブログの更新に費やす時間も短く、書きたい気持ちは物足りないものの家族との時間は長い。

 

幸い、横浜ではまだ吐き気に襲われて咳き込むことがあったけれど、伊勢に来てからは無い。

いや正確には、帰りの朝までは無かった。

 

横浜では、ことあるごとに友人らから嫁だの彼女だのをこさえろと諭されたが・・・

ちょっとしたことで、吐き気が続く恐怖を思えば、心の動揺を抑えるために恋愛心を

催さないよう、深層心理が心の見当を選ぶのも無理はない。

正直なところ・・・ここ6年くらい、女性を見てドキドキしたことはないし、したいとも思わない。

いや、恐ろしくて思うことが出来ないというのが正直なところだ

ジタバタ悩むと体も生活も壊れる。

眠くてだるく、仕事もろくに出来ないのに、これ以上の面倒事は勘弁してもらいたい・・・と、

心の底から込み上げる日々なのだ。

 

夜、来客用の座敷で寝る。

以前はコチコチとうるさい時計でヘコタレたこともあったが、今は遠ざけられた。

一階だから、用心のために完璧に雨戸を閉るし仕来たりで、さらに出入り口2ヶ所の戸を引けば、

完全な闇になる部屋だ。 朝も陽光を感じることはない妙な環境である。

暗闇は寝やすいけれど、朝が来ないでは、眠気で体内時計が狂った私にとって

いささか厳しい環境である。 トイレに行くのも少々面倒なくらい闇。

無理に起きて、冷たい雨戸を拓くとき冷たさがなければ、とっくに寝坊・・・であった。

座敷のすぐとなりがリビングダイニングなので、うるさくてそうそう寝坊はないものの

閉鎖空間が苦手な私にとって、雨戸は台風のとき以外は使いたくない嫌悪感のある設備だ。

道路も座敷もスミッコなど嫌いで、真ん中の方が居心地がいい。

時空間とも、自由度が高くないと、私には嫌悪感が湧いてしまう。

反面、闇には広さが無意味になるから、闇は歓迎でもあった。

 

そうして、肩や体のアチコチが痛い夜が深くなる。

だるく寝る時間が長くなると、体中の筋肉が減って、間接に負担が集中するからだ。

無駄に発達した肩まわりの飛び出しで、横向きの姿勢が保てない、しかしながら

仰向けになれば、舌が喉につまって息が止まって苦しくなる・・・を夜な夜な繰り返す。

 

せっかく眠気はあるのに・・・苦しい夜は続いている。

不思議なことに、冬も特定の場所から汗を書くことが多い。 喉もとと手の甲から汗をかく。

普通、手の甲から汗をかくことは酷暑以外になさそうなものである。

 

ふと夜半に気掛かりを思い出したりしたら、全身が瞬く間に暑くなり、体温が下がるまで

気を落ち着けるしかない・・・といった夜は島で滅多にないが、実家では多かった。

心の動きが何倍にもなって、体に出てしまうような感じがする。

思い出したくないことは、繰り返し思い出してしまって仕方ないもので、夜はすぐ明けていく。

 

私にとって夜は、制御できない自分と向き合う時間である。

 

こうした現象は、私の中では整理している。

もともとキモッタマが小さい+極端に部分的な潔癖症?

→気になって眠れない

→気になっていることが、さらに眠れなくなった時期があった

→規則正しい生活ができなくなっていった

→精神的に折れかけた・・・か、折れかけたか・・・か、曲がった

→横になっている時間が増え、体内時計が狂った

→朝、体が正常に体温を上げられなくなった

→日中でも体の体温が上がらなくなった

→ここ2年ほど、夏も冬も咳が止まらない・・・体温が下がり免疫力が落ちた

→寝ている時間が延び、自律神経が狂ったことで、空腹感が麻痺しはじめた

→自律神経が狂ってきたので、昼夜とも体温の制御が時折狂いだした

→自分の体の異常との対話が生活主体になってしまい、その他はオックウに

→新陳代謝がかなり少なくなったから、肉なども必要なくなった

→他人からの依頼で仕事したりすることが、後回しになるようになった

といった具合に、テゲテゲ度が増してきたのにも意味があるようだ。

 

横浜〜伊勢にいる間にずいぶんと肥えた。

代謝量が減った体に、脂分や肉質はあまり必要ない。

性急に痩せようとする必要もない。

雨続きで運動量が減る冬、合羽を着てケトルベル散歩すればいい・・・簡単なことだ。

ただ、全身がだるく、オックウで、朝が遅い南国では、起き辛いのが大敵なだけ。

 

もう帰ってきたのだから自由だ。 無理に油物も肉も食らうこともない。

肉類は口にすると美味いが、献立にイメージするほど食べたいという欲求はない。

あまり、体が必要としていないのだろう。

反面、野菜は食べたい。 内地の野菜は鮮度が低く、量も少なく、疲れがとれない。

 

違った意味でも、正しい意味で距離的にも、遠くまで来たものだ・・・と

帰り着いた徳之島子宝空港を歩きながら、感じていたのであった。

不思議なことに?冬なのに、晴天が迎えてくれ、さらにF本さんがケートラで迎えに来てくれた。

島も結構寒いけれど、やっぱり温かくて過ごしいい。


ではまた