一富士

二鷹

三ボケナスビ

 


三重県は、理論上はバッチリ富士山が見えるお土地柄であるという。

海抜ゼロメートルから、富士山が見える・・・ということは、2階建て以上の家屋やら

パチンコ店の立体駐車場、あるいは工場や倉庫の建物などが邪魔にならぬこと前提である。

 

それ以前に、200キロ以上の距離の視程にならなくては、見えることもない。

からり晴れた冬の陽気でも、意外に霞んでいる。

 

単純に距離だけで考えれば・・・

横浜駅あたりから静岡の浜名湖、はたまた福島県いわき市の小名浜港、

あるいは、温泉やスキー場で賑わう妙高高原、新潟県の妙高山くらいの直線距離である。

 

ちなみに、

兵庫県の甲子園から静岡の浜名湖も200キロちょい。 大阪城から高知の室戸岬も。

 

関東の冬の朝、よく富士山が見えるが、せいぜい100キロあるかどうか。

横浜からは80キロくらいしかない。

 

実家の近所にある、田丸城址・・・心にもない絆のイルミや、ハリボテの一夜城?が恥ずかしく

織田信雄(のぶかつ)の居城であったにもかかわらず、赴くのをはばかられた。

 

4日になり、いよいよ実家周辺の野鳥観察ポイントも巡ってしまい、仕方なく赴いた。

天守はなんと、ハリボテ城の足場パイプ細工の危険性からか、雑に封鎖されている。

 

なので、

二の丸から東方を望むことにした。 ところが・・・

北方にやたらトゲトゲした、アルプスの少女ハイジっぽいような雪山が見え、違和感を覚えたのち

視線を東に戻したら・・・ややなるい、白いアポロチョコみたいのが見えた!?

いつもより長からぬ前振りの通り、富士山は見えた。

勢い、不躾で雑なバリケードを無視して、天守からも拝む。

 

けれど、二の丸で使えていたメタボーンズのマウントアダプターは、

接点不良を起こし、ついに通電せず・・・ 望遠ながら、広範囲を記録したかったが叶わず。

 

EOS7Dは通常画角の1.6倍、マウントアダプター経由でNEX−7を使えば1.5倍であり

更にNEXなら高密度画素を使用していて、7Dより単位面積あたりの情報量が多く記録できたはず。

あとで用心深く調べたら、マウントアダプターのネジが2本緩んでいた・・・

重量級の望遠レンズを手持ちで使うと、マウント部分に極端な力がかかってしまい、

時折テレコンバーターレンズ(カメラと望遠レンズの間に入れる、倍率向上レンズ)でも緩んだから

仕方ないといえば仕方ない・・・悔しいことには違いないのだが。

200キロも離れると、キチッとは写らず、陽炎のもやもやのように写る。

ピントが合っているのかどうか判らないレベルである。

既に、手前の伊勢湾の海面ですら、現実とはかけはなれた毛羽立ったような写り方をする。

こんなときは、光学ファインダーよりNEXの電子ファインダーの方が都合がいい。

ボケボケのなかでも、ピントを操作しながら一番クッキリしたところを写すことができたのだ。

 

さて二鷹。

これは存外簡単だと想像されるだろう。

例年なら、その通りなのだけれども、今年は猛禽難?なのか、ノスリもハイタカも少ない。

タカではなくなったハヤブサはインコに近いらしいけれど、ハヤブサもチョウゲンボウも見えぬ。

トビを加えたいところだが「トンビがタカを産んだ」なんて云うので、選外としている。

とはいえ、一富士以前にノスリとハイタカを観察済みであった。

私同様ハラマキスト?な、ノスリ

小さなオオタカ、コタカ?っぽい、ハイタカ

近年、実家周辺にカラスが集合するようになったためか、猛禽が目立って飛ばなくなった。

ハイタカは居るには居るが、目立たないように潜んでいるようだ。

今年になり、カラスの群れは大型化し、500羽くらいになっている。

ハシブトガラスとハシボソガラスの混成なのは不思議である。

ときに、渡りのコクマルガラスやミヤマガラスも合流していたこともある。

 

タカ事情も、そう簡単でもなさそうに感じられるこのごろ。

温暖化・・・いや気象激化は、人間様だけでは済まされぬ大変動である。

 

三ナスビに関してはメールしといたら、おふくろ様が手配してくれたので幸せた。

ナス天や、焼きナスなどを食することで簡易にクリアである。

 

いやいや、奇跡の一富士がボーナスみたいなもんだから、それでいいや・・・とか

そもそも自前のボケナスでいけるか?とも考えたものの、やはり現物ナスビに分がある。

 

にしても・・・旧暦だった過去、正月にどうやってナスビを食したか・・・などと無駄に悩んだ。

元来、初夢の問題であって、現物ではないらしい。

 

過去の日本では、ナスはそれほど意味深長な野菜だったのだろうか。

二鷹はトンビでOKだったのだろうか?あるいはオオタカ?

夢の内容だけに、ゆめゆめカングルことなかれ・・・かな。

 

ちょいと調べてみたところ

将軍ゆかりの駿河の国の名産が、ナスビだったらしいのだけれど、

駿河の三高が、富士 + タカ(愛鷹山だった・・・とも) + いきなり特産ナスビとは

厳しい時代だったんだねぇ。

現代の我等にとって、夢に見ても縁起良さそうには思えぬ取り合わせなのが否めぬものの

徳川の世では、大切な三品だったのだろうね。

っていうか・・・家康公の好みの夢だったのかも・・・などと無駄に想像した下々の仕業かも。

 

夢でなく現物で・・・を実行したことについては、私の絶大勘違いであった。

 

しかし、どうにも割りきれぬ気掛かりは、やはりナスビ。

料理か漬物か・・・あるいは畑に実る姿か・・・豊かさを示すなら大量のナス漬というより畑か?

 

直接的に総合すれば

果てなくたわわに実ったナス畑の上空に舞う鷹、向こうに富士山・・・のイメージとなる。

豊かだなぁ・・・

 

戦後生まれの我々は、白米を食って普通である。

反対に、戦中以前は白米はぜいたく品であり、文明開化以前は白米は食品でなく

商品や金子(きんす)に等しい品だった。

すなわち、ナスも儲かる商品であって、現代ならメロンとかマンゴーとか・・・そんな感じ。

一スカイツリー、二宝くじ二等、三マンゴー3個セットといった具合だろうか。

西洋的には・・・いささか雅(みやび)に、1モンブラン、2ハクチョウ、3トリュフあたりか。

 

ところで

田丸城址の天守のところに、いくつも落ちている瓦。

ひっかいたような感じはタタキ製法っぽいが、いつごろのものか・・・

もうすっかり発掘調査は終わっているので、完全品だけ持ち帰ったのだろう。

史跡に直接触ることができるのも、いいところかもしれない。

小田信雄のころ、すでに瓦があったが・・・材質は近代風と変わらない。

しかし曲がった瓦でなく、平瓦だから江戸以前には違いなさそうである。

 

ともあれ

初夢とは離れ、リアル一富士、二鷹、三ナスビ達成後・・・オヤジ殿に依頼されて記入したロトはハズレ。

まだまだ運気は使っていないから、無駄に未来へ期待しておこう。

新年の縁起担ぎにしては、完璧ではないか?と信じることにした。

200キロ先の奇跡的な富士見で、すでに年間の運気を使い果たしていないか、気にしないでおく。


ではまた