世に問題は存在しない。

 


と、偉いボーサマが言ったとか・・・言わなかったとか。

心がこしらえた虚像だそうだ。 問題でも悩みでも同じだ。

 

全てを受けれてしまえば、全ては在るがままに在る・・・ように見える。

 

今年の我が家の問題は・・・ビンボーである。

世にビンボーはない、と言い切るボーサマは居まい。

セシウムなら、戦の地となった聖地エルサレムから疎開した民と同様に、

機を測るべしと云えば、民達もあるいは納得できるだろうけれど・・・

ビンボーは逃げ難い切実。 神や仏どころでなくなりそうな痛い現実。

 

金銭のたくわえを他人と比べたり、無駄に美味いものを飲み食いしたり、

崩壊必至の年金制度などに金をつぎ込まなければ、暮らせる・・・ということだろうか。

 

とはいえ、流石に年収50万少々では、死ぬかもな・・・ゼー金なんてゼータクなのを

払える余裕はない。 払ったけど。 カメラいろいろ4台買っちゃったけど。

我が家の財政は既に崩壊しているので、国家財政のことをとやかく云えまい。

 

とはいえ

老人福祉を叫ぶ政治屋は多いが、老人だけで国際競争に勝てるのか・・・?

ボケてボケてボケまくり、誰かに突っ込んでもらうのを待つ・・・くらいしかできんだろ。

繁殖しない、生産性も低い老人社会が、生物として貢献できることなど私は思いつかぬ。

あるいは他国の反面教師程度しか、ご利益はなかろうと思う。 葬祭屋だけは忙しかろう。

 

さて

気付いたら、クロウサギ&ケナガネズミ調査ルートをトレッキングさせられていた。

日本が原子力発電を選んだのと似て、島はかんがい用の巨大ダムを、

島最大の河川と森を犠牲にして造ることにしたわけだが、天然記念物が問題らしい。

いなければ、すんなり造られたことだろう。

セシウムは50年もあればなんとかなるが・・・クロウサギは創業600万年以上だ。

 

お陰で環境アセスメント会社は商売が成り立つだろうから、問題は儲かるのだ。

 

三京、住木野の山を歩く。

山・・・といっても天城町の南部は、海岸が断崖だから、集落は既に標高100m以上。

ま゛〜役場の視察用に、ジャングルハイキング的な楽チン・コースを設定してくれたようだ。

 

何度かの大雨で三京ダムが満水になったとき、沈んでしまった旧道を往くと、

どうやら見ため以上にジルイ(ぬかるんだ)道で、泥土が路上に堆積して進めない。

おかげで歩く距離が増えてしまった。

 

聞けば1キロくらいのルートだという。

ジャングルの1キロは、あんまり短くはない。 しかも足場が悪く、高低差もある。

スパイク付きの長靴は、思った以上に快適である。

スパイクがないとヌルヌルの赤土の山は歩き辛いものだ。

印象とは違う光景が広がっている。

水没したから枯れ果てたのではない、台風の暴風で薙(な)がれた森林が衰えて、

急激に林内が乾燥したために、通常にない環境ができて適応する生物がいないのだ。

 

寒いこともあって、昆虫がいないから鳥がいない。

民家の植栽に必ずいるウグイスやシロハラ、ヒヨドリが、ところどころいるだけだ。

非常に生物が薄くなっている。

 

なんか、もし私がシラミになったら・・・

私的な頭頂へ登頂したとき・・・こんな風景か、より殺伐なのだろうな・・・と問題に思ったり。

これは、サブイな。 と。 確かに、帽子のない後ろ頭は北風ですっかり冷え込んでいる。 

 

見覚えのない植物が、松の木にひっついている。

いろんな木に、のべつひっつくようだ。

こういうのがあるから、南国のジャングルらしい。

 

どうやら歩いているのは、猟師道か、あるいは昔の道のようだ。

わりとしっかりとした道で、登山道よりはずっとしっかりこしらえてあるから、

おそらく集落間を結ぶ道だったのだろう。

灯明もなしに、どっぷり暮れた道を帰ることもあったという。

私が生まれた昭和40年代のころは、まだ裸足の生活者もいたようだから、

暗い山道など、普通だったかもしれない。

ハブも居たはずだが、島人は大したバイタリティである。

 

私をチャーターしたのは社会教育課の学芸員、G氏である。

なぜか・・・ 彼は考古学系なので、自然はサッパリというので、とかく呼び出される。

暇で、若い方の文化財保護審議委員といえば、私しかいないからだ。

獣医屋ケンチャンは詳しいが、とても忙しいので。

 

G氏が立ち止まった。

 

石があったのだ。

丸い石・・・石器かもしれないという。 私もそこそこ磨製石器は見ている。

しかも、その横に相手になるスリ石らしきまで埋まっている。

大きい石はしっかりと木々の根が張ったところに埋まっていて、がんとして動かないから

G氏は掘り起こすのをやめ、とりあえず同行者のGPSつきカメラに位置記録をたくし、

また堀に来る気まんまんのようである。

 

シイの分布が多く、実が多い尾根部なので、リクツにも合っている。

少なくとも数キロ下らなければ、丸い石はない。 それでいて、猟師が使うとも思えぬ。

私でも石器説は合点がいく。

 

なかなかヤルナ・・・G。 動物が少ない山の中、好奇心エンジンが止まりかけていたが、

アイドリング状態を続けられそうな気分になった。

と・・・いうのも、非常にだるく、眠い。

あとで体温を測ってわかったが、低体温になっているためだ。

このところ眠りも非常に浅く、愉快で悩ましい夢シアターのオンパレードだ。

 

スカートめくり王だったが、一度くらいスカートをめくってもいいかな?くらいしか

気にしてなかった、懐かしい小学時代の同級生女子が出てきたりする。

確か苗字が白井だったが、名は思い出せない。

 

閑話休題

もう歩くことだけで精一杯で、本職の見落とした動物を探してやろうという気力が

どんどんなえて、足元だけを見つめて歩いていた。

そんなおり、生物でない発見もあるという、チョッとしたハプニングは嬉しかった。

 

が・・・やはり体がどんどん冷えているようで、歩いているだけでやっとだ。

 

やがて、ビール瓶がたくさん落ちている。

案内している調査員が、近くに民家があるからだという。

民家の話は別の人から聞かされたことがある。

つい最近まで、猟師をしていた老夫婦が、電気もなしに数年前まで住んでいたと。

晩年は、夫が視力を失ったために、妻が棒を持ち夫を引いて、山道を往来したという。

写真も見せてもらったことがあった。

 

だが、その周りに家は見当たらない。

念のためG氏とビール瓶の銘柄をチェックしたが、どれもキリンビールで、おそらくラガーだ。

 

あたりは少し木を切って広場にしたような形跡があった。

すると、目前に現れた拝み所。 石とブロックと瀬戸物あれこれで祀られている。

48時間以内に拝みに来た方がいるようで、新鮮な菊花が備えられていた。

へナッとしているのは、今が盛りのツワブキの花。 ツワブキもキク科。

神聖な場所だというが、重々しい気分で歩いているので、今日はアヤカシ系の感覚は麻痺。

わりとサッパリとして、ここはもう居ないかな?と思ったり。

あるいは、重々しい気分自体が体調でなくソッチ系のためだとすると面倒だが。

きちんと祈りがあるから、人間に対してイーモンのカミとしてやっているのかもしれない。

 

少々話題をそらす。

内地では霊感ゼロだから安心と思っていたが、意外とアヤカシ系の現象は撮影に出る。

つい先日、役場からの依頼で請け負った、説明板に載せる写真を撮りに赴いた。

近所にある水中洞窟で、島口ではウンブキというところ。

 

降りてすぐの右手の大きなガジュマルには「居る」らしかった。

通称、魂、カミサマ、クンムン、アヤカシといった類の存在?である。

確かに入るとき、ちょっと重たい。 けれど、入ってしまえばとても心地いい場所だ。

ジメジメうっそうとした洞窟を心地いいと思うかどうか微妙なものの・・・人それぞれ。

 

で、初めて強力なストロボで撮影し始めたところ・・・

急にカメラがおかしくなった。 それまで洞窟のまわりの植物を写していて何ともなく、

降りてきて撮影を始めたら、カメラがエラーで動作しない。 もちろん真昼間。

何度やっても、レンズとの通信エラーですと、液晶に表示される。

これまでEOS1Dとシグマの24−70mmF2.8で、トラブルになったことはない。

子供らの田植えの取材などもしてきた。

 

トラブル対策をボ〜っと考えていると、いつになくアカヒゲ(赤く美しい、コマドリの一種)やら

ウグイスまで周りにやってきていた。 しかし改善することはなかった。

 

これは・・・と思い、霊感のあるF本さんの家具屋へ行って確認した。

彼のEOS5DマークIIでは何も起こらず。 ようようEOS1Dに戻すと、正常動作する。

やられた・・・

 

現場では、ストロボを嫌ってカメラを封じられた・・・と思ったが、

今にして思うと、アカヒゲなどの動きからして、強い光を放つのを嫌がったのでなく、

面白がってイジリに来たかもしれぬ、とも思うようになった。

 

ちなみにF本家具店は、見知らぬノロが心地いいからと、自然に入店してしまう店。

アヤカシなどがいる場所ではなく、気というか・・・徳が集まるところというか・・・

ま〜なんというか、魂が安らぐ場所らしい。 私ですら、入り浸る店だ。

スーパーや酒屋以外では超絶珍しいこと。

 

先の三京ダムをこしらえた秋利神川の河口で釣りに行くと、とても気持ちが重い。

まわりの雰囲気も重いが、それ以上に雰囲気を重くしている何かがあるように感じて

やはりF本さんにたずねたことがある。

釣り場の後ろ側にある山手には、崩壊して久しい金比羅神社という小さな祠がある。

そこに祭られた大石を取材したことがあったが、その石に居るということだった。

 

島の生活は「居るなにか」との共存でもあって、そこらを感じ始めた自分が面白い。

五感とは違い、気持ちが重たくなる。

例えば釣りしたい気持ちに、言い知れぬ不安のような、覆いかぶさるような重たい感じ。

ウツ持ちの不安は抽象的なものだが、それでもこの感覚からすれば具体的で

明らかに不安なのに対して、ただ重いのだ。

釣りたい気持ちに、重いコンダラ?を引かせるような・・・

 

ノロの方から教わったこと。

いったん祈りだしたら、やめたら祟る、とのことだ。 アイサツしてもウカツに祈らない方が吉。

カミダノミと、ワケもわからず祈りをささげ始めたのはいいが、途中でやめたら祟る。

ちやほやされていたのに、急にシカト・・・だったら悪事を働いて興味を引く・・・ようなもんだ。

人間都合とカミ都合の両方考えないと、祈ってはダメということだ。

そちら世界も、空気読まないとヤバイようだ。

カミとは祈りが多ければ崇高にもなるが・・・そうでなければ、祟るアヤカシともなる。

 

ようやく閑話休題

そもそも拝み所には、そういったコンダラ感がなかったから、

もともと居ないか、居なくなったと感じられた。 やはり林内が明るすぎるのだ。

巨石でもない限り、おそらくその場所・・・に憑いているのには、

やっぱりうっそうとした感じが必要に思う。 木立ちの命に、やんわり守られている感じ。

その感じが、台風の倒木で薄れてしまっている感じがした。

人工物や、乾いたところに憑くのは、人の恨みの魂くらいなものだろう。

 

こうして重み表現しているものの、現場ではヘロヘロな私が、詳しく分析してない。

文章にしながら、感覚を巻き戻して観察しているので、話半分だ。

 

拝み所のすぐわきに、電柱が立っていて、配線もきちんとしている。

拝み所のわきから、下へ少し降りると・・・民家だ!

小屋が壊れているが、母屋はまだ大丈夫そうである。

壊れた小屋からのぞいているネコグルマ(一輪車)も、わりと新しい。 

どうやら、発動機で電気を起こし、電話線だけは引いていたのだろう。

道には、台風で倒れたサクラの枝に、花が咲いていた。

なんかこう・・・我々が来たとき、なにもないとアレだから・・・と

主の魂が咲かせてくれた、花のようだった。

ほかのメンバーには、まるで見えていないかのような所作が印象に残っている。

 

私にはサクラの花の写真に見えるが、皆々様には枯れ枝に見えていたとすると・・・

ちょっとしたオカルトである。 オカルト狙いで、枯れ枝を載せたようにしか見えまい。

 

静かな山奥で、盲目になった夫と静かに暮らしていた現実を目の当たりにし

棒で夫を引くあの写真が・・・なんというか・・・今になって、心の奥がジワリ熱くなるうような

深い愛情というか、絆というか・・・を感じさせられることとなった。

心の穴を埋めるような、文明の豊かさが介在しない方が、愛は豊かになるような気がした。

モノで心の穴が埋まるわけもない!常識だろ今さら!と思ったアナタ、

宝石を贈ったり、受け取ってないか?無駄に。 相手を試したり、疑っていないか?

宝飾は、太古からある心の穴埋め道具の代表だ。

 

さらに急勾配を降りて、クロウサギの巣を見に行こうという。

鼻から私は行かぬほうがマシだと思ったが、やはりそうだった・・・

左ヒザの皿がうまく納まらず、踏ん張ろうにもヒザが安定しない。

冷え込んだため、肩の筋肉が腕への血管をしめつけ、知らぬうちに手からチカラが抜けていて

木をつかむ手にチカラが入らない。 オッサンの肉体は面倒なものだ。

 

で・・・行ってみれば、台風で木々が倒れて、巣も壊れていた・・・だからイヤだったんだ。

乾いた雰囲気から、光景がイメージされたが、具体的に言えなかった。

ガイドしているヒゲのニーチャンは、朝から顔が真っ赤で、昨夜どんだけ飲んだんだ?

正常に判断力が働いているようには思えなかったのだ。 前は、そうじゃなかったのだが。

 

ところどころズリ落ちて下った急斜面を、再び登るのはしんどい・・・ってことで、川伝いで帰る。

やぶこぎ・・・ここがハブのいない島なら、具合の悪いヒザだけを気にしてればいいものの。

 

降りたはいいが、今度は違和感満載の川である。

川に濁りはないが、出来たばかりの原始の川のようで、全く生物の気配はない。

これまで川があったところなのに、なぜか新品の川である。

どういうことなのだる・・・ユンボで掘り倒したのだろうか???

 

すると、

草地からはずいぶん遠い、いつ水没するかわからぬ川原にフンがあった。

こうして撮ると・・・現地密着!フン・ハンター24時!っぽい感じに?

残念ながら、新鮮なフンはないままに終わった。

 

やっと戻った旧道。 へとへとで無口になりがち。

干からびた泥土を歩く姿、正に水クレ〜といった情況である。

川幅の大きなところは、ほとんど湖のようになっていて、カワウやカモ達がやってきていた。

早くも、生態系は移行している。

太古から、クロウサギと水鳥が邂逅することは在り得なかったはずだから。

無論、オッサンらとも・・・

 

昼、猛烈な眠気に襲われた。

だるく、眠い。 肝臓か?と思ったが、一応体温を測定。

35.8度・・・低体温で、体が寝ている・・・

 

低体温症と病気にしてしまうのは簡単だが、要は不眠による不規則生活で

自律神経が混乱して起きている、体内時計の時差ボケ状態である。

問題視したところで病気ではなく、生活リズムと明るい朝のない冬の島生活の問題だ。

問題の見方は様々だが、やはり自分の解釈であるから、軽く視るのも重く感じるのも気分だ。

今さらクドクド考え重々しい気分になるのは、さらに悪化の一途だろうから、考えぬ。

 

移住はしてみたものの、ウツの回復には冬の長雨、遅い朝は悪化傾向になる。

それは分かったが、さりとて面白い動物満載の島から、そうそう引っ越す先も見つからず。

 

やれやれ、また低体温で悩まされる時節になったかと、ショウガ料理を考えつつ、

深いウトウトのまま、妙な夢シアターをたしなむ午後であった。

 

そもそも・・・

問題や悩みのない我等であれば、もともと悟りも意味を成さず・・・なワケと知るべし、かも。

同族と殺しあう闘争心や社会性は、生物進化のなかで、何の役に立つのだろうか・・・

進化でないとすれば、どうするべきか?我等は。


ではまた