美味しさは思い出の中に

あるいは刷り込まれた味覚

  


北の方では、停電くらいでガタガタ言っているらしい・・・

停電のさなかにファクス送る方も、一角の阿呆だとは思うけれど。

島は寒くなくてよかった。 でも、数日で食品は腐ったけども。

この夏、どんだけ停電になったか・・・知らんだろうに内地の方々は。 報道されないし。

まだ台風17号被害の修繕や工事が多すぎて、土建屋さんフル回転中で

春先まで予定でイッパイである。

停電ごときで報道され、同情される余裕があるだけ、マシかな・・・と思う。

 

ちなみに、同じ島のなかで、電力がある世帯があるのと、

全島が大被害にあったのとでは、同じ現象でも感じ方が違う。

北の方は災害認識に対しては、被害者妄想でしかないな・・・と甘さを感じられ、

ほどよい反面教師となった。 みんなで復旧しようという意識がない。 毛ほどもない。

インフラを営むものは人間でなく仕組みみたいな言い草である。

先日まで、軽々しく口走っていた絆ってなんぞ? おもしろいっちょや〜北の人。

粉雪よりサラッサラ軽い人情だね。 北には放射能もあるし、人情も薄いし、恐いなぁ。

 

あ゛〜あ・・・

また出来もしない膏薬なのか口約なのかを、叫び倒す政党ども。

というか・・・よらば大樹の陰として成長した、思想のない政党モドキ政治には、意味がない。

開口一番バラマキ・・・だれが払うんだ?

二言目には現実味のないエネルギー政策と原発廃止・・・いやいやそもそも30年後には、

全原子炉は寿命で廃炉になるしかないのに・・・不思議なイデオロギーだ。

そもそも、今の支払いが出来ないからと、ゴマカシ続けている年金をどうすんだ?

復興と銘打って意味不明な予算も増大中である。 もともと産業が振るわなかった地域に

産業を興すなど・・・馬鹿げている。 できるんなら、沖縄を先やれ!

思いやりとか、振興予算とか・・・いつまで産業ナシのまま放置するのだ???

もう70年も経つぞ・・・

 

正直、余命が見えているほうが、気が楽な世の中になっている。

そもそも、無駄に社会性を高めた成果でもあり、高齢化で進化も止まってしまったので

人類が次の進化パラダイムを得るための、超えなければならないハードルである。

 

そんなことあるかよ・・・と、希望という名の逃げ腰になったアナタ。

お幸せに・・・(笑) それこそが、進化の停止状態だ。

危機感がない生物は進化停止にある。

あ、政治とか、金銭的危機感じゃないよ、それは進化のネタじゃなくて、同族殺しの

人類の血塗られた歴史の延長なだけだから・・・ おもしろいっちょや〜人類。


さてさて

店屋物や、スーパーの食品をいろいろ頭に浮かべても、食べたいのがない・・・このごろ。

ま゛、毎度のこと、油や化学調味嫌いも手伝ってのことだけれど、やはり和風で味が薄くて、

素材の新鮮さが生き残っている食品・・・が好みだ。

 

しかしながら・・・そうでもない場合もあるようだ。

これまで、さして美味いと思ったこともなかった炊き物。

ネットで調べたら見つかった。 けんちょう炊き。 正直、名は知らなかった。

 

おふくろ様に

電話してたずねたところ、バーチャンが「ようケッてから煮るんよ!」と言ってたらしい。

山口弁で調理に関わる「ケル」は、聞いたことがない。

けども、よくよく炒めてから煮る、珍しい料理法ってことはわかる。

けんちん汁との関連性は不明だが、建長寺(鎌倉)の精進料理に由来するとかしないとか・・・

学のない大正生まれのバーチャンが、けんちょうと発音したのだから、明治の頃かそれ以前に、

普及した料理である。 ちなみに・・・夏大根は辛すぎて、それが苦味になり失敗する。

 

不思議ときっかり山口県内の家庭でしか出ない料理らしく、お店には見当たらないメニュー。

家庭料理らしい、家庭料理・・・といったところ。

極めても極めきれないくらい、あまり美味になりきらぬ料理だからかもしれない。

 

さて

まだ完成写真を出してなかった・・・と忘れるくらい、我が家では当たり前の料理だった。

大根が半分くらい透明に変わるまで炒め、だし汁を加え、更に豆腐をちぎり入れて、

醤油と塩、隠し味の砂糖で調味しただけのシンプルな料理である。

 

本来は、何度も温めなおし、くたっとし尽くした感が食べごろ・・・の、けんちょう。

こいつは、こさえたてでも美味かった! 妙な???けんちょうであった。

ごま油入りのオリーブ油で、しつこく炒めたのが功を奏したか?

はたまた、

きちんと腸をとったイリコ出汁が好かったのか・・・知れぬが、母親を超えた味に驚愕。

しかし、おふくろ様のも、イリコ出汁や味付けは同様だったハズである。

炒め時間の長さと、ごま油添加の問題だろうか?

 

ちなみに、我が家は汁気多め路線ながら、汁物としていただくことはない。

他方で、汁気がなくなるまで煮る・・・路線もあるらしいが、ちょっと想像したくない。

くたっと云うより、一機にぐっちゃんとしそうなので・・・

 

冷静に考えてみれば、戦中戦後、それほどくたっと余裕のある炊き物なんてない。

人気がなくなってこそ、味わい深くなった、過去の味覚・・・といったところか。

 

けんちょう炊きの味は、おそらく独特の風味の好みも含め、

山口県人にしか味わえない・・・育った風土込み込みの郷里料理なのだろう。

際立って美味しくはないし美味しくしようもない、所詮は肉抜きの煮物。

けれども、けして忘れられぬホッとする味。

 

物見遊山の海外旅行者と同じ、故郷を補給しないと生き辛い、

適応能力の低いオッサンだ。

 

先日

すこぶる美味い蕎麦乾麺に出逢った。 よくぞ仕入れた!とAコープを讃えたい。

なにしろ、島では蕎麦を食らう習慣がなく、和麺では不思議とうどん・・・そして素麺だ。

油そうめん以外で麺といえば、ラーメンかうどんという不思議な日本がココにあった。

 

この蕎麦、200gで300円を超える高級乾麺だが、稲庭うどんほどではなく、小市民向け。

香りは、いかにも安っぽい乾麺蕎麦なのだけれど、舌触り、歯ごたえ、喉越し・・・

本当かウソか判らないが、表示は十割蕎麦であって、それはウソでない!と感じられる。

 

私は、美味しそうな蕎麦乾麺を見つけると、必ず蕎麦湯を味見する。

乾麺にない、もったいないほど濃厚な蕎麦湯・・・十割って本当だな・・・と思わせる。

盛り蕎麦をいただいて、蕎麦湯をいただかないのは、握り寿司の飯を食らわぬようなもので、

表裏一体の味わいであるからだ。

量的に物足りなくて、冷えた胃腸を温め満たす役割でもある。

 

なにより、飲み干したとき・・・ほ〜っと心底で吐息する安堵感が味わえる幸せ。

大した麺だ・・・蕎麦は。

HPを眺めたら蕎麦湯まで美味しい・・・と自信満々の麺だったと知った。

これがあれば、とりあえず島にいながら、家にいながら・・・蕎麦はそこそこ助かる!

 

南国に住んでいながら、私の体の内側は、どうにも内地から離れたくないらしい。

情けない姿だが・・・言葉遊びするなら、本当の情けは島にこそある。

情け在る私になるには、島の方が相応しいと感じているから、居られるのだけれど

味覚に関しては、島はかなり貧相で困る。

 

郷里、山口県防府には、最高のB級グルメが在る。 カマボコとチクワだ。

子供時分に気付かなかった一本500円する白銀や、岡虎の黄金竹輪の味を知ってしまうと、

他の練り物が、う゛〜ん無駄にネバッコイだけで、プリッとしないし魚の味もしない・・・

得体の知れぬ物体に成り下がってしまうのだから、タチの悪い名品である。

一本250円以上するチクワや、宮内庁御用達の白銀をB級と云うのはおこがましいが、

化学調味したら仕方ない・・・私にとってはB級ドマンナカだ。

有名どころの、紀文のなんて霞み去り、小田原の名品・・・とやらもビミョ〜に感じられる。

 

それだけ山口県は海産が豊富だったのだろう。

 

カワハギやカサゴの刺身は逸品だが、子供のころからカレイのをいただいていたので

なんかボケた味にしか感じなかったことを、大人になって後悔したこともあった。

アブラメ(アイナメ)に至っては、やわやわイマイチな部類で雑魚扱いだった・・・

カレイの刺身の箸やすめ的な扱い・・・かな。 カレイと一緒に釣れてくるから。

 

2、3日まえ、美味いシュークリームをいただいた。

役場の女性陣からは、イメージに合わぬと、毎度おなじみの反応が・・・

 

我が家は貧乏だった。 けれど手作りに関しては、勝手に磨くことが出来る志向だった。

幸い、まわりに美味しいケーキなどを焼くライバルがいたためか、上達は早かったようだ。

無論、田舎だからケーキやはおろか、パン屋もなかった時分であった。

人口は増えつつあったが、商店はできず、ついにスーパーが進出してきたが、

高価なのに、小さくてしょんぼりしたケーキ類を見ても心が躍らなかったのは親子ともども。

おふくろ様がこさえる、私が味見する、そのうち私は成長し味見兼ホイッパー担当になった。

メレンゲの硬さには、なかなか悩まされたが、今となっては間違えない。

かといって・・・男ヤモメが菓子を焼くわけにもいかぬから、今は無用の感覚だが。

氷で生クリームを冷やしながら、クリームのホイップも担当していたっけ。

大学で学んだ菊ネリは、パンの仕込みに役立ったり。

 

現金収入があったとき

勇んでスーパーで肉を求めることにしている。

しかしながら・・・である。 久しく口にしていなかった肉の風味に、驚かされてしまった。

こんなに血なまぐさいんだ・・・肉って・・・と感じた。

 

しかも、半年ぶりに求めた鶏モモは、とても柔らかく妙にジューシー・・・

筋肉もゆるゆるのメタボ鶏風味満載で、歯ごたえのない、ぶわぶわの肉に閉口した。

噛めば噛むほど、血なまぐさい・・・もったいないから、焼酎で流し込むしかなかった。

 

手前味噌かもしれないが、完璧に火が通る直前に火を止めて、

温度を下げつつ火を通して、今が食べごろ!という完璧なタイミングで食したから、

余計に風味がストレートだった・・・ことも否めない。 でもヤワで血なまぐさい鶏だった。

ヒトリモンの味覚の鋭さは、善くも悪くも料理人と食べる人が同一で、

まったき完璧な状態を食するチャンスが、日常的に存在することに由来すると思う。

 

肉こそオカズの王道だ・・・と信じて歩んできた戦後日本の食卓。

血なまぐささを美味さと勘違いして数十年、南国の磯臭い魚を常食するのと同様に、

血なまぐさいメタボ肉を美味しいと学習してきた我らを、痛感させられた瞬間だった。

 

肉は柔らかければいい、水菓子は甘ければいい・・・といった味覚分野への社会性の暴走、

反対方向の私の感覚・・・どいうしたいのか・・・というより、乖離したものは仕方ない。

 

これまで貧乏で苦しんできたとき、必ず味覚と栄養価のパラダイムがシフトしてきた私。

何気なく食べてきた当たり前の食材が、とても濃い味に感じられ、美味しさを知る瞬間。

病気のドンゾコのとき思ったあのアリガタヤの気持ちはすぐに消えるが、味覚は忘れぬ。

 

とまあ・・・実はこれ、長めの前フリだ。(笑)

心配しなくても結論は短めだ。

 

我らが信じている美味しさとは、味覚とは、刷り込みで得られた感覚である。

世界共通なんてことは、まったくない。

 

エビカニが臭くない(蟹工船は臭い代表なのに)、ウナギは泥臭くない・・・のに蒲焼しか食わない、

アジサバイワシ+サンマが生臭くない、味のないマグロが美味い、すべて作られた情報だ。

まして、メタボ牛、豚、鶏を美味しいとして育てられた昭和平成人類。

 

おまけに、くっさいでんぷんツナギの入った肉料理のハンバーガー、ファミレス料理。

マクドなど、100%牛肉使用!あたりまえだろ・・・合い挽きじゃないんだから・・・でも

ツナギは使ってないと、あのくっささは出ないぞ。

でなければ、ポテトを揚げた油でハンバーガーを揚げたか?

でんぷんのニオイしすぎバーガーだ。

実際に不味くて吐いた食品はさほどないが、私にとって、マクドのバーガーはその代表だ。

次は、波照間島の星空荘のぬるいソーキソバくらいなものだ。

 

南国の魚は美味しくない・・・というのが定説だが、

同様に、奄美や鹿児島の人らが本州の食事を食べたときに覚える違和感も在る。

アカラサマに云わないだけで、甘みのないトゲトゲしい味付けが苦手なのである。

内地では甘党扱い・・・である。 私も、甘い醤油には少々とまどい、今もキッコーマンだが。

それに、内地で流通している栽培野菜は味が薄く、果物はただ甘いだけで、元気が出ない。

 

明治政府が、日本統一のために根付かせた、本州本道志向。

封建社会の流れの末端が、現代まで脈々と受け継がれている日本。

標準語とともに標準味覚・・・みたいなのが信じれらている。

何を隠そう、細かいことが苦手な薩摩藩と違い、我が故郷の長州の影響力は大きく、

標準語は、ほとんど山口弁の発音そのままである。

 

味覚は・・・おそらく戦後日本の物流の豊かさ・・・によるだろう。

南国は物流からは遠かったみたいだ。 

鹿児島が甘党化したのは、大正以降のことだが。

 

食習慣は、なぜか世界的に、あまり人類にはよろしくない傾向にある。

けれども、美味しい果物などは、生物共通の味ではないか・・・と思う。

英語でクマは説得できないが、メロンならできるかもしれない。

 

ニンゲンは寿命が延び、進化を停めた。

社会性は暴走して、同じ言語の群れになり、いがみ合い殺しあい、手がつけられないが・・・

味くらい素直に味わえる共通項があっていい。

世界制覇、いや動物制覇できる味があっていいと思う。

っていうか同じニンゲンくらいなら、あって当然ではないか?

 

動物以前に、とても理解し辛いものだなぁ・・・ニンゲンとは。

ラーメンが理解できない私には、ハードル高すぎかもしれん、人間理解も味覚理解も・・・

まだ、動物の方がわかりやすそうな気がするこのごろ。

 

もっと難解な食品をいただいた・・・ 鍋用豆腐だそうだ。

ま、ジャブロー鍋は有りかもしれぬ。 赤土風な味噌仕立てで・・・考えてしまう私が情けなくなる。

島のコンビニで売れ残るのも、わかる気がする。

この商品は私のような年齢で、独身か単身赴任の哀しい食卓にヒカリさす?商品。

大家族の島である、そんなヤツはいない。 私くらいなものだ。

コンビニで買い物するような、遅くまで働く男性も居ないし。

 

どーでもいいが、ザクのデザート仕様というのもあるらしい。

哀しいギャグがわかってしまうオッサンフレーバーを加えた、ほんのり甘いバニラ豆腐だという。

なんか涙の塩っぱさで、甘さ倍増することを計算されている予感がする・・・非情な?味のような。

 

食もここまで来たか・・・心をいらぬ方向に揺らす商品・・・もう、涙で飯が見えないぜ・・・るるる


ではまた