メンドウなSNS

顔本を退会してみる

 


青の舞台史上、最大鬱屈ネタかもしれず、ご注意ください・・・


退会手続きしようとしたら・・・極めて見辛い変形文字。

1/1だが、下の文字列が読めるだろうか?  r q c e a n o m ?   r o p e a n o m ?

何度か試して、やっと読めそうな文字が出てきた。

無料サービスの退会にしては、念入りなことだ。

たとい、誰かのイタズラで退会させられ、友人関係データを失ったとして、また始めれば済むのに。

ネット上限定の友人関係ですら、ずいぶんと重みを得た・・・ということか。

ケータイ番号だって、水没や輪禍に遭ったらアキラメルしかないというのに

少々気張りすぎていないだろうか・・・?

 

退会手続きしたら、いきなり登録したこともない

ケータイメールに、怪しげな顔本ユーザーへの勧誘メールが届く。

かなりヤバイかもな・・・顔本の会社・・・

 

以前ミキシーで、SNSにコリゴリした私は、ネットに馴染めぬ昭和のオッサンの典型だろう。

なにしろ「X」をエッキスと発音するところからして、昭和だ。

ちなみに、でずにーらんどとか、ですことか発音はしないけど、エッキスだけは譲らない。

ですこかぁ〜、今もまだクラブっていうのか? オッサンには関係なくなったし、島に無い。

そういえばHをエイチとは言わず、エッチ、日本は必ずニッポンで通す。

無駄なコダワリが昭和だが・・・ニッポンはやはり愛国心からも、絶体に譲らない。

 

さて今さら若からぬのに、顔本に参加していたのは、

言葉にできぬほど世話になった親友以上の恩人から、すすめられたからだった。

それぞれのライフログ? 互いの過ごし様をアップすることで、無事を確かめる・・・

なんだか湯沸しポットで、老いた親の生死を知らせる・・・ような枯れた誘いだった。(笑)

といえば勘違いだが、私の動静は生物ブログを見ればカンタンにわかるが、

友は共通の場で、対等に情報発信できることを望んだのだと思う。

 

彼はリアルでも世界に広く交友があるから、顔本はとてもいいメディアに違いない。

 

反面、私は友人のようにフランクかつ大胆ではなく、小心だから

通知メッセージにピリピリしてしまっていた。

 

なにこれ、「【友人】が知り合いかもしれない人と友達になりました」ってどういう意味だ?

日本語として理解できぬので、メールの表題を見て、内容を確認しようと・・・

 

メールを開くと「【友人】がホニャララさんと友達になりました。」とある。

文頭には、「ホニャララさんと友達になる」というダイレクトリンクがあるのを、

誰じゃそりゃ・・・ ホニャララの顔でも検めてやるか・・・と、ダブルクリック。

 

まさか!?と察してブラウザーを瞬時に閉じたが、ダイレクトリンクは

ホニャララというガイジン女性の顔すら確認することなく・・・あまつさえ、

コチラから友達化依頼するリンクに違いなかった。

 

私は幾重にも残念だった。

顔本は、プロフィールを確認してこそナンボだろうに・・・

大切な友や、島の友人らも多数参加しているというのに・・・

 

小一時間ののち、全く知らぬホニャララと、友人化されてしまった。

 

ソーシャルネットワーク=ネット的人間関係≒擬似友人づくりのはずが、

関係性や友人を素通りして、ただのリンク張りリクエストするだけのメディアに落ちている。

結局のところ、顔本の本質たる擬似人格的情報に一切触れることなく、

ページに友達風リンクが増えるだけ・・・に専念したいらしい。

友達になる・・・というのは自サイトへのリンク先が増えるだけの機能であった。

 

顔本本来の仕組みの良さを、自ら無視する・・・という機能など、

普通に考えたら在り得ない事なのに、平然と筆頭でメールされてくる。

ヘリクツ抜きにして、顔本は長くない会社だろう。 すでに本質を失っている。

 

念のためヘリクツしておこう。

そもそも顔本などSNSには、技術的アドバンテージは無く、単なる仕組みのアイデアだ。

ズバリ、飽きられたら終わりである・・・じゃソレまでの株価を左右できネタといえば

擬似交友関係を、どれだけ構築したかの数で勝負しよう・・・と経営陣が認識したようだ。

老い先短い経営を、延命する措置として、本質を捨てた。

世界一のユーザー数と、友人関係数を誇るSNS!を、業績筆頭にするしかないのだ。

今さら、グーグルのように多彩な事業展開もできるわけもなく、

情報統制と貧しささえ無ければ、チャン国で同様のサービスが正しく稼動したとき

数のチカラでは即座に圧倒されてしまう。

今や関係性や信頼も自ら捨てつつあり、将来性が非常に乏しい事業なのだ。

 

さて

ネットの擬似人格情報は面白恥ずかしい。

100%ダレもが最初、キャラづくりに励む。 ブログでもHPでもSNSでも同様に。

ブログは自己顕示欲の強い、ネタ有り人間が営む。 もともと個性派だ。

HPはそれ以上で、擬似個性で遊びたい派の権化である。

他方SNSは、ブログもHPもこさえられぬ、未経験者がほとんどだ。

 

このごろ、痴呆政府が推奨するほどのSNSではあるが、

痴呆会社の人事部がプロフィールを見て就職合否判断なんぞしようというのか・・・?

どこに正しい情報が載っているのか、私にはサッパリ分からない。

 

笑えるのは、だんだん化けの皮がはがれて、ぐだぐだになる様のログだ。

もともと情報発信能力の乏しい方が始めてしまう顔本。

こういってはナンだが・・・内容的には、極めて貧相なブログの文化住宅がSNS。

貧情報長屋・・・といっては言いすぎか?

 

ネタがないと、次第にダラダラと生活写真をアップし始めるものだ。

結局のところ、会員制のブログみたいなものだから、更新しないとすぐ会員どうしバレる。

誰かが必ず見てくれるだけに、必ずアップしないとイケナイ・・・と感じる仕組みに

苛まされているようだ。

 

なんかもうネタ切れしまくって久しく、ぐだぐだ生活ログっぽくってないか?

アナタのアカウントも。

 

特にオッサンには恐いものがないから、手のつけようが無い場面もある。

飲み会の料理から、ホステスとブチューしている写真まで・・・生々しすぎて子供に害だわい!

家族崩壊の危機ネタだ。 ほほえましいを通り越した写真は危険である。

 

正味、これまでやったことがなかったブログへ、別の入口から入っただけだから、

情報発信能力や、生活視点の鈍さが変わったわけではない。

そのため、自慢話はじき尽き、ネタ集めに息切れし、ぐだぐだ生活を露呈するしか手が無くなる。

もちろん、離れた親族や友人には、ある程度?様子が伝わる。

でも、ネット上だけで擬似友人になった相手には、後悔したくなる写真の羅列かもしれぬ。

 

想うようなキャラを維持することがイカニ難しいか、身にしみてきたけれど

もう背に腹は代えられず、わりとあっさりキャラを諦める・・・

初心者SNSユーザーの誰もが感じる挫折。

それでも顔本を続けたいと思う者が多いというのは驚きだ。

私も仮想人格を愉しもうと思ったが、他のブログが忙しくてメンテできなかった。

 

無論、顔本だから本名で・・・などとバカバカしいことは最初から無視して

欺瞞情報を登録してあった。

 

ネットに自ら詳細な個人情報を載せるなど、常軌を逸している。

愚鈍頭脳にもほどがある・・・のだが、SNSなら信頼できる!と思うから不思議だ。

 

自らキッチリ個人情報を公開したのに、男性から検索されるとキモイ!とか感じるのが、

SNS命な女性の心理らしい。 載せた情報を検索されたくない・・・とはどういうことか?

いやいや実は、検索されなさすぎても寂しいのかもしれない・・・キモイ!と言わせてほしい・・・

ネット上でも女心はメンドウそのものだ。(笑)

キモイ以前に、ネットに情報公開した頭のユルさに気付いていただきたいものだ。

 

ともすれば結婚相手を真剣に探したいような男女にあふれているということか・・・?

それはあまりに、ネガティブ社会だ。

キチンと金を払い、なんとかパートナーとかに登録したほうが断然いい。

どうせリアルでダメなんだから、キッチリと世話してくれる仕組みでないとダメに決まっている。

文字情報で密やかに育まれる恋心・・・源氏物語の読みすぎで、和歌でも送りあいたいか・・・?

 

私の場合、多少増減があったが、ここ青を含めて今は3本のブログに収まって?いる。

おそらく、それぞれ違った擬似人格になっていたハズだが、じきぐだぐだズルズルに。

 

もともと、この青もすぐにズッコケ路線になった。

昭和の頃、とある友人からオマエは浪漫チストだ・・・と言われたことがある。

浪漫というか・・・理想や夢のような目標ばかり追う、極端な性格ながら、実力が伴わぬ。

従って、自然にすぐズッコケル。

 

そのまんまでも、充分愉快なヘンテコ人格で、いまさら個性のひねりようがない。

いやむしろ、普通でサラリ清々しい人でいることこそ、パーフェクトなヒネリと云える。

自然日誌では、そうしたナチュラルおじさんのはずだったが、

1年くらいでぐだ化し、今ではヘビに咬まれて嬉しいMなオッサンの野放しブログ・・・

みたいに成長していっている。

にも関わらず、おおむね130人くらいの閲覧者が日々いらっしゃるよう。

顔本でそれだけの閲覧者をこさえるのは、私にとって苦難だ。

 

普段の生活の大半を占める料理や、動物ネタがそちらへ書き込むようになると、

青のネタがなくなってしまうから、勢いコチラのネタが減ってしまって困っている。

当然、ブログフィールドが狭いから、青は長大なボヤキ専用になりつつある・・・

 

もう一本のブログは、交通マナーが悪いというか・・・

目も耳も遠い、体の自由も利かぬ老人たちが、車を転がす島の危険を訴求するブログ。

そっちは、安全ならばネタが増えない。 車載カメラに危険が写った場合のみ、更新だ。

ハブより恐い飲酒運転という標語があるくらい、島は飲酒運転も多いが、

むしろこのごろは、ジジババの運転もハブ以上になりつつあるから、

いつか、徳之島警察署で免許書き換えのときに見せられるビデオを、

地元のリアル映像で構成したいなぁ・・・と念じてのこと。 小さな夢である。

 

ジジババが増えて、にっちもさっちも行かない、でも公共交通機関が無い・・・

車を電動カート代わりにフラフラ走る姿を記録して、先端高齢社会を苦笑いする。

皮肉こそ我が人生の愉しみ、こちらはボヤキに皮肉をたんとブレンドしてある。

皮肉を情報力に変換し、世間の危機感を正しく?あおる。

皮肉力も使いようだ。

 

ネタは身の回りにあふれているが、全部やるか、部分に絞るか・・・が難しい。

ガス屋の経営陣の友が、もしネタ切れしたなら、各事務所の従業員紹介を

仲間視線で紹介すればどえらい面白かろうに・・・と思う。

全従業員を巡るのに2年くらいかかるかな? ネタは尽きることがない。

意外と、全従業員と話しをしている経営者は少ないもので、

さりげない日々の抜き打ち面接みたいなもので、いい活動になると思うが。

 

顔本は、どうせぐだ化して、ネタが人生全般になるのは時間の問題。

だったら、面白くてタメになることを、今日から始めたらいい。

 

ネタがなくなってきたら、何か愉しそうな事柄を蓄積しておき、

コーナー化し加えていくのが私の手法だ。

シリーズ化するメリットは、特集だから頻度は低くてもいい。

青にもイロイロあることをご存知だろう。 

デジバカ日誌とか、がんばれパナソニーとか、ポレポレなんくるタックルとか。

ネタをためておいて、時々しっかりとした記事にまとめるのだ。

 

このごろひどい夏バテで、外に出るのがオックウである。

けど、ブログがあるから・・・と、少しでも外に出るキッカケができ、

それによって動物達との思わぬ出逢いが増える。

微妙にメンドウながらも、動物写真家としては、かなり役に立っている。

 

当初、清く正しい動物ブログだったが、ネタがなくなったり、あまりに危険と

一時はジジババ車両ネタまで載せてしまい、いい感じにぐだぐだし始めた・・・

動物のワクが、人間にも及んだわけだ。

 

しかしながら、ぐだぐだでも続けていると、自分の視点がつかめてくる。

テーマが大きく成長しそうなら、別のブログやコーナーにすればいい。

そうして、ジジババはブログとして独立していった。

 

くどいが、顔本はカッコウつけても所詮ライフログ。 生の自分が必出する。

なるべく自分の生活のイイコトとワルイコトを、いかに織り交ぜていくかによって、

視るものが感じる、人生の一喜一憂の味わいが違ってくる。

味のあるSNSは、味のある人生でもある。

 

だいたいからして・・・

嫌なことは載せても仕方ないと、軽率に信じている向きが多い。

そんなことは真逆だ。 人の不幸は蜜の味とは、抜群に云い得ている。

内容にもメリハリが必要である。

イヤな出来事でも、適度な痛々しさに編集し、不幸ネタとして載せておくのが肝要。

 

そすうると・・・

あ゛〜コイツもこんな目に遭うんだ・・・オレよりも情況悪いかもな・・・オレはまだマシか・・・

人生山アリ谷アリだな・・・なんて感じる。

 

そして書く・・・

大変でしたね、でもあなたの記事を読んで少し勇気をもらいました、とか

私も○○があって、落ち込んでいましたが、頑張ろうと思います!とか。

 

イイコトばかりの人間なんてつまらないに決まっている。

イイ人だけどモテナイとは、そういうものだ。

いやむしろ、幸せの記事ばかりだと、腹立たしくなるに違いない。

本当の顔本はブログじゃない。 人生の清濁を、マイルドに示すのがSNSの本来機能だ。

 

書き込む真意は別として、早急に傷をなめあえる場でもある。

いろんな意味で使えるログ交流の場で、多少恥ずかしいくらいの使い方ができないと

退屈な人格に見えてしまう。

 

ネット上の多からぬ情報で、すでにウザっ! キモっ!と感じられてしまうような人格なら、

リアル社会では、それ以上に充分なウザ感を周囲に与えている。

隠しても隠せないのだから、ウザイまま歩むしかない。

それかリアルの人格改造を試みるか。 善道などを、たしなむなどして。

 

格好悪いのが、ボヤキという。

このごろ、SNSでうざったがられる男とか、やってはいけない○○・・・など

ネット上に面白い分析が載っていて、そうだわ〜と納得したり苦笑したり。

 

誰もが心当たりがあることがヒトツはある。 人間なんだから、そういうモンだ。

SNSを感情移入して愉しむ初心者は、大多数が過剰な期待をしているから、

やたら他人のログへ、鋭敏に反応したくなるのだろう。

 

やったことないか?

公然と聞こえるようにヤレヤレなどと皮肉交じりにサラリ非難する・・・とか、

あーあ私なんてダメだわ・・・ダメとわかっていてもやっぱり落ち込むわ・・・みたいなこと。

そうすると、誰か同調や同情してくれるに違いない・・・な書き方を。

小さくて、みっともなくて、恥ずかしいんだけど、やりたくなってしまう。

深夜に友人を起こしてまで、ボヤけないし。

 

自力でどうしようもない大きな力に対しては、そうでもしないと気が収まらないことも多いし、

本心を抑え込んでも、そのうちいづれ飲み会などで爆発してしまう。

小さいうちに、気軽にボヤいとけ! が正解ではなかろうか?

 

云うまでもないが、青はそういう記事が大半である。

自分が信じたり目指したりすることがままらなないから、

大海のようなネットに向かって、好きなだけボヤキたおすことで、小さな安らぎを得る。

 

最初から、我が醜態には誰も触れたくない事は承知しているのと、

独り言が、未来の自分にとってどのように感じるか?の実験の場でもあるので、

どれだけの人が見ているか・・・を、最初からカウントしないようにした。

どうせ見に来ないんだから、数字で一喜一憂したくないと、逃げの一手を打っておいた。

 

素人が書く文章など、すぐに飽きられる。

人気集めの記事など、毎週書けるハズも無いから、

下手でもチマチマ続けるためには、どれだけ見られているかを気にすることなど

間違い以外の何者でもない。 数を知ってどうなる?

ネット上なら人気者になれる・・・なんて小学生のような野望を持ってたりするなら別だが

世の中には流行り廃りの道理があり、一時増えたあとで減ると、ショックも大きかろう。

 

そういった意味で、いいねボタンとか、友達増えた・・・は逆効果になる。

ひたすら続けるために、続けることになってしまう。

手軽なボタンにしてしまったことで、薄れていく関係性。 一言でも書くべきだ。

SNSの気色悪さは、そこに極まるというか、窮まるというか。

 

ネットは自分で泳いだり、情報をタレ流したり、あるいは実力があれば?

大きな潮流すら起こせるような・・・仮想の大海。  

なのに顔本は、大海を小さな数字のプールに区切ってしまったようだ。

テストでも稼げない点数が、つたないブログで稼げるかっちゅ〜に。(笑)

 

もちろん、シンジルモノハ・ミナダマサレルの通り、

女子大生やOLが、業者やネット系ヤ○ザにアカウントを売却したような、

リアルな偽装アカウントもきちんと存在していて、出会い系に誘うメッセージなども届く

結局のところ、SNSには社会構造がそのままに反映されている。

 

だからまったく信用に値しないのだ・・・とは云わぬものの・・・

いいオッサンがアチコチのアカウントを見回り、いいねボタンを押しまくる姿・・・

SNS上で点数稼ぎするための努力・・・哀しすぎる。

 

ズバリ書いておく。

体質的に顔本へ近寄りがたいのは、正直なところ恥ずかしいから。

 

先にも述べたように

最初から無理な、理想の自分を演じようと試み、挫折していく姿のログ大全だ。

恥ずかしい行為をする人たちが、コチラまで恥ずかしくて見てられないから。

映像でみると笑えるけれど、リアルでダンディとか、ゆってぃの漫談を見たら

恥ずかしくて、いたたまれなくて、逃げたしたくなるような感覚。

 

演じたい、でも限界、でもまだ格好良くしたい、でも理想的なネタも見つからない・・・

私は長く情報発信者(ボヤキタレナガシ者?)で、ブログ持ちだから、

そうした赤裸々な貧情報行動が、哀れで恥ずかしくて仕方ない。

昔の恥ずかしい自分が、同時多発しているような気分・・・なのかもしれない。

 

SNS独特の、フィルターでこして、オブラートで包んで、10倍に薄めて、

半透明のゴミ袋につめ、丁寧語を前後に足したようなコメントもどうしようもない。

いや゛〜恥ずかしいな〜  むずむずするな〜 ソレ恥ずかしくないの? エチケット?

恥ずかしさにも順応しなきゃならぬ場・・・ってこと?

オトナSNSラーとしてやってくために?

苦味を感じさせないくらい?無駄に作法を重んじる、茶の湯のシキタリ的な???

 

顔本全盛なんだから、ソノヘンの空気読まないとダメなのかもしれぬ。

他人の下手な演技の恥ずかしさを目の当たりにしつつ、その場に留まりこらえる・・・

という苦行など、したことがない。 顔本でコレを書いたら炎上するな。(笑)

 

ふだん顔本を使い込まれている方は、いたく気分を悪くされたに違いない。

 

だがしかし、書かなければ私の気持ちが収まらないのだ。

これほど私に合わない仕組みが、なぜ全盛なんだろうか・・・私が社会不適合なのか?

SNSという現象を理解できずに、苦しんでいる。

他人サイトとのリンク機能を強化した、ただのブログである。

 

SNSだからぐだぐだダラダラ情報でいいのだ・・・って、それを誰かが見てためになるのか?

という情報が多すぎて、悪臭漂うネット空間ではないか?

やはり、垂れ流す情報にも大なり小なり想いが必要だ。 汚水を大海にタレナガシてはイカン。

 

ところで、SNSを自由に泳げる方は、リアルでも交友関係が得意であり、

友達は多いほうがイイ派の方々に違いあるまい。

 

私は小さな頃から、友達が限りなく多く居たほうがイイと考えたことがない。

全く理想とも思わないし、羨望も尊敬も毛頭ない。

一応オトナだから、口ではスゴイですね!と社交辞令で一蹴しておくが。

昔から、キカイも人間関係もメンテナンスフリーで、メンドウごとがイヤなのだ。

 

子供のころ、好きでもない野球に誘われて・・・困るだけのことだった。

気の合う友達を一人誘って、だだっ広い塩田跡で生き物を探したり

小さな冒険したりするのが好きだったが、何人もで行くとメンドウが多かった。

誰かが居なくなったり、ワガママ言ったり。

っていうか自分のワガママを通すのに多数決になるのが、そもそもメンドウ。

習い事も塾も、スポーツ大会の練習も、子ども会のキャンプも嫌いだった。 

一応通信簿は、5段階評価の5と4のオンパレードだったが

記述欄に毎度登場する言葉は「協調性に欠ける」だった。

 

今さら人間関係を促進しようとする場にいても、用事がない人格だ。

島の濃ゆすぎる人間関係だけでも、イッパイイッパイだというのに・・・

 

私はつくづくヒネクレているから、あるいはそうした非友人系のオッサンが

シニカル気取ってSNSに参加するのもアリかな?なんて思ったり。

周りから見れば、ひどく孤独で寂しいオッサンに見えているのかなぁ・・・私は。

 

長らく青をご覧になっている方はわかっていると思う。

私が孤独を愛している・・・とかそういったヤンチャな性分で独りでいるわけでない、

心底、独りで過ごしたがっていたり、むしろ友人関係から逃避しようとしていることを。

ここにある記事は、ほぼ独り言。 人と行動することがないから。

 

そんな私がSNS・・・

最初から上手に使うことなど、無理に決まっていたのに、

思わず手を出して、誤操作しちまった・・・だけなのを、こうして長々と文章にしてしまった。

ネット依存のヒマジンそのものだ。

 

であるにしろ、であるからこそ

独り言を叫び続けられる無限の大海のようで、やっぱり青は好きだ。

あ゛そういえば、テレビがないからかもね゛ぇ。

番組表に合わせて生活したり、録画予約に一喜一憂するの、メンドウだし。

 

結局のところ、人生がダルイからメンドウごとが嫌なだけなのを、

いろいろヘリクツを付けてみたい歳頃・・・なのだ。

ヘリクツをココまで書き続けるには、顔本枠は狭すぎる。

スッとするんだよなぁ、くどくどヘリクツを書くと・・・(笑)

 

特にヘンクツで、小さなことでも気になる小市民な私にとって

ボヤキを抑えたら、心にも体にもヨロシクナイ。

 

っていうかフツーは、友達相手にクドクドあれこれボヤいたらいいのか・・・?

ドラマとかだとそうするよね。

 

それこそ大迷惑だろうし、金もかかる。

ボヤくための飲み会の現金も、電話するだけの電話代ももうないよ。

近所には、よりによって寿司屋しかないときている。

財布には最後の万札が、風前の灯。(笑)

 

しかも、聞かせたい相手がいない。

言っていることがバカバカしいほどマニアックでテクニカルで、理解できぬから。

残念ながら、思考遊びできる友人は数少ない。

 

結局のところ、大切なのは納得(=自己完結)なのだ。

 

友人にぶちまけるのと違い、コチラに書いていると

なぜ自分がそう感じていたのか・・・心底にゆらめいている本質が次第に結晶し

目に見えるようになってくる。

 

実は、このだらしない記事とて、3回書き改めている。

 

そのくらい気合の入った自己分析を基礎とし、念入りなヘリクツなのである。

言い放ち、他人に聞いてもらって解消するような、ちょろいボヤキではない。

多分、よそ様からみたら不思議でヒマな生き物に違いない。

ボヤキについて、ヘリクツを洗練するオッサンなんて、宇宙でも私くらいなものだろう。

 

私のとってボヤキは、思考の終結を願っているのであって、

単なるストレス解消とか、気持ちを晴らしたい・・・のといささか趣を異にする。

吐いただけでは、解消できぬ思いが残ってしまい、気色悪さが長引くからだ。

 

おそらく私以外の方は、それってタダ気に入らないダケジャネ?

欲求不満ジャネ?と思うだろうが、私には意味や理由が明解に必要なのだ。

長年やってきた性格のなかに、どういった原因が隠れているのか・・・知っておきたいのだ。

 

SNSが人気なのに、なぜ私は好きになれぬのか、あるいは好き嫌い以前に

SNSに何を期待して、ユーザーが増加しているのか・・・絆でもない、深い関係でもない、

ゆるくて雲のような人間関係気分、擬似友人リンクを張ることは、それほど快楽に感じなければ

または敏感にならなければ、ネット社会についていけないのか???

自問自答しておきたかった。

 

ともあれ

そんなヘンクツであっても、私は私というドラマの主人公で、何事にもニュートラルで、正義で

みなみなさまが信じているのと同様に、自分が世界の中心人物であることは間違いない。

ヘンクツを自嘲する私であっても、私は主人公になるしかない。 逃げられない。

 

SNSは、私にとって苦行になるか・・・あるいは楽しめる時代がくるのか・・・ビミョーだ。

また誤操作して、アカウント削除するのがいつになるのか・・・も含めて。

4本目のブログ・・・は、工数的に無理?かもしれない。

 

より異色のキャラでも演じるか・・・何か愉しみをこさえないと、続ける気力がわかぬ。

 

そうだ、故郷の山口弁ブログっぽい感じもいいかもしれぬ。

いつか山口弁ネタをやってみたくて、いろいろメモしてあるし。

ソレが尽きたら、別の地域の方言ってことで。 伊勢弁や、島口とか。

 

私の頭の中には、ネタが詰っているのか転がっているのか、

叩けばホコリのように出てくるような。(笑)

こういして書きながら、アイデアが出てくるとは思わんかった・・・

 

ネタを長続きさせるには、小出し、ある程度したらまとめ特集、また小出し・・・

あるいは脱線・・・情報にもリズムとメリハリが大切である。

 

というわりには、ここは長々とダラダラと、ひたすら変化が乏しいような。

生活に変化がないから、仕方ないじゃないか!?(笑)

 

とりあえず次の名は、山・口・文・左・右・衛・門でいくかな・・・?

山口弁で、右往左往するオッサン風なイメージも込めて。

 


 

新たなカメラが届いた。 今度はこの世のものしか写らないはず。

SNSもコレでバッチリだ。

SNSに賭ける、暑い想いのほどを分かっていただけると思う。 (毎日、本当に暑い)

 

SNSに23,400円賭けたっ!!! (懸ける・・・だっけか? どんだけ肉が買えた事か!)

ん゛・・・方言に画像は要らぬのか? それでいいのか?!

薄型防水ぞ!、今度は私の限界深度5mまで潜れるんぞ?

それでも方言とビジュアルは無関係と云えるか!? それでいいんか??

 

いま

一体私は、誰に力説したのだ・・・?

 

一事が万事、独り言。 用語を使えば、ノリツッコミ。

未来の私がツッコムことであって、あなたの魂がツッコミ入れてはいけないことだ。

もうツッコンデしまってたら、あなたはもう青の独り言に順応してしまっている。

 

ネットだから違う自分で居られるか・・・ソンナハズナイことは、

長文によりイヤイヤ認識いただけたのではないかと思う。 

 

私は皮肉なオッサンにまで無駄に成長?した。 もとい、ただ歳とった・・・だけだ。

だからこそ想う。

 

どうせ人生不器用に歩むしかないから、ネットの上でくらい、いささか素直でいたいなぁ・・・と。

 


 

さて

散々悪態ついておいて、ほろり小さく本音を見せる・・・なかなかのテクニックっぽい。(笑)

 

でも本音は本音。 ウソでなく心底から湧き出てやまぬ本音。

表現によって、感じ方が違う。 最初に本音を書いたら意味が伝わらぬし、

書いている途中には心が揺れているから、こうした本音はまだわいておらぬ。

書きながら私の心底でカタチをなし、自然に結んだだけである。

 

あなたなら、こうしてネット上で本音を書けるか?

大恩人大親友のススめてくれた事を、コケにするような記事が書けるか?

半端な気持ちで気楽に書くのもいいが、本気で書くこともあっていい。

 

私は、顔本について、本質が間違っているとは感じていない。

知らぬ世界の人らと友人になれるなんて、夢のよう。

だからこそ、正直になるのは日々の想いであって、個人情報とは違うと感じている。

まだまだSNSの歴史は短い。 完全信頼するには全く幼いメディアだ。

 

あらゆる本名と本音が羅列されている、見事なSNSが実現しているわけでもないし、

おそらく誰しも、思っても無い一つや二つのウソを書いて、自分を演じている。

その程度ならいい。 日常でもそのくらいある。

 

しかし、その程度の情報発信のために、個人情報をさらすのか?

日々着々と登録される個人情報を、まったく易々と、労せず、

無料で収集している業者がいることは、無視してはならぬ。

 

SNS業者が、むしろそうした組織と結託していても、なんら不自然ではない。

今さら・・・でなく今すぐに、消去できる個人情報とか、万一飲んだ勢いで載せてしまった

痴態画像などは削除されることを望む。 下手な写真などでない、恥の写真だ。

あるいは家族、あるいは子孫に被害が及ぶ。 情報のチカラをなめるな!

アホラシイほどあっさりダマサレテいるオレオレ詐欺とて、たかが年齢と電話番号程度の

名簿から発現している。

 

顔が見えない・・・ただ視覚を失っただけなのに、イヌネコのような夜行性動物とは違い、

人間は極端に判断力を失ってしまう。 情けないほど視覚のみに頼った生物だ。

 

ゆえに、近い未来、誰かに悪意で公開されてしまった痴態画像について

そんなのインチキだ!とオレの家族じゃない!いったところで、視覚情報は絶対で、

画像の与えるインパクトは計り知れない。

 

顔本で収集された個人情報は、顔本がなくなっても業者のリストとして永劫に流通し続ける。

あるいは、顔本サーバーをオークションで落とすとか、ヤミ売買で転売され、

コピーが世界中に流通し、売買される。 あるいは開き直って公開されかねない。

 

その重みを理解しているか? デジタルデータは劣化しない。 千年後もそのままだ。

老いても、死してもなお、末代まで残り、小さな汚点でもネタになる。

まして、うかつに掲載した痴態写真なら、どれだけ美味しい弱味ネタになるか。

 

例えば、未来の議員選において、相手議員の血筋をたどり、痴態をさらし

こんな体たらく先祖の人物で、リーダーを任せられるか?といった罵倒情報戦が可能になる。

あるいは、そのことをバラサナイように、対抗する議員の情報を集め、取引するだろう。

 

ネット上でも自分は自分のままに、真の個人の情報は大切な人だけのために・・・

を心がけていただければ、せっかく本音で悪態をついた私も、幸せる。

 

放射能でもない、国民全体に被害がおよばぬ、流布してしまった単なる個人情報を

政府が守ってくれるはずがないし、あまつさえ痴態情報を政府が知ってしまうことを、

あなたや、あなたの家族、子々孫々が了承できるはずもない。

 

つまらぬ写真データを保護するのに、税金を使われるなんて、常識的にアリエナイ。

だが、その家族は永劫に、痴態がつきまとう。

 

あんたのジジイやババアなんて、不倫してコンナ写真撮ってるじゃないの!などと

小学校中に何世代も前の痴態がばら撒かれ、イジメというより、事実の流布だけで

人生のどん底に落ちる子らが出てくる。

 

あるいは、あなたのお孫さんが、就職に障るので、あなたの痴態写真を抹消したいと、

嘆いておられます・・・我々ならデータ消去できます・・・などといった、恥消し詐欺?も容易。

  

近未来のデジタル活用は、そんなに甘くない。

とてもお手軽に、人を貶められる。

デジタルの気軽さは、危険と隣り合わせでもある。

 

みんなやってるし・・・などと漠然と信じるな! 確実に在るものだけを信じたまえ!

予想できないような、データ活用?の礎になりつつあるSNS。

 

我が国にばらまかれたセシウム。

裁判しようが、糾弾しようが、セシウムが裁きや国家によって浄化されることはない。

散らばったデータも集めようがない。 セシウムのように半減期でもあればいいが。

 

こればかりは、誰を責めても始まらぬ。

ネタがなくなって痴態をアップしたアナタの本質と軽率あるいはソコツが問題。

データは永劫に流通し続け、更に末代の痴態とセットになれば、価値?が上がる。 

恥の連鎖は負の価値を産み続ける。

 

あっさりオレオレでだまされる人々が山ほどいる現代、更に痴呆老人全盛の次代。

そのなかにあって、子供たちまで未来を失いかねないデータの宝庫、SNS。

 

未来になれば、技術は進化し、合成写真が氾濫するが、

同様にデジタル写真の真偽を証明する技術も向上してしまう。

そんなのウソだ!では、証明にならぬのだ。

 

よくよく、心しておいていただきたい。

消せるものなら、今のうちに消しておいて損はない。

SNSに刺激されて、つまらぬ虚勢を情報発信力と錯覚し、未来を閉ざすことなかれ。

 

人は金に困ると、何をするかわからない。 ただそれだけのこと。

 

くれぐれも、私たちの社会は、デジタル技術草創期である。

未来からすれば、明るい未来のへの最先端技術!にウカレタ貧情報世代でしかない。

本当のデジタルの恐ろしさを、全く知らずに呆けている太古の人間になろうことを

想像できていないだけである。

 

SNSは現代において、貧情報長屋・・・と申し上げたが、

未来の悪意に視点をかえれば、痴態情報の宝庫だ。

 

デジタルは、永劫に残る。 とりあえずそれだけ・・・忘れないでいただければ。

いやはや、本当に長いボヤキだった。


ではまた