夏が来〜れば思い出すぅ〜っ・・・夏とは?

 


内地に比べれば、あったかい島へ引っ越して3年。

沖縄島に比べると、最低気温は2度近く違う。

8度なら10度、10度なら12度・・・暖房がない生活をしていると

この2度の差は体感的にかなり違って感じられる。

 

とりたてて、暖房しないエコ生活を強調したいわけでないが、

木造家屋であっても、家の下の大地が冷えて、少々陽光が出たところで

タカが知れている。

 

それに、ここ3年

冬というか12月から梅雨明けまで、ほとんど雨続きである。

気温が低い空から落下した雨滴は、家の下にもしっかり染み込み、

水分とともに温度も浸透させていく。

 

5月は、雨の日で気温24度ほど。 しかし夜間の21度程度の雨に冷やされて

足元が冷たく、体は暑さを感じることがあっても、膝から下が冷たくて往生する。

 

単なる冷え性か?と思うだろうが、床が結露してペタペタするから分かりやすい。

20度を超えると靴下を履きたくないものだが、ゆえに冷え切った足になり

底冷えのような体感となる。 それにダルい。

 

気温が25度もあれば、暑いだろ・・・というのは、とても短絡している。

かくゆう私もそうだった。

陽光がない以上、絶対に25度以上上がらない気象と、

ひだまりの部屋のように、条件が揃えば気温が上昇する気象では、体感が全く違う。

 

内地の晴れた冬の8度は、こちらの20度にも匹敵する陽光が降り注いでいる。

しかし、こちらが8度のときは、陽光がでることはない。 冬に、晴れ間はほとんどない。

陽光のある8度と、ない8度は、そもそも部分的体感温度が10度は違うのだ。

 

例えば、5段階評価で、オール3の学生と、5と1が同居する学生では

後者の方が頭がよく感じられたり、可能性を感じる原理・・・という。

 

あるいは、冷蔵庫に卵と牛乳くらいしか材料が無かったとき、

卵かけご飯にして牛乳を飲み干すのと、茶碗蒸しとプリンをこさえるのとでは

豊かさに天地の差が生まれたような気がする原理・・・という。

 

直接的に例えるなら、室温10度の部屋でコタツに入っていれば何とか過ごせるが

コタツをひっくり返して、室温を暖めようとすると、凍えてしまう原理・・・の方がわかりやすい。

 

今年に入って、梅雨に入るまで暑い日はなかった。

真夏日は3日もあったか知らぬが、何しろ晴れた日は北東の風が吹いていたから

日差しで皮膚は焼かれているはずなのだが、帽子なしで居られる陽気がせいぜい。

入梅してからは、カラリ晴れることが多くなり、前日までの水分も手伝って

やにわに夏のスコール直後が一日中続くような、蒸し蒸し気象を味わうことになっている。

 

今年、違って感じられるのは、湿度100%である。

これまでも湿度100%に近いか、実質はありそうだと感じることはあったが、

予報で100%の数値は見ていない気がする。

高湿度は、これまでも八丈島や南大東、もちろん徳之島でも体感したが

今年の湿度100%は局地的でなく、海岸から島全体を覆う。

 

海上で湿度100%になっている大気が、島に1センチでも登ると結露が始まる。

大気が1センチ縮まれば、当然に1センチ分の水分が搾り出されてしまうからだ。

え?空気って柔らかいんだから、多少縮んでも分散させられて大丈夫じゃないの?

と思うなら、こう考えたらどうだろう。

セシウムなんて、大気中に分散したんだから、安全なんじゃないの?といえるか?

常温で液体化する金属のひとつだが、思ったほど飛ばされず、また収斂されやすく、

アチコチで高濃度になり人らを驚かせる。

思ったほど自然は、のっぺり滑らかな現象ばかりではない。 自然体ではない・・・?

 

上が空いているから、余裕(よゆう)あると錯覚するのが、ニンゲン思考の弱(よわ)さ。

空いていたら、空気(くうき)もなくなるだろ!? 息できないぞ?!と突っ込まれたら、

そりゃ重力で大気が閉じ込められているから大丈夫だ・・・と考え至るかもしれない。

大気は青天井っぽいが、実は宇宙的にギリギリな状態で存在していて、

我らが住んでいるのは、40キロの層のどん底で、海で言えば高水圧の深海である。

軽い空気からすれば、逃げようにも、まわりもギューギュー、きわめて動き辛い状態だ。

 

水分が飽和状態の大気がただようとき、ガスった空からでなく、物陰に雨が降る。

 

水分たっぷりの微風が障害物にあたるとき、それでも大気は微妙に圧縮される。

すると、障害物に結露が生じ、その下だけは雨が降ることになる。

樹下ともなれば、バラバラと相当な雨量?である。

気温は25度程度だが、体から汗が蒸発できぬから放熱が進まず

蒸し暑さが極限になり、運動量はさしたるほどでもないまま、無駄に汗をかく。

陽光もなくガスった薄暗い朝、気温もそこそこなのに、異様な汗をかくことになる。

こればかりは、Tシャツの内側からであり、結露ではなかった。

 

朝から土砂降りの続く、もう8月に入った夏休みのとある日、体育館の窓をあけても

空気は動かないまま、全力でバスケットの練習試合をするような、

腹や胸からの無駄な熱気感、ボールのねっちょり感、一向乾かぬ汗を味わっている感じ、

それが湿度100%である。

 

さてさて

内地からやってきた私なのに、そろそろようやく夏の感覚に近づいている。

気温が夏日になることも、これまで何度かあったが・・・前述のように体感的には

夏のようではない。

 

南国に引っ越したから、基準が辛口になったのでは?といぶかる向きもあろう。

ないとは断言できぬが、少なくとも内地ほど最高気温が上がらないから

意外に高温に強いようでいて、実質はそうでもない。

周囲が海のため真夏の最高気温は、34度まで上がる日は数えるほど。

ただし、高湿度なので体感温度は多少高いと思うものの。

 

左様なわけで、夏好きな島人にしても、今年はとくにテンションが低い。

さらに悪いことに、先日耳にしたところでは、マンゴーもテンションが低いという。

こりゃ、今年の島マンゴーは高級品になりそうな。

そういえば、トケイソウは調子いいのか、もう出荷が始まっている。

 

気温もさることながら・・・日照がなかったために、花の数を大幅に減らしたらしい。

我らニンゲンの実感としては、カラリとし雨を気にしないで済んだ日は、

今年ようやく10日あったかな〜といった感覚である。

 

直射日光がほとんど得られなかった植物にとっては、

最初から末成り状態のようで、とても実を生らせるような状態でないと

判断したのに違いない。

曇り時々雨とは、とても半端に感じられるために、とことん曇天、きわめて曇天と

表現したところで、猛犬チワワっぽいイメージしかわかぬ。 

しかし、いつ雨が降るかわからない、あるいはサラサラ振り続ける曇天が

半年続けば、曇天も極まれり・・・と感じられてくる。

猛犬チワワと半年戦い続け・・・治る間がなく満身創痍・・・化膿しっぱなし・・・な。

 

そもそも、布団干しや、洗濯物干し・・・どうなるか分かだろうか?

おそらく、日本海側の雪国と状況は同じで、外には干せず、乾燥機に除湿機の活躍だ。

雪下ろしが不要だから、体力的にはとても楽で、5月まで滅多にもカビも来ない。

 

書きながら感じる。

いたるところにカビが感じられると夏・・・かなと。

それから、パンツ一丁生活も必須だ。

地味なところでは、豚の脂が水道で流せるようになれば・・・

 

他方で

私のように、動物を相手にしていると、夏鳥の渡来は、

強制的な夏を感じさせられる。 植物好きにも、同様のムリヤリ感が得られるだろう。

島には、梅雨時期の代表選手アジサイのような植物がなく、ピンとこないが

コンロンカやイジュの花が咲くとか、ヤマモモが実るとか・・・?

 

夏鳥代表は、アカショウビンとサンコウチョウ。

先週の記事にもあったが、内地メセンの和名は両種ともリュウキュウ付きである。

キョロちゃんのモデルともなった、キョロロロロロロロロ〜と鳴くアカショウビン。

川でなく地上でエサを捕る、真っ赤なカワセミである。

遠くまで届く、キョロロロロロ〜は、内地のヒグラシのカナカナカナカナ・・・に近い郷愁がある。

 

動物好きの厳密な夏基準からすると、とある爬虫類の出現が大切なのだ。

徳之島の固有亜種オビトカゲモドキ。 島限定生物である。

 

不思議なことに、ヘビ類はほぼ周年見られるために、基準にならない。

例えば冬場活動が活発になる一定のカエルの主に合わせて、ヒメハブなども

活発化してしまうのだ。 厳冬期2月に、カエルとヘビのバトルが最盛期である。

 

こうした夏のキッカケは、ちょっとマニアックである。

南国だからといって3月から入道雲が出るわけでもないし。

 

そういえば、ハアリの大量発生が夏の始まり・・・と島人は感じることもあるらしい。

この時期の、大雨の後の宵の口、いっせいにハアリが発生し退去して灯火に集まる。

南国には春がない。 ただし真冬はある。

真冬はヒカンザクラの開花だ。 もっとも寒い時期にサクラが咲くから、あ゛〜これからは

あったかくなる一方なんだ・・・と少し明るい心持ちになる。

 

けれども、そこから三寒四温どころか、五寒二温のような実感をかかえ4月まで過ごし

4月末にはヤニワニ梅雨入り・・・ナンジャソリャ気分も甚だしい。

 

今年は特別、と信じたい。

ジャガイモには粉状ソウカ病が大流行し、ニンジンは発育不良である。

夏が来る前に、ニンゲンサマまでテンションが下がりすぎてヤバイ!?と思うほど

シトシトさむさむヒエヒエな日々が続いてきた。 確かに葬式も多かった。

 

ともすれば、12月や1月にクーラーが必要な夏日になることは不思議でない。

このごろの冬場は、そのような心配など無用な、ひたすら寒く雨の多い、あるいは

梅雨並みの豪雨になり、大被害になるような気象になった。

 

南国だから・・・というより、サトウキビ作を実行しているためか、

島の豊年祭りは、この時期になる。 サトウキビは遅くとも5月までには刈り取る。

ジャガイモ収穫のあと、さらにニンジン収穫がこの時期までかぶるが、一段落する。

豊年祝賀会などが各集落の公民館で開かれる。

もともと、シメユゥェ(≒仕舞いの祝い)と言うらしい。 ゥェはゑの発音でワ行だ。 

 

念のために述べるが、本来日本語には、ズヅ、ジヂ、オヲなどの発音は

キッチリと使い分けてきたが、なんだか明治以降はアイマイになった。

島口には、昔の発音が残っていて、かなりシビアで微妙な聞き方をしないと

聞き取りにくい発音がマダマダ多い。

ちなみにタチツテトは、タ・チ・トゥ・ティ・トゥな感じ。 

東北方面のナニヌネノ → ナ・ヌィ・ヌ・ヌャ・ヌォのような微妙さがある。

 

英語で表現できそうなのは・・・じ=JI、ぢ=DGI(ブリッジ=橋の発音の一部)かな?

 

ボーカルをしている方は、知っているかもしれない。

ヲは、ゥオと発音する方がカッコイイと。

 

島ではゥワ、ズィ → WA、ZIに近い発音もある。 

ゥワは明らかにウの発音が強く、WAよりもONE(=1)の頭の発音とそっくりだし、

ズィはZIの口でDGIと粘っこく発音する感じだ。

島口の発音は、なかなかに味わい深いし、発音はし辛い。

 

発音にこだわったのは、ムズィ(ムジ=ズイキ)という、高級サトイモ類の

タイモの茎が出回るころ、夏のはしりのような天気になるからだ。

島の海開きは4月の終わりだが、そのころ出回りだすだろうか。

シイタケのまわりにワラワラしている斜め切りの茎がそれ。

 

スポンジ状のただの茎だが、島ではなかなかに人気がある。

100円でドッサリ買えるのも島風。 スカスカだがビタミン豊富。

だが、美味いタイモ本体はどうなっているのだろう・・・

夏のはしり、梅雨の少し前というタイミングだろうか。

 

ニンジンの出荷が終わる頃、ともいえる。

ただ、この表現・・・ヤマトゥでは分かりにくかろう。

ついでなので、本土の人らを指して、ヤマトンチュゥと言うが

トンの発音がビミョーに、感じぬ程度にトゥンである。

島口だと、トの発音は自然にトゥになっているワケだ。

 

そういえば・・・今年の海開きはギリギリセーフなタイミングだった。

同級生のセージローが商工水産観光課・課長になって初のイベント。

午前中、なんとか天気がもってくれた。

そして午後から大雨、夜には梅雨入り報道・・・クワバラクワバラ・・・

午後から海開きだった伊仙町・・・ナームー・・・

 

梅雨入りは、確かに島でも、夏の前のイメージがあるが、

このところ前倒し気味なことと、年明け以来、なんだか寒いまま梅雨入りするから、

住民全般に違和感増大中である。

え゛〜、ずっとやんでないのに、今度は梅雨? なんか違うワケ?といったふう。

 

現実的かつ体感的なことで表現すると、あまりいい感じでないが・・・

カバーしてないスッキリすっぴん便座が、立ち上がろうとすると、

尻にくっついてきてガコンとなる時節、のように思えなくもない。

 

さっき行ってきて、急に納得した・・・

 

南国らしさの根源は、やはり夏場の湿度。

風呂から上がった瞬間から、シャワーの直後から、ペタペタぬっちょりする感じ。

北から来た方は、真冬でも空港に降り立った瞬間、ムワッとするだろうけれど

それは、ちょっとしたことであり、夏場の湿度はケッコーなものなのだ。

 

といいつつも、ニンゲンの体とは大したもので、

この時期、最悪の湿っぽい内地から島にきたときを想定すると

23度くらいの気温からやってきて、28度くらいの島に降り立ったとすると、

1立方メートルあたり、10グラムくらい島の方が水分が多い。

たかが10グラムだが、液体でなく空気中にただよう。

しかも、すっぴんの空気でなくどちらもほぼ100%だったとして・・・であるから

同じムシッとする感じでも、高温の方がはるかにムシッとするわけだ。

 

内地の高湿度はせいぜい80%台だろうが、コチラは高湿度どころか

日常的に湿度80%台以上であり、100%もありなのだ。

空気中にただよっている水分の多さは、南国の特徴でもあるだろう。

内地の爽やかで軽い?70%くらいの蒸し度で旅立ち、

湿度90%台の島に降り立つと、都会じゃアリエネ〜って感じになるだろう。

ま゛それは都会でなく、内地でもなく、単に高緯度から来た、北から来ただけ

の感覚なんだけれども。

日本人は内地基準だから、ついついそういった傾向が出る。

 

高湿度ジュクジュクが、都会よりスゲーダローなんて思いたくもないので

自慢にはならぬ。 けど、自慢にしたくなりそうなほど・・・厄介な実態なのである。

およそ空気の動かないところ、部屋のすみ、衣装ケースのなかなどが、

防カビ剤なしでは、すべてカビる。 カバンも、巾着袋も、手袋も、カメラのベルトも・・・

それが湿度の威力である。 虫干しすればよかろうものだが、ここ2週間ほど

ずっと蒸している、シケが続いている。 晴れ間はあるが、赤土の濁りで釣りもできぬ。

 

南国は、ただノポポ〜んとしている民族のような印象があるが、

虫もトカゲもウンコ爆弾を落とす鳴くヤモリも、ハブなどの毒蛇も多い、

けれど締め切ったらカビる・・・多少の雨が降り込んでも風を通す・・・

南国は南国で、それが内地も当然のことと感じている節がある。

 

家事で一杯一杯の私だが、島は農家、養牛家なので、荒天でも日々仕事はつづく。

風雨でも草をやらなければ、牛はやせる。 キュウリやゴーヤは関係なく大きくなる。

半日で汗だくになり、着替えは、長い軒先で小雨にさらされながら、マッタリ乾く?

多分、島人は雨のなかで育ったようなものだから、わりと平気なのだろう。

それにしても、ここ何年か、雨が多すぎると感じられるらしいものの・・・

 

私には、まだそうした生活に馴染めるほどの、感覚的余裕は得られていない。

 

湿度談義100%になってしまったが、湿度こそ、夏の訪れでもある。

ムシッとする感覚があってこそ、夏。

 

おおよそ、夏が来れば思い出すぅ〜的な、郷愁じみた現象は・・・

どうやら少なそうな。 それでも、島で生まれ育ったら、もっと違った視点の現象を

アリアリと感じるのだろう。

 

日本語も通じる、電話も通じる、けれど横浜とも伊勢とも、空間がつながっていない?

と感じるほど、異質な雰囲気のする島。 気象も、味付けも、価値観もことごとく違う。

内地の近くにある平行世界のような感覚で、この3年生活を続けている。

 

季節感の兆しは多いんだろうけれど・・・

それほど気温が上がらない、それほど気温が下がらない、

湿度だけは、ずっと上がり続ける感じ・・・私にはまだ、いつが夏の頃合なのか

つかみかねている。 でも必ず夏はやってくる。 もうじき梅雨も明ける。

 


 

どーでもいいが

墜落機体オスプレイ配備に関して、政府の姿勢がヤタラおかしい。

米軍のスタンスをそのまま沖縄に伝えているし、新たに墜落したのに

米軍の肩をもつ発言を続ける。 国民とはナンなんだ? 税金製造生物か?

沖縄に、臭い連中を押し込めたい気持ち満々すぎないか? 気持ちは分かるが。

どうせ我ら日本は、米国の属国である。 戦争に負けたので。

 

トキのヒナが6羽になったという。

栄養状態で違うが、3年は経たないと成熟しない。

6羽が幸運に生き延びたとして、実質繁殖できるようになるためには

あと10年は最低必要かもしれない。 

オスメスの比率や、分散してしまった個体が出逢う確率などを含めて。

10年経てば、淘汰されても20羽くらいは残っていそう。

20羽がどうやって、広い地域で出会うのか・・・知ったことでもないが。

 

国の特別天然記念物を製造する実験・・・アリなのかなぁ・・・悩ましい。

島のクロウサギも、ノラネコが増えて、もってあと10年くらいじゃないかと思う。

こっちも製造してくれないかなぁ。 ヤマシナは鳥専門だからダメか・・・

 

そうそう、ニンゲン嫌いのトキ幼鳥をムリヤリ保護して、栄養剤撃ちまくっても、

放鳥後にまた同じ栄養失調に・・・(涙)

1週間くらい保護して回復?なんて放鳥しても、エサが捕れなくて死ぬし、

あるいは保護しっぱなしで、2ヶ月も置けば、ストレスで死ぬ。

野生に手出ししても、その場しのぎのニンゲンの気晴らしだけで、死ぬものは死ぬ。

血税でイランことすな! ま゛ボランティアなら許す。

研究者だったら、ソンクライして当然だと思うが?

 

鳥バシラーもタイガイにせーよ、ヤマシナ。

たかが国の威信程度のことで、命の無駄づかいが過ぎる。

その予算があれば、仮設住宅で寂しく死んでいくジジババの何人かは救える。

けど、役場は個人を救わないので、仕方ないか・・・でも、ダメモトの鳥でいいんか?

 

民腫党の連中よ、とりあえず二度と政権とれそうにないので、

政治生命かける!とか言い放ち、面倒だから辞めたい意思表示するのも卑劣だ。

痛劣すぎる。 秋バカ? 秋葉文化なのか・・・? 民腫党全体も。

確かに、いかに短くとも一度首相になっておけば、末代まで食うは困らない理屈はあるが

あまりにミエミエなのは、人として、哀れな国家元首をもつ国民として、黙認できぬ!!!

放射能汚染ダメ国家とて、国家は国家だ。 祖国には替えがない。

 

あ゛〜めんどくさい。 

どうも日本って、ダメニンゲンが増えすぎてないか???

あるいは、中学生みたいなエロと金と、意味不明な欲求不満だけで行動する、

オッサンの暴走が過ぎるんじゃないか???

 

女性たちよ、勝手な男性を許せとは言わない。 けれど、いま少し優しく守ってやってほしい。

長い目で視れば・・・やっぱダメなのかもしれないが・・・ 歴史はそうして支えられてきた。

中学生の暴走をささえる美味しい家庭料理も、暴走をさせてあげられる度量も、

暴走しても帰るところがある安心感も、すべてお母さんである女性が居てくれるからだ。

今さらながら、バカ男性を見捨てないでいただければ幸せる。


ではまた