足を洗う

手を洗う

野菜を洗う

 


電器メーカーのサボりがバレた。

あんなつまらぬ番組しか流せない、単機能の番組投影装置で商売が続くと

思ってしまったらしい・・・ 業界に番組制作費を、もっと投資しておけば別だが

一週間のうちに3回も再放送するようなテレビが楽しいわけがない・・・のに。

 

電器屋から足を洗ってもうすぐ6年になる。

ときおり思い出しては、懐かしんでいる。

 

あれから意外に安泰な事業運びに、穏やかさすら感じていたが・・・が

今は対岸が火事になったような。

電器や自動車が不信だと、税収も減るから、復興も大変である。

テレビにも、公定価格があったら良かったのだろうか・・・電力のように?

 

少なくとも、20万以上もするテレビが現存しているのに

スマホ機能くらいユニット化して、入れとけたはずなのだが・・・

おそらくネット家電をにらみ、ユーザープロファイル盗用会社グーグルの侵入も、

ライセンスが面倒なマイクロソフトの参入も許したくなかったのだろうことは、

容易に想像がつくんだが。

 

ネット家電が歩いたり仕入れをしたり、自ら動けない以上、まだまだ実用は先。

ロボット技術が未熟な間は、IPv6の半無限ともいえるアドレスとはいえ

無駄な通信機能だけのために使うのは、手控えておくのは得策である。

いまさら冷蔵庫の中を、ケータイで確認する必要があるだろうか?

でもハードディスクレコーダには・・・入ってそうだけど。

スマホで、録画した番組を見るとかで。

 

テレビの次・・・は、おそらく無い。 恐竜の次が無かったのと同様に。

家族でウダウダすることを好しとしない社会では、

通信は人との接点を無駄に増やすだけで、好まれないだろう。

選択的に受容するだけのメディアの方が、精神的に楽だから、

やはり今後も受身主体のテレビはそのままだと思う。

 

メンドウだから、まったく普及しないものは、分かりやすいところにある。

未だに、デジカメやケータイでハイビジョン撮影することは流行らない。

メンドウとは、究極的にダメである。 人生の無駄づかいだから。

 

ましかし裏AV的なジャンルでは、3D化は早そうだ。

プレーヤーに接続したキネクトで愛撫・・・なんてソフトも出そうだ。

実感無いなぁ。 けど、ニオイも汚れもないから、手軽で楽かな。(笑)

観光もそうだが、キレイなところだけ視るには、別にさしたる実感とか

生活感とか必要ないから、メディアで視たほうが楽で、心地よい。

ということは、プレーヤーというより、やはりゲーム機が再興だろうか?

ハードディスクレコーダーと、ゲーム機がドッキングしたような。

観光だけなら、大画面でストリートビューを視れば済みそうだ。

 

それではやっぱり、テレビだけこさえてたら、儲からんなぁ。

 

やっぱり、楽しさをこさえてナンボ・・・であるが、硬い社風でエンタメは不可。

楽しさ、面白さという指標をもっていないのは、厳しいことだと思う。

特に今後、間の抜けた未熟なロボットを世に出すには、茶目っ気がないと

やってけないハズなのに・・・

 

ところで、今、あなたが視たい番組はなんだ???

バラエティか? クイズか? B級グルメ番組か? ドラマか? いやおそらく

面白けりゃ何でもいい・・・と漠然と思うだろうに。

それさえあれば、なんぼでも売れる機械・・・ってほどでもないか・・・テレビ。

いやしかし、半世紀を経て、制作するネタが尽きた・・・のも事実。

だからこそアーカイブを閲覧できる仕組みとつながるべきなのだが

有料サービスなのに録画もできない・・・みたいなモノレンマを未だ続ける。

ダメの連鎖を、続けすぎである。

 

我が家には、無くても困らないくらいだから、ネットがあれば不要なもの。

一方、パソコンつなぐのに欲しいのは確かで、46インチの液晶が5万切るくらいなら

買おうかな・・・と思うこともある。 動物写真を、リアルサイズで表示したいから。

動物自体、さほど大きくないから、42インチでもいいし、プラズマがいいのだが。

プラズマはやっぱり重すぎて、車に積んで移動しにくい。

 

まー当面は、写真の活用を考えるより、

たんまり残った、役場の仕事を片付けるのが先だ。

 

それにしても、体調が悪い・・・ずっと悪い・・・ ほとんどまともに登庁できぬ。

 

帰ってきてから、晴れがあった日は、3日あまりか・・・

日照がないと気分もだが、気温が上がらぬので、とても寒い。

気温11度といえば、伊勢の正月とさして変わらぬのだが、暖房なし。

しばれないが、芯から冷える感覚が否めない。

それに、晴れない気象が、心も曇らせているのも事実。

 

伊勢にいたころ、ちと風邪をひいた。 わりと手洗いをしていたと思うが。

やはり、家族生活で体力が削られて抵抗力が減退していったのだろう。

 

手洗いしても、ウィルスに抗う体力だの体温だのが保てなければ

感染して当然である・・・やれやれ。

 

これまで何度も書いてきたが、徳之島は存外寒い。

たま〜に小夏日和なんぞがあるがゆえに、もっと寒く感じる。

 

ただ、やはりこれまでも書いてきたが、日差しがない、どんよりとした気温は

それ以上は断じてあたたまることがないから、

島の15度より、むしろ5度の晴れの陽だまりの方が暖かい。

 

それにしても

歳をとると、夜寝るときの足先の冷たさに恐れをいだくほどだ。

湯たんぽを使うと良さそうだが、モノが増やしたくない手前・・・

しかも、布団が湿気で重くなっているのか、温まりにくい心地がする。

木綿ではないので、だいぶマシなはずなのに、である。

 

冷え性とは女性のものというが、私は子供のころから日常として

冬場になると、こういった手先足先が冷え切った状態であった。

だから手足がシモヤケやアカギレになるわけで・・・

 

そこへ、生活リズムが崩れた不眠症生活で、低体温が訪れた。

低体温症なのかは知らぬが、知ったところで場当たり対処医学に頼っても

一瞬治ったように感じるだけなので、最初から頼る気は無い。

しかも、頼りにしていた東天城診療所は、ほとんど閉鎖状態になったし。

 

去年もそうだった。 体を温めたら、自然と回復し、また今年・・・である。

いっとき、薬を飲んでその場だけ回復・・・のように、短絡してよい症状でないが

寒くなければなりにくい、単純な症状である。

 

歳をとると、どうも病気自慢とか痛いところ自慢が多くなっていかん。

 

ところで

関係ないが、このごろGYAOの動画で地獄少女というのを視る。

妖怪だか、半妖だか、霊だか分からぬが、もともとそのようなものは

割り切るほうが無駄なので置いといて、冥界仕事人的でオモシロイ。

恨み尽くせぬ相手を、生きながらにして地獄送りにしてくれるキャラだ。

仕事人と違うのは、非科学で対象を地獄に送ることだ。

 

主人公の地獄少女は、三途の川を直接渡すことができるみたい。

あるときは子供のいじめ、あるときは社会の歪み、互いの矛盾といった哀歓を

相手を地獄送りにするかどうか、代償に自分も地獄送りになるという葛藤で

生々しい直接なイメージで描いているところが、とても分かりやすい。

 

一方で

浮世の、あさましい恨み辛み呪いの姿が、淡々と、あまり葛藤無く視聴でき、

不思議な感覚に酔えるようにも思う。 いやこれは、私だけの感覚だろう。

 

もともとそれは、生物としての本質、愛情も含めて全て

私利私欲によって、自らと、自らの家族が長生きするという本質を貫く。

つまり愛情すらも万能どころか、すでに愛という理想を抱いた時点で、

暴走する私利私欲を抑えられない現実を、単純に描いた構図である。

愛はもともと、壊れている。 壊れながら機能する・・・という方が正解か。

 

博愛というのは違う、それは自己犠牲的自慰であって博愛ではない。

もし博愛が存在する!と信ずる方がいるのなら、すぐ実践すればいい。

博愛からその方を解放してあげてみてほしい、生きがいを失うようなら

それは自慰だった・・・ということである。

それに博愛というわりに方向性がありすぎる。

金持ちは相手にしないとか、冷血動物はダメとか。

愛は物質的なものとは、関係なく・・・金持ちほど、愛が枯れているように思うし

ニンゲンを生かすためには、動物たちだって大切だ。

 

人は自らが生きるために生きている。

愛とは、究極的に都合のいい、人類最大のいいわけ・・・なのかもしれない。

 

いいかえれば、愛ゆえに争い、愛ゆえに戦争してきたのが人類の歴史。

愛とは平和とは対極の概念であることを、信じたくないがゆえに・・・

人類の矛盾であり続けているわけだ。 気づいても気づいても、納得いかない。

納得いかないから争い続け、そして殺し合うのである。 スゲーぜ人類。

 

だからといって、愛は人類に必須の繁殖手法である。

私も、断じて嫌ってなどいない。 だが、恐ろしくもある。

自由に生きてきたので、自由を失うのが恐ろしく、保留にしているだけだ。

 

さてさて

幸か不幸か、私には呪って殺したいような人はおらぬ。

真剣に生きていないのか、とても幸福だったのか・・・ビミョーだが。

 

家から出られず、ニートっぽい生活を送りながら視たからかもしれぬが

それぞれ道を選びながらも、一見、八方ふさがった未来を何とかしようと

歩んでいる人がいるような・・・ 妙な共感があったりするのかもしれない。

感情(愛憎)、社会倫理、金権が交錯するなかで、もがいている人らに。

 

人を呪わば穴二つ・・・

私にはとかく、サブちゃんの巨大な鼻の穴しか思い浮かばぬ決めセリフが、

心に、ユルさと安らぎを与えているのかもしれない。

 

一方で、

より不条理な、非科学が身の回りに感じられるようになったから

この程度だったら、ま゛〜アリじゃないの?と感じている節もあるような。

 

世に妖怪とか精霊とか幽霊とか神とか・・・ある。

非科学とはそういうもののこと。

命なのか、存在なのか、あるいは何らかのチカラなのか・・・?

ないといえば無いが・・・ あるものは在りつづけている。

 

このごろ私の人生にも、そういうのが絡んで、いろんなことが起きているなぁ・・・

と実感することがあるから、あるのだろう。

 

つい先日、クラクラしながら運転し、カンアオイの花を観にいった。

フラツクので、2枚しか写真を撮らず、しかも1枚はピンボケなのを確認し、山を降りた。

帰宅後、パソコンにSDカードを入れると、昨晩撮ったスキ鍋の写真が最後だった・・・

 

少なくとも、2枚を削除するには、ワンタッチということはできぬし

誤動作したにしても、カンアオイだけが消えるのは、あまりにも不自然である。

SDカードをZARというファイル復活ソフトにかけると・・・やれやれ残っていてよかった。

私の体調にハイテクが反応する現象、これはどうやら昔からあるように思う。

いつぞやの正月のように、消えなくて助かった。

 

どうもこのごろ、体力が減っているのは食事と睡眠のようだ。

睡眠は、いびきで呼吸が止まりかけて、とても浅い眠りになっている。

食事は、食事すること自体が面倒になり、食欲がなくなっている。

こさえることが面倒なのではなく、食べても美味しいと思わなくなってきている。

特に朝昼は。

自分の味に飽きる・・・ということが自炊にはあるから、外食に赴くが

吐きそうになることもあり、食べつくすのがやっと・・・ということも多い。

そのせいか、晩酌はわりと楽である。

おそらく、朝昼ろくに食べてないから、空腹がまさっているんだろう。

 

さて、いい水菜が手に入った。

島野菜は、土が細かいこと、半端でない土つきやデンデンムシつきが多いので

野菜洗いも結構手がかかるものだ。 そのぶん安心で、美味しいものの。

鶏肉で出汁をこさえて、夕げは特製はりはり鍋にでもするかな。

 

そういえば、このごろ伊勢で求めておいた梅塩というのが気に入っている。

以前横浜でもつかっていたことがある。

当時はテキーラのアテであった。 岩塩より、ずっとテキーラが引き立つ。(笑)

鍋物のたれに、しょうゆを控えて忍ばせると、なかなかの味わい。

アッサリしているから、はりはり鍋にも良さそうだ。

 

ちなみに

茶に加えると、梅茶っぽくなるし、上品な吸い物もこさえらえる。

 

さあて、まだまだ寒い日は続きそうだし・・・

暖まる美味しい朝飯をこさえて、元気だしたいなぁ。 


ではまた