テレビ生活 ネット生活

 


年末年始の帰省中、インターネットは封じられた状態だった。

すると、テレビを見始めていたのだった・・・

水谷豊の相棒、沢口やっちゃんの科捜研シリーズとか楽しんでいたが

ほとんどは、データ放送を閲覧するために利用していた。

  

ニュース番組など、なぜかキャスターの鼻の穴や毛穴を鮮明に見せられ、

だらだらしゃべくるるのには、相当困惑した・・・こんなニュース視てたのか

これまでの私は・・・30秒もあれば情報取得できるものを、夕刻2時間くらい

不要な特集などを織り交ぜてダラ流している。

 

スポンサーや制作会社に対して、国民はとても献身しているなぁと感じた。

 

一方、相棒シリーズや映画などを視るのに、電気代がもったいないので

寝床でワンセグを使ってみたら、これが十分!

なぜか実家には、37インチを筆頭として20インチ以上の液晶テレビが4台もある。

夫婦二人にテレビ4台・・・おふくろ様のテレビ好きにも恐れ入る。

どうあれ、ほとんどの番組が、数センチの画面で十分な情報しか有しておらぬ。

 

茶の間の大画面で、美しい光景を楽しむ悦楽・・・という感覚が薄らいでいる。

 

おそらく、テレビの技術はまだ未熟で、たとえば画面に表示される動植物や

景色の大きさ情報が制御されていないから・・・美しいがリアリティがないのだろう。

たとえば40インチの画面前2mで視ると、目で見たのと同じ、とか

それぞれの液晶サイズに合わせて、動植物が原寸大で表示される

といったような技術がない。

 

かくいう私も、テレビは持たないが、動画を見ないわけではない。

こうして記事を書きながら、GYAOやYOUTUBEなどを視聴するのが日常だ。

これらは、トイレも風呂も、あるいは寝ても・・・続きを好きなときに視られる。

 

本記事を書きながら、表示している画面はこんな感じ。

左上が記事の編集、下がGYAO、右がブラウザーである。

情報発信、動画閲覧、情報アクセス系・・・などというともっともらしいが・・・

ニートの定番ファッションを着こなす勇気!みたいなもので、格好の良いものではない。

 

動画のニュースは再生手順が面倒なこともあって、厳選して視る。

ヘッドラインにチェックを入れると自動連続再生・・・なんてあれば便利なのに。

 

傲慢な確信犯は動画で顔を検めるが、たいがい文章で済ませることが多い。

イタリアの金権主義は、想像以上に深刻だ・・・中国以上か?

そもそも、操船や航海技術を持っているかすら怪しく、ただのオッサンっぽい。

重要ポストに就くのは、金持ちか大枚はたいて権利を買った連中だから、

とても信頼できる人物がいない・・・国が揺らいで当然だ。

自動車免許も、金次第・・・らしいから、すっかり草の根金権主義国家である。

ま゛〜わが国もオリンパスを上場廃止にしないなど、金権主義には違いあるまい。

 

フクシマはいよいよダメだ。

子供がいたら御免なさい・・・目が死んでいることからも、被害者妄想で

物事の認識がおかしくなっている経営者であることが分かる。

フクシマでは、農作物意外にも、深刻なセシウム垂れ流し業者が横行し

放射性物質が平然とばら撒かれている。

こういう手合いがいるから、瓦礫や除染土壌の受け入れなど、他県が納得しない。

 

ついでに

フクシマの30年後の廃炉どころか、現存する原子炉の多くが廃炉の

時期を迎えるだろうから、年金とりくずし、増税、電力料金値上げで済みそうにないし

廃炉しようにも、その核物質の廃棄場所がない。

 

別の観点からみれば、核は宇宙戦においても未だ最強の兵器である。

ビーム兵器では貫くことはできても、爆破は無理。 圧倒的打撃力がない。

一部の地球外テクノロジーを除けば、最重要の軍事技術だから、

失うことが許されぬことくらい、ニンゲンとして理解しておく必要がある。

 

ともあれ、現在の東電や政府の上層部は30年後には、とっくに天寿が尽きている。

責任、誰が負ってるんだ?

 

テレビはずいぶん時代遅れになり、地デジに移行して、映像より鮮明になった。

双方向テレビ・・・なんていっても、ロクな機能がついていない。

つまらなすぎて、YOUTUBEやブラウザーの機能が入り始めたのは仕方ないこと。

インターネットの面白さに比べたら、お仕着せの番組などパソコンのおまけの

トランプゲームみたいな、ただの暇つぶしが大半。

しかもネタ切れというより、スポンサー料切れで、再放送ばかり。

くだらなさがハードローテーションされる時代になって、花形メディアが失墜。

 

メディアも、それぞれ動物のようにせめぎあって進化する。

もともとニンゲンが生物だから・・・だから仕方ないが。

せめぎあうというと聞こえは優しいが、要は食い合い殺し合い。

つまり世界平和が来ないのと同様の現象が、経済という土俵で堂々と行われるだけ。

 

インターネットの世界は、なんでもアリだ。

何でもアリを、自分のほうへ引き寄せるものが勝つ。

だが、テレビはまったく逆、トップダウンである。

国が確保した電波に、自己満足企画になり勝ちな、制作側都合のニオイぷんぷんの

映像番組やニュースが、だーらだらだらだらーだらららりーんと流される。

俺様の番組を見るがよい!くらいな勢い。

ギョーカイの連中は今もそう思っているようだが、ネット世界は華やかさこそないものの

初期投資が少なくて、効果的に飛躍的に展開できるメディアである。 

テレビは、スイッチが入ってチャンネルが合っているか、録画もされなければ、

原子炉が発電した電力のように、ただアースされて消えてしまう・・・哀しいメディア。

ライブならいざ知らず。 その古式ゆかしい儚さを、貴重とみる向きは少数派だろう。

忙しいし、娯楽も増えたなかで進化を止めたメディアなど・・・久しからず。

団塊の世代が死滅するころには、今よりもっと細々とする可能性もあるだろう。

 

私の生活にはテレビがないから、テレビ番組自体のことを失念している。

生活には何の支障も無い。 生活には関係ないタレントのことなどを

頭に放り込んでおく必要も無いので、良からぬ脳細胞でも有効活用できる。

あ゛〜つまらん!早送りしたい! という衝動を抑えて番組を最後まで待つ・・・

CMのあとでを待つ・・・ど根性は私には無くなった。

 

しかしながら、少々自分への失望感もある。

自分の時間だけを過ごしすぎて、誰にも合わせづらい人生になった。

本記事が水曜をとおにすぎ、日曜更新になることが多いが

今回のは、帰省で失われた免疫力により、カゼに抵抗できなかったことによる。

 

つまるところ

私は家族と生活できない・・・ということ、

それどころか・・・社会生活自体が危ういということだ。

独立独歩することがオトナだ、と言われて育ってきのに、それが裏目に?

人と時間を共にするのが、とても体力を消耗してしまう。

社会性喪失者に他ならない。 でも、ゼロイチでなく度合いもある。

 

仮にゼロはニートあたりにおくとして・・・私はとりあえず週3回くらいは働く。

週三日として、単純計算だと・・・適合率43%弱・・・

これじゃあ、このごろのロボットは操縦させてくれない数値だし

主人公としての自分が、情けなくなるくらいの数値でもある。

ま、その数値で人気を保ち、うまく立ち回れる主人公は、ノビタ君くらいなものだ。

でも、キャラ全員にドラえもん量産型がついているならば、

やっぱりドラえもんを活かしきれないノビタは、ダメなままで落ちぶれるだけだ・・・

 

適合から離れて、少々本質に立ち返る。

そもそも、テレビを見たい衝動は、私のためにだれか面白いことをする人を探す

という行為であって、王様が道化や芸人を呼んで暇つぶしする行為に相当する。

王様ならずとも、みな等しくメンドクサクナイ人と適当に付き合いたい衝動がある。

テレビの向こうから、適当に退屈しないように、勝手に話しかけてくれている・・・

と勘違いするためのメディアだ。

 

つまりメディアのギョーカイ連中は、そういった下僕的な意識のもとに存在する。

タレントとはそういった哀しい位置づけであることを、知らぬ方は多かろう。

テレビで見るとオモロイが、実際に人付き合いしたいタレントなんて、まずいない。

 

すなわち

テレビ番組は、人付き合いの代償行為を与えているから受け入れられる。

もっとも楽な人付き合いの一種・・・だ。

したがって、私のようにペットにもならない動物番組を視る方が少ないのは

そういった代償感覚に欠けるからだろうが、私にはその意識が薄い。

私は動物の生態がとても好きである。 けれど、さして生活の足しにならなかった。

逆に言えば、究極的に人付き合いが苦手なので、人との接点は不要で

動物ならOK、それでもメンドウだから、テレビも否定しとけ・・・みたいなニンゲン

とも結論できるのかもしれない。

 

あでも・・・バナナマンの長いコントも、結構好きだけども。 

 

さて

私はネット利用者であって、テレビ利用者ではない。

理屈では、先の画面表示の左下、ネット動画のところにテレビを映してもいい。

だが問題は・・・CMである。 テレビの存在する最大の理由、スポンサー広告が

もっともくだらなくて、視聴したくない上、番組のシナリオもそれに合わせられている。

CMを見なければ次に進めないが、CMを視たら感動がリセットされてしまう。

 

感動リセットメディア・・・感動することを抑えるメディア・・・無感動無関心に誘う

社会現象の素といえなくもないような。

主人公の窮地でCMへ・・・美味そうなビールのCM→苦しいのは自分の思い込みで

世の中はそんなことドーデモイイ・・・バカみたいに自分で苦しむ必要は無い・・・

といった意識を招いていない! とはいえぬと思う。

 

これを読んでいて、そんなことオトナの脳みそが分かってるよと思った方は

すでにメディアに酔ってしまっているのではなかろうか?

スポンサーと制作者で仕立てた恣意な非現実を、現実とだまされたフリをして

何年、何十年テレビを眺めてきた??? 

最初はフリだと思っていても、次第にそうでなくなる。 わりと早い時期に。

あんたなんか、死んでも誰も悲しまないと、一日3度言われて生活するとどうなる?

いやそもそも、イカやタコをなぜ気持ち悪いと思わないのはナゼだ?

そのうえ美味しい・・・と、あのデロデロ物質を口に入れるのに勇気すら不要なのはナゼ?

習慣とは、継続とは恐ろしいものである。 学習能力と理性の限界である。

頭では分かっていても、慣れてしまう。 毎日殺人を見ていれば、殺人が普通になる。

悲惨な境遇で育ったら、それが標準、平均値になる。

それがニンゲンの脳の造りだから仕方がない。

 

首相がスグ変わる、東電がまたインチキなこと発表する、世界のどこかで大災害が起こる、

なんてことに、あまり気持ちが動かなくなってしまうし、なってない?

 

話をおおもとにもどして

地デジは番組一覧があるのに、ワンセグで出ないのは、ガラケーだから???

正月に視ようとしたら、すごく不便だったんだよなぁ。

ワンセグはそれぞれのチャンネルの情報はあるけど、トータルの番組表がない・・・

モバイルでもっとも大切な一覧性がない・・・ テキトーなメディアってことだろう。

ラジオの次に、重要な災害時のメディアなのに、総務省がギョーカイに屈した結果なのかな?

それとも災害時は災害のことばかりだから不要ってことかもな・・・と深読みしておく。

  

ともあれ

テレビから離れて3年近く経つ。

私自身がネット中毒と呼ばれる現象に、陥っている感もなくはない。

それはそれとして、あなたはテレビから離れて3年過ごせるか?

ネット中毒がテレビで報道されているのを視て・・・あ゛〜なんてナゲカワシイ!なんて

思ってないだろうか・・・ネット中毒を憂えるなら、テレビも終えたほうが正しかろう。

いやべつに悔しいからではなく、テレビ中毒の人らに、ネット中毒をテレビで報じるのが

あまりにコッケイだから記述したまでのこと。 違うか? 違うならテレビを10日でも

やめられるか・・・実験してみて欲しい。 家族がいるから無理!なんてのはナシ。

そもそもネット依存を憂えるなら、テレビ依存とナニが違うのだ?という本質を

考えてみれば明白である。 そもそも寂しい心にヒトケが欲しいだけのメディアである。

家族が、家族と過ごしていながらにして、寂しい心を持ち続けていることは

家族と生活していないでテレビに依存するのより、数倍深刻である。

その違和感は、ものすごく異常で、私にもまったく分析できぬ。

団体の中に居て、自分を孤独と信じられる余裕・・・理解できない。

誰の、何のための余裕か、孤独か理解できない。

 

余裕があるのに、孤独が欲しいのに・・・家族から独立していないからだ。

年齢、経済的理由、いかなる理由があるにせよ、自分の感覚を押さえつけて

日々マゾ的に生活し、したり顔でもしているのだろうか・・・

 

さてさて

ただいま帰省して体力減退時。

カゼをかかえていて前向きな内容は無かったが、とりあえず今週はこのあたりで。

皆々さまも、あまりテレビ漬けにならないでいただきたい。

っていうか、一週間のうち、一日とて視ない日は無いというなら、それはテレビ依存症。

テレビ依存症社会だから、誰も指摘できないでいるものの・・・

あなたの心はすでにテレビのトリコ。

 

私の心も、テレビとは違うメディアのトリコ。 つまり人はメンドウな人との接点を減らし

メディアという擬人を相手に心を満たし、偽りの生活を好んでいる。

なぜそうなったのか・・・本来社会的霊長類なニンゲンの絆を基準におけば

いつわりのナニを得て、ナニを失っているのか、分かろうものである。

 

それにしても、今回もまた、咳がとまらんなぁ・・・

芯からあたたまる、生しょうがを仕入れてこなきゃな。


ではまた