ひつまぶし と ひまつぶし

 


内地の冬は草木の葉が落ちて、とても見晴らしがいい。

ちなみに島も、キビ刈りが進む11月から5月ごろまでは、見晴らしがいい。

 

昨年ほどではないが、年末年始は好天続きである。

島もこのくらい晴れれば・・・と思うが、農家にはしんどいようで、

あちこち自家用菜園に、ジョウロで水やりする風景が営まれている。

天気が良いと行われるのは、島も伊勢も同じで野焼き。

8月、稲刈りが終わって久しいこの時期に燃されるのは、半分はゴミである。

ついでに申し上げておくと、やはり林などには不法投棄が多く、

冷蔵庫などの大物が少なく、島ほどではないものの、ひどい現況だ。

伊勢平野には、山(やま)と呼ばれる林があり、その一角には山ノ神がおわす。

メロンほどの石(プリンス〜大玉マスクメロン大)が一対、雄雌の神としてお祭りされる。

観察にでかけると、くれぐれも気になる風景をみかけるものだが、

昨今、希薄になりがちな集落の歴史を感じさせる「山ノ神」は注目に値する。

そもそも、山がどうして存在するのか・・・子供のころからのナゾだった。

 

先日、小俣町図書館で小俣町史を眺めてきた。

どうやら、このあたりの集落史を書かれる方はダブっていて

詳しくは松阪市史を参照・・・てな具合で、しまかすヤツだった。

(しまかす=山口弁で、食わせ者、お調子者のこと)

 

ともあれ、山ノ神の記述はあるが、山についての記述は無い。

何れ、小俣町史なりを購入して熟読するつもりだが、そもそも山とは何?

 

その前に、山ノ神の記述には、集落の出入り口に魔よけとして

邪が村に入らぬよう、お守りしてもらうための神であり、

どうでもいい記述だと思うが、道祖神としても機能したり

姿がシヴァリンガにも似ているので、安産の神としても利活用しているのだとか。

ホントニどーでもいいな・・・こりゃ・・・シモネタ万能の神扱いとは・・・

 

かれこれ情報から、安易に推察するに

平野を切り拓いたとき、問題になるのが材木や薪炭である。

集落境界に林を残し、あるいは防風林としても機能させたのかもしれない。

山は一面の林を意図的に残したもので、こさえたものではないから、

とりたてて記載がない・・・とみていいだろう。

 

内地人は、とかく移動するので、薄っぺらな郷里への愛着はあるものの

その土地土地の大切な文化を、知らぬまま平気でいられる。

島ではまだなんとか風習や祭りが残るが、内地はほとんどなく観光用のみ。

我が家の両親にも、勉強してみてはどうかと問うたが、問うた私が馬鹿をみた。

そんな内地の連中が、日本食を世界遺産にしたいというのだから、噴飯もの。

自分たちの住む地域の地名の由来すら知らない連中が、食文化を語れるか?

京都の歴史を知らぬのに、京野菜や京料理が語られることに意味があるか?

 

住むだけの土地にいるだけ・・・寂しいなぁ。

そのわりは・・・かの地に戻りたいとか、ほかの土地に住めないとのたまったり。

ま、生き物全て、易きに流れ、勝手なること山の如し・・・わかりやすいものだ。

 

さて、山のナゾは解けたことにしておき

山ノ神が、どうも困ったことになっているところも。

(岩のほこら、というより封印?)

度を越えた?頑強さを誇るお社を造営された神様もあれば

どうやら、我が家の土地にも神が欲しいからと、勝手に分祀してしまって

雄と雌をバラバラにしてしまったところもあるようだ。

 

神様のとばっちりを受けそうなので、敢て問わぬことにしているが

七夕よりも悲惨な、いやむしろ水害を起こして、洪水を起こしてしまってでも

会いたい、一緒に居たいと思うのではないか・・・

たたりとは、こういうことか。 ある意味、人災かもな。

神とは気まぐれで、どう振舞うか人智が及ばぬ存在である。

 

科学を妄信した結果が、津波後の原発暴走であった。

妄信するということ自体、なんらかのチカラを蓄えることになるのは

心霊サイドだけでなく、科学サイドとて覚えのあるところだろう。

信じる・・・というのは、軽い気持ちで云々できる事柄ではないことを

科学サイドの連中は知らなさ過ぎる・・・ということだ。

金をちらつかせると、すぐ信じる。

科学サイドというと、科学が半分の様に感じるだろうが、科学も世界のごく一部。

宇宙には、心霊サイド以外にもさらに膨大な、妄信要素が満ち満ちている。

性別が2つしかない人類は、とかく二元的に考えてしまいやすい弱点がある。

 

山ノ神を、とっても大げさに?お祭りされているシーンもある。

個人名が記されたノボリがあることからして・・・もはや集落の神ではなく

集落から見放されたからか、あるいは私してしまう何らかの理由からか・・・

山ノ神も山を失ってしまったら、引き受け手に苦しんでいるのかも知れぬ。

 

そのうちまた、小俣町の歴史については調べていきたい。 

伊勢市との合併で、独自性が失われつつあるようだが。

  

さて、中部地方には、ひまつぶしっぽい食べ物がある。 しかも高級だ!

伊勢は養鰻が盛んで、中学の憧れの美少女同級生も「ウナギ屋」とあだ名された。

 

旧国道沿い、実家の近くの専門店で供される。

「う」という力強い文字を見ると、ついついマンボを思い出すのは昭和症だろうか。

 

2,950円だったろうか・・・ しずしずと一人前ずつ運ばれてくる。

禁煙なのは常識とはいえ・・・ありがたい。 島では、禁煙施設など不可能だ。

 

おひつ風の器に入った、ウナ丼(カツ丼並みにカットした鰻が乗る)、

ウナ肝の吸い物(鰹だし)、それに鰹だしと薬味、漬物、シャモジがついてくる。

なぜか茶は、ぬるいほうじ茶。

 

ご飯の下にも鰻があるのか???という淡い期待は裏切られたが、海苔が敷かれる。

鰻の海苔弁?っぽい感じだろうか。

鰻だけのウナ重より、味に変化があって数段食べやすい。

 

私はステーキが苦手なのだが、ステーキ肉は美味しいが

口内で、肉ばかりと格闘する羽目になり、飽け食いになるからだ。

(飽け食い=味や量に悩まされつつ、飽きながらも食べ続ける・・・山口弁)

だからステーキ肉をピーマンなどと炒めた方が、ずっとのどを通りやすい。

美味しくてものどを通りにくい食材は、やはり好ましいとは言い難い。

 

一回ずつ、茶碗によそって食べるので、かなり食べやすい。

例の・・・重箱すみに残る、最後のタレ含みご飯の、すみつつきもしないで済むし。

 

次の一杯には、ネギとワサビをトッピングし、鰹だしで茶漬け風にいただく。

お店の人いわく、ネギとワサビを混ぜていただくのも一種の食べ方だそうだが

ネギくさくて、私には理解できない食べ方だったので、即、汁かけに移る。

というのも・・・焼き立てで香ばしい鰻だが、やはりコッテリしていて

多少吸い物をふくんだところで、口ものどもサッパリせぬ。

 

そこへ、意外なほどアッサリした風に感じる、ウナ汁ご飯をサラサラといただくと

胃袋にドドンと溜まるはずの感覚が、サラリと入っていくのである。

(汁だくさんでいただくのが私の流儀。 茶漬けなど、かけてしばらく置く・・・)

 

これはやはり、夏の食事だろう。

ぬるいか、さめた常温の鰹だしや茶で十分だったのではなかろうか?

水分と塩分と、スタミナ源を効率よく摂取するには、適していると思う。

 

汁ご飯をいただいたあとは、当然またウナ丼として汁抜きでいただく。

そしてまた、汁かけである。

 

このリズム感。

 

飽きない、香ばしい、汁をかけると海苔の香りと焦げ目が相まって

なお香ばしくサラサラいけるのである。

ウナ丼で終わるか、汁かけでシメるか、いささか計算が必要だが

なかなかに楽しめる暇つぶし?

 

刺身をいただいたあとで、それを軽く漬け(づけ)にしたものを

アツアツの茶漬けでいただく習慣はあったが、刺身はくどくないから

たいがい食べ続けられてしまう。

ウナギの蒲焼は一口二口は旨いが・・・くどい味付け、脂っこさに飽きてくる。

肉体労働者の方なら平気だろうが、デスクワークや家事程度なら、

讃岐うどんとミニウナ丼セットくらいが、変化があって食べやかろう。

(そのようなメニューは、かの店には存在しないので、念のため)

 

一方、島には鶏飯(けいはん)があり、鶏肉を細かく裂いたものや漬物、

錦糸卵、ネギなどをトッピングして、濃厚な鶏ガラスープでいただく。

こちらは、思いのほかアッサリしすぎて、酒飲みの多い島人には不評だ。

ビールに合わなくて、シメには重すぎるし私にとっても微妙。

本来は、要人をお迎えするための、もてなし料理である。

つぶした鶏を、あますところなく食べていただく料理であったはずが・・・

いきなり茶漬け的な料理でもある。

生まれつきヒンマガッタ性格の?京都人に食わせたら・・・

もてなしがブブヅケどすか!?と怒り倒すだろう。(笑)

 

コッテリとタレで焼いたような鶏肉の、照り焼き丼みたいなのとの

コラボレーションだったら良かったのかもしれない。

けれど・・・島はもともとしょうゆがないお土地柄である。

こだわるなら、ソテツ味噌あたりを活用したものか・・・?

島人の好きな三枚肉だと、脂が強すぎ、下手すると消化不良になってしまう。

 

そのまま応用というわけには、いきそうにない。

 

強いて言うなら、アナゴでやると、ものすごく美味しい気がする。

アイデアなし、まんまだ・・・

ともあれ、歴史と庶民文化の香りを感じるひつまぶし、次はいつ食べられるやら。

 

はたまた

どうしても気になる風景がある。

動物写真家の性分だからか、動物キャラがどうも怪しい。

 

田舎というのは、どうにも犬猫の糞尿被害が多い。

ま、ニンゲンにしろイヌネコにしろ、等しくそこらでシテきたのだが

ニンゲンの思い込みによって、現代は禁止されている地域が多い。

なぜかネコは黙殺されやすく、犬は問題視されている。

本来は、ネコを放置していること自体が、もっと大変な問題を含むのだが。

 

突っ込みどころ満載の・・・表示がされている。

大仏山運動公園(伊勢市)の、もっとも大きな案内板にあったもの。

そもそもオマエがしたんだろっ! 他になするんじゃないよ!

派手な赤い靴なうえに、なんでヒールがついてるんだよ!

いやそれ、むしろ一本まるまるニンゲンのやつだよね!? などなど

顔色と尻尾の色が悪いのは、おいておいたとしても、かなりボケてある。

 

最終的には、警察のイヌ=クソ警官・・・という婉曲表現のような。

 

トイレの表示には、なお難解なものが存在した。

信長の弟にあたる、織田信雄が築城した田丸城址にある。

分かる人は分かる・・・うさみちゃんとクマ吉くんだ。

ギャグ漫画日和からの引用とは、まったく恐れ入る。

ご存じない方のために申し上げておくと、クマ吉くんは女子の下着を盗んで

身に付けたり、笛を盗んで口に含んでいたり・・・生粋の?変態という設定だ。

玉城町の観光課には、なかなかにコアな職員がいらっしゃる様子。

 

引用でなかったとしたら、なお難解さは増す。

ペット用のトイレ・・・あるいはサファリパークの動物用?の表示だろうか。

 

そもそも、女性がウサギ? 男性がクマ? そりゃ偏見で差別だ。

しかも、ウサギは下の線が無く、底抜けに描かれている・・・きわめて微妙な描写。

 

トイレを忘れ、大局的に視たとすると

棒のような足のウサギと、目玉のおやっさんを真似てコップに入ったドブネズミ?

(ミッPマウスの原型、耳が大きいのはクマネズミ)

 

逆に動物みな平等に、ウサギでもクマでも、だれでもなんでもOKということか?

はたまた、ニンゲンがこさえたトイレだが、動物も利用しています・・・だろうか。

従業員も利用しています・・・みたいな。

 

忘れてならないのは、境界がない・・・ことだ。 最大最後の問題かも知れぬ。

同伴OKか、あるいは同伴で・・・という風に見えなくもない気がする。

当然、上に↑↓があればエレベーター。

 

全国津々浦々には、多種多様なゆるサインが存在しているのだろう。

誰か、人生にヤルコトがなくなったと感じたら、探す旅に出られてはいかが?

 

結局、またシモテに至ったまま、終了してしまう今回であった。


ではまた