伊勢の風 ぬくし

 


鹿児島空港でも、伊丹空港でも寒くなかった。 とびきりぬくい日だったらしい。

セーターを着てあるくと汗ばんでしまう。 コートを片手にするが、邪魔そのもの。

 

今回の帰省前、忘れ物しないようにメモをしていたが、途中でやめてしまった。

でも効果があったのか? いつもの吐き気は全くなかった。 相当幸運である。

一方で、準備やら冷蔵庫の中の整理とか、いろいろ頭を駆け巡るので

混乱しているのは確かだった。 忘れ物はないが、結局今朝は食欲がなかったため

一食分とっておいた牛乳や、漬けにした卵をすっかり忘れ、来年の楽しみ?となった。

 

直前になって、コサンダケ(ホテイチク)の炊き込みご飯をこさえて

土産に持って帰ろう・・・なんてことを考えるから、ほかがぶっ飛んだような・・・

貧乏なのと、甘いものが苦手なので、島の土産があまり気に入らぬから

ついつい久々にリキんでしまったのであった。

かなり濃く付けたはずの味は、健康的な薄味に仕上がっていて、怪我の功名かな?

具が多かったから、薄まったのかもしれない。

 

コサンダケは、梅雨時期にどっさりもらったものを、島の奥様方と山分けしたもの。

季節はずれに炊き込もうと、下茹でして冷凍してあった。

 

まったく大したことをするわけでもないのに、計画的に考え、事を運ぼうとすると

吐き気に襲われるので、もはや計画すること自体が精神的に怖くなっていた。

もともと未来が定まっていることが大嫌いなので、ウツ脳がそこを突いてくるようだ。

 

ともあれ、今のところ大したミスもなく帰省できたのは、わりとラッキーだったといえる。

 

いざという時のために・・・

天井に入り込んだネズミが、どこかの壁を食い破って台所に侵入するかもしれないから

米袋の前に、ひっつくネズミ捕りを仕掛けておいた。

 

大切なことは

心に引っかかることを、片っ端からコツコツとつぶしていくこと・・・だろうか。

 

旅路はもっと浮き浮きしたり期待に胸が膨らむものだが、まったくただの経過時間。

島を出ると、次第に色あせ、どんよりとした風景が窓を流れていく。

若干、ポジティブさを持ち直すのは、もう乗り換えの心配のない、伊勢を目指すだけの

近鉄特急に乗車してから。

 

今回こそ・・・

榊原温泉口のエゲツナくて定評のある、巨大黄金観音像と、セットの意味不明な

ギリシャ彫像の巨大化コピーしたもの・・・を車窓から写真に収めようという

小さな野心は忘れていなかった。

文字通りピカイチ?の黄金の大観音増はチラとしか写っていないが、

これ以上進むと、駅ホームの手すりにかかってしまいそう。

わりとタイミングが限られていて・・・逆方向では撮影できそうにないような。

ニケ像やビーナスより自由の女神像が小さめというのが不思議だ。

フランスのオリジナルサイズ???

 

入場料が高いので、尻込みする人も多いのだが、無理やり造った名所にしては

わりと長持ちしているのではなかろうか???

伊勢の国際秘宝館なきあと、エグみのある名所がココくらい?になったが

性欲をプラスして、ムフフフ的魅力を獲得しないと厳しいのではなかろうか。

偶像の館なのだから、そっち系の像の受け入れもアリかもなぁ・・・なんて想ったり。

 

やがて・・・伊勢中川に近づくと、平野が開けるというか・・・だだっ広い田畑が広がり

名古屋と賢島方面の分岐点に、見覚えのあるような、ないような看板が見えてくる。

 

一升びん・・・知らんかった・・・この店・・・どこ産の松坂牛を食べさせてくれるのだろか?(笑)

松坂牛をうたうにしては、あまりにも庶民的な名だなぁ。

 

その下の青いところには、伊勢現代美術館とある。

南勢町五ヶ所浦は伊勢市ではないね・・・よくオヤジ殿と、キスのボート釣りに赴いたところ。

そんな静かな漁村に現代美術館・・・現代美術は変てこなものの集まりというヤツね。(笑)

名作は買えないし・・・ 田舎の現代美術観、センスが理解し辛いので・・・

どちらかというと、怖いもの観たさや、チャレンジャーが挑む場所ではなかろうか。

 

冷静に見たことがなかったし、チラとしか見えないので、読みとれるはずもなかった。

写真でしか確認できない看板だが、効果があるのかないのか・・・

昔から、分岐点の雰囲気を醸すアイテムではある。

 

いよいよ宇治山田駅まで数分になったころ、宮川を渡る。

ごく薄い、まぶた一枚分くらいの郷愁を抱きつつ、おぼろに下流方面をみつめていると・・・

さらに郷愁が薄まっていくほど、違った風景の川が過ぎていく。

例の、台風15号の大雨で川の流れが変わり、右岸側の流れができている。

全く川筋が変わったので、スズキ釣りのポイントが分からなくなったのだと

電話では聞いていたが、これほどとは・・・ほとんど洲だったところが川である。

たまりすぎていた土砂が流されて、川の新陳代謝にはちょうど良いのかもしれぬなぁ・・・

 

濁りがすぐにとれることで有名な宮川。 スズキのツキンボ漁があるのだが、

雨量が多くて、しょっちゅうダムの放水があり、濁りが取れなくなったという。

時代は変わった。

 

指定席で新幹線よりも広いシートの特急だというのに、停車時間は数十秒。

電車のせわしなさには閉口する。

大きな旅行荷物を携えながら、到着何分も前に出口に並ぶなんてのは

貧乏人がラーメン屋に並ぶようで、とても情けない気持ちになるのは私だけか?

旅情もヘッタクレもありゃしない。

日本人の豊かさ意識の限界というか、考えもしない怠慢さを感じる情景である。

持ち金が多いだけが、幸せなんだろうなぁ・・・と哀しさ募る旅情。

労働者や学生の通い電車と、新幹線よりもゴーヂャスな電車の停車時間が同じとは。

何もかも貧乏くさくてたまらないのは、飛行機から乗り継いだからだろうか。

本当にそれだけだろうか・・・?

 

そんなこんなで、わりと早く16時ごろ実家に到着。

実家の様子は、あまり変わりがなくホッとした。

オヤジ殿は足を悪くし、おふくろ様は目を手術し見え難くなっていた。

歳をとるというのは、じわじわと寂しい思いをするよう。

60代後半をすぎると、一年が大きな変化をもたらすように感じられる。

ニンゲンのDNAの保証期間を倍近く過ごせば、無理も生じるのは仕方ないが。

 

望郷の念とやらがあれば、実家に帰った感慨がひときわ大きかろうが

ごたごたした一日の果てに、疲れて到着するだけの伊勢には

いまひとつ感動というのを覚えようがない。

 

ふとみると、もうすぐクリスマスだというのに、日なたでトンボが動き回っていた。

アキアカネ・・・かな・・・

このところ、一年一年の変化の重さを、とても感じる。

来年は、どうなってしまうのやら。


ではまた