食文化が違うということは

文化そのものも違うということ

 


今度は、天竜の川くだりで人柱が発生した。

このように、人類が増えると、うかつな者が当然増える。

船頭が死ぬような場所を、素人を乗せて舟をこぐなど・・・

普通の大人が考えれば、道理は万人に見え透いているのに、

なぜか、必然で起こる事故。

こればかりは、運でも宿命でも天に見放されたのでもない

シンプルに船を運航する会社に客が見下されただけである。

 

太鼓より人柱の比率は同じだとしても、人類が増えすぎているので

人災をこうむって死ぬのも、当然数が増えるのが道理である。

自然の摂理とは間違っていない。

 

人災による水難に遭われた方、ご親族にはお悼み申し上げる。

 

だがさらに、今回のようなローテクなら、人柱は少ない方である。

原発のような人災になれば、より被害は自然の比率を超えてしまう。

人類が科学を進歩させるのと同時に、人口は増え、それに対するリスクも

想像できぬほど増大していく・・・といった自然の摂理には、恐れ入る。

 

それは摂理ではなくヘリクツだ!とおっしゃる向きは無視する。

誰がなんといおうが、人類が無駄に増え、地球を利用し尽くし

無駄に金銭をかせぐことで、人災は確実着実に甚大化するのは

まったく否定することのできない「原理」である。

 

人が増えることで、欲をかいて同類にものを売り付け

無駄にかせぎやすくなり、物々交換でない価値に執着しやすくなる。

科学によって加速された欲望が、人命リスクを過小評価する傾向は

いかなる賢人でも否めない事実。

厳しからぬ環境で育てば、テゲテゲてーげー思考となるのは必然で

多少けがをしても、科学でなんとかなるだろ?と勘違いする。

そうして増えすぎた人類は、数を調整しなければ、もっと強大なリスクに

立ち向かうことになる。

 

それが今は原発および核兵器、それから使われていないが眠っている

化学兵器(毒ガス)、細菌兵器である。

あるいは、ネットによって一気に広がる世論が暴動を招き

関係ない人たちの家や店を壊し略奪する。

現在では、情報も最大の火種のひとつである。

 

苦労知らずでストレスをためやすくなった現代人を火薬として

誘導情報や誘引感情という起爆剤を投入するのである。

これこそ、知的動物人類への基本的最終的な暴走誘引要素である。

 

いずれにしても、血筋から遠い人が増えれば、犯罪も殺戮も

あまり気にせず行うことができるのは、高度な社会性の裏返しである。

 

ましかし、単純に言えば

人口が増えれば、ユルイ人のまわりにいる人が増えるから

被害者も増える・・・ってことだ。 

これなら、誰でも分かっていただけるだろう。

頭のいいやつがそばにいたとしても、学校や社会では非常事態や

危機に陥ったときの実践訓練なんてありはしないから

頭のよさは、ほとんどといっていいほど役立たずである。

 

親は子を救うために、全力を尽くす。

だが、冷徹に?冷静に考えれば、助からぬ子供に全力を尽くす前に

自分が全力で安全を確保することで、また命を産み出せるが

現代なら、そうはしないで自称やさしい親たちは、もろともに死ぬ。

感情とは、やさしいようで残酷にできていて、弱体化した人類を減らす。

人類最大最期の摂理かもしれない・・・

 

そうそう、これからは公園の白鳥の乗り物やボートでデートするにも

誰のためでもなく念のため、ライフジャケットを着けなければならぬだろう。

人命を捨てるような馬鹿が発生すると、考えない馬鹿が連動して

とてつもなく馬鹿な手段を使ってくる。 

 

ましかし、常識に照らせば

泳げないヤツが、自分や怪しい他人が操る小船に

防御策なしに搭乗することこそ、自業自得のようにも思える。

空を飛べないやつが、飛行機に乗るのと同じ・・・と達観できたあなたは

とってもずごいぞ!!! そのくらいの用心が必要だ、現代には。


ときおり、スーパーで見たことのないスナックを買ってみる。

ちょっと前に買ったのは、鰹だし味のポテチ・・・なんで無かったのだ?

バーベキュー味などと、肉とか野菜とかをひとつの味で表現した

驚愕の意味不明な味よりは、ずっと分かりやすく美味しいはずなのに。

静岡限定らしいのに、なぜ天城町のコンビニに入荷したのか不明。

 

今回は、えびせんの焼きしょうゆ味。 これはいわゆるせんべい味だが

食べてみると、まったく趣が異なっていて、

どういったしょうゆを焼いたのかわからぬ、バーベキュー味同等の不明さ。

ただ、まず匂いをかぐ習性から得た第一印象だが

コイツのニオイは、ゴキブリホイホイの誘引剤と同じニオイだ・・・

気づかない方がずっと幸せだが、どうにもニオイが変なので

ついつい分析してしまった次第。

 

このニオイ、知らない人は知らない、カルビー社員も知らんかったよう。

だが、知ってしまったら、ゲロ同様の最低なニオイだから気をつけよう。


さて

くれぐれも、島と我が家の味の違いを申し上げてきたが

今回は町主催、合同金婚式のお祝い料理に、観えたことである。

 

やはり、島のお祝い料理は手がこんでいる。

やはり、フランス料理っぽく、手をかけるほど栄養が失わる。

遠まわしに結論しても仕方ないので、最初に結論しておく。

保存が利くが、栄養価は失われた料理か

栄養価とか関係なく、揚げ物料理である。

 

科学から遠い、厳しい島の生活を垣間見ることのできる食文化だ。

油で揚げるか炒め煮するか、長く煮ることで、保存が利き

油(もともとはラードなので脂)を効率よく摂る調理がベースだ。

暑さの厳しい、物資が乏しかった島ならではの手法が感じられる。

 

前日(まえび)から仕込んでいるのは三枚肉の紅茶煮。

水から煮ては汁を捨てる・・・脂もそうだが、コラーゲンも旨みも捨てる。

なぜ水から煮て捨てるのか、理解に苦しむ。

 

大量の塩をすり込んでから洗い、

いきなり、ショウガで水から下煮してしまう。

おそらく、これは肉を食らうための調理ではなく

白身こと脂身を食べるための技ではなかろうか。

 

私が極端に臭いと感じる豚の背脂同様に、豚の脂は臭い。

だから煮込んで嫌味なニオイを飛ばすのだろう。

太古より、南国の貴重な栄養素はタンパク質でなく脂質のよう。

やわらかく煮るのは、おそらく長寿の島ゆえに

老若男女が等しく美味しい調理にするためだったと想像できる。

 

とりあえずさっと煮て、それから洗う・・・

ただし冷凍だから、さして火は通ってない。

意図したことか微妙・・・ ここで火が通らない方が煮て味が残る。

 

箸などで大胆に穴をあける。

味を染み込ませるため?

あるいは極端な肉の縮みを避けるため?

 

味付けは、どばっとザラメ・・・しょうゆ、みりんなど。

いたって塩加減よりも、砂糖加減が大切である。

なぜか昔は存在していなかった、紅茶が入る。

臭みをとり、柔らかくなるのだろう。

個人的には、カレーにコーヒーを入れるのと同様

味にもコクが出て好感がもてる味になると思う。

 

あとは、ガス代を費やしつつ、半日煮る・・・チカラ押しの調理だ。

気が向くと、ネギを入れて臭み対策するようだが、

沸騰しているところへ入れては、効き目もなかろう。

どのタイミングで入れるのか・・・は探求していないようだ。

ま、島料理の隠し味というか・・・テゲテゲがベースの調理のよう。

  

想像どおりの、こってりパサッとした仕上がり。

私はこの味が、大の苦手だ。

豚肉のジューシーさがぜんぜんなくて、ただの脂料理である。

ただ、そんなことは島人の前では口が裂けても言えぬ。

これは代表的な島の高級料理というか、節目でしか食べられなかった

貴重な料理が現代に伝わったものだからだ。

 

味ではなく、文化として美味しい料理なんだろうと思う。

まー私の思うところではクサヤと同じだ。

美味しいという人もいれば、そうでない人もいる郷土料理・・・

でも脂好きの方は、豚角煮準拠の味だから食べやすいし

豚角煮よりはずっと薄味だから、健康にも良い。

 

ちなみに面倒くさいことに、皮は下向きによそう。

上向きだと葬式になるという。 これは深刻である。

このことは、耳にした瞬間から胸に刻み込んだ。

 

ヤマトゥ人や中国人はおそらく私も含めて、皮は上にする。

扇形になっているものを逆さまによそう習慣はない。

それこそ、見かけも縁起も悪い。

無理にこじつければ、末広がりか・・・???

 

ただ、豚限定のようで、刺身は皮が上になるようだ。

 

参考までに、島の葬式ではスシは禁物という。

確かにスシは寿司とも書き、寿(ことほ)ぐという字を書く。

だが、もともとスシのない島の民族にトヤカク言われる筋合いはない。

これは島人の越権行為で、内地にちょっと優越を感じたいのか

内地の習慣はとんでもない!といった顔をする。

そんなに嫌なら、スシを食わなければいいのだが。

勝手に寿司を食っておいて、誰かがケチをつけたのが一般化した。

 

寿司が一般化したのは、おそらく戦後か、

あるいは空港ができた昭和37年ごろからだから、

寿司の歴史の無い島で、寿司をどうこういうのは

内地の人間と結婚する機会などが増えたからだろう。

 

島の面倒くささは、このあたりにある。

ヤマトゥになにか言いたいが、堂々といえることがないから

チマチマした習慣をつくって、反発している感じ。

 

他方で、私は肉質の少ない三枚肉は、粗悪で体に悪い肉だと

教えられて育ってきた。

今もその考えは変わらないし、変える予定は無い。

島の人に変われというのは難しいが、ヤマトゥ以上に車ばかり乗って

運動量が減った生活な方も多く、無駄に脂をとってはイカンと思う。

 

昔から南国は、今のようにコブトリな方々に満ち満ちていたのだろうか?

私が知る限り、私自身は奄美沖縄の人らはコブトリな民族だと思う。

違う!と思うなら、三枚肉や揚げ物の食べ方を変えるのがよろしかろう。

 

さて

昆布巻きには、生鯖をくるんで煮る。

私は知らなかった、こんな料理・・・

 

もともと薩摩の食習慣らしい。 

昆布料理は沖縄の商人からか、内地の役人家族の料理からしか

取り入れようの無い食文化。

島は、もともと自立した文化を創るほど、まとまった集団ではなかった。

だから沖縄にくっついたり、薩摩にくっついたりした。

この料理は、みるからにバランスが悪い。

 

鹿児島の方には申し訳ない。 

食文化にあえて個人的にケチをつけたい。

もともとやさしい風味の昆布に、青魚くさい鯖をくるんで調理するなど

よどの鯖好きか、鯖主体の食文化でなければできない芸当だ。

あるいは昆布があまって仕方ない地域か・・・

 

正直なところ、本来なら高級食材である昆布がもったいない!

辛子明太子のような調理である。

アリモンをを組み合わせたら、そこそこ美味しかった!的なもの。

お祝いでもなければ、食べられない食材の特殊な調理法だ。

冷静に食べると、ダシ殻になってしまった昆布と味がなくなった鯖に

煮汁の味をつけて食っているような料理だ。

 

だが、これも島では寿ぎの場に出されるのだから

けっしてケナシてよい料理でない、祝い品なのだろう。

希少な素材の組み合わせである。

そういえば、生鯖を、どこからどのように仕入れたのだろう・・・

あのAコープのゴマサバか???

 

実際のところ、島で鯖を食べる習慣はほとんどない。

調理法といえば鯖缶を利用した煮物か・・・

あるいは鯖味噌煮くらいしか知らないようだ。

というのも鮮度の良い鯖がないから、美味しいしめ鯖などはない。

しめ鯖というと、あ゛〜アレね・・・とテンションの低い声が返ってくる。

パックに入った、枯れたしめ鯖しか知らぬのだろう。

しめ鯖は鮮度抜群の鯖でしか作られないから、

もともと自分で作るものであり、パックのは、しめ鯖っぽい別物。

 

希少な鯖を使った薩摩の料理、だから祝いに出るのかもしれない。

Aコープなどでは、鹿児島近海のゴマサバが輸入されるが

なぜマサバでなく、ゴマサバかを知らないらしい。

安くて、島の経済力でも手が出せる価格なのは・・・ゴマサバ。

 

ナゼ安いのかは、内地人なら良く知っている。

ゴマサバは「鯖の生き腐れ」といわれるマサバ以上に足が速く

昔から恐れられてきた鯖なのだ。

輸入され時間がたっているのを見ると、正直、ぞっとする。

ヤマトゥからきた物がどういうものか、キチンと知っとけ!と思う。

その上で、ヤマトゥと比べるのなら分かるが・・・

腐れ鯖を食っておいて、美味しいもヘッタクレもありはしない・・・

島人の無知は、とても恐ろしい域にある場合があるから

誰かが正す必要があるんだろが・・・ヤマトゥの人間が

何を言っても効き目は無い。

ヤマトゥから来た物について、述べていたとしても・・・

 

あえて私は、郷土料理のレシピを仕事にしているので

冷静に味わい、調理法などにも歴史の奥行きを知る必要がある。

そのへんの主夫?主婦?の軽いアイデア程度のことか

歴史ある調理が改良されたものなのか、骨格を知りたいのだ。

ゆえに勢い・・・辛口になる。

 

ツワの煮物も登場する。

ツワは昔から植えられてきたほどの、郷土食材である。

庭や集落内に点在するツワブキは、過去に移植されたもの。

私も幼少から、ツワブキの香りやキド味には惚れ惚れしているし

フキも大好きだった。

フキは咳が止まるから食べなさいと言われていたような・・・

喘息だったから。

  

閑話休題

今回使用するのは、冷凍もの。

普通の煮物のため収穫したものを、アク抜きして冷凍してある。

時々、市販されていたりするが、すべて島人の手作り品。

 

さっと湯がいて調理に入るかと思うと、かなりテゲテゲ長くゆがく。

ここから冷まして4センチほどにカットし、また煮込む手はず。

 

このあたりのテゲテゲさが、郷土料理の味というかばらつきというか

ユルさであろう。 テゲテゲによって、美味しさが半分くらい失われる。

ただ、昔からそういう感じのテゲテゲさが標準なんだろうと思うほど

そういう枯れた味で、クタッと煮たのが好まれるようだ。

 

内地のフキの煮物より、みりんを大量に加えて調味される・・・

隠し味とか出なく、明解に甘辛い味だが、キャラブキとフキの煮物の

中間くらいの濃さである。

色が濃くならないように、薄口しょうゆを使っていたりする。

つまり味は濃い・・・

 

一方

内地の悪習というか妙なナラワシが伝わって

さらにオカシナ勝手料理に変化している現象も見てとれる。

 

内地の貧乏婚礼儀式同様に、マダイでなくレンコダイだ。

冷凍のニュージーランド産だろう。

熱帯系のアッサリ味からすると、とても親和感があるが

ヤマトゥ基準だと、やっぱり味が薄いタイである。

あえて、全身を入れて撮っておいたのは、

チダイはエラが赤黒く、マダイなら尾の先が黒いのを確認するため。

 

もし、見分けを知らんで食っていたら、

一生レンコダイをマダイと思っているほうが、とっても幸せだ。

 

それにしても

メデタイから、鯛を食べる・・・ゲンかつぎの荒っぽい親父ギャグが

まかり通った習慣が、祝いの席の鯛である。

確かに、ピンクの美しい魚体は、ヤマトゥの人間にとっては

魚の代表のような輝きがある。

ところで、鯛は背のピンクと白い腹があってこそ、

紅白の意味合いがあるが、揚げ物にしてしまった・・・

島では焼き物はメジャーではない。

 

ただ、

茶色くなったレンコダイに、何の意味を求めるのか理解に苦しむ。

腐っても鯛的な?=腐った夫婦関係も、金婚式まで行けばタイ???

 

豚の皮を下にする心得があれば、タイの色を大切にしそうだが

もはや意味無くテゲテゲに扱われて、めでたくない。

 

縁起をかついだつもりだろうが

結局ただのから揚げ詰め合わせになってしまっている・・・

 

よほど、人気のあるアヤビキ(オヤビッチャ)を調理したほうがいい。

白黒の縞々が縁起が悪い? それは馬鹿なマイナス発想だ。

白黒の縞々に立ち向かい、食らうことで死を遠ざける料理

という祈りを込めればいいだけだ。

それほど漁獲されないのは問題だが・・・

 

テゲテゲすぎて、縁起を借り物で済ませ、ヤル気が無い。

鮮やかなピンクを無視し、から揚げでメダタイなどとは・・・

憮然としても、し尽くせない、やりきれなさが残る。

 

スペースシャトルに乗った!けど公園の遊具・・・みたいなもんだ。

 

つくづく島人とは、誇りとテゲテゲのバランスが悪い民族である。

声高に島の習慣を語るのだが、こだわるのは瞬間だけ、

あとはつくづくテゲテゲといった内容のことが多い。

色も味も習慣も、面倒ならドーデもいいや・・・というノリ。

 

リピーターが来辛いというのは、

手前勝手すぎる体質に、はなはだ気分が悪いからである。

 

南国に来てまで、ワガママ言われると、二度と来たくない。

正直なところ、私にとって波照間島(はてるまじま)の次に

気分の悪い島が、徳之島である。 (ポイ捨てや、ゴミも多いし)

島人は、もう少し自分らの振る舞いに気をつけてほしい・・・

 

お次は、島人が大好きなアオサ。

とても香ばしく、香りのよさでは浅草に負けない。

 

香りは豊かなのに、サッパリ味はない。

ヤマトゥからすれば、残念食材のひとつかも知れぬ。

残念なのは、とても優秀な何かをもっているのに

実際食べてみると、何か足りない・・・からだ。

全部が残念なわけではないので、念のため。

 

もうひとつ残念なことに

内地の浅草も味がないと語る島人がいる。

それは、まともな海苔が入ってきてないからだよ・・・安物だよ・・・

 

アサクサノリは手のかかる、すき工程を経て

さらに焼き海苔は、ほどよく焼いて供される。

すきが厚すぎてもだめ、穴があいても不合品。

もちろん焼く前に、黒さが足りないものも駄目である。

アオサのように採って洗って干しただけ・・・とは違うのである。

だから当然、価格は跳ね上がる。

 

残念ながら、ヤマトゥの食文化は島の食文化とは

1000年くらい先んじている。

素材は同じでも、洗練した美味しさの追及は、やはりヤマトゥに分がある。

煮たような素材だから、島と比べる・・・といった軽々しさは

島の恥をさらすことになるから、気をつけていただきたい。

これは仕方のないことだ。

文化とは、余裕のあるところで進化するのだから・・・

太古より、厳しい島の生活では、文化が培われるのは難しかったのだ。

 

この上なく香りの良いアオサは、

天ぷらの衣を得ることで、油の味とボリューム感が加わり

島人にとって、ご馳走化する。

私にとっては、無駄に油臭いヤマトゥのワカメの天ぷら同様に

おぞましい料理になっているが、かなり人気がある。

油物で育ってきた方々には、相当美味しいと思う。

私も、油を受け入れられさえすれば、とても美味しい。

 

噛むとジュワーっとサラダ油が出てくる・・・寒っ!

小さい頃から胃もたれする体質の私には、油の強い食品は怖い。

味の問題でなく、体が拒絶してしまうから、

油物の評価は私には無理なのに違いない。

 

一方で

色合いのためか、島のジャガイモやニンジンを加えるような

習慣になりつつあり、こちらの分量を増やせばとても美味しくて

ヘルシーな料理になっていくと思う。

 

そもそもアオサには栄養価は乏しいから、香りを味わいつつ

栄養も摂れるような食材を混ぜて、かきあげ化すればいい。

サラダ油を含む量も少なくなる。

  

私は、この天ぷらには、とても可能性を感じている。

新鮮な採れたて素材ばかりの島で、野菜と海草のかきあげ!

香ばしくて、とんでもない美味さと栄養価である。

こういった料理を育てられれば、島の料理も改善するだろう。

 

それはそうと

かなり揚げ物で枯れた感のあるお膳だ。

金婚式を迎えるころといえば、島では常識としてヒーじじばば時代。

家族はとても多いし、食べきらない料理は、当然持ち帰り前提だ。

そういった配慮から、すべて滅菌処理したメニューにしてあるのだ。

 

これまでケナシテきたが

美味しくしたい、作って食べさせたいという思いの深さは内地をしのぐ。

祝いの料理すら、あまったら捨てる・・・ヤマトゥ人は捨てすぎる。

 

昔ながらの調理法には、食材の美味しさを長持ちさせるチカラがある。

栄養価は多少失うが、貴重な食材をきちんと食べきる、

長持ちさせる調理になっている。

 

昔から、物が手に入りにくかった環境で生まれた調理が

何らかのカタチで受け継がれているのを、見分けなくてはならぬ。

 

なにはともあれ私は

せっかくの祝い弁当が仕上がる頃、揚げ物の油臭に気分を悪くし

撮影ができなくなっていた・・・

 

料理の撮影は、美味しそう!と思えなければ、美味しく写せない。

料理雑誌の無機質に派手で、必要以上にウェットな商用写真は、

仕事で撮っているだけだから、派手だが美味しそうに見えない。

 

本当に男性の感じるエロさを追求している、女優のヌード画・映像と

ただ美しいだけのとは、興奮の度合いがずいぶん違うのと同様???

 

島にも悪い習慣が流布している。

最近の料理には、必ず料理には、砂糖とみりん、化学調味料を

どっさり加える習慣・・・自炊していてよかったとしみじみ思うほど。

 

そもそも、島の人らは、どれを食べても、しょうゆと砂糖の味のする

料理ばかり食べていて、飽きないのだろうか????

 

正直なところ、単品は美味しいのに、すぐ飽きる味。

 

もともと、戦前までは砂糖地獄だっのだから、さほど甘い料理が

横行していたワケではないと思うコノゴロ。

 

内地の超甘党料理が日常という社会は、

いつからどのように発生したのだろうか。

 

テゲテゲは自業自得で放っておきたいところだが

友人が癌などの病気で倒れるのはしのびない。

 

塩加減よりも砂糖加減が大切だから、

砂糖加減いかんによって、また塩を足されるから

二重に危険度が高い。 腎臓と糖尿・・・

油物が多いので、当然、前立腺癌も増加中。

 

味付けだけで、死ぬわけじゃなかろう!とは言えぬ時代。

島の味付けは、基本的に塩加減も砂糖加減も強すぎる。

このままいったら、長寿子宝なんて、すぐにふっとぶ。

 

 

まかない料理である。

薄味で美味しいのだが、やはり甘さが先行する。

もちろん、奥にある味噌汁は砂糖が入らず、素材がいいぶん美味しい。

右手前の炒め物は、内地基準だと炒め物でなく煮物だが

炒り煮的な仕上がりで、やさしい味がする。

煮物っぽいので、油が散っているが、油自体は炒め物以上の量。

やさしい味はカリソメで、実は汁気も多いので薄味でなく

味わいよりもずっと濃い塩分や糖分があり、油分も多い一皿である。

 

左は、カボチャにレーズンを入れ、さらにサラダ油を加えた煮物。

どうして油を加えるのか・・・パサッと感が極端に嫌われるような。

それより、油の無い食材に油があることが、違和感爆裂だが

そちらは気にならないようである。

 

こうした根深い何かが、島人の現代生活を侵しているような。

島の漬物は、こってり砂糖が入っていて甘い。

漬物が甘いなど、茶漬け好きにとっては、言語道断である!

私は幼稚園のころから茶漬け好き。 しかも奈良漬の。

当時の奈良漬はとても辛かった・・・だから茶で薄めると美味い。

そこに砂糖の入る余地は無い。 米がほんのり甘いからだ。

 

漬物が甘いというのは、ご飯食の崩壊を意味する。

ご飯は味が無いもの・・・なにもないもの・・・とする意識。

 

日本人の味の源、食文化の礎にもかかわらず

甘くて化学調味料だらけの副食や漬物類・・・

 

これまでもクドクド書いてきたが、飯の美味しさはどこへいったのだろう。

むしろ、飯を無視するなら、薄味のおかずばかりをたくさん食えばいい。

そのほうが栄養バランスもとりやすい。

 

だが不自然なくらいご飯を食べながら、甘い料理を食べる。

子供の頃から、甘い食品に接していないのもあるが

飯の味を感じない食品は、おかずとは思えないのは、当然だろう。

 

食文化とかそういう高い次元とは異なり、現代人のご飯のいただき方は

大いにデブ生産そのものでしかない。

 

ご飯のぶんの糖分を、おかずに包含しているのだから

ご飯を食べる理由はないと思うのだが・・・それでもまだ満腹を得たいか?

どんだけデブ志望なのだろうか・・・

 

テゲテゲで健康を失って「長寿子宝の島」の大切な称号を

失わないでいただきたいと祈っている。

 

曲がってしまった食文化を、どのように健康に沿わせるか・・・

島の栄養士の方々の双肩にかかっているように思う。


ではまた