頂上でなく、山に登る

 


今更、山登りについて理解不能なことを記載はしないが、

私は盛り土の高いところに立って、嬉しいなぁとは思わぬので

自然を観察しに山へ入った。

 

島の山は、案外生物が少なく、当然、鳥も少ない。

太平洋のど真ん中には魚がほとんどいないが、大陸棚より浅い沿岸に

魚が多いのと似ているかもしれぬ。

動物は、変化のあるエッジに集まるものである。

 

中部の井之川岳は、奄美大島の湯湾岳に次ぐ、南西諸島2番目の高峰。

北部の天城岳も、沖縄最高峰の石垣島の於茂登岳よりもわずかに高い。

 

標高が100m高くなると0.6度ほど気温が下がるらしいので

都合3、4度は低いことになり、冬場は山頂で降雪があるなど気候差があり

微妙に生物相も違っているらしい。

 

ただ、結論から言うと、それほどでもない感じだ。

大洋にある島々だから、風の影響で大気がかき回されやすい。

ただし、凪いだときに気温が低いのは事実のようで、

植物の生育が、明らかに遅いようだ。

 

いったん晴れてしまえば、温まるのが早いということが

より特殊な環境でもあるような・・・

 

予想最高気温が22度くらいなら、山のハブはまだ出てこない。

登山道は、ジャングル獣道然としていて風通しは悪いが

蒸し暑さに襲われることはなく登ることができる。

直射日光にさらされては、10分で肌が焼けるが、

うっそうとした木立のため、ほとんど日差しは気にならない。

というか、曇ると暗すぎる・・・

 

まずは井之川岳に行ってみた。

 

このごろ業者や地元民のランなどの植物の盗掘ばやりだったり

イノシシが増えたためか、森のあらゆる地面が掘り返されたりして

登山道周辺は異様に殺風景である。

 

盗掘に遭ったあとから生えたのか小さな株しか見られない。

希少種のテンナンショウの小さな葉が、健気に開いている。

残念ながら、私にはこれがオオアマミテンナンショウなのか

アマミテンナンショウなのか、トクノシマテンナンショウなのか・・・

さっぱり分からないし、分かると盗掘共謀者のように見られるので

分かりたくもない。 どうせ動かないものには興味が行かないし。

 

一月に登ったときにたくさんあった、カンアオイもほとんどない。

確かに、盗掘者が逮捕されたとき、ずいぶんカンアオイがあったから

繁殖用の小さな個体だけを残して、採り去ったのだろうか。

 

昨年まではフツーに見られていたと聞いているので

今年は相当ねこそぎ盗掘に遭ってしまったようである。

ちなみに、左が本物、右は偽物のツル性植物の葉で

森林内では、とても見分けづらいため、JAROに通報したくなるほど。

 

午後3時をまわると、少し曇っただけでずいぶん暗い登山道。

目前に頂上が見えていたが、もう特にすることがないので下山。

殺風景な森をみても、ちっとも嬉しくないし、むろんジャングルで

広大な絶景が広がるなんてことは、全くない。

 

数日後、また晴れたので今度は天城岳である。

雨気御岳だったらしく、雨乞い山岳信仰の山だったようだ。

ちなみに、アメキュウデーのような発音だが、今はアマギダケ。

なんで味気ない天城になったのか、調べがついていない。

 

林道から登ると、8合目あたりから登る感じだ。

ただし、傾斜角度がかなりあり、5分と歩かずバテた・・・

一般家庭の階段の傾斜を、ずっと登る感じで、かなりキツイ。

キツイことが分かっていたので、釣り用スパイク長靴で登っているが

かかとが地面につかず、つま先ばかりなので、足がしんどい。

 

数分登っては、あたりを見回して観察することにした。

何本かテンナンショウを見ることができるが、すごく分かりにくい。

しかもやっぱり、小さい株しかない。

こちらもかなり盗掘されたようで、大きな株はない。

 

やはり希少植物などより、動く生物がずっと心躍る。

太い!マックシェイクのストローより太めのヤスデを見つけた。

なんか、丸くなるところも似ている気がする・・・

島には赤いのや青いのがいると聞いていたが、とりあえず青。

 

なぜか、ラル隊長を思い出してしまった・・・ 確かにどこかグフっぽい♪

 

ギャロップって、ロンパールームで見た気がするよなぁ・・・

ハモンさんとかアコース、コズンとかより、鏡よ鏡よ鏡さんとか

最後に飲む牛乳が、やたらひげができて美味そうだった思い出が

よみがえってしまったり。 ニンゲンの記憶とは面倒くさい。 

 

こいつを触った手で、そのまま手の甲の傷口を触ったため

かなり毒におかされ、デブの手風に恥ずかしく腫れてしまった。

おそるべし、ラル大尉!?

この私が、自然の中にあって、自然を忘れた・・・的な・・・

やっぱりウツミミドリは、まったく苦手だ・・・

当時から、あの営業笑いのためか、お姉さんに見えなんだ・・・

 

さて、くだらん回想は放置し、山道をゆく。

 

今週末は、天城岳登山道のボランティア清掃。

ウワサに聞いていたタイヤが、高い標高の傾斜地に点在する。

ようもまあ、ここまで運んだものだ・・・バカ記録としては立派な部類だが

とりあえず、登山道付近まで引きずり上げておくことにした。

 

なかからは内地サイズのカマドウマが出てきたが

暗すぎて撮影に失敗してしまう。

 

山頂近くなると、ポツポツとカンアオイの個体数が増えてきた。

ただし、やはり普通に見られるほどでなく、やっとあった・・・程度。

こいつもおそらく、徳之島限定のカンアオイ類だろう。

 

傾斜地に慣れてくると、登り始めよりはマシになるためか

山頂へは思わぬ早目に到着することになった。

風はあるが、直射日光で暑い・・・なぜかアブ、ハエが多く

ぶーんぶんと、人の名を軽々しく呼ぶような音がうっとおしい。

一番高そうな石の上から、パノラマ撮影をしておいた。

南に連なる山々や、井之川岳がかすんで見える。

 

山頂にはスミレがあるのか、ツマグロヒョウモンが陣取っている。

森の常連、アオスジアゲハとバトルしながら、ここを陣取り続けている。

 

近くの石の上には、クロウサの糞もあったが、どうにも殺風景で

あまり生物の多い環境でないことが、ひしひしと伝わってくる。

天気がいいのに、居心地の良い場所ではないのが残念だ。

 

数分後、そそくさと帰路についた。

午後は役場に顔を出さなくてはならないし。

 

帰りも薄暗いジャングルを、ひたすら下る。

我が家にも移植されている、オオタニワタリが上空に生えていた。

こんなのを半端に庭に植えたいという神経は、まったく理解できない。

だったら、ジャングルに住めばどうよ・・・

というか、ジャングルを切り開いて住み、またジャングルの植物を移植、

どんだけわがままなんだよ・・・

 

ならば、ジャングルを少しくらい集落に残しておけばよいものを。

 

こういう札があちこちにあり、朽ちて落ちたものも多数ある。

山を愛したいのか、信心の押し売りか・・・どうでもいいが見苦しい。

少なくとも、木は愛されていない。

ゴミの多さもカナリのものだが、こういう意味不明な札も

世界遺産の視点から見て、心象の悪いものにあたるだろう。

意を示したければ、きちんと札を立てればいい。

安っぽい信心で、サボるな・・・と木々が憮然としている風である。

こんなもので、天城岳を陣取りしなくてはならない過去が

あったのかもしれぬ。

 

救急の緊急出動した大型ヘリが墜落し、ましてや現場を

証拠を残さぬかのように完璧に掘り返し、コンクリで埋めた山でもある。

霊山というより、雑霊の集積場となっている感がある。

 

アマミノクロウサギなど希少動植物の生息地に、

あれほど大げさな慰霊地を作るなど、常識では考えられない事が

平然と起こっている。

観光施設を作る余地をとっておいたのだろうか・・・?

桜を植えれば、見晴らしの良い、宴会好適地だ。

あるいは、基地賛成、自然遺産反対の意が表れているのか・・・

 

ちなみに、ヘリのフライトレコーダーが破損したそうだが

軍用機が墜落程度で失うのなら、高額を費やして搭載する意味はない。

ヘリでだめなら、ジェット機には不要だし、まったくの血税の浪費だ。

墜落の一部始終を公開できない理由が、必ず存在している。

 

原因に対して、皆の意識が風化しているが・・・

 

異様に大げさな慰霊登山道まで作った背景、つまらぬ理由がありそうだ。

大型ヘリは落ちたのではなく、事故に見せかけて

故意に落とされたのかもしれず・・・防衛省もいろいろあるようなので。

警察の手が届かないところには、普通に無法の利が存在する。

 

自衛隊が島にズカズカ入ってくる口実にもなっている。

あの慰霊碑は、いろいろな思惑を帯びていているから

つとめて近づかないようにしている。

 

ともあれ

下山中、かなり腹がへった。 というか昼前である。

実は天城岳登山道のある林道は、横浜時代から通った山海荘のすぐ上。

 

なんぼなんでも、山海荘のおばちゃんのところへ昼食直前に

転がり込むのは気が引けたが、ま、島の母親的なおばちゃんだから

いっそ甘えてしまえ!ということで、昼ごはんを目指して突撃した。

 

豪華ではないが、おばちゃんがいつも食べているご飯。

ご馳走してもらっているはずだが、日常らしさがとても食べやすい。

今回はなぜか前回同様、タカナだ。

ただし、島で自生するのとはちがう、鹿児島の種を使っているので

時期がずれているのだそうだ。

相変わらず、海で汐もみしたタカナは美味い!

海水で汐もみした野菜は、土を落としながら、

同時にしんなりと適度に塩分がしみていくので、そのまま冷蔵できる。

  

さっと炒めて鰹節を振っただけなのに

滋味が深く、ご飯がいくらでも入る。

体が欲しがっている食事というのは、そう味わえるものではない。

 

ほか、シーズンが終わって、なかば捨てながら調理された大根煮や

おばちゃんの好物というバレイショの味噌汁つき。

ご飯はちょうど炊いたのがなかったので、わざわざ冷凍ストックを

チンしてもらい、おかわりした。 まさに母の味。

けど、ちょっと食べ過ぎた・・・

 

こういう素朴で美味しい食事が、内地のおふくろ様には欠けている。

どうもオヤジ殿がわがままで、それっぽい食事でないと納得しないから

無用な調理が加わって、栄養価が減っているのかもしれない。

正月明け、私の体は不調を訴えた。

 

味付けは甘塩っぱい島風だが、薄味なら気にならぬし

煮物ですら、そもそも鮮度が違うから、体の反応が違うようだ。

体にしみわたっていく栄養が感じられる食事。

山登りの前に、食べておくべきだったのかもしれない・・・

 

左足の皿の具合が悪いが、山を観察しながら鍛錬というのは悪くない。

磯歩きするためにも、ハブ覚悟で山に入るのは、

緊張感としても、鍛錬にはいいかもしれない。

 

今度は沢登りでもしてみようか・・・



またしても、くれぐれも述べておく。 もう最後にしたいので。

 

私の感じる「甘さ」は、ほとんどの方々の「優しさ」として普遍化している。

東電の社長の甘さ同様に、結構皆々様はダラダラに甘すぎる。

私は憂慮しているが、それはおそらく反社会性として受け入れられる。

 

放射線が増大していても、取引先が撤退しないから、当社も無理して・・・

みたいな判断不能企業も多いという。 こういう企業に就職したらしまいだ・・・

人命より取引先、社員の危機より当面の生活費・・・日本人の感覚は

どこまで甘くなったのか計り知れない。 ついでにレベル7に引き上げて

諸外国に対して、お涙ちょうだい国家ときたか・・・もう、付き合いきれぬ。

 

そんなこんなのダラダラ社会となったために

生物として、正しい死に方というのは、現代では反社会的らしい。

死を許容せず、進化しない生物となった人類が、地球をむさぼることが

どれほど将来にとって罪深いことか・・・

 

死の恐怖の回避意識は、他力で生き残っては意味がない。

自力で生き残る最強のバネとして、神以前の存在からもらった

基礎機能であって、科学とか他人の力でどうこうするのとは違う

尊い恐怖たることを、忘れ去ってしまった。

 

病弱、奇形、脳障害、アレルギー、発ガン・・・

あらゆる形質が正常なものと、自由に混ざり合い、遺伝し、増殖していく。

死なないというのは、遺伝子劣化をともなう生物進化への冒涜であり

生まれながらに悲劇を身にまとう子供たちを、増殖する事に他ならない。

 

一方、そういう子供たちを産んでいくという、

あるいは賭けのような、非人間的覚悟が必要な社会が必然となっていく。

ま、親御さんが区別して、しっかり結婚を反対する向きもある。

 

抑止力とてなくはないが、甘ったるくなっているのが現実だ。

結婚の早い地域では、私と同世代の方々がじじばばになりつつあり

重症のアレルギーが当たり前の社会になってきている。

アレルギーに人権が与えられたようなものだ。

 

ジンマシンが気管に出れば、じわじわ息が途絶えて死ぬ。

小麦粉入りクリスマスケーキを食べて自殺・・・

年越しそばで一家心中・・・なんてのが流行るのか・・・手軽なものだな。

 

生物多様性と同様に、有益な奇形化が起こればいいのだが・・・

血が濃くなって、尻尾が曲がったネコが増えるようなものだ。

好ましいことは、ほとんど起こりそうにない。

 

ま、エイズにかからない体質・・・が判明したという

ヤリ手?のアフリカ女性を奥方に迎えるのは、

遺伝子活用になりそうだが・・・命がけの交尾になりそうでもある。

本人はかからぬが、キャリアでないとはいえない・・・

 

長寿社会は、奇形のフルコースに挑むということにほかならぬ。

薬品は、一方で病原菌を鍛え、死ななくしている。

 

ま、そのうち叩いても死なない蚊が出てくるようなものだ。

 

ニンゲンがだらだら延命している間に、

病原体は構造がシンプルだから、より高速に進化している。

人には厳しく、自分に優しい・・・を地で行く社会が証明されていくだろう。

もっとも皮肉で、悲惨なカタチとして。

 

異常体質に生まれた人権とは、親の責任とはどうなるのか

産むというのは生物の基本機能だが、それすらも罪となっていくのか。

 

長生きすれば、いいことがある・・・という楽観はすでになく、

未来を崩し、食いつぶしているように見えてならないのだが。

今更、文明も科学も捨てられない我々は今、片道切符を手に

暴走列車に乗っているような気がしている。

 

子供とは無縁の私がそんな心配など、しても仕方ないのだが

やはりこれから、優しさという名の生き物の尊厳無視が、

ニンゲンの奇形化が加速すると思うと、不本意に生まれてきた子供たちが

親を断罪する社会が来てしまうことは必至で、生物として無視できない。

 

なぜ、奇形になると分かっていて、私たちを産んだのだ!と

叫ぶ声が出てくるのは間違いない。

エックスメンのような、カッコよくて有用な奇形が生まれることを祈る・・・

 

避難することになった飯舘で、102歳のご老人が自殺されたとのこと。

郷里に住めなくなることを悲観したのではないか・・・という。

死んでよかったと思う。 正解だ。

ご本人の思いにしても、ご高齢具合にしても、社会の重荷にしても。

私は、生き延びて繁殖する人と、無駄に生きるより死にたい人を支持する。

なにしろニンゲンは、いろんな意味で増えすぎ、地球にとって有害すぎる。

死には尊厳どころでなく摂理があるのに、

無視するニンゲン社会など、異常以外のなにものでもない。

狂っている者は自らがその事実には気づかぬというのは、真実だな・・・

 

今回の震災や福島の件で、日本人の人命尊重のあり方や、

不自然な土着への執着を見るにつけ、日本人の心も壊れているなと感じ

私の意識とはかけ離れてしまった事実から、もう忘れることにした。

 

郷里が大切という方々、どれだけ環境を知っているか?

自然保護なんてどうでもいいが、我々は自然の中で生きるのに

住んでいる環境自体を知らな過ぎる。

津波で流れたのは、人家だけではない。 生物全てが流された。 

郷土愛がナンボか知らんが、郷土をどれだけ分かっているのか疑問だ。

 

そもそも

郷土愛とやらがあるのなら、津波被害はもっと少なかったろうに。

 

非科学の江戸時代でなく、明治29年に起きた明治三陸大津波では

データがしっかり残っている。

大船渡で22.4m、今回が23mなのだから、

115年もの間、対策もせんで何をダラダラしとったんだ・・・

 

懐古趣味のために、郷土愛などと吹く向きばかりだから流されたのだ。

同様に、メリケン風経済の弱肉強食にかまけている間に

優しさも愛も壊れてしまったことに、誰も気づかない日本社会。

走行している間に見過ごしてしまった津波対策。

 

今更どうしようもないし、見るだけで不愉快で生活意識が下がる。

幸い我が家は、津波とも放射性物質とも縁がない地域である。

年収100万もいかないが、一応義援金を2,000円ほど払ったし

もうさっぱりと、意識から除去することが正しいと思ったしだいである。

ともかくも、自分の身は自分で守るのが基本だということを

よくよく理解させてくれた事態であった、と思う。

 

考えるだけ無駄なので

福島も震災も、これで私の記憶からはおさらば、とした。


ではまた