歩いて歩いて歩く意味

 


やっぱり、ずっと歩いている。

他にすることはないから、歩くのか、歩きたいから歩くのか

よく分からないが、島とは違う広い広い乾いた平地を歩くのは心地いい。

テキトーに鳥の気配を察知しながら、カメラを持ってブラブラ歩く。

できるだけ人のいない、民家のない田んぼの道を歩くので気が楽だ。

伊勢を吹き抜ける冬風が冷たいが、好天が続くのでとても快適である。

セーターの上にコートを羽織って歩くと、日差しの温もりで多少汗をかくが

撮影中はじっとしていて寒くなるので、汗をかくくらいがちょうどいい。

 

風のある日、日差しのない日はずいぶん寒くなるが

歩くとたいがい汗をかいてしまう。

 

その最中、島から電話がかかってくることもある。

まだ帰ってこないの? とか

無線LANがつながらないんだけど! やら

パソコンが壊れているんだけど・・・ とか

役場の人事が変わったよ やら

珍しい鳥が島にきているようだけど などなど

島に帰って聞かないと、どうしようもないことばかりである。

 

家に帰って

携帯電話の万歩計(ウォーキングチェッカーとかいうらしい)を見ると、

18,000歩前後を3、4時間で撮影しながら歩いてることがわかる。

 

島でも、このくらい歩かないと健康になれないのだが、

畑は年中農薬や除草剤散布もあるし、冬場はキビ刈りでザワついている。

もちろん、晴れていたとしても、雨が降らない日はそうそうない。

防水なのだが、なぜかカメラを持つ安心感やヤル気が違ってくる。

もちろん、夏場は内地でも田畑の農薬散布には油断できないのだが。

 

内地から赴いた南国の印象は、

歩くにはジメジメとし、雨がパラつき、晴れれば蒸し暑いので

服装や装備が面倒で、とても快適とは呼べない天候なのである。

一方、アスリートたちが好むのは、M的な観点からか?

起伏が多く、荒天の多い島に慣れれば、競技が楽になるのだろうか。

 

伊勢の冬場はカラカラで寒くて、降っても雪か小雨がぱらつくだけで

たとえドンヨリしていても、天気が読みやすいから、

遠距離散歩がとても楽だし、自転車であればもっと足がのばせる。

 

反対に言えば

雨の多い島で散歩できれば、どこでもOKということだろう。

けれども、私にそのようなドM的鍛錬は魅力的でない・・・

真冬に合羽姿で散歩するとか、泥除けのない自転車で遠出するなど、

正気の沙汰とは思えない。

 

ましかし、散歩しない理由を並べても、出た腹は凹まぬし

カロリーも消費されないから、前向きに二日おきにでも散歩してみるか。

 

ひとつだけプラス面がある。

気温と湿度が高めなので、のどに優しい。

 

ところで

この年末年始で、半径4キロ以内はおおかた歩いて回った。

田畑の向こうに田丸城址があるが、意外にも

そのまた向こう広大な田畑な広がっていたのには、少々感動である。

何キロも、ヒタスラ田んぼが広がり、空と大地と用水路だけである。

そんなところにも、お歩きしているシニア世代がチラホラおり

更には犬の散歩の方も少なくない。

平日の日中・・・何してるんだ??? 他人のことなど言えぬが・・・

 

田畑を歩いても、さして風景も鳥たちの種類が変わるわけでもないが

なぜか心地よいので、歩いて歩いて・・・どこまでも田を歩きたくなる。

本当はもう、どこにも引き返したくない気分というのが正直なところ。

とてつもない開放感が、ココロを刺激しているというか、開放したがる。

 

今はそう思っているが

夏場は熱い草いきれで、歩きたくない道になることは間違いなさそう。

季節限定、今だけどこまでも歩きたい場所だ。

 

雑事にとらわれたくない、逃げっぱなしの人生には

もってこいの逃げ場には違いない。

 

広い場所で引きこもる?には良いのだろうと思う。

私は引きこもりたくもあるが、狭いところは好かぬので

家の中にいるよりは、誰もいない外でボーっとしているのが快適である。

少し見慣れた風景まじりながら、誰とも会わず見知らぬ風景・・・

ってところが、安心できる場所らしい。 半分、夢の中のような世界。

 

島では、さまようオッサンは怪しすぎて見逃してはくれないから、

必ずじっと見たり、通報したり、声をかけたりする。

なこともあり、ボーっと歩き回るのにもナカナカ根性が要る。

 

っていうか、ビーム砲レンズを持って歩くから、怪しいだけだろうが

何も持たずに、ボーっと歩くオッサンは、お歩きに見てくれるのだろうか・・・

伏し目でブツブツ独り言を放っていれば、無事に誰も近づくまいが。

 

元々怪しいにもかかわらず、怪しがられたくない心境というのも

とてもアンバランスで、広大風景ヒキコモリ症候群?らしさだ。

 

なんかこう・・・知っているような知らないような好天の大地を

ただただ誰とも出会わず、歩き続けられるというのは、

なかなか得難い爽快さだとは思えまいか???

 

私はこの爽快さがたまらず、つい両親の一年分のボヤキをほっぽらかして

毎日、カメラ片手に何時間も出かけてしまう。

 

昔は旅に出たいと思ったが、今は島の生活が旅そのものの只中で

旅でもなく日常とも違う気がして、変に安心できるどこかへ行きたい・・・

と願っていることに気づく。

 

このごろ、南大東に行きたい気持ちもあるが、どこか迷いがある。

基本的に大東と徳之島は同じものが釣れ、同じ鳥が見られても良い場所。

確かに違うことが多いのだが、でも横浜や伊勢ほどではない。

住んでみれば大東と徳之島は大きく違うが、行きたいと願う気持ちは

昔の憧れ感からはずいぶん遠くなったように思う。

 

それは多分、今の精神状態が不安を楽しいと感じないからだろう。

リスクが少ない、のんびりした島生活のなかで、ストレスが少なくなり

小さなストレスは、小さな生活の変化で解消されていて

とくに大きな非日常が必要ないと感じられる。

 

一方で、精神が変化の小さな生活に馴染みすぎて、引きこもってしまい

旅すら臆病になってしまった怖れもある。

 

今回の帰省で感じたのは、何事もひたすら面倒な心持ち。

家に帰る必要があるのか?と思ってしまうのだ。

大東に行こうにも、まー高木博士の弟子の女子大学院生と共に

釣った魚を料理したり食べたりするのが、とても楽しみだったりする反面、

魚なら、がんばって徳之島で釣ってみたいと、行かない言い訳をする・・・

自分が邪魔しているのも確かだ。

面倒だから、行かない理由を正当化したがっている。

 

貧乏だが時間はあるし、大東に何日か行くくらいのことは平気だ。

なのに行こうとしないのはなぜなのだろう。

さりとて、徳之島でとりたててやりたいことがあるわけでもなく・・・

歳をとって、いよいよ、何もせん人になりたいのだろうか。

 

何もせんのならば、毎日田畑を歩き回り、歩いた果てに鳥を見つけて

喜んでいたりはしないと思うのだが・・・ 自分の矛盾が解けない。

ちょっとした冒険ですら面倒、けれどヒキコモリも疎ましい。

どんだけワガママな、子供的オッサンなんだ!? 

精神が退行し始めているの証拠なのだろうか???

 

少なくとも

大切だと思うのは、ジタバタすること。

ジタジタでもバタバタでもいい、ジバタタでも申しぶんない。

ともかく動くことだと思う。

どんなに何日も引きこもったあとでも、ふと出かけたくなる気持ちが

人間として、何かとつながろうとする気持ちの現れではなかろうか。

 

ともかくダメ人間に間違いないが

鳥やヘビ、昆虫を見たくなるし、鳥とならば話したくもなる。

生きていこうとする可能性を、自分なりに探ろうとしている・・・と

都合よく解釈すれば、単に部屋にヒキコモッたジャージの連中と

違った可能性があるのではなかろうか???

 

今年もまた、島内ヒキコモリ生活が始まろうとしている。

しばらくは、霜柱ともおさらばだ。

 

三週間の帰省寄生生活だったが、体調は一進一退のよう。

家族といると生活のメリハリがあるから、体を動かしやすい。

一方、両親の加齢によるイザコザを再三聞かされることもあって

心配事は増えるし、胃腸の調子は芳しくなく唇が腫れてきた。

せめて腹を減らそうと、外へ出たくなるものだ。

 

ご飯少なめ、散歩は長め、夜の晩酌はゆっくりと。

コレはコレで楽しい毎日、なぜか体調が戻らぬ毎日。

寝っぱなし生活ができないから、午後は眠くてたまらず

ついに頭頂の頭痛がし始めた。

 

実は寝るのも面倒で、また変な夢を見るようになった。

情動が多くなると夢見が悪くなり、寝心地が悪くなるよう。

寝つきは良いのだが寝覚めが悪く、一度目覚めると眠れない。

 

帰省するまで

旧知が出演する、妙に嫌な夢は久しく見なかったのだが、再開した。

 

そろそろ寄生生活も限界ということだろう・・・

 

さてさて

今年は一段と寒くなった島。

7:15ごろが日の出で、雨の朝は9時ごろまで明るくならず

なかなか布団から出られない生活に戻るのは微妙だが

やっぱり自由が一番気楽だ。

 

年明け、いきなり役場の人事が変わり、

左脳型企画課長は、社会教育課長になったらしい。

今年はバイトが無くなるかもしれないが、それなら自由な時間が増える。

 

じっくり何かに取り組むには、いい年になるのかもしれない。

島を歩く時間も増えるのだから、動物との出会いが増えるだろう。


ではまた