いきなり冬になったり、とか

 


天気予報が、まったく似ていない日が増えてきた。

一日中 晴れマークなのにどんよりとした雲から雨がしとしと降る。

このような予報が週に何度もあるので、正直しないほうがマシな状況。

気休めでなく、惑わせにしかなっていない。

 

今度の家は極低気密住宅なので、戸の隙間だけでなく

盛大に開いてマジックが落っこちる畳の隙間や

板一枚しかない壁?や板の間の隙間、

そして本来のサッシの隙間、というか、閉めても上下差2センチって

サッシの意味があるのか分からぬが、島のサッシはそういうもんだ。

もちろん、最後の5センチを締めようとすると、ロックがサッシ枠に干渉し

ガコーンと逆に反対側が自動的に開く仕組みがある・・・

筋金入りの低気密造りとなっている。

 

島は極めてナンチャッテに満ちている。

全てがそれっぽいが、見よう見まねな上に、抜かりなく手を抜いてある。

何から何まで雑で、すぐ動かなくなる、錆びる、壊れる。

そのテゲテゲさに匹敵するか、上回る気象予報になる時節が冬。

 

唯一、丁寧なのはアーマ(ばあさま)がこさえる島料理だが、

すぐ作れる簡単なものはないし、時期も限られる。

 

隣の家は夏にダンナがなくなった、未亡人宅であるが

有得ないことが起こっている。

リフォームらしいのだが、職人が夕暮れ以降に働いている。

 

後、ほんの少しの仕事でも仕上げずに明日にするのが島流。

鹿児島から来る土建屋さんが嘆くのがこのあたり。

 

なぜなら、畑もあるし、牛の世話もあるからだ。

農業主体なので、は土日休みという感覚ではないし生き物相手。

休み休み仕事しなければ体がもたぬことも、つけくわえておく。

また、冠婚葬祭など付き合いがものすごく多く

体力も財力もそこそこ必要なのが島生活であるようだ。

 

なのになぜ夜まで作業するのか・・・それは下心丸出しということだ。

離婚が多いが生活力もないし、さびしがりの男性は

何歳になっても助成、じゃなくて女性を求め続けるようで、

お母さん的なイメージがあるようだが、気づいていないようでもある。

奥さんもとてもさびしそうであるから、まーいいのだろうけど・・・

なんか・・・寒いなぁ・・・


今年一年、寝床に横になっている時間が、人生最長だったと思う。

ちょっと出腹が増した・・・ 足腰も弱ってしまった。

相乗効果?なのか、腕立てが60回しかできなくなった。

 

一方で、このところストレスに対して吐き気が少なくなった。

他方では、朝が起き辛くなってしまった。

おそらく、定職がないので起床するモチベーションが下がったことが

原因だろうと思うものの、南国の遅い夜明けの影響も否めない。

山が東にあるので、夜明けを過ぎた7時を過ぎても

日差しが遠いのである。

 

ついつい涼しくなってトレーニングもしやすいのに

寝床から出られずにウダウダしてしまう・・・日々。

 

天気がよければ、トレーニングも鳥たちの撮影も一気に集中し

朝はとても大切なのに、ついついウダウダしてしまってダイナシの連発。

 

だからといって、せっぱつまって考える必要もないと思う。

目指す人生があるわけでもないし、無理して頑張ろうにも

とりたてて役立つ人生でもない。

 

気になるのは目が弱くなったことだ。

よる歳並みに、老眼が強烈になってきているのだが

それ以上に眠れないことで、かすみ目がひどくなっているし

ヒブン症も、耳鳴りも加速しつつある。

目のチラチラを、虫と思ってしまうことは日常的になった。

 

引っ越して2ヶ月、家に慣れられないのとは違い

ボロ家なので、風であちこちガタガタ、カタカタ、カンカン音がし

寝入りかけた瞬間に、気になる音がして眠れない日々が続く。

 

風のない夜は、便所のウンコ臭さで眠れなかったり、

生きることは日々闘いだなぁ・・・

 

ちなみに

おだやかに晴れた日は、焚き火というかゴミ焼きが盛ん。

無論、自分の家の布団を干すときだけはやらない。

が・・・ほかの家がやってしまうことになる・・・

こういう、ユルユルずるずるダーダーなところが島らしさ。

この島にはヤル気というのが、繁殖行動つまりヤッチャウ気か

飲酒くらいにしか発揮されないわけで、

合わせて無駄にユルむ自分が恐ろしくなってくるほどである。

 

ちなみにちなみに、どういうわけか煙の臭いは

締め切った部屋だが床下をとおり畳の間から寝床へ、

ほぼダイレクトに伝わってくる仕組みである。

 

おそらく

空気や水が美味しいとか、車が通りかからない限り

自然の音しか聞こえない静けさとか、とても快適な時間が多く

そうでないことだけ感じているのだろうが・・・

 

不思議な感覚がある秋、というかときどき冬の始まりのころ。

体感的には10月である。

そして仕事しない生活も、もうすぐ2年になる。

時間が止まっているのである。

何も進まない人生、ただ自分も外界も着実に加齢していく。

金はないが、さしたる苦痛があるわけでない、

ただ、アゴヒゲやコメカミに白髪が混じってきたり

世間的に44歳という年齢が、どうにもオッサンから

ジジイ初心者になりつつある事だけが、心に重みを加えていく。

 

関係ないが、私より10歳以上歳上の恩人、

居候させてくれていたYさんは、つい先日入籍した。

まー、家に帰らず同棲し続けてきた彼女と、ゴールインしたのだ。

何に使ったのか、借金に負われる男と入籍する歳上の彼女、

とても殊勝な方である。 料理は上手で、初婚。

 

人生にかぎらず、

アリ生でも熊生でも一応単為生殖可能なミジンコ生でも

ツガイになって生殖行動を続けることが、生きる目的なので

当たり前のことなのだろうが、私にはずいぶん遠い感覚だ。

 

あいも変わらず

他人とつるんで生活することに、良さを感じない・・・

結局こうして、今年も暮れていこうとしている。

 

何を拒んでいるのか、何が気に入って何が気に入らないのか

今更どうでもいいのだが、一応今年を総括しておこうと。

 

流行っぽく、今年を一字で示すならば・・・

「素」 す、もと、なんもせん、気にせん、無理もせん。

 

でもまー何もせんかったが、少しずつ時間が過ぎ

徳之島から受けた影響も、与えた影響も増えていることは

確実である。

テゲテゲでなければ、今年中に当部集落の案内板は

私のデザインで実現する。

今後20年は私の仕事が、公衆の面前に存在し続ける。

大阪や横浜にいたら、こんな仕事はない。

同じ能力を使っても、時と場所でこうも違うとは・・・

しかもバイトレベルでかよー、という印象がある。

目立ちたくないといえば嘘になるが、手軽すぎるのもナンである。

 

面白いのは、私の能力を発揮させているのは

左脳人間ながら、妙な向上心に満ちている企画課長による。

私は賞味、昔の技を趣味的に使っているに過ぎないが

彼のアイデアや何かをしたい、町にプラスできることを探すチカラが

私の古い技を仕事へ仕向けているだけに過ぎない。

 

私は基本的に、新しいことは何もしていない。

 

観光案内板に、人の顔を入れてしまうという発想は

私のカチコチの脳では思いつかない。

しかも、集落の人の集合写真を、である。

なぜか人が集まっちゃうから、面白い。 でも雨の日だったが・・・

合羽姿で記念撮影なのに、集落の皆々様は普通に写る気満々だ。

 

20年後には、かなり遺影が多くなるだろう。

タイムカプセル的な意味まで込めてしまったというか、たまたま?

 


この写真が私の世界の入口。

いくつかの間違いが存在している。

傘立ての位置が真ん中すぎ、折りたたみ自転車が折りたたまれずにある、

飾り窓が半分しかない、右のケトルベルが防災上よろしくない、など序の口。

そもそも、左の戸が入口のはずが、物理法則を無視して

レールが途中で下方にゆがんでいて、戸がくいこんで閉まらなくなる。

無論、右の戸も極めて重たい・・・

もっと島らしい事柄は、一番手をかけたくなるサッシのさんの歪みというか

ハズレてしまっている。

戸の中央の枠組みが上広がりのシルエットであり、

サッシの右端と壁に映る影のラインがもっと上広がりである。

我が家がの隙間風や生物その他が、隙間というより

人為的な間(ま?あいだ?)から自由に出入りする構造だということが

理解しやすい光景であろう。

 

私は、ここを玄関とは認めていないから、自転車を置いて

態度で玄関を否定してある。

根本の間違いがある。 なんちゃって玄関は、靴を脱ぐ土間が

奥行き60センチしかなく、靴箱も置けないのである。

家の大きさ、間口の広さに対して、決定的に形だけの存在で、薄っぺら。

さんがずれているのは、なにか間違えたんだと思うが

ホットメルトでくっつけてあったのが、外れてしまったからだ。

 

玄関にホットメルトという感覚もすごい。

どんだけテゲテゲなのか計り知れない。

いくらもどしておいても、郵便配達の女性がずらしてしまう。

ここを持ちたくなるサッシの不思議も否めぬが・・・

 

冒頭に書いた、ナンッチャッテ世界とは、

こういった常識を積み重ねた存在時空。

違う時空をすごしているような気分になるのではなく、違う時空だ。

これが通常空間なのだから、常識が自然に違ってくるのは仕方ない。

 

生物的には屋久島、種子島と、トカラ列島の間に

つながらない場所があるという。 太古、揚子江の河口だったとか。

揚子江という名もなかったころの話だが。

 

あそこで今も日本人としての何かが、まったくコトゴトク切れている。

 

そこで生活して1年半すこし。

私は私の形をした、2年前の脱サラのころとは

いろんな意味で、違った私になっているようだ。

こんな魚が、大手スーパー?に並ばねばならぬ南国の島。

コメジロとは、サンノジの屋久島方面の呼び名らしい。 輸入物である。

磯臭くて骨付きのくせに、豚もも肉より高いよ・・・

愛媛から数センチのスズメダイを輸入するくらいだから、まだ常識的か?

 

鹿児島の海産の物流は、上り方面は豊かなようだが

下り方面は、貧しすぎるにもほどがあるというか、猫またぎじゃねーか!

Aコープは島民の舌や、価値観を破壊する企てでもありそうに思えるほど。

 

来年も、こんな島で生活するのだ。

来年は、バイトがあるだろうか。

来年は、この家が壊れないだろうか。

来年も、楽しい一年だろうか。

 

今夜はまた、野草のボタンボウフウで湯豆腐でもするかな。

島なりに寒いので。


ではまた