徳之島は絶体負けぬ!

体質なんだから仕方がない

 


またしても毎週水曜アップの遅刻で申し訳ありません。

ちょっとイロイロありまして、腱鞘炎復活などもあって遅れました。

 

とまれ

米軍基地移設反対運動は

まだまだマダマダまだまだ続くぞ!!!

 

なめるなよ政府!

徳之島住民は絶体にあきらめない!


命のタスキリレー、聞いた瞬間に名付けのワザトラシさが全身を貫き

どーでもいいかな・・・と思っていた。

 

もともと、テレビも新聞も無い我が家なので、

そんなリレーが行われること自体を知らなかったのだが、

ひょんなことから撮影することに。

我らが徳之島のアマミノクロウサギ保護団体、

クロウサギの里の代表M村氏が

反対運動に、深く関わっているからであった。

 

そして私に関係するのは、

そのM村氏が植物系食料の供給源だったからである。

実に実に、生活へ深く突き刺さっている関係があるのだった。

 

タスキリレーの出立は、午後4時に南部の伊仙町からである。

私の担当は、夜半以降の後半で、北部の徳之島町金見(かなみ)から。

金見から手々(てて)を経て、天城町のムシロ瀬へつながれるのだ。

当初は、天城町内最南端の西阿木名(にしあぎな)で終わるはずだったが

事務局の威光?で、終点の伊仙町ほーらい館までとなった。

 

予定では夜明けごろに、伊仙町に到達するはずで

結局は徹夜なのであるから、不眠症写真家をアサインすることは

とても理にかなった選択といっていいだろう。

通常の人間なら、徹夜に対して後悔の念が少なからず発生し

精神的にダルさやダメージを食らうことが多いが

私に関しては、全く無いというか、

寝床より、むしろ活動しながらの徹夜は、とてもスガスガシイ。

 

さて、深夜の金見集落でそんなに人がいるわけもなかろう・・・と

もう一人の撮影者、Fモトさんと現場へ急ぐ。

 

しかし、そんなヨケイなかんぐりは不要だった。

 

徳之島町の最北の小さな集落金見では

基地移設に反対し、応援する人たちが集っていた!!!

徳之島町南部の繁華街、亀津(かめつ)から母間(ぼま)あたりは

ずいぶん思考的に都会化して、冷たい雰囲気が漂うようになった。

だが、それ以外の島人らは、これまで通り、燃えている!!!

 

普段から、島の人らは結束が強い。

互いに考えの違いに対しては、反発が強い。

好みが分かれるというのは、

すなわち交流の密度が高いから生まれる気持ちであって、

ひとたび方向性が同じになったら、誰も止められない力になる。

 

隣の人の顔すら、ほとんどしらない都会とはエライ違いで

一方で反発していても、合一する思いがあれば、すぐに強い絆ができる。

というか、常に反発しながら絆が出来ているのであった。

 

島という、小さな地域に住む生物は、常にそれぞれに関係するので

常に島のことを考えて生活しており、島自体が危機であるときは

それ未満の事柄は保留にして連携できる能力があるようだ。

 

今は亡き、ジャックモイヤー博士が研究していた

サンゴ礁の小さなカタマリ、(釣り人のいう沈み根、シモリ)に住む

様々な熱帯魚達が連携するモビング行動にも似ている。

普段は食う食われるの関係でも、根のパワーバランスを崩す

共通の敵が現れたときに、連携して追い払う行動であった。

 

生物の行動は、共通点があって興味深い。

 

さて

金見の次は、限界集落とも言えそうな手々(てて)である。

本当にタスキを渡せるのだろうか・・・と思ったら青年団が強固だ!

無駄に夜更かししそうな連中だが、ゆえに夜こそチカラがあり

反骨精神も旺盛のようだ。

 

いよいよ天城町。

集落からずいぶん離れた北端の景勝地に誰かくるのだろうか・・・?

との思いは、やはり無用であった。

 

バラバラと雨が降ってきている。

 

与名間(よなま)で反対運動を強力に推進する女性団体のカシラ、

Tさん率いる松原集落のオバンズ?らが、待っていてくれた。

横断幕が参加する人たちへ、さらにチカラを与えていように感じる。

 

天城町は、盛り上がらない町だと思われがちだが、

実はネチネチっぽいところがあるから、団結する力は強いのである。

ネチネチねちねち、人を説得し、絆となりつながっていく土地柄だ。

天城町に住んで、今は心底よかったと思う。

 

ついでにノラ犬まで待っていたが、寄り過ぎてピンボケ・・・

 

次は、与名間(よなま)ビーチ入口。

いきなり総務課長が登場したので、たずねてみたところ、

ご高齢のオヤジ殿がタスキをつなぐので、心配してやってきたのだそう。

地元、松原闘牛場入口まで、オヤジ殿を歩かせたいのである。

といっても、リレーのポイントにしてみれば次の次になる。

次は与名間分校入口であった。 気骨あふれるオヤジ殿だ。

 

ウシミツドキなのだが、小学生とそのご両親がタスキをつなぐ。

深夜にも関わらず、カメラ目線を忘れない少女であった。

与名間分校の子供たちは元気のカタマリだ。

  

5月に闘牛場をリニューアルオープンし、闘牛大会を開催した

マツニシこと松原西区集では、次の次の次の集落、岡前(おかぜん)の

連中の顔も見える。

左の白いTシャツが、とても親思いの総務課長・・・といいつつ

彼自身も、いいお歳であったりする・・・

 

さすがに、岡前人(ゥワージンチュゥ)の顔が見えたときは感動した!

待っていられないからか、先のリレーポイントへやってきたようだ。


ちなみに天城町の集落の方言名は、北から順に

与名間:よなま ← ユナァマ

松原西区、上区:まつばらにしく、うえく ← マチャラ

前野:まえの(行政区では岡前) ← ムェヌ

岡前:おかぜん ← ゥワージン

浅間:あさま ← アジャァマ

天城:あまぎ ← アマギ(改称前は、アブキナ)

平土野:へとの ← ヘトノ

わが集落、兼久:かねく ← カヌィク

大津川:おおつかわ ← フッチコー

瀬滝:せたき ← セタァキ

当部:とうべ ← トウブィ

西阿木名:西阿木名 ← ニシアギナ(改称前は、アギナ)

三京:みきょう ← ミキョゥ

である。

少々、奄美大島とダブる地名もあったので改変された。

 

他にも、徳之島町の繁華街、亀津は秋津(あきちゅ)だったようだ。

 

ロシア語っぽく、口をあまり開けないで発音するので

聞き取り辛くてハッキリしないから、かなり面倒な方言だ。

 

島口を使う人の発音では、リとルの発音が似ていたり

ダとラの発音がごく近かったりするので少々耳に神経を使う。


すでにウシミツドキをすぎ、天城町へ突入した一団は

早々朝にも関わらず、勢いを増していく。

松原上区(まつばらうえく)では雨の中、熱心な応援住民らが

いまかいまかと、到着を待ちぼうけていた。

だんだん雨止みが短くなり、雨の勢いも増しつつある。

 

つぎは、行政区では岡前(おかぜん)に含まれているが

実は勢力の強い、前野集落。

岡前小学校前で待ち構えている。

ジーサマたちに負けられぬと、若い連中もタスキをつなぐ姿。

こうしてみると参加者が少なそうに見えるが・・・そんなに甘くない。

背後にはこのとおり、応援者がたくさん集う。

前野の方々も赤いTシャツを着て、抗議する気持ち全開だ。

 

平地が続く浅間(あさま)では、少しテンションが低そうに感じたが

まったくそういったイメージは無駄だった。

正確には、テンションは高くないが、参加者は多いのである。

暗闇に不気味なほどの方々が、どやどやと集まっている。

ほとんど明るさのない場所でも、ボーと待っていられるのが

島人のすごいところ。

 

前野の色白な美人ウォーカーがタスキを渡した。

タスキリレーは、思いが募る老若男女すべてと行動するので

走るわけでなく、皆とともに歩き続けるのである。

 

次は浅間の第二ポイント、空港入口にあるM原二輪車店付近だ。

人どころか、後続の車も増えてきた。

人と車のコンボイっぽくなってきている。

 

いよいよ天城集落、樟南(しょうなん)二校の前、

天城町の中心地に入ってきたが、これまで以上に雨は強くなる。

 

カメラが濡れるので、Fモトさんも私も、カメラワークが大変だ!

傘をさしたり、タオルでカメラを巻いたりしながら撮影する。

 

思ったとおり、人口千人を超える都会、

平土野(へとの)はテンション低め。

都会化というのは、無関心化ということが如実に分かる。

画面の真ん中から左は全て天城の人たち。

ここから兼久(かねく)までは上り坂で高度差50mくらい登る。

 

お腹がすいたので、Fモトさんが経営するコンビニから持ってきた

期限ギリギリ・チョイ悪食品?をいただく。

 

塩バニラ・クレープ!?なんじゃそりゃ!?

 

普通のバニラクリームの脇に、塩分が混ざらないように配置され

なぜかバニラクリームが美味しく感じる不思議な菓子だった。

まーなぜ存在しなければならぬのか、少々不可解な食品ではあるが。

オレンジカカオモカ?だったか、ココアにコーヒーフレーバーを足した

珍妙なドリンクでいただくと、いっそう不可思議な味わいであった。

 

天城中学校前、ほぼ真っ暗な県道沿いには、良く見ると

うっすら浮かび上がる多数の人影・・・暗いの平気度最高?!

兼久人(かねくんちゅ)は熱意と酒飲みにかけて他に遅れをとらぬ。

省エネモードながら、県道沿いに多くの人が待ち構えている。

モウソウチクで作った松明(たいまつ)は意外に持つものだ。

 

残念ながら高齢化と過疎化が進みすぎたのか???

大津川の南部保育園前では、兼久人が4名出張して待っていた。

後半でだた一ヶ所の全滅集落・・・

あまりに冷え切った集落なのか?松明の火も消失・・・

 

こうなれば

兼久人のゴリオシパワーで瀬滝までひっぱるしかないのだ。

 

今年、サトウキビ生産量町内トップに躍り出た瀬滝。

集落に元気がみなぎっているようだ。

ちなみに去年までは兼久だ。

地域の北限、兼久小学校前なのに、かなりの人が集っている。

寝てて絶対出てこないと踏んでいた企画課長が4時起きして

待っていたのには驚いた。 リレー時刻は4:45ごろだった。

 

ワケが分からなかったのは瀬滝の南端、T田商店前。

別にリレーするわけではないが、ポイントになっていた。

バイクで先回りする交通整理のオジサンも少々当惑気味。

結局何のポイントか分からぬまま。

地図情報もテゲテゲだ・・・

 

秋利神大橋をすぎて、いよいよ南端の集落、西阿木名。

橋を渡って間もなく、戸倉のポイントへ。

すぐそばの家の、若手のご主人がリレーする。

さすがに秋利神川を越えて来た瀬滝人は少なかった。

 

そろそろ夜明けも近づき、

イヌの散歩を兼ねている応援者もチラホラ。

西阿木名小中学校前も、シッカリ地元の人たちが集う。

いよいよ次は伊仙町との境界である。

 

と・・・ここで地図と違う半端なポイントでリレー。

畑の真ん中である。

地図と違うので、応援者が来ていない。

リレーしたのは伊仙町役場職員で、アオパト(自主防犯パトロール車)を

ずっと運転しているオッサンが、勝手にポイントを決めたような感じだった。

このときのために用意しておいた、赤い基地反対Tシャツに着替えて

タスキをリレーする。

 

応援者はキッチリ町境で待っていた・・・

テゲテゲ地図を信じる人は多く、通過するタスキにケゲンな顔。

 

向こう側に止まっている車は、なんと現役のハコスカ!

GT-Rでないところが、また一段と味わい深い。

 

いよいよ夜が明けて懐中電灯がいらなくなった。

背後にたたずむ犬田布岳(いぬたぶだけ)が雨雲で煙っている。

夜が明けて、物珍しそうに集まる人が増えたように思う・・・

もちろん、イヌの散歩ついでに。

 

6時過ぎ、小学生がドドンと増えた。

イヌの散歩も多いが、ラジオ体操のついでだろうか?

いつの間にか、伊仙町長のO久保さんが降ってわいた?

左側から2番目の基地反対の赤いTシャツが、その人。

普段から町内をはるばる散歩するのが好きな町長は

町民から人気があるのも分かる気がする。

町民と同じ視線のリーダーなのだろう。

背後にはしっかりハコスカ。

 

ちなみにハコスカが町長の愛車ではない。

天城町長同様、伊仙町長も軽を転がす。

 

軽快な足取りで、さっそうと先頭をきるO久保町長。

こういうリーダーだと、町民は迷わないだろう。

子供たちも元気だ。

 

ここまで見て分かるように、とても女性の参加が多い。

本能的な危機感や、責任感が強いのが島の女性たち。

 

いよいよ朝もたけなわ。交通量も増えてきた。

犬田布(いぬたぶ)集落入口、闘牛場の対面にはたくさんの応援者。

なかにはカカシのようなのを背負っているひともいる。

これはイッサンサンという珍しい祭りに登場する、イッサンボーだ。

夜が明けていることもあるが、さすがは伊仙町。

熱い情熱と団結力は、天城町にはない空気を感じる。

もう空港反対運動にノリノリといった雰囲気だ。

犬田布集落を練り歩く列は、ずいぶん長くなった。

 

犬田布岬入口でのリレー。

犬田布小学校総出ではないかと思うほど、子供たちが参加している。

後方には、何台も反対のボードを搭載した軽トラが続く。

 

木之香(きのこう)では、今頃になって報道が割り込んできた。

夜中に沿道へ出てきて応援する、歩くのがやっとのご老人など

天城町の熱意も撮って欲しかったが・・・

報道なんてこんなもんだ・・・と落胆させられるヒトコマ。

左に見える佐川Q便風のシマシマ男は、徳之島最高のHPを運営する

中村歯科医から徹夜取材を依頼された兼久のオッサン、つまり隣人。

雨が降ると、紫色の合羽をはおるなどして、ところどころで写っている。

 

HPには

中村さんが全部撮ったかのような記事が出ている・・・ずるいぜ先生!

 

白い長靴のオッサンも加わり、もう何の集団か分からぬ。

ヤギとか闘牛が参加していないのが不思議なくらいな光景だ。

 

阿権(あごん)は、多分小学校の先生生徒総出だ。

ブルーのオリジナルagonTシャツが、団結力を醸している。

さすが小学生、またたくまに一キロを歩き、鹿浦(しかうら)小でリレー。

 

鹿浦大橋を渡り、東阿三(ひがしあさん)でリレーしたら、

どえらい高齢化が進んだ・・・伊仙町も真ん中に行くほど若者が都市化?

 

最後のほーらい館までつなぐのは、阿三の沖縄エイサーのチームのよう。

いきなり若返ったが、背後で横断幕をもつジーサマのお陰で

高齢化は止まらぬ・・・?

 

ゴールのころ、またしても雨が強くなってきた。

報道陣が、雨に追われてウロチョロしている。

南国の取材は雨がつきものだが、イマイチ対応できてないようだ。

南日本や、南海日々といった顔見知りの新聞記者らも、やっと現れた。

 

雨の中、なぜか外に向かって決めポーズをする天城、伊仙町長+1。

右の人は誰か知らぬ・・・徳之島町長ではない。

土砂降りのなか、防水のTX5を構えて身じろぎせず撮影していた。

報道陣が土砂降りでアタフタしているうち、なぜか私が正面に。

多分、どの報道カメラよりもベストアングル。

徳之島の歴史に残る町長の雄姿を撮っておくのに

雨如きでゆらぐような、迷いは一切なかった。

 

この時点で、8:40ごろ。

本当はここでオサラバするはずが・・・

 

車にもどり、濡れた体をふきふき、

ダッシュボードで温まる、チョイ悪食品からフィレオフィッシュをチョイスし

胃もたれ覚悟で腹に入れて、空腹感克服に従事してみたり。

 

すると・・・野菜供給湯源兼、NPO代表のM村氏から入電。

義名山に来ているから・・・と。

行けってか!?最後まで来いってか!???

 

友人のシングルマザーが立ち上げた百菜館でいっぷく。

島みかんジュースをゴクリと飲むと、これがヌチグスイ。(沖縄語で命の薬)

強い酸味が体をキリリと活き返らせてくれる。

 

うーん、じゃまた最後まで行くか・・・Fモトさんとともに義名山へ。

設営中の会場にいたM村氏と再会の握手をしてから

少し山を降りてポイントを探す。

 

ほーらい館から登ってくる一団を待ち受けていると

報道が前にやってきて、ウロチョロ。

彼らのカメラワークには無駄が多すぎるように思う。

どうも頭の中でシーンがあまり構築できてないのではないか?

単なる技術屋が、カメラを振り回しているようにしか思えぬ。

ここは坂の向こうから登ってくる人の顔が

道路の向こう側から現れるポイント。

登ってくる感が出る場所なのだが、動画としてはイマイチだろう。

 

熱い日差しでカゲロウなんぞが出れば、最高だったに違いない。

人の表情をとらえるのは未だに趣味ではないが、

シーンを効果的に演出する見立ては、自然写真に通じる。

 

あらら?

いつの間にかOヒサ町長が総務課長に変身?している。(左)

松原闘牛場で分かれてから、少し眠ってから来たのだろうか。

  

ゴールし、タスキを泉芳郎(いずみほうろう)の銅像横にかかげ

その前で徳之島一週、命のタスキリレー達成を宣言した。

シッカリOヒサ町長が復活している。

坂を上れないような体調なんだろうか???

長いことポーズしていたので、つい撮ってしまった・・・

誰もが撮るシーンは、私が撮る必要がないだろうと考えるのが私流。

 

こういうシーンは、TX5の方がずっと撮りやすい。

水に強いこと、アングルを自在に操れること、

コンパクトデジカメは、ゆめゆめバカにできぬ。

 

PAを操作していた

伊仙町役場、企画課長補佐にあいさつして撤収することに。

彼は見た目の割腹のよさとは裏腹に、カメラなど

繊細な機器操作を得意とする。

奥さんは南西糖業につとめるかたわら、島の旅行ガイドの

NPOを立ち上げんとする活動家である。

 

まー無理やり徳之島を半周し、私なりにいろんな顔に出逢い、再会し

島人らも友人知人と顔を合わせた意義深い反対運動であったと思う。

やっぱり団結することは、顔を合わせ、気持ちを合わせることが大切だ。

 

またしても、O久保町長が目立ちまくったのだが

もうちょっとOヒサ町長も、リーダーシップや積極性を

発揮していただきたいところだ。

 

ともあれ、実にヤッテヨカッタ感のある充実した運動だった。

写真を撮って公表することで、タスキリレーは世界につながる。

悪くない活動だと信じている。

 

我ら徳之島の住民は、

絶対に折れない!

負けない!


その後、無理やり撮影に陥れた?M村氏は、慰労と称して

ヤギ汁を食べさせてくれ、出荷できぬチョイ悪マンゴー、パッション、

ドラゴンフルーツ、ナスビなどを差し入れてくれた。

偶然にも前夜、野菜室を埋め尽くしていた極太の島キュウリ(赤毛瓜)を

5本中3本ほど薄味の煮付けにして処置したのが幸いした。 

とりあえず、ドラゴンフルーツ以外は野菜室収納できたが・・・

 

一番大きなマンゴーは、お世話になっている山海荘のオバサンへ

プレゼントした・・・けれど、そのお礼でたっぷりと美味しい魚の夕食を

ゴチソウになったのであった。

 

撮影が栄養補給につながるあたりは、島生活の大切なところ。

お金はなくても人とつながっていれば、なんとか栄養を補給できる。

そうした人のつながりが、基地反対のチカラになる。

 

私は未だに全く閉じた人間なので困ったものだが、

自分がたとえ金銭的に豊かでなくても気前がいい、ということは、

とても大切な島人の生活力なのだと思い至る。

 

友人知人が、親族のようになってしまう島の団結。

半端な覚悟では、ひっくり返せないのが徳之島なのだと、

少し分かった気がした。

 

さて、今度は私の番。島にどんなお礼をしようか。


ではまた