ラーメンと島らしい料理研究

 


沖縄が梅雨明けしたのに・・・

なぜかいつもより本気で降っているこのごろ。

鹿児島本土では、どえらいことになっているようで、

島は雨がたまる場所自体が少なくて助かった・・・と感じた。

 

たしか・・・6/27、19:00からの鉄碗奪取のような名前の番組の、

開眼DASH?コーナーとやらで、写真がチラッと出ることになった。

いわゆる、手前味噌をこさえてみた。

ちなみに、島では毒を含んだソテツで、味噌を作る技術がある。

私の手前味噌の原料にはアクはあっても、毒は無いと思う・・・


現代人のナンセンスさは、常識という言葉の小ささを感じさせ

常識という、良い慣習すら揺るがしている。

一を聞いて十を知る、というのは幻想なのだろう。

察しと思いやりの文化だった日本は、今となってはコンナ風である。

 

ユルさや弱さを、優しさと勘違いしてきた日本人が

意図的に招いてしまった、無智礼賛社会である。

くだらない常識クイズ番組が流行っているのに、学ばないようだ。

 

そもそも、学習能力無使用人間にとっては、

自分が笑われているようで、不快な番組か・・・

給料もらっても、学習しないヤカラが増えたからねぇ。


浜名湖で、優しさ(弱体?)満点の子供たちを連れた、

自分の頭の弱さを知らぬ教師らが、またひとり生徒を殺した。

愛知県豊橋市立章南中学校の野外活動だ。

 

大雨強風注意報発令中、カッターを漕げという現場の判断だ。

 

50センチも波があれば、公園の池にあるような手こぎボートは転覆する。

このくらいは知ってて当然だ・・・といえない世の中のよう。

しかもカッターは大人数で漕ぐ、厄介なボートだ。

 

天候急変で漕げなくなったため、にっちもサッチモいかなくなり

モーターボートで曳航中に転覆したという。

 

ボートの造羽で波は複雑になり、カッターは不安定になる。

完沈(180度ひっくりかえり)したらしく、死んだ女子生徒は

先に投げ出され、カッターの船べりに叩かれる形だったか

水が苦手で、ボートがかぶさってきた恐怖で気を失い、そのままか。

 

何の悪気もなしに、判断もユルユルのままに、預かった子供が

正しい道どころか、死に導かれてしまったわけだ。

 

今となっては

曳航中、カッターが転覆するとは予測していなカッター・・・

ちょっとのシケが手漕ぎのカッターには辛いなんて知らなカッター・・・

的な教師の姿が目に浮かぶ。

 

おそらく、大雨を予測するのに、ケータイサイトの雨雲の動きすら

観察していなかったのだろう。

 

先生も施設側のプロのはずのスタッフも、知恵を持たなくなっている

バカに優しい社会というか、何でも易しい社会。

易しく考え、易しく実行し、易しく死に至らされる。

いろんな意味で楽だが、腹が立つほど実に易しい社会である。

向学心がわかない働き方、というのが充実している社会なのか?

親が向学心の無いバカチンだったことも大きな理由だとは思うが

なすりつけても、バカの伝承は一族の衰退である。 

 

いろいろあるだろうが

そもそも、子供と国の未来を担う教員を安月給にしておいた、

国民のツケが回ってきたのではないだろうか・・・

医者と先生と、どっちが影響力が大きいだろう、

冷静に考えると、我ながらバカだったと反省する次第。


 

もうひとつ笑うに笑えぬことがあった。

 

新潟市の水族館職員が、水槽を消毒するために塩素を水に溶かしたという。

このごろ、塩素を発生させた自殺がはびこる日本にあって

水族館職員が、魚のエラを塩素が襲って大丈夫と思ったのだろうか・・・?

 

人間が塩素を吸い、喉、気管に塩酸が発生し、苦しみがもだえ

呼吸困難で、のたうちまわる姿を見せないと、魚の苦しみが分からない。

それでいいのだろうか・・・塩素が毒ガスだとは知らないらしい。

想像力が欠損し、仕事への愛情、情熱の限界はそんなに浅くなったのか。

 

そりゃー、電子レンジでネコを乾かそうとしたメリケン人と同じ現象だ。

親のインキンが子供に感染したような・・・無智の伝承かもしれない。

 

ま、人類が増えすぎると、こういう者も発生するというイイ例である。

例外だらけの世の中は、やがて例外が横行していく。

 

教えていなかった私の責任、と謝罪する館長も、

とても現代的で退廃的な謝罪だ・・・

常識のない職員に、何も教えていなくて、申し訳ない、

という館長の謝罪を、当の職員はどのように感じとったことだろう。

 

それにしても、無智職員に、塩素の入れ知恵をしたのは誰だ????

無智が塩素を知るヨシもないように思うが。



 

さて本題

 

企画課長から、なんかいつのまにか仕事を請けた感じになっていた。

今度は、島ではまだない、食事どころを網羅したマップ作りだ。

といっても、じもと天城町限定なのだが・・・

空港があるわりに、昼間空いている料理店も少ないが

それ以上に、店頭からでは、ナニが食べられるのか分からない

怪しさに満ち満ちていて、旅行者や出張者には入れないというのが現状。

 

けれど、島では地元民を主眼においているので

旅行者を相手にしていないというのが実情である。

旅行者のクチコミの力をナメてはいかんのだが、

まずい料理をガマンして食べられるのは島民だけ、というのも実情だ。

 

正直なところ、主婦レベルに達しない料理が多いのは

島全体の食文化の低さを物語る。

味見して出せ!と怒りたくなる料理が平然と出ることが、ちょくちょくある。

味見は料理をつくる人間としての基本中の基本だ。

料理人以前の問題が、島ではおろそかである・・・てげてげだから・・・

 

そこで

料理店そのもののボトムアップを企てたのが、企画課長だった。

イマイチゆるい風体だが、考えることが大胆というのが気に入っている。

本人は、それほどアテツケとか、天城町料理会の恥さらしとか

まったく意識しておらず、素朴に事実をとらえて発想しているようだから、

いろんな意味で大した男、と私なりに評価している。

ま、そんな男だから私も雇われているし、逆に私も大胆さに惚れて

つき合わせてもらうわけだが。

 

こういう

正直で真面目で純朴チャレンジャー、というのが官公庁では大切だし

おそらく官僚的、権威主義的な企業にも同様なんだと思う。

私もなりたかったなぁ・・・

 

でも・・・

それには、発想を理解し、面白がってテキパキとこなせる

部下なり業者が居てこそ発揮される能力である。

面白いので、私は私なりに、彼の段取りを手伝ってみようと思う。

それに基地が来たら、私は人生の方向をまた変更して

不眠症でも眠れる静かなどこかへ移住しなくてはならぬから。

今はとても大切な時期なのだろう・・・と思ったりすることがある。

 

案の定、料理店のための勉強会は、イマイチ反応が悪い。

思ったとおりの反応で、特効薬的な、安くてウマイ料理がないか!

という不満爆発のようであった。

  

一応プロなんだから、腕を磨いとけ!と、常識的には思うが

酒を飲んだり、女に棒をさし込んだり、からかったり、ぱチンコするのが

忙しいらしいが、地物の仕入れが出来ない、肉が無い魚が無い・・・

ならなんで食べ物屋をやるんだ?

 

しかも野菜など捨てるほどある。

だが仕入れにイチイチ電話をしたり、走り回るのが面倒だとか

恥ずかしいからやらない・・・むしろ、そんな料理人が恥ずかしい。

 

課長の取材に誘われ

味の素大量摂取の元、ラーメンにいまさらチャレンジである。

と・・・思ったら・・・スゴイ店が現れた!

 

週末に開店した、平土野(へとの)の中華・ラーメン店

和と書いて「のどか」である。

店の名からして、さりげないコダワリと島人とは思えぬ知性がある。

ここのラーメン、天然出汁がほとんどで、塩分も薄味なのである!

冷凍麺ぽくはなく、かんすいのニオイのする麺だが、

他店にはない太麺でコシとモッチリ感がある。

 

正直、太麺と薄味出汁はどうかと思うくらい不安だが、

もっと太麺の讃岐うどんでも薄味で平気だから、

多分日本人に合うバランスだ。

実際に食べてみると、クドくないためか、自然に食べられる。

だからといって、軽い味ではないところが、料理人として

多方面で活躍してきた、店主の歴史を感じさせる。

 

島のラーメンはトンコツばかりだから、

自分は鶏がら一本で勝負する!という店主のいきごみが、

そのまま味になった、素晴らしいラーメンだと思う。

女性にも食べやすい味になっているし、

お店もそういった雰囲気に配慮した、と語っていた。

まーどこが女性配慮か分からん造りにみえるし

狭いカウンター上にある民芸品ちょうちんも超演歌っぽくて

女性配慮とは縁遠い気もするが・・・島の女性は演歌通かも知れぬ!

と信じることに。

 

内装はさておき、味については

これから進化し、どのような味になっていくか楽しみだ。

ラーメン汁に関しては、もう一おし、コクがあるといいと思う。

 

なんと! のどかには水餃子があるのだ!

ギョウザの基本が水餃子!と知っているとは劇的!!

知っていても、南国で水餃子とはなぜ!!!

暑いお土地柄だからこそ、熱い水餃子で暑気払い!

思い入れが先行していたとしても、このメニューはうなる。

 

なにせ、奄美地方には、地物の汁麺がない。

沖縄そばのようなものが無いのだ。

煮付けはあるが汁たっぷりというと、ヤギ汁くらいしか食べたことが無い。

でも、魚のおつゆは作るようだ。

逆に沖縄では、魚の汁物を食べたことがない。

マース煮という塩のみの味付けの煮物だ。

 

ほとんど年中ムシムシする徳之島にあって、この熱い料理が

吉と出て欲しいものだ。

 

なぜか

汁はラーメンと別物で既製品っぽいというかウェイバー風味だったが

ギョウザはしっかりとした味付けであった。

ちょっと塩っぱいが・・・島の農業労働を考えれば許容範囲だ。

皮は既製のものを使っている。

 

意図しているかどうか分からないが、ラーメンの汁まで飲むこと、

たっぷりの野菜入り水餃子と、ご飯を食べて健康でいられることを

考えてあるように思うのだが、これも、そのうち聞いてみる。

 

微妙な名前の食堂がある。

島の北部、与名間にある道の駅だ。

内地から来たら、何じゃこりゃ!インチキジャン!と心象が悪く

絶対に入りたくない店に見えて仕方ないが、島は平気らしい。

しかも普通の家なので、駐車スペースも狭小なのだ。

 

ココのラーメンは、少し待つと麺がみるみる汁を吸って

汁が目減りしていくのが分かる。

どうせ残すので・・・と汁少な目のラーメンは、

ある程度受け入れられているので、島では普通の光景だが

やっぱり違和感がある。

 

もともとラーメン自体が貧乏臭い上に、

汁まで少なくては、貧乏そのもののようなドン底気分になり

けして豊かな気分で食べることが出来ない一品に感じる。

 

味は馴染みやすく、コテコテでないトンコツもどき?なので

ちゃんぽんに似ていて、とても食べやすい。

最北端の集落でぽつんと営んでおられるのも、うなずける味。

ちなみに、ちゃんぽんもあるようだが、具材が多いちゃんぽんは

限界の集落には難しいと思うので、まだ注文する勇気がない。

 

一方では

丹精こめて吟味した素材で醸したスープを、平気で残す

体に悪いスープだろ文化というのも、マズイものを感じる。

自称ラーメン通なら、不味くても全部飲んで語れ、がマナーだろう。

メタボに動脈硬化、腎臓病が怖くてラーメンが常食できるか!とか

スープだけになり、舌がしびれて、それにより生じる酸味?感覚と

ギョウザの酢をスープに垂らした酸味が破壊的にバランスする

味覚の刹那を感じたい、というくらいの・・・最低限必要な意気込みは

もっているべきだと思う。

 

とはいえ、近くにある美しい与名間ビーチで、しこたま泳いで空腹になり

どやどやとオバチャンに注文して、ずいぶん時間がかかって出てきても

夢中・無言で食べてしまう浜茶屋的ラーメンでもある。

けして手抜きではないが、手が込んでも居ない気取らなさがいい。

 

ただ、内地と違い、物流の限界に近い与名間集落で、普通のラーメンが

胃袋に収められる至福というのを、どれだけ感じられるか

人間の懐の深さ、空腹の深刻さが影響する味わいでもあろう。

 

ふと

道の駅の味は、花徳にある大福食堂と似ていると思った。

ともすれば、仕入れが同じかも。

島では時々ある風景らしい。

 

我が家の近所にある食事どころでも、○○とは入れが同じだから

うちと味はそっくりだろう・・・と言っていたのを思い出す。

 

大福食堂のラーメンは、昔ながらの味と値段で静かな人気がある。

しかも汁もナミナミとつがれている。 ナルトのうずまきがまぶしいぜ!

写真では丼が大きく見えるが、実際には小さい丼に見える。

大と小があるが、大はご飯つき、というローカルな常識?といい

甘辛い角煮風の豚といい、実に味わい深い。

ちなみに小(ラーメンのみ)で¥400だ。

小さいころから食べてきた、親しみのある味、

ということも、静かな人気の理由らしい。

 

ついでに、だしてくれるばーちゃんの歩みと同様に

スピード感無縁、スローフード的な麺の味わいだ。

 

ところで

島は、微妙なラーメンを食べるには、絶好のマニアックポイント。

そりゃもう浜茶屋並みの味、懐かしい半端な味が残っている。

ぬるくてノビノビなんて、わりと普通。

中国もそうだったのか?伝統を受け継いだのか?と思うくらい。

過去、おいしいラーメン店だったが、先代がスープを教えず

すっかり味が変わってしまったお店などもある。

 

経営はどうなってるんだ!

なぜ、そのうち誰かが食べにきちゃうんだ!

なぜ、メニューに残してあるんだ!と思えるような店に

なんとなく残されている一品というのが

風前のトモシビ的、有終の美的、昭和のノスタルジー的に

美味さを醸すものなのかもしれない。

 

こういった昔っぽさ、つっこみどころ満載の

半分あきらめ的かもしれないが、おちついて食べられる味の

ラーメンを探求するには、島は最高だ。

この島の、戦後食文化の歴史までたどれそう。

 

おそらく

ラーメン好きにとっては、現代的なラーメン屋ばかりでは

飽きが来るから、微妙なラーメンも原点回帰のためには

必要なのだと思う。

だいいち、現代のラーメンだけを食べても、

ラーメンがなぜそのまま食べても不味い麺をベースにしているか

すら分かるまい。

 

故郷の山口ではラーメン店がとても遠かったが

そういう意味では、島には身近にラーメンがあったそうだ。

昔の味を知っているおじさんおばさんが多数いるわけだ。

そんな客を受け入れるラーメンがある。

 

都会派の軽いラーメン通程度では、とても見つからない店舗が多く

地元の人に、ラーメンが食べたいんだけど・・・と正直に問うて

所在を確かめないとたどり着けない冥店?ぞろいなのも魅力。

 

いやもう

ちょっとした徳之島北部ラーメン痛?になってしまいそうな勢い。

企画課長のせいだろうか・・・?

なによりラーメンも麺類、やっぱり日本人たるもの麺を食してナンボ

という血が流れているのだろう。

日本人が作ったのに、無粋すぎる食品が許せない気持ちを除けば

美味しい料理であってほしい食文化である。

 

海外に行ったとき、梅干、おにぎり、茶漬け以上の存在になれるか

そこがボーダーだと思う。

 

ところで

知っているだろうか?

美味い!というのは誰かのウケウリがほとんどで

実は自分で判断した味覚などほとんどないことを!?

それが人間の食文化というもののようだ。

味とは、誰かが美味いといった食品の刷り込みがほとんどである。

 

臭いすぎる納豆、泥くさいウナギ、蟹工船フレーバー?のカニ類、

ほとんど宇宙生物的な?イカ、タコ、ナマコ、

ジメジメした便所のわきなどにある雑草の花、ミョウガ、

骨ばかり気になるママカリ(岡山のサッパという魚)、

もちろん鮒寿司にクサヤも・・・日本の食品は基本的に栄養価が高いが

クセになる以前に、クセが強すぎる食品が多数存在する。

 

あと千年後、

ラーメンは一応文化だから食べておけと伝承されるような

不健康を承知で食べ継がれる食品か、

日常的に食べられる健康食品になっているのかもしれない。

 

本家の中華麺が、もともと医食同源的であるのに

不健康な料理として改悪していく姿勢はいただけない。

 

乾いた心を癒すイメージ先行食品なのか

あるいは、体を癒す薬膳料理的な、薬効食品なのか

心も体も癒す、心底おいしい料理なのか

それはおそらく、現代の料理人にかかっている。

 

ともかく、

毎日、自分がずっと食べたい料理を出し続けられる料理人が

日本国中にどれほど居るか・・・は、とても微妙なところ。

日本の外食産業の弱点であろう。

 

安くも無い、高くも無い、だからといって毎日食べられるほど

栄養バランスも考えられていない・・・外食産業はテゲテゲだ。

 

ちょっと刺激されて・・・

暑くなり、最近よけいに食欲がないので、ブランチに作ってみた。

 

意外にも一番安い島内産の豚の二枚肉のかたまりを

薄切りにして使った。

無農薬栽培のゴーヤ、どっか北の方から来た玉ねぎと

地卵ならぬ、Aコープ10コ108円輸入卵、

出汁には、安直な出汁じょうゆとミリン風調味料、

そしてコクを出すためにビールが半分くらい入っている。

 

味はわりとアッサリしているのだが、

二枚肉の脂身が、ボリューム感とハラモチを良くし

しかも皮付きなので歯ごたえモッチリ、コラーゲンたっぷり、

ゴーヤと卵でほとんどのビタミンを補給するという

万能どんぶりである。

 

想像以上に、スタミナがつき、元気が出るどんぶりになった。

語呂は悪いが、ワイド丼という感じだ。

ワイドとは、闘牛のとき、勢子が牛をはやしたてるのに

発する掛け声である。

 

薄切りにしたゴーヤは、少し煮詰めると苦味が薄くなり

卵とからむことで、苦手な人でも食べやすくなると感じた。

なにより色合いもよくビタミンCまで豊富だ。

これは育ち盛りの元気なオコチャマにももってこいでは?

欲を言えば、赤みのある食材が加わると、もっと色合いがいい。

 

使用頻度の低い二枚肉は、使いやすいサイズにカットしてから

冷凍しておけば、他は料理屋ならいつも常備してある食材である。

 

意外に、どこでも食べられそうでいて

皮付き二枚肉とゴーヤが、南国っぽい丼だと思う。

伊豆大島のとこぶし丼やイカ素麺丼もそうだが

らしい地物が入っているだけで、別に特別な丼ではない。

だが、行ったら必ずどちらかが食べたくなるのである。

 

島の郷土料理は、思った以上に手間や時間がかかる。

なので採算に合わないと思っている料理人ばかりだが

面倒なので、まともに作ったことも無いようだ。

ゴーヤチャンプルーと違い、テマヒマがかかるものが多い。

 

郷土料理のエッセンスを加えることで、

何か島らしい料理を作る努力を怠っているように思う。

それ以前に、美味いものを提供するという意志すらも

薄れていっている。

 

島なので、海産を加えられたらベストだが、

たぶんここに加わるのは保存が利くアオサノリ・・・くらいか?

香りはいいが味がない、ボリュームもない。

  

島産の魚の安定供給は不可能ということも、

料理人たちの体験を聞いて分かったことだが、

やはり寂しいことだ。

 

野菜は大量の不合品が出るシーズンに、

旬の海草なども、とれるときに下処理して冷凍することは可能である。

開店景気以外は、時間に余裕もあると思うし。

 

面白い話を聞いたが、沖縄の公設市場にならぶ魚で

アオブダイ(いらぶちゃー)など大型のものは、

沖縄ではとうてい供給が間に合わないので

海外から輸入しているものだそうだ! すげーインチキ!!

さすがはウチナーンチュ、交易で生き抜いてきた民族だけあって

商売上手である。

 

徳之島ではそんなマネをする必要はないが

来てくれた客に対して、ガッカリしない、

いつかきっと良さが伝わる何かを、お店で出してほしいと願う。

 

なんたって、このオレサマが?島に移住したのは

食べ物が栄養豊富で、美味いからに他ならないのだから

美味い食材は山ほどある。

 

あとは

美味くて採算にみあう、テーマをもりこんだ一品さえ見つかれば

ゆくゆく五月雨式に、島料理が広がり、加速できると思う。

 

大切なのは、島料理をそのまま出すことではなく

島料理の美味さ、滋味を、どのように外食として提供したり、

来島者に味わえるチャンスを造るかについて、

考えるアタマに転換するか・・・だけだと信じている。


その前に、子供たちに味を伝える必要があるので

給食で出すことはたいせつだ思う。


ではまた