冬月夜(ふゆづきよ)

 


卵色を何万倍にもうすめたような光、月ひかり。

やわらかく、冷たいひかり。

 

昔から、仲がよかったような気がする明るさだと、いつも感じる。

冬の月夜、つまり寒月が輝く夜半は、独りの世界になる。

何かの物語の世界のように、世界に人は居なくなり

ただ、夜の世界に独りで遊んでいる事ができる。

 

(静かな月夜の風景)

 

ゆるやかな明るさが、あたりを照らし、ほどよく開けた視界

あまり細かいところは見えない。 際立ったところだけ見える。

ほの明るい世界は、とても心地いい。

 

釣りに行っていたのは、そのためなのかは知らない。

たくさんの月を見上げたけれど、いい月はそれほど感じなかった。

釣りに興じていたから・・・

時折、冬の車窓から刺すような寒さとともに、射し込んでくる光を

じっと見ながら眠るのは、とても心地よかった。

 

月ひかりが、とても心地よいと感じるようになってからだったか・・・

心底楽しいとか、美味しいとか感じなくなったのは。

 

までも、最近は

いただきものの白菜の芯のところで作った甘い浅漬けとか

ほどよく辛い赤大根に島みかんをしぼると、色がきれいで

心底うまいと感じることがある。

そういえば、大東で釣れた魚もそうだったか・・・?

 

しかし

やっぱり僕の幸せ感は、多少壊れている気がする。

 

どうにもこの頃、家庭の感じなど、分からなくなっている。

絆っていいなぁと感じることもあるけれど、休日は

ケータイの電源を切っておくこともある。

同時に、電話線も引っこ抜く。

つながりがわずらわしいのではない、雑音がひどいのだ。

心に入ってくる事柄が整理できないで、いつまでも頭にあり

更にウザウザと勝手に入ってくる情報を抑制しているにすぎぬ。

普通にバイトしているだけでも雑音が多すぎるのに

休日まで雑音で満たされたら、我の精神はもたぬような

感覚で満たされている。

事実、就寝前の脳裏に、日常のささいな言動や事柄が

幾度となく繰り返され、毎日眠り辛くなっている。

 

生活には不満はない。

充足感はあるが、充実感というのは感じない。

あまり面倒なことを書く気はないが、満足と充足は違う

ということだろうか・・・

 

満足とは、満点を定義してあって、それ目指して得られる感覚

充足とは、1点でも足りたなと思ってしまえば、得られる感覚

といったところだ。

とってもエコな心がけなのだが、結構不便なものでもある。

 

理想がなくなったというか、将来を考えない生活

おそらく太古から、人間が安易にたどってきた感覚だろう。

和風に言えば、ラテン系といったところか。

 

それよりもっと、目指すところも、目指したい感覚もない

といったところか。

少々ウツが進んだか・・・今年の第一波といったところか。

 

これがやってくると、何もかも手につかない。

当然、食欲も無い。 エコだなぁ・・・

 

唯一

目の前にやってきた、どうしてもやらないと片付かぬことだけ

やっておしまいという生活になってしまう。

いまだに、友のために買っておいた島限定の焼酎が

宅配に出す梱包をされぬまま部屋で熟成?の時を過ごしている。

 

面倒を通りこし、全く記憶から消えることも多い。

先の焼酎もそうだ。

買ってくるのも時間がかかったが、部屋の中で全く忘れられた

箱になってしまっている。

 

生活の最低限のこと、歯磨きとかご飯炊きとか、

目覚まし代わりのトレーニングとか、動物観察くらいなものか、

放っておいても実行したくなる事柄とは。

 

釣りはすでにソコには入っていない・・・忘れかけた事柄だ。 

ストレスが小さいと、釣りは必要ないようだ。

というか、釣れない島で無理に釣りをする方がストレスだから

かもしれない。

欲しがらない、望まない、聞こえはいいがヤル気がないのだ。

 

楽しみと言えば、たまに買う、小さなクリームパンが5個入った

薄皮クリーム(ただいまクリーム増量シール付き)くらいなもの。

 

あとは、観察で時折でくわす発見くらいか。

いつもの観察ポイント、天城町運動公園でみかけた

黒っぽくないツグミである。

仕草はツグミ、色はシロハラといったハーフっぽい鳥、

ハチジョウツグミ。 越冬ししているのだろうか。

ツグミの亜種なので、本当にツグミとのハーフもあるかも・・・

 

ま、そんなわけで

深く考えない、迫り来た目の前のことだけ処理する

というシンプルな生活はまだまだ続きそう。

 

けれども、好奇心はやっぱり尽きないもので

テレビもないのに、脳内に取り込む情報が多い。

シンプルな生活だが、どうやら脳内はまだまだ雑然と

我が家の雑然さよりも、もっと雑然としている状態は

長く続きそうな予感がする。

 

頭がグルグルしすぎて、めっきり記事がまとまらない。

たくさんある出来事をピックアップできない、フォーカスできない。

頭の回転をさせないようにしているので、仕方ないか・・・

 

なんかこう・・・せっかく島生活をしているのに

どこかへ旅して、リフレッシュしたくなってしまった。

 

でも、予算がないなぁ・・・4月には車検だし・・・

3月までバイトだし、島内でなんとかするしかないか・・・

 

いやそもそも

動物ブログとのカケモチが、このページの遅れに

つながっていることこそ、問題なのではないか・・・

 

動物ブログを書くようになって、愉快な動物のクセが

見えてきて、動物漫画が描いてみたくなってきたのは

ヤル気がないのに不思議なこと。

なーんか、いろんなことが半端である。

半端なのが、脳内物質が足りない頭のせいなのか

頭のせいにして半端にしているのか分からなくなってきた。

 

なんにしろ

どうにも眠れないのは事実であり、とても重荷になっている。

寝ていて、背中が痛くて横になるのもしんどくなった。

体中、神経痛の嵐なのか???これって???

 

月夜に遊ぶような楽しさが、日中にも戻ってくるのはいつなのか

はたして、二度とやってこないのか・・・

考えるだけで吐き気がしてくるし、脳内では片付きづらい。

他に何か、今できる事柄があるのだろうか。

今、仮にも決めておいた方が、いい事柄があるのだろうか。

 


【やにわに島情報】

島出身の占い師(自称シャーマン)

しょう○う・くにさんという方がいらっしゃるの。

しょうどう・○にさんの心霊力がいかなる霊験を発するか

全く分からないが、この方はなんと松原神社を建立し、

御神体に自分をまつった・・・現人神(あらひとがみ)を

目指した方なのである。

自らは島の外にいて、島の人々に心霊力をおよぼす

ヨリシロとして建立したのだろうか・・・

どうやらノロ(島の霊的、占い的な権力者)の転生との

ことである。

私が写真家を目指して、写真家を名乗っているように

彼女は神を目指して、神として自らを神体とした。

 

それって、目指すものなのだろうか・・・

まじないとか、占いで目指せるものなのだろうか・・・

あるいは僕も少々使う「気」を包含して、

何か直接的に人助けが可能なのだろうか・・・

信じるものは、みなだまされる、のではまずかろう。

 

僕の使う気ですら

少なくとも自分の切り傷程度は封じるし、

人の弱っている部分の気も少々感じられる。

 

コトバ(講演会?)ごときで功徳を施すなどというのは、

おこがましいと言うか、神の行いにしては、

片腹痛いと思うのだが、違うか?

それとも、少なめでおだやかな心霊力量の神?というのが

太古にはたくさん居たと言うのだろうか???

 

病は気からというから、あながち自称神のお言葉を

信じることで何かを得られるかもしれない。

でも、金をも失うようだが・・・

神も現世で生きるのは、やっぱり見返りを必要とするようだ。

 

少なくとも、オジキは僕に気の存在を目に見せてくれたので

僕もある程度体得できたが、心霊力は見せびらかすたぐいでも

アピールするたぐいでもない。

しかし、現代の神様はお賽銭の金額みあいの霊験は

最低限、お見せにはならないと話にならない。

信じなければ見せないという狭い不平等見地もあろうが

日本の神とやらも、そのようにギリシア神のごとく気まぐれで

あるときは、とても人にとって厄介な存在なのだろうか。

ヤマトタケルも日和見的な荒っぽい神だったと聞いたが・・・

 

ただし、神ではなく、神のお言葉を伝えるノロであったはずが

どうして神としてまつられんとしているのか、分からぬ・・・

 

島の人は、あくまでも楽天的かつ短絡思考なので

僕にはチットモ理解できないことが、まだまだあるようだが、

さすがに現人神とは、島の人もドンビキする向きもあるようで

実在するのなら心霊力も実在させる必要があるようだ。

神とか巫女(みこ)も大変な世の中だ。

科学という力も、気という人の生命力もあるからね。

 

ところで、島にあられた神の名は何というのだろう。

別に神にブランドは必要ないだろうが、何が好みの神か

くらいは言っておいてほしいものである。

拝みに行って、お門違いと言われては困ったものであるから。

他方、万能だから、心霊力も時と場合、はたまた

お布施と祈り次第なんていわれても、困ったものである。

 

いずれにしても現人神という重みは、常人の想像を絶する。

それこそ、神の怒りにふれなければ良いのだが・・・

 

とりあえず

徳之島には、自称神的な人が、年に何回か帰ってくるらしい。

 

松原神社は、鹿児島県 大島郡 天城町 松原西区

港川支流、古玄川(フルゲンゴー)のほとりにたたずんでいる。


ではまた