かんたんなこと

すぐできること

やりたくないこと

むつかしいこと

できもしないこと

 


このごろ、限界を超えたことはあっただろうか。

オスたるものの人生は、いくばくかの虚栄が必要だ。

しかし、いまや完璧に草食方面に振れた人生、

今さらふりかざすネタなど、みじんもあろうものか。

 

そんなことより、内地並みにさぶい・・・

というか、内地では鹿児島本土まで雪だそうだ。

暖房を買いに行くことはできるが、ここは南国だ。

部屋を暖めるほどの暖房器具は、簡単には手に入らぬし

そんな邪魔くさいもの、危険なものを手に入れるより

寒さを味わってみるのもヨキカナと思う。

あまりに寒いときは、熱かんと筋トレでしのげばいい。

それでもダメなら、羽毛布団にくるまればいい。

それでもあったかさが欲しいなら車で温まればいい。

 

こないだ、都会へ行った帰り道、頭が混乱した。

ということは、まだセロトニンなど脳内物質が足りていない。

やっと気づいた。

僕の頭は、常にウツ準備OK状態なのであって

いつもウツ状態にふさがっているワケではないということに。

なんらかの原因で脳内物質が減るようになり

いつウツになってもおかしくないが、深刻なウツにならず

うだうだしていたのだろうと思うのだ。

だからパキシルなど、脳内物質の吸収を減らすような

ウツの薬を飲むと、とても気分がハレバレするのである。

 

このごろは、処理不能にならぬように

何かしようのない事をグルグル考え始めたら、すぐやめる。

たとえモノづくりのことであっても、複雑になったらやめる。

寝入り前、トイレに行ったとき、歯磨き中など、集中しない瞬間に

グルグルが始まりやすいことも分かっているから、すぐやめる。

なので、とても物忘れが迅速、確実になり、なお頭が悪くなった。

ちょっとした言葉も出ず、早口でしゃべろうとすると、少しドモル。

以前なら、そんな自分にまた悩むところだが、今は違う。

それはそれで、ゆっくりしゃべれる島のオジサンらしさが

気に入っていられるようになった。

 

それにともなって、かなり向学心や探究心が減った気がする。

それもまた、本来の自分のペースなのではないか、とも

思うようになってきた。

 

伊勢に帰っていて思ったが、多すぎる会話もよろしくない。

必要なこと、思ったことを端的に発する、聞く、それが一番。

なんだか、相当コトバ足らずの島の会話に近い気もするが

あれほど簡単すぎると、ちょっと僕にはなじまない。

 

機密性の高いサッシに囲まれ、温かい風呂、シャワートイレ、

便利な店などがたくさんある生活になれてしまったら、

島へ帰れないかもと心配したのだが、飽きが来て

居心地がとても悪くなってしまった。

島へ帰ってきたら、何だかほっとして嬉しい。

冬はほとんど、曇りか冷たい雨ばかりの南国生活だが

将来の希望のような、モヤモヤしたものはなくなって

日々の生活だけが見えるところがイイらしい。

 

夢はなくなったのに、夢に少し近い生活のよう。

貧乏なのに、不思議とほんの少し未来が見える生活。

貧乏生活は、基本的にエコだし。

 

強い風が吹いている。時折雨がトタン屋根にあたっている。

少し息が白く見え、着重ねしているのに寒い。

その辺にあるものを、とりあえず重ね着してしのごう。

 

島へ来て、生きることへの疑問はなくなった。

考えなくなったのかもしれぬが、違うようにも思う。

考えてから生きるのではなく、必要なときだけ考える。

生き物達のこと、島のこと、人生のこと、考えるネタは豊富で

いつ考えてもいいし、考えあぐねる前に実行してもいい。

生きていることは、それだけで満足なようにも思う。

 

心配なことはあって当然だ。

たぶん、どれだけ心配しても、尽きることはないだろう。

失敗してもとりもどす、生きていれば

とりもどせるだろうなと思えるようになった。

 

最近、硬かった左足のスジがまた少し硬くなり

柔軟をすると、小指側にシビレが走るようになった。

年齢はとりもどせないだろうが、このシビレはどうだろう。

時々、柔軟をサボるので体はアチコチ硬くなっているよう。

シビレがある方をほぐすという気がかりができたぶん

柔軟に時間を割くようになったから、たぶん硬さは和らぐだろう。

などと考えたりする。

 

ハブのいる山を自由に走り回るようなオッサンになりたいなと

思うこともある。

 

けど、無理はしない。

 

明日は、あったかい日になるといいなぁ。

冷たい水辺に餌をさがすクサシギに悩みはなく

けれど、すぐ近くにイタチやハイタカも居る。

生きているとは、そういうことかな。


ではまた