どうして大根がからいのか

 


大根がからいのは、からく進化したからだ、と思っていたが

案外、大根をからく感じる生物なのかもしれない。

それ以前に、大根をおろしたり、かみしめたりした時に

別々にあった成分が化学反応で辛味になるらしい。

 

牛乳を飲むと大きくなる・・・

牛乳を好む体質の子供が大きく育つので

無理に飲んでも仕方ないのかも知れぬし

あるいは、牛乳はカルシウム成分が入っているが

背丈の伸長には無関係なのかもしれない。

 

私が眠れないのは、眠れないと思っているだけで

実は目の下がピクピクしていなく、寝ているのかもしれないし

突然だるくて、頭痛がして寝込むのは、

すでに睡眠では取り戻せない何かがあるのかも知れぬ。

 

空でいくらスピードを出しても、人間がはねられることはなく

狭い地上で少しスピードを出すと、犯罪者扱いになる。

でも、違反は犯罪と似て非なる行為でもある。

 

我らの考えとは、固定して考えることで楽になる。

過去に起こった事柄の原因と結果を直結してみたり

目の前で起こっていることを察し、未来に何か起こると恐がったり。

 

月見うどんに入った卵を、崩すのは苦手なので

一機に食べたいが、熱くて食べづらいし、火傷したこともある。

さりとて、後から割り入れて、冷ややかなところを食するのも

イマイチな何のための月見なのか疑問もわこう。

だが、ゆで卵ならなんの迷いもなく温めるが

月見とはいえない、目玉うどんに近づく気がするから不思議だ。

 

カレーライスと、ライスカレー、故郷ではライスカレーだったが

語感はカレーの具としてライスも組み込まれた感じがする。

卸されたものは大根卸し、これから卸して入れるのなら卸し大根?

 

人間は状態を示す言葉が苦手。

すなわち、状態を考えることはなく、結果を予測して

行動するプログラムだ。

だが、そこには大きな盲点があり、いろんなことに影響している。

状況が高速で、瞬時に判断が必要な場合は仕方ないが

そうでない場合も、同様にすることは意味が無い。

大きな意味の原因と結果だが、半年先の出来事にも

一日一日の積み重ねがあるように、短絡したら事物は量られぬ。

地震だって、明日来るかもしれないが、今も大地の下で

膨大なエネルギーが蓄積されていて、我らは省エネだエコだと

騒いでいるが、それらを利用できず、災害として受け止めるだけだ。

 

どうやら、宵の口から風邪の症状にみまわれているが

午後の頭痛やだるさは、その前触れだったのかも知れず

はたまた昨日の、種子島宇宙センター職員の

ロケット講習会の子供達を撮影しに行ったときに感染したのか

それとも単に、極度な疲れから、風邪症状におちいったのか

過程を軽んじるあまり、重い結果を受け入れざるを得ない思考

それが文明であるように思ったりしている。

 

そうこうしているうちに、考えがまとまらないので

ついに週末になってしまった。

考える集中力がなかったのか、あるいは集中するための

追い込み作業が必要だったのか、はたまた考える時間が長いほど

考察が進み、結論が遠のくのか良く分からないが

ともかく、今回はこんな感じで、思考力があまりない。

 

ただ、世の中に起こっていることと、起きる原因になったことが

あまりに遊離し、固定的、体系的に考えられているがゆえに

個々の現象の大切な部分を見落としてながら、

想像される結果を招かぬようにと、アタフタ活動する姿が

ややコッケイに感じられるこの頃である。

 

少なくとも、人間がこれから行おうとすることなら

地震とは違って、途中修正も中止も可能だから

いろいろできそうなものだが、人間とは現状の自己最適しか

考えない生き物なので、過去もすごかったが

これからもイロイロな面倒を起こしてくれそうである。

てげてげ生活していられるのは、そういう面倒に支えられたり

あるいは利用されたりしているが、

細々考えないでダラダラ生活するスタイルも、昔ながらである。

 

そんなわけで、年の瀬が近づく中

まったく季節感がないままに、生活していると

頭の中までぼんやりあいまいになってくるから不思議だ。

 

さて

年末は伊勢に帰ることにしたが、退屈なのだろうか。

はたまた予測されている以上、折々で変更可能なのだろうか。

 

目も鼻水もキラキラさせた、

島ではめずらしいヘラサギが渡ってきた。

珍しさについては、本来まったく意味がなく

食べるのに美味しいのであれば別であるが・・・

渡ってきた途中に何かあったのか、居心地がいいのか

風邪をひいたから降りてきたのか

世界中に分布しているので、たまに来るのは

気候変化に合わせた毎度のことなのか

何かこう、大切なことを感じていても、世間の風潮や

理解もできない理論から得られた結論だけに依存して

生きていく自分に少々嫌気がさしてきたこのごろ。

 

いつも感じながら、それに対して最小限に考え、

小さな判断と修正を、数多く加えて行動していくのが

一番効率が良さそうであるが・・・

正しいだろうと思うが、

どういう行動なのかが理解できない自分でもあった・・・


ではまた