すずしい夏になる

 


クロウサギの観察小屋を建てる予算を出したのは県庁。

小屋のまわりには、土砂崩れか土石流よりほかでは

できようのないはずの土の広場が。

毎夜クロウサギが、喜んで出没している。

 

一方クロウサギが今年一番出没していた北部県道の

ウサギ道のある法面を、コンクリで塗り固めたのも鹿児島県。 

草刈りの費用がかさむから・・・だそうだ。

 

あまり複雑なことを、アレコレせっついて考えると

吐き気がしたりして精神がが害されるので、深くは考えない。

いずれの事柄も、なるようになる、しかないか・・・

 

たくさんのネコが放し飼いになっているのは

ネズミを減らしてハブを居つかせないための知恵ともきく。

外来種が入り込んで問題視するが、人間が外来しなければ

何も発生しない事柄ばかりである。

 

人は生きる以上の欲望を、自然に対してはけ過ぎている。

豊かさも悩みも同様、外的なものでなく、人のみが内包したもの。

ないと思えばないし、あると思えばある、というものだ。

何を目指して、どうすれば満たされるのだろう。

 

人数が少なければ、人の心がアレコレなやむ必要もなかろうに。

  

僕の毎日は

言い知れぬうっすらとした不安と

なぜかご飯が美味しいとは思えないものの

仕事もなく無収入、自転車のタイヤは古びてチューブが出そうでも

とりたてて欲しいものもない、足りている気がする。

帰省したおりに買っておいた、餌釣りの仕掛けも手付かず。

 

季節も少し似ている。

真夏に比べたら、余程に涼しく、過ごしやすいけれども

数値で見れば最低気温26度、最高気温30度。

けれど、すっかり秋だ。 体は夏といっているが、秋だ。

生き物たちも、この半月でがらりと入れ替わっている。

過ごしやすいと頭は思っているが、体はまだまだ暑いといっている。

 

実際、内地人にとって暑いのに、秋と思えば秋であり

日中はエアコンがなくてたまらなくなり、海へ泳ぎに行ける。

海はやはり、魚が一回り大きくなり、秋の様相。

 

夜は秋っぽい虫が鳴くようになったが、

昼間にも、盛夏は暑すぎて鳴けないセミたちが鳴きだした。

 

こうなると、都合よく夏秋を切り替えるのが楽である。

 

このごろ、めっぽう物忘れがヨロシイ。

友人の頼まれごとなど、さっぱり忘れて気にならなくなった。

どういうことだ???

 

すげ〜! 社会生活から遠ざかると、

浮世の事柄へ頓着しなくなっていくようだ!!!

それもこれも、身近な集落の人の目が

もっとも痛く感じられるので精一杯なのかもしれない。

以前の自分には、想像できないほどの異常さだろう。

 

家は細いメインストリートに接しているので、軒先の2mほどで

お年寄りから子供、軽自動車からトラックまで通過していく。

すれ違えないから我が家の庭が、便利な逃げ場にもなっている。

通過しながら観察していく人もキッチリいて、いつも家に居ることを

近所の誰もが知っていたりする。

 

今の精神状態において、

眼前にない事柄は、全く遠く、ど〜でもいいと言っていい。

仕事もせず、住む世界が小さくなったからだろうか。

 

ま、キツイといいながら、ここひと月は上半身裸のまま過ごしている。

家の中も庭先も。 大家さんもけげん顔だ。

 

ウツや双極性は、時間をかけて無理しないように

いろいろ試さないとダメだと思うが

一方のパニック障害は世捨て人というかヒキニート的な生活は

逆効果だと読んだことがある。 

刺激に弱くなりすぎるというのだ。

 

問題は、そういう状況に直面した精神科医が記載した事例が

数多く重ねてきたものなら良いが、そのへんの湧いて出た程度の

学者殿の事例で足りるほど、精神世界は狭くないから

まったく参考程度にしかならぬが。

似ている現象を鵜呑みにしては、本当の原因にとって厄介だ。

 

数ヶ月から数年、あるいは一生の波があるウツや双極性障害。

対して、短期間のストレスによるパニック障害に似た現象も出る。

 

人間の人格が一つと思うのもオカシナ話で、会う人ごとに

別の人格を微妙に切り替えるのが、現代の我らだと思いあたる。

それがある時、バランスを崩したり、

中でも大きな割合をしめる人格が調子を崩すと、

全体の整理がつかなくなったり、

使い分けがしんどくなったりするのではないか、と思う。

 

分不相応な女性に話しかけるときに、無駄に背伸びしたり

欲しいものを前にして、幼少の頃に戻ったり

家族の前では、家の中の自分に切り替えている。

 

それらは予測できるが防ぎにくく、思ったより根深いようで

気づかぬうちに徐々に陥っていしまうことに気づいた。

 

今、体の動きは、ずいぶん緩慢になった。

過激に動くと、アチコチ意味もなく皮膚が裂けたり、

骨が折れて怪我をするような、怖い感覚がある。

 

約束の期日や、何か複雑に考えた時など、きまって吐き気がする。

物事を考えることはできても、キレが悪いというか

コレだ!と思うことは、ごくごく少なくなっている。

(ただ、メーカーに勤めていた頃は、

 長い躁状態だったとも考えられるので、

 コレだ!が少ないことは気にするほどでないかも)

 

最後まで考えたどる前に、途中で忘れてしまうというか

ほかの事をしてしまって、集中しないようになった。

これが普通で、自然の成りゆきなのだろうか。

大半は気にならなくなり、放りっ放しに。

 

症状が様々なので、一定の対応ではダメなのかもしれないが

あんまり人との約束事を忘れすぎるようなので

10月からのアルバイトは、やってみようと思う。

ユルユルの状態で、何が圧迫をもたらすのか知りたい。

 

ちょっと複雑なのは・・・

バイトを休んだ日こそ、気晴らしをすべきだろうが

地域住民に目撃されると、とんでもない噂になってしまう。

世の中、そうそう何もかもウマクいくわけではないようだ。

ま、心配しても、しなくても仕方ないことだが。

 

引きこもって休むのは良くないと思うので、

そっとどこかの静かな海辺で、

うどんを餌に釣りでもして過ごそうか。 

 

バイトを選んだ理由は他にもある。

お金を使うことに恐れを感じるようになった。

240円近くする卵が買えないのである。

 

無収入という強迫的な状況が、意識を圧迫しているようだ。

まだ切迫して考えるほど蓄えが尽きているわけでもないのに。

 

だから、まともな食材が買えず、食欲も経済勘からから

食べると、貯金を食べているような心理があるのかもしれず

ちっとも美味しいと感じないことがほとんど。

せっかく買ったのに、美味しくないのは残念で仕方ない。

 

実家や、近くの民宿でいただくご飯は、美味しい。

自分で作ると、作る過程で食べてはいないものの

味がすっかる分かりきってしまうので、

いざ食べる段になって、飽きるのかもしれない。

 

全てにおいて強迫的に考えやすくて、

ゆるむと全てを忘れ去ってしまう。

寄る歳並みのことなら、構わぬ。

 

ともあれ・・・

すごい勢いで忘れてしまうことが出来るようになったのは

歳のせいであったにしろ、とても嬉しいことである。

高度な発想はできなくなったが、格段に気分は良くなっている。

ウダウダ想いめぐらせることなく、考えないようになった。

わりと肝心なことも、忘れる瞬間に、

そっくり一切忘れてしまうこともあるようだが、忘れたものは

大したものでないと思えば、なんということもない。

あとは食欲が戻ってくれるといい。

 

欲しいもの、は無くはないか・・・食欲。

 

とりあえず

とても空虚で、明日何かをしよう、という事ができない毎日だが

写真が唯一、何かを支えてくれているようである。

なんだか、やっぱりやりたい事の目的ではなくて

何かの手段みたいで、あまり本気にはなっていないが。

写真は、とってもとっても食べられんからか・・・

本当は釣りのはずだったが、どっちにしろ支えは支えだ。

 

今日、半月ぶりに磯の様子を見に行ったら

当然だが、夏より一回り大きい。

カスミアジや、アオチビキも大きくなってきているし

回遊も増えたように思う。

一匹だけだが、一キロちょっとほどのハマフエフキも見られた。

相変わらずアオリイカは30センチくらいしかないけれど。

モンガラカワハギは異常に大きいものが入ってきて

あちこちで3キロ前後の巨体がびゅんびゅん

泳ぎ回っていて驚かされる。

そろそろ釣りもいけそうな頃かもしれない。

釣り座の近くの海底は死の海で、半径30mくらい

何もいない空間があるのが気になるものの。

 

朝、風を通そうと東の窓をあけ こう思った。

秋の風 夏の匂いが まだ残る

 

よくよく考えると、ほんのり欲しいものが二つある。

やはりカメラだった。

夜撮るカメラと、昼間海辺で使うカメラ。

 

この世に、生きた証拠を残したいのか

あるいは、見たものを忘れたくないのか・・・

それとなく欲しい。

 

泳いだ帰り、ふと初めてイソアワモチという

貝殻なしのアワビのような生物を触ってみた。

貝のたぐいのくせに、水に入ると息ができないという。

10センチ以上もあるのに、必ず水面より少しだけ上で

生活する変わり種。 生き物は面白いねぇ。

 

アタマには残しておかずに、

写真に残しておく、といったところか。

 

もう一つは夜撮るカメラ。

唯一、ほのかに得意を感じる事柄が宵の撮影。

行くまでは気が重いが、行けばかならず楽しい何かが起こる。

 

怠けて、だるくてどうしようもないが、

自然が見せる無限の変化とたわむれるひと時。

 

だが、レンズが暗いのか、私の目が暗いのか

肉眼では見えても、ファインダーの向こうには

とらえられない事がよくある。

写し撮るたぐいの存在ではないのかもしれないが。

ただ、夜歩き回ると、眠らなくなり、

昼間もなにかと横になり続ける日が続いた後

ついに頭痛で起きられなくなる。

 

どうせ暑くて、昼間は動物も居ないのなら

昼夜をでんぐりがえして暮らしても良いのかも知れぬが

さらに、ひどくでんぐり返って、全く眠られなくなると

それはそれで厄介で恐ろしい。

何を望むでもないが、苦痛はやはり苦手だ。

 

まあね、水辺はカメラの性能が全てだが

夜の撮影は、まだまだ人の目と心が写すものだろうから

道具で撮れる筋合いの写真ではつまらないか・・・

 

いまだ少ないヤル気を使うべきか否かは微妙だが

楽しいことがあるということが、ヤル気を吹き込んでくれる。

 

暑いと泳ぎたい。

夜、動物たちが騒ぐと、観察に行きたくなる。

 

でも気づいたときはもう、晩酌していたりするけれど。

食欲がないときでも、ビールだけはご飯になる。

焼酎は飲めない事があるが、ビールだけはのどを通る。

 

用事がないときは、朝から一本いただくことも多い。

でも、酒を飲みたいのではなく、不思議と一本飲むと

食欲と食事を作るだけのエネルギーが得られる。

でも、二本目を欲しくなることはなく、飲んでも不味かった。

暑いときはさすがに350ccでは物足りないこともあったが

二本目の途中で、やけに不味くなる。

 

何かの期日が近づく頃、やはり食事が摂りづらくなる。

 

今はバイトのこと。

スーツと、野歩き用と、ダラダラ過ごす用の服としか持ってなく

さりとて新しいのを買う余裕もないので、ちょっとした悩み。

 

社会的には認められないことだが、ま、今は飲酒運転さえ

しなければ、はばかる必要もあるまい。

通りがかりの島民の目は気になるが、食べないよりは

食べられたほうが幸せだと感じるうちは、そうしたい。

 

これで自分は大丈夫なのだろうかと思うこともある。

無論、前から大丈夫でなく、直す努力も分からないのだから

今は無事に時を過ごすことを考える。

少しでも明るく楽しいことを、無理なくたしなむ。

それが過ごし方。

 

それで明日が来れば、いつかまた季節がめぐってくる。

さほど元気もないが、病気でもない。

散歩もするし、泳ぎもする。

 

思い出しがてら、書いておく。

 

Oちゃんが、僕を本嫌いだという。

そうではない、読むことは読む、書かれていることは楽しい。

だが、そこに変化しない事物があると分かっている時

今、見ておかねばならないとは思えず、ジジイになってからで

十分だと思ってしまう。 観光しないのと同じだと気づいた。

 

そうして

最初だけ読んだ本がたまり、引っ越すとき結構捨てた。

 

このワガママな?思考が、無駄にココロを閉ざさせる

きっかけになってるのではないか?とも思う。

会わず嫌い、見ず嫌い、読まず嫌い。

 

本を読む暇があったら、爽やかな風にボーっとしている方が

ずっとためになる・・・と思ってしまう。

風の音、鳥の声、虫が家の中を歩く姿。

どんな文字よりも、目の前に展開する些細な現実の方が

よほどに意味があることだと思うが、どうしてか分からない。

 

文字や人が作った事物は、一度解釈が必要で

それが直感を害するように機能しているのかもしれぬ。

 

あるいは

人は食べ、子孫を残すために生きていたはずなのだが

そのどちらも欲さないと、そうなるのかもしれない。

せつな的に。

 

一方ではこうして文を書く。

だれかが解釈せねばならない面倒な事柄を記す。

なぜ、できるのか分からない。

前進しない毎日へのイイワケか、

自分の傷でもなめているのか、

読んだ誰かに助けに来て欲しいのか・・・しかし

さして楽しいわけではないが、ダラダラ書いている。

 

一度かならず、まるっきり書き換えることが多くなったものの

頭の中を整理できるというか、アクが抜けるような感じ。

書くと、さっぱり忘れてよい、そんな気持ちになるような。

 

動物のブログを一本持っている。

写真共有サイトにも、写真をアップしている。

 

なしてかねぇ、表現することを得意とするのは

よほどの物好きか、自己顕示欲のカタマリと思うが

モノづくり好きの延長か惰性なのか、不思議なクセだ。

 

今の自分を、過去に置いておく工夫なのかもしれない。

子孫を残さない代わりに、記憶をとどめておく工夫。

そういう生き物なんだな、今の僕は。

こう考えていても、アタマはすぐ忘れてくれる。

 

久々に、小さな旅に出るのも良さそう。

ま、バイトでお金が入ったら、だろう。

 

さてと、

これで、先週は忘れてよし、だ。

今から始まる来週は、何を忘れるのやら。

 

こいつはアミハラ、庭先によく来る。

最近島へやってきて根付いた、外来の鳥。

進出も早いが移動も早い。

 

こいつら以上に、

人間は土地にしがみつく性質が厄介で

居ついたら離れない。

 

誰だろう、地球の表面を切り分けて

私有化しようと考えた間抜けは。

 

おかげで

好きなところへ好きな季節に移動できやしない。

 

あまり人格の切り替えをしないですむ場所へ

ちょっくらまた移動したい気分である。


ではまた