号外

H田氏からのクレーム?

(Text Only)

 


軽いはずなのにウツがまだカナリ残っていて

引越しの荷物が思うように減らないような気がして

アレコレ捨ててしまったが、まだイライラして眠れなかったり

不安で吐き気がしたりしてしまっている。

 

今日は最後のチャンスで、たくさんリサイクルせんならん

衣類、布類を出す日なのに、オオシケになって回収なし。

ようやく区のリサイクルセンターを見つけて持ち込もうとしたら

ケータイが鳴り、奄美大島からの連絡が入ったのであった。

 

ちょっと元気のネタ。

 

なんと!

奄美群島、いや日本の動物写真家の雄(×オス、○ゆう)たる

アマミノクロウサギ撮影の大御所、H田太氏からクレームが出たらしい。

 

要は、商売の邪魔するな・・・だった。

 

ん?釣り人が島の人と一緒に撮った程度の写真を

お土産程度に販売するだけで商売の邪魔になるの???

おー、ってことは、ソコソコのクオリティって事じゃん。

 

でも、大御所の撮った写真は、ストロボで目が光ってなく

流石はプロの写真!という出来で、僕のは普通のカメラに

ちょっと細工しただけだから、目が光ってしまう。

しかもコチラは徳之島のクロウサギではないか・・・

それに、クロウサギの写真は少ししかないし。

 

本気を出す前からクレームとは、プロがウツに対抗じゃろか???

 

大御所のビジネスモデルはおそらく、不景気前の考えかも知れぬ。

例えるなら

まだCDを売りたいのだろうが、時代は着うた、iTunesダウンロードだ。

手軽で、小回りの効くスタイルが、アルバム化しなくても良かったり

エコだったり、不況でもココロを勇気付ける歌を買えるとか

作り手にも、聞き手にもメリットが大きくなった。

 

税金だ、保険料だと火の車だが、なぜかミーハーとは知らず

Greeeenの曲をダウンロードして、毎日ココロの滋養強壮剤に。

アリナミンVより50円安いし、毎日聞いても200円だ。

 

奄美大島に生まれ、プロとして名を成す大御所で

動物写真家、奄美群島の歴史に名を残す偉業を遂げたのに

ちょっと面白い反応である。

ヘボでも良いから、競争相手が居ないと進化しないのに・・・

大御所自身が、生きた化石になろうとでもいうのか。

客観できないこと、良くも悪くも島人の特色だろう。

 

優れた写真は高く売ればいい、僕のようなカケダシは

安いお土産写真で、奄美の自然を知ってもらえたなら、

ソコソコ住み分けになっていると思うのだが・・・

大御所に何やら余裕がない理由でもあるのだろうか。

 

地デジブームにのってハイビジョン番組の制作でも

やろうっていうなら、ピーピーになるのも仕方ないだろうが。

最近のネイチャーカメラマンのブームか?

 

ハイビジョンは高画質になって、好きなアナの毛アナまで見よう

というような代物ではないと思っている。

 

冷静に考えれば分かる。

どんなに高画質になっても画面のスミッコを見てなどいない。

つまりせいぜい真ん中だけ高画質なら十分で、残りは無駄。

手間暇と制作費ばかりかさんで、スポンサーがつかないんだな。

携帯電話でハイビジョンが見られるようになるらしいが。

 

つまり、静止画を美しく、じっくり見るメディアになった

と、考える方が今の段階では妥当だと思うし、

僕はそのために写真を撮ってきた。

パソコン画面代わりになったり、アクオスの宣伝じゃないが

額縁になったりする方が自然だからだ。

その証拠に、ハイビジョンの名だたる番組では

超高価なハイスピードカメラで撮影し、ユックリ見せている。

普通の動画ではもったいないので、ユックリと静止画に

近い状態で見せないと、ハイビジョンが生きないからだ。

ハイスピードが不要なユックリ動物にはオーバースペック。

 

ハイビジョン制作をやろうとすると、身動き取れなくなり

自身が化石化することだろう。

まー、姿を記録し、残すことには大きな意味があるが。

 

あららイカンわ・・・閑話休題。

 

それはそうと

僕の自然への姿勢を正す、いい機会である。

人は居場所を広げ、その居場所と動物の接点で撮影したり

釣りをするスタンスを、ココロザシに進化させる必要が

あるのかも知れない。

 

どうだろう、写真を志した人間ではないが

一つだけ誇られる事がある。

陸自で航空写真の頂点を極めたオヤジ殿の子供で

生まれたときからカメラが有ったために貧乏に育った。

けれども、カメラは好き嫌いではなく生活の一部、

モノゴコロついた時からカメラを持っていた。

 

鳥や虫を含めて、動物写真はマニュアル操作が命なのだが

案外難しいところを、わりとスンナリ撮影できたのはそのため。

 

一方

オヤジ殿はベトナム戦争の従軍カメラマンになろうとした。

だが、歴史的な命の尊さを写すより、自分の命の尊さを知った・・・

のではなかろうか。

考えすぎかもしれないが、守りの人間は一見覇気がないが、

腰が引けているわけでなはく、命をかけて守るべきものが見つかった、

のである。

 

そして僕が生まれたのだろう。

 

誰に似たか分からぬが、今の意気地が培われたわけだ。

本当にヤル気があった時も、今も変わらぬことは

道具に頼る以上に自分を変える悦楽を知っている事だ。

 

全世界のカメラマンの中で、

自分の目をマニュアルフォーカスできる人間が

どれほど居るだろうか???

 

一応、もう一度述べておくが

やればできる。 やっちゃったし。

目の前何センチと言われたらマニュアルフォーカスできるし。


ところで

この際、本当の話をしよう


僕がウツっぽくなるのは、考えようでは仕方がない。

なにせ根性なしで、昔から臆病すぎるほど臆病だからだ。

小さいころから独り遊びが好きで、付き合いが苦手。

結局、ウツというより対人恐怖的な感覚に陥っていて

生きるのも面倒だと思うようにすらなってしまった体たらく。

 

ただ

絶対的に自殺しない。

とても曲がった信念があるのだ。

 

自分で得たのではない、ジイチャンもバアチャンも

おふくろ様もオヤジ殿も言う、死ぬ気になれば何でもできる、と。

 

正気で居るうちに、死ぬ前にやることがあるだろう!

どれだけ寝込んでも、外界におびえて吐き気がしても

断じて曲がらない、とても曲がった信念であった。

 

徳之島の沖には、戦艦大和が沈んでいるらしいが

何の因果か、僕も徳之島に片道分の意気地しかなく

国のため、守るべき人のためでもなく、自分の意気地のためだけに

赴こうとしているのである。

 

死のうと思うのは嫌である。

自分の矛盾とイクサするのは、とても面倒くさいことだ。

「生きようと思うために片道切符を手にした」感じかな、

カッコウつけて表現してしまうと。 矛盾だけれども。

おー、そう書くとテツローが999に乗ったのと、少しだけ似てるか?

いかん、美化しすぎだ。 美化マニアになったか・・・

結局、倒したい相手を求めるとき、相手にしていたのは自分なのだ。

 

同じ乗るなら

二作目、メーテル目当てで999に乗ったテツローの方が好きだが

今は一作目、何が何でも的な精神状態で、せっぱつまっている。

  

せっぱつまっている、と思うことで自分だけに集中できるので

本来独りよがりの、趣味的な事柄には専念しやすいのだろうと思う。

 

不思議と、夜の動物写真は友人の運転アリキ、なのはナゼだろう。

こうした矛盾だらけなのが、僕を僕自身のワナにはめた根源なのかも。

 

そういえば、大御所はホトンドすべて独りでクロウサギ撮影に

挑んだという話だったが、独りだから苦労しすぎたのでは???

写真はデザインと同じで、自己表現であるように見えて

量産できるので、多くの人に受け入れられることが値打ちを決める。

自己満足、自己陶酔だけでは立ち行かない存在なのではないか。

模倣しようと思えば、いつかは誰でもできてしまうものである。

昔撮れなかった写真が、今はケータイでも撮れたりとか。

 

まーしかし

他己や自己分析できたところで、ナンモ変わらぬので

それが自己破壊につながってるんよ、多分。 が結論だろう。

 

けど、まだ生きるぞ。

どうあっても、やりたいことをヤリキルまで自分では死なぬ。

性格からして、ヤリきろうとしてもヤリきれず、死ぬタイミングは

やってこないだろう、と高をくくっている。

お金はいつまで続くか分からんけども。

 

対人恐怖とは反対に、不思議と幸い仲間になってくれる人がいる。

片道切符も、どこまでも行けば地球一周して戻れるかもしれない。


そんなわけで

生活が平坦で、苦しくなるとなぜか何か起きてしまう不思議。

ウツはバカにできない、ナゼなら究極の自己回帰であり

自分に閉じこもり、自問自答し続け自己を際限なく見直し続けるから。

今更、大御所のクレームに左右されれる余裕はないので

プロ写真家には、今のまま自己改造系写真で応じるしかあるまい。

長男の誇りだから。

しかし、胸を借りたい大御所が細かいクレームとは・・・

もう少しシャンとし、ドーンと構えていただかないと困る。

人生の目標としている、後輩らの気持ちも考えて欲しいものだ。

 

秘密にしてたが?

コッソリ続けている写真サイトは、素玄(シロクロ)写真

大型画像なので用心して、一番いいのはヨケて掲載してあるけど・・・


ではまた