横浜の林はもう駄目か・・・

最後の新治市民の森

 


まだまだメマイが強い。

困った・・・今週こそ会社へ行くつもりだったが辛い。

 

いや、強さ自体は弱くなったが激しいと秒間3回くらい

シャンシャンシャンと耳鳴りがして、クラリっとして物につかまる。

それでも朝、といっても目覚めは3時ごろだったりするが

6時半か7時ころから散歩に出かけることにしている。

無理やりリハビリに。

 

朝は案外静かで人通りもまだ少なく、気が楽である。

が・・・立ち止まると急にシャン!が来る。

パキシル錠を減らしたときに出る症状なのだが、きつい。

特に睡眠不足が慢性的なので拍車がかかっているようだ。

視線を動かすと気持ちに引っかかるものがあるのだろう、

何度かシャンシャンシャンシャン・・・とメマイがする。

 

歩いているときはわりと回数が少なめ、というか別のことを

アレコレと考えながら歩いているからだろう。

素早い動きができないので、のったりと歩くしかなく

全然運動量がかせげないからか、腹の肉が大トロになった。

 

軽いとはいっても、ウツが治らぬままに薬を止めるので

脳が混乱を起こしやすいのかもしれない。

 

けれど、引きこもってばかりも居られず

気分転換に撮影へ出かけてみることにした。

シャンシャンが止まるのではないかとの希望もあった。


本題の前に・・・

【シャンシャン(パキシルの離脱症状≒禁断症状)あれこれ】

当初、悩み物質を吸収しないような薬、つまりニコチン中毒

みたいにニコチン不足のようなボーっとした現象で

ウツ状態を改善すると勘違いしていたが・・・

 

脳内の神経伝達物質の一つ、セロトニンが脳内で吸収され

神経の伝達能力が低下するのを防ぐ薬であった。

神経伝達がスムーズになることで頭がスッキリするのだそうだ。

(なんでセロトニンが吸収されるのかは調べがつかなかった)

 

ちなみに、ニコチン中毒も勘違いしていたのだが

ニコチン受容体、というのが体のあちこちにあるらしく

必要に応じて興奮したり、沈静したりするために働くという。

で、タバコを吸い、ニコチンを継続して体内に取り込むことで

ニコチン受容体自体が減ってしまい(ある意味で合理的退化)

吸わない人と同じニコチン量では脳や体の制御の能力が鈍り、

ボーっとするという。

 

しかし、なんでセロトニンが吸収されて脳の神経伝達力が

遅くなるような現象が起きるのかを知りたかった。

まー、脳内のことなので謎が多いのかもしれないし

ストレス情報を遮断しようとする防衛反応なのかも。

 

どっちにしても、パキシルを減らすことで頭はスッキリせず

大好きなヤヤコシく考える事が上手くいかないので

難しく考えることに抵抗感というか嫌悪感が出つつも

とどまるはずもなく・・・これがウツ的現象と似たココロに

してしまっているこの頃だ。

しかも、ボキャ貧が顕在化しているのも

神経伝達の問題ではなかろうか。明らかにボケている。

それともアルツハイマー???

 

家に居ても、あっという間に夕方をむかえる気がするのは

多分、何もかもがユックリにしかできないか

頭が混乱して無駄が多いためなのかもしれない。


さてさて前フリが長かったが・・・


オオタカが舞い、カワセミが潜り、季節の鳥たちが

腕を磨かせてくれた新治市民の森。

これまで名を明かさなかったが、もう駄目になったので

そのことを知ってもらうためにも、明らかにしたいと思う。

2年位前、誰かがブログで書いた後、カワセミ撮りたさに

巨大レンズが並びだしたらもう止まらない。

 

長いレンズを三脚にのせてダラダラとだべっている。

それだけでなく、鳥に餌をやり餌付けして遊ぶ始末。

最悪の趣味人の集まりである。

 

しかも

最近は妙な小屋が建ち始め、人の出入りもずいぶん増えた。

間伐材や竹で自由に工作できる工房なんぞも建った。

何のため???林は玩具ではない。

自然の森に建物を建てて何とす。

ここに至ってイエローストーンを開発せず残した

アメリカ人の思想だけは偉大だと思う。

 

森というほど深くないのに、春は野草にたかり

ホオジロやウグイス、アオジやトンボ、カエルの居る湿地は

長靴跡でめちゃめちゃ、秋は栗を奪うように採りあう。

狸のぶんくらい置いといてやる・・・なんて気はサラサラない

イヤシイ連中ばかりで困ってしまうやら情けないやら。

多分コイツラは、採りたての栗を生のまま食べる美味さなど

マスコミで報道されないから、全く知らぬ連中だろう。

 

今回この目で最期を確認したことで

イイカゲン虚しくなるので行かないことに決定。

荒廃する林の名もはっきりと明かしておきたかった。

人間は作ることで破壊していることを知ることで作る意味を知る。

何でもやれば前向き、などという軽々しい発想はもうご法度だ。

かろうじてアオジ(上)と、スズメ大キツツキのコゲラ(下)を

撮影できた。

さすが新型、現像ソフトで見ると前のカメラとの違いが良く分かる。

コゲラは木陰だがISO・2500という高感度を使って撮影できた。

 

徳之島では、前述のような

貴重な森林の崩壊を防ぎつつ生き抜く術を島の人と実現したい。

 

なんてことを考えさせられる撮影・・・・

シャンシャンは止まらずだった。

事故らなかったのは幸いだ。

 

もう、おおむね横浜に思い残すことはなくなった。

しかし友と磯からヒラマサが釣りたかったなぁ。

このメマイで磯は怖くて歩けない。


ところで最近

あれこれと料理実験をしているのだが

安くて栄養豊かで保存がきく高野豆腐を良く食べる。

よくよく袋を見ると実は凝縮されているんで

思ったより脂質も多くてカロリーも結構高いので要注意。

半分は良質のたんぱく質なのだが・・・

 

徳之島じゃぁアシタバは作れないかなぁ

でも、炊き合わせの出遭いがよかったのがアシタバ。

高野豆腐とアシタバの炊き合わせ。

かつぶしを入れると、八丈!健康!!ビタミンA!!!と

叫びたくなりそうなくらい、アシタバのキツイ香りが

すーっと高野豆腐に吸収されて良く合う。

 

かつぶし、アシタバ、高野豆腐のトリオは大好物になった。

 

それと今ちょっとオカユを中断中。

朝、軟いモノを食べると脳が動きにくいからだ。

原子力だろうけど電気代ももったいないので

チンしないご飯にカチリ(和歌山のシラス)とゴマ振りし、

しっかりと噛み締めて食べる。

冷ご飯だけじゃなく、ちゃんと温かい味噌汁もあるのでご安心を。

 

ふとご飯の上のカチリを見ると、そこにも生態系が・・・

(黒いかたまりはイカの頭)

季節がら、アジの子は混ざってないが、アミ、シラス、イカが

騒乱を起こしているままに、干物になり、ご飯上に展開している。

 

こいつらは、自由に泳げるほどでもないが

その場にとどまるくらいはできるので、プランクトンではなく

ネクトンだ。

 

ネクトンも泳ぎの上手さによってベントスとか何とかに

細分化されているが、人間とは分類しないと理解できない

実に不便な脳を持っているようだ。

そのまま一個ずつ記憶すればいいじゃないか。

ご飯を食べるにも、頭の暴走が止まらぬ。

 

旅に行ったら問われる・・・何しに来たの?

いや島に来たんで・・・じゃあだめなの???

何しに来た人か分類し、まず得心したいのだ。

悩まない人ほど聞く気がする・・・人間とは不思議だ。

何の足しにもならぬ、殺人者の家族を知りたがったりして

怪しげなゴシップばかりの雑誌が売れるのが信じられない。

 

人間の妙な欲望に満ち満ちた知りたがりは、

死ぬまで止まらぬ暴走なのだろうか・・・

じゃあ、この頭も手遅れか。

とりあえず、意図せずスローにはなってきたが。


ではまた