場数だけでは語れぬ

バカズを踏むこと

  


先日、親友の車がとまったらしい。

交差点の信号が赤になったからとか

急に前方の辻から、青い猫とも緑の犬とも

はたまた夜叉か、冥界の使者ともつかぬ逸物が出現し

急ブレーキを踏んだものでもない。

原因は部品の故障だったようだ。

 

釣りに行った先の出来事で

そこから船に乗り釣りに行く直前で

気もそぞろといいつつも、なんだかんだいって

しっかり大型の魚を釣ったあとで

四苦八苦して戻ってきたのだそうだ。

 

僕にとって彼の存在は大きく

バカでかいレンズで撮影することと

バカみたいに荒い磯で釣りをすること以外、

絶対にかなわない男と思っていたが、意外なことだ。

 

いつもの親友にしては、車の故障程度で

気もそぞろとは妙なことだ。

肝っ玉がすわり、面倒見の良い世話役的な彼だが

人に頼るのは、案外慣れていないのかもしれない。

 

非常事態らしいことでもないのだが

想定外だったのだろう。

 

困っても仕方がないことは、困らない努力・・・

そんなの不要なようだが

今の世の中、何が起こるかわからぬ。

だから困る前に、次を考える。

 

車やバイクが動かぬ事、に関して言えば

意に反して、長男はだいぶ鍛えられた。

南国でレンタルしてもらったら、ラジオが動かないのは

まずもって普通だが、ガソリンバカ食い、メーター故障、

ミラーは役立たず、ハンドルはとられる、ブレーキ不良、

あげくには燃料タンクに水が入っていてエンスト。

などということは、普通である。

マイカーで地の果て、本州最南端まで遠征して

キーをインロックしちゃったりなんかした事もある。

長男も時折おっちょこちょいだ。

 

そいういうときは、なるようになるので、釣りをしてから

あとで考えることにしている。

 

機械が壊れるのは至極当たり前のことだ。

 

ま、島の場合は、どんなに遠くても押して帰るしかない。

そのうちたまたま修理工場の人が通りかかると

積んで行ってくれたりするから、まんざら捨てたものでもない。

 

島ほど不便ではないので、帰る手段はいくらでもあるが

日々の生活の足でもあることと、

ガラにもなく、まわりの釣友への影響までも

懸念したようだ。

 

たいがい、ガソリンスタンドへ行って相談すると助けてくれるか

何がしか情報が得られるし、交番もそうである。

 

が・・・かかる迷惑は、どないしようが、かかるもんである。

しかも、めったに起こらない事は、被災した本人以外の

誰にとっても貴重な体験で、ためになる。

それに、解決してもらったときの有り難味と、ほっとする感は

ヒトシオのものがある。

もちろん、笑い話になったり、酒の肴になったりもするが

それはそれで済んで、武勇伝みたいなもんだ。

 

だから今は、お陰さまで長男も親友に甘えに甘えて

迷惑をかけ続けながら、ガス屋にしてもらっている。

笑われようが、迷惑をかけようが、それでも生活をする

不動のスタンスこそ、長男の目指すところである。

 

いうまでもないが、やりたいことで場数を踏むのは必要だ。

やりたいこと以外での出来事で場数を踏むことは難しいが

バカな事をやったぶんだけ、いろんなことが起きる。

失うことも多くとも、得るものもソレナリにある。

 

バカ数を踏むといったことろだろうか。

略して、バカズでもいいかもしれん。

 

それでもバカズは、踏んで自爆してなお、楽しいもんだ。

明日もまた、バカズを踏んでしまいそうである。


先日、親友の友人で、友人となれたS田氏が

他人禁制の我が家へ深夜、というか早々朝乱入してきた。

不眠症に悩む・・・記事にもできない我が家の惨状?を

目撃されてしまった・・・

こっぱずかし〜だすな〜。

 

そのとき

長男が使っているキッチンカメラを見て

これで普段撮影してるのか?、とけげんな顔をした。

記事に載らないので知らないという。

確かに記事はここまで開けっぴろげだが、写すカメラを

めったに写したことはないかもしれない。

著名な写真家もセルフポートレートは撮らんかったりするのと

似ているのやら・・・似てないのやら・・・

(EOS・20D)

 

最近の記事のアップ写真は

ピントが一部にしか合っていないと思うがが

これはフォトショップなどの画像処理ソフトで

カッコよく加工したものではなく、アナログ的に

一眼レフカメラのボケを使ったものである。

 

キッチンカメラについている、初期のキヤノンEFレンズは

実はなかなかの実力で、焦点距離35mm

開放F値2.0、撮影距離25センチと

プチマクロレンズみたいに使える。

しかも、寸詰まりなので200gしかない。

 

確かに、このごろのコンパクトデジカメよりは少々重いが

デジタル換算56mmで、望遠でも広角でもない

正に標準マクロレンズのように使える上に

開放F値がマクロレンズの2.8よりも、更に明るいのが

格別にすんぱらしい。

明るいことは、ボケやすいのである。

突っ込みどころ満載みたいだが

ボケることで、周囲を片付けることなく撮影できるのだ。

 

ま、一応は片付けて撮影することが多いが。

 

普段はキッチンカメラだが

野鳥も、クロウサギもこのカメラ一台でオーケーという

最初は気に入らなかったけれど、今は体の一部的なカメラだ。

 

お店で小耳にはさんだが

今秋には、新機種が出るんだそうだ。

お小遣いためとこ。

 

このEOS20Dは、長男にしてはロングランで

二年半以上使用し続けて、なお主力だ。

 

格別高機能でもなく、さして可愛くもないところが

道具として、いい感じなのかもしれない。

 

命がかかる道具には愛情が湧いてはいけないと思う。

絶大な信頼はあっても、愛着はない。

これが正しい道具の在り方だと信じている

 

大切にはしても、愛着を湧かさない・・・

難しいことだが、大切だ。

必要ならば、すぐに違うものに替えるか

改造しなければならないのだ。

 

大切にすることが大切なことではない。

大切なことをためらわないことが大切なのだ。 

 

今日も、超高級レンズに細工を始めた。

さすがにまだ、本体そのものを傷つけることは控えているが

カモフラージュネットのベースができあがった。

(おおっていない付け根部分はレンズの操作部だ)

この段階で、これはこれで内地では使えそうなので

そこそこの出来に迷いが生じてしまった。

造花バージョンは、もう一つ作ってみることにした。

 

間に合うか・・・?微妙だな。

 

グリップはこんな感じ・・・

ってか、グリップじゃなくて、本来は三脚座。

三脚をセットする台であるが、長男には不要だ。

 

一方

重い巨大レンズを左手一本で支えながら

ピント合わせをすることは至難を極める。

 

しかし意外にも、三脚座を掌(たなごころ)に置いて

フォーカスリングを操ると、かえって楽なのが分かった。

それに、三脚座は常に手よりレンズを高く保ってくれるので

脇を閉めても、レンズは高い位置に保たれるのだ。

これは腕力のない長男にはありがたい。

たとえ、三脚をセットする穴は失っても

支えやすい三脚座にグリップ用のスポンジ材が接着されれば

むりやり手持ちで撮影ができる・・・というものだ。

スポンジの微妙なカーブは、金属製の紙やすりともいえる

ドレッサーで程よく削ってある。

紙やすりだと、三脚座自体を削りかねないのだ。

もちろん、本体にくっつけたままだと

削りカスがレンズに侵入するので三脚座を

100円ショップで購入した六角レンチで外して作業した。

 

あくまでも、100円ショップにこだわる長男であった。

グリップ材は100円ショップではなく、残念ながら

ホームセンターで求めたが、10センチ角で160円だった。

 

100円ショップには、昔なら売っていないような

レアな工具さえも常備している。

この品揃えと安さに目をつけずして

むやみにレアなバカ行動をとることはできず

バカズは踏めないと思うのだ。

100円ショップなくして、バカを実践するための

プロトタイプ(思索品?試作品?)は

軽はずみ、且つ、気軽に生み出せないのではなかろうか。

 

ちなみに

カモフラージュネット?をレンズに固定する便利な止め具は・・・

まんま、ゴムベルトにベルクロのついた「べんりーベルト」だ。

これがシャクエン(古式関東弁、税抜き)なんだから

バカ行動志願者には、とっても優しい世の中である。

 

伸びるので、伸びた状態のときに

ネットの固定位置をマチ針で印しておき

正しく三点で固定するよう、お裁縫するのが長男流だ。

別に四点でも五点でもいいのだが。

 

お裁縫道具は本邦未公開!昭和四十ん年、文溪堂製

家庭科学習用裁縫セットである。

マチ針は健在だが、針はアレコレと針穴が折れてしまったので

横浜にきた当時まだ健在であった、日吉東急の洋裁店でもとめた

クロバー製、メリケン針・ぬい針「絆」やや厚地用セット・・・

のものである。

ぬい針セットにも、気合の入った名が連ねられているもんだな・・・と

購入後、10年くらい経って、やっと気づいたぜ。

 

裁縫なんぞできんでヨロシ!と思うなかれ。

我々が老後を迎えるころ、社会保険なんぞぶっ飛んでいる。

支給は90歳以上なんて非情は当たり前だ。

だって、未来を引き受ける若者が生きられぬのに

老人に保険も税金も回ってくれるはずがないし

 

断じて

厳しい社会で、老人の延命だけに金が使われてはならぬ。

今を生きる若者達の明るい未来として使われるなら良いが。

 

掃除も、弁当も料理も作れない、洗濯もしたことないでは

厳しい老後を生きられないぞ!!!

今の60歳以上にも、かなりその傾向があって困りはてるが

いつまでも、そういう自活不能な向きには

不用意に助けず、早く土に帰ってもらうことを祈りつつ

我々の子々孫々を大切にするのが

生物界の住人たる、大人の在り方というものだろう。

亭主関白気取りなど、単なる遺物でしかないのだ。

 

その上

怪しい腕で運転するのも、迷惑では済まされぬ事態だ。

今後20年くらいは、そういう困った壮年が増えて

社会問題化するだろう。

 

意地張って、孤独ともいえず、メシもろくに作れず

もうろくしたのに運転して人をはねる。

 

これからは地域で、そういった困ったオッサンを

どんどん切り捨てていかねばなるまい。

だって、万一復活しても社会保険は80歳とか

90歳まで払われない社会になっちまう。

手助けする若人より、助けてくれというヤカラが何倍も多くなる。

金を使わずに自活する努力は、こんなバカズでも

ナンもせんで、会社につとめることが全てと錯覚するよりは

養っていけるように思うのだが。


追伸

 

う〜む

このごろ、不眠が再発してきた。

体中がだるく、眠くてどうしようもなく立ち上がれず

会社を休んでしまうという、しょ〜もない

引きこもり中年か、サボり病状況の時がある。

ジャージ姿ではないし、ビデオゲームなんぞもしないが。。

大した事でもないプレッシャーのためか眠れないらしい。

ちっこい肝っ玉がうらめしい。

といっても、以前は寝つき後一時間半くらいで目覚めて

また数十分寝て、また起きて、数分寝て・・・また目覚めて、

もう朝か、あ゙〜っ眠れね〜ってな

複雑な感じだったが、今は三時間〜四時間寝てから

もう眠れね〜、てな、比較的爽やか?な朝を迎えていた。

以前よりはカタマリで三時間も眠れているので

もう十分とタカをくくっていたが、体が許してくれないようだ。

だるくてだるくて、めまいも、頭痛も手伝って

起き上がれない事がある。

本来、長男は高血圧気味だから、寝覚めかなりいい。

しかも、肩こりも頭痛も無縁の男だったはずだった。

ま、甘ったるい音質生活

高所得、高処遇メーカー暮らしが長かったので

休みが少なくて、疲れがとれないのは否めないが・・・

 

今日なんざ、昼休みに自分のイビキで目覚めてしまったぜ。

ま、こんなこともあろうかと

会社にとっても本人にとっても負荷が少ない

すぐ首にできるように、契約社員にしてあるから大丈夫。

 

この時期首になったら、断然、北海道だ。

サーモンだ、サケだ!行きたいなあ、北海道。

 

けども当面は

何とか徳之島には寝坊しないで行かないといかん

給料三か月分の結果だけは出さねばならぬ。


ではまた