時代はいつも食品カンブリア紀

 


不景気を通り越して

肉食狩猟系人種世界のように

今や所得格差の世になった日本。

しゃれでないオーベーカ・・・

どころか取り返しのつかない欧米化だ。

本来、笑っている余裕などない。

 

地震で被害を受けたのに

逆に人道支援のカケラもない北なんとかという

半島にあるアジアの恥部たる国を呈さない迷惑隣人のために

金を使ってやる余裕などないはずなのだが。

 

そんな日本では

様々な生き残りをかけたチャレンジが続いている。

 

ところで

玉子焼きは、なぜ甘いのだろう。

結論はあるのか無いのかわからぬが

菓子と食事を厳密に分ける日本食において

箸休めというのがある。

 

もしも、甘い玉子焼きが、江戸時代ならば

寿司ネタとしての存在は大きい。

なぜなら、寿司は酸っぱくてショッパイものばかり。

そのなかにあって、唯一箸休めであり

酔いの回りやすい炭水化物の寿司を食べながら

醸造酒である日本酒の強い酔いを抑える食材・・・

卵以外にない。

更に、卵も砂糖も貴重品だったろうから

玉子焼きは高級品に相応しい、素材そっちのけの

高級三昧な味付けになってしまったとも考えられる。

 

デザートでもない、でも、甘いのに飯と合う。

こうして生まれた寿司世界の箸休めではなかろうか。

 

あくまで、長男仮説だが。

 

閑話休題

飽くなきチャレンジは、すぐ身近に売られていた。

 

いつものお弁当購入スーパー

釣具屋系チェーン店のような名をもつスーパーチェーン

上○屋で見たのはこれだった。

 

ん?

 

チーズ入り玉子焼きだ。

姉妹品には、カニ風味かまぼこ入り玉子焼きもある。

3個入って百二十余円・・・

微妙な値段である。

 

シゲシゲと物色していると、ガス屋修行の師匠である

H本君がやってきて、何やってるんですか???と

と笑っている。

笑われるほどしげしげ見るのには訳があった。

 

確かに卵とチーズは合う。

オムレツにチーズを入れるとたまらなく美味い。

が、こいつは卵とチーズがあえて馴染まずに

簀巻きになっているではないか。

 

怪しげな食材への探究心はとどまらぬ。

 

やっぱりチーズに串刺しにされたような玉子焼きの姿に

珍妙な食的好奇心が止まず、購入。

417円のお弁当昼食のオプションにしては微妙な値段だ。

とりあえず、夕食とすることで、価格的には心の安寧を得た。

 

さて味のこと。

 

なぜ甘いのかは知らぬが、甘い玉子焼きの中心に

プロセスチーズらしい物体がインサートされている。

甘いチーズ風味、電子レンジであたためると

バター風味がただよってきた。

 

多少塩味はあるものの

チーズケーキとプティングを足して二で割った味だ。

 

これはおかずなのか・・・肴なのか・・・

それともデザートなのか???

この味では和風でもないので、略してチータマとも

言いたくない。

ただ、冷静に考えると、作るのは至難の業だ。

チーズを溶かしきらないで卵をふんわりと巻く・・・

どんな製法なんだろうか。

 

少なくとも、○州屋さんとしては、かまぼこに近い扱いだ。

姉妹品にカニカマ入りがあることで、そこに並べる

決心がつきそうだが、単品だとどこに並べたらよいか

分からぬ食品である。

 

しかしまあ、よく仕入れたものだ・・・

 

カニカマ入りも味的には分からぬでもない。

カニタマスープもあるし、カニ入り天津飯もある。

が、おそらくこいつも、甘い玉子焼きに

カニカマが突き刺さってるだけだろう。

次の日、カニカマ入りばかり、なぜか残っていた。

 

カニカマを入れることで、ヘルシーでもなく

高級でもなく、ウサン臭さ倍増になってしまったようだ。

温かい目で数日見守ることにした。

 

売れなかったら私が全部引き受けるということは

全然考えていないが。

たとえ無料でも・・・

 

さて

一方、ポケモン系の名を持つ近所のスーパー、

例のヤオチューさんで、最近気に入っているものがある。

 

長男は元来、練り物が苦手であった。

おそらく郷里の山口県防府にあった白銀という

超々美味な高級かまぼこを食べていたので

小田原あたりの高級かまぼこを食べても

全然ピンとこない。

実家が三重県に引っ越した現在まで

我が家の正月には、今でも必ず白銀が御節に参入する。

 

山口県には、ういろうとかまぼこ以外にも

他に変えがたい味わいのあるものがチョクチョク存在する。

ウニの瓶詰めもそうだ。

ゆるい味の卵ではなく、いわゆるウニの肉というか身を使い

ちょっとボソッとしているが

朱色をした身が塩漬けにされており

磯の香りの結晶のような、濃い味わいがある。

 

前振りは長かったが

そんなわけで、長らく練り物からは遠ざかっていた。

 

が、去年の夏ごろからだろうか

静岡の黒はんぺんを揚げたようなものが

売られている。

「じゃこ天」である。

 

いつぞやは確か

和歌山の「ほねく」も売っていたことがあった。

ほねくはタチウオの身を骨ごとすり身にした揚げ物で

まあ、タチウオのさつま揚げといったところ。

九州で言うつけ揚げ、沖縄のチキアギだ。

シリーズとしては、あご天(トビウオ)やいわし天があり

最初はあご天に惹かれたのだが

なんか普通のチキアギだったのでつまらなくなり

じゃこ天にたどりついた。

 

こいつの「じゃこ」は、文字通り小魚をすり身にしてあるのだが

歯ごたえもなんだかジャコッとしている洒落っ気というか

骨っぽさが気に入っている。

長男は小骨の入った刺身が好きなくらい

肴の骨のジャリッとした感触が大好きだ。

魚を食らっている実感があるからだろう。 

焼いて食べると、揚げているときと同じように膨らんで

とても美味そうになる。

もちろん、この瞬間が一番美味い。

 

こんな素朴な食品だが、この先どのくらい長らえてくれるだろう。

素朴とはいっても、日本人の壊れた舌の味覚にあわせて

塩、砂糖、化学調味料が大量に使われ

大半の素材の味わいが失われている食材でもあるのだが。

この揚げ物を食べた後、味噌汁を食べると、味を感じなくなる・・・

本当に悲しい時代だ。

 

それでも、あんな味の薄いマグロの刺身だけは

人気があるというのだから、日本人のブランド志向は

半端じゃないようだ。

自分の目というか舌をを持ってないともいえるが

日本人は戦前も戦後も、そうして生きてきたのだろう。

 

ロサンジンのような偏屈を除いて。

 

日本の食品は、いつになっても進化につながらないような

実験的食品に満ち満ちているように思う。

 

そして、一瞬、その時代の舌に合えば流行り、廃れる。

時代に流されない味ならば長く残る。

食品文化も戦っているなぁ。

 

僕はロサンジンではないが

卵ご飯に、専用のタレは要らぬと思う。

炊き立てのご飯に、生醤油でいただくのが

やっぱり究極的に美味いと信じている。

昭和の長男とはそういうもんだ。

味に余計なものは要らない、それが日本の味だ、と。


ではまた