いつも怒っているのか・・・アオスジアゲハ

 


もう9月に入った。

40の夏は、こともなげに去っていったよう。

 

さて

美しく表現するならば?

小さなころから、ほのかに思いを寄せてきたアゲハが居た。

しかし、なぜかそのアゲハは、いつも怒っているような名である。

 

アオスジ・・・アゲハ

 

この名をご存知だろうか。

Oちゃんに言わせれば「ど」普通種であるが

普通種に「ど」までつけなくても良いではないか。

 

アゲハの中でも少し小型で、羽が細身、青いラインが入った姿は

とてもストイックで、花にもあまりとまることもないので

飛ぶことだけを宿命にした生き様のようにも思えた。

 

あるいは、飲み食いもそこそこに、自由を生き急ぐ姿にもうつる。

 

羽にある青いラインは、当然青いりんぷんと信じていた。

まさか、動物で青い透明な羽を生成できるとは考えもしなかったのだ。

自然とは奇想、天蓋より至る・・・にあふれている。

青い物体ですら、自然界では無機物以外なさそうであるが

生物で青く、更に透明とは・・・

確かに青い物体ならば、ルリカケスとかルリビタキとか

アオブダイ(魚)とか居ないでもないが・・・透明ではない。

かなり我々温帯ユルユル人間にはナジミがあさすぎる

南方の生物が多いようだ。

なのに、透明青系生物が身近に居たのであった。

 

特段驚くほどのことでもないと思われるだろう。

普通の生活にはほど遠い存在だろうし、生活に支障はない

が、長男には別である。

 

それは何しろ透明で、心が透くほど心地よい透けっぷりなのである。

 

写真を後から眺めながら

こういうことに気づく瞬間が最幸の時。

普通種だからとレンズを向けねば一生知らなかったろう。

Oちゃんは「そんなこと知らなかったの?」といった顔。

 

りんぷんがないほうが軽くてよさそうでもあるが

水滴がへばりついてしまいそうでもある。

なんでチュ〜と半端になってしまうのかは謎だ。

 

透け透けの蝶といえば、オオゴマダラはほとんど透けている。

足も四本で進化した蝶なのだろうか?

 

マダラ類にはりんぷんが少ない半透明の羽を持つものが

多いのだが、実はオオゴマダラはまだ見ぬ憧れの蝶だ。

以前、冬の喜界島では見られず、残念な思いをしたものだ。

 

それ以来、ずっと気になっているのが名前問題。

オオゴマダラは、マダラチョウ科だから

マダラは良いとして、オオゴってなんだ?

オオは大きいからだろう、ではゴってなんだ?

オオゴママダラがなまってオオゴマダラ???

ならついでにオゴマダラにしたらどうなんだ!!!(怒ってどうする)

などとイラヌ考えをヤキモキと起こさせる

とんでもない名であった。

 

それに、タテハチョウ科にはゴマダラチョウというのがいて

こちらもゴマ風に見えるから命名されたそうだ。

オリジナリティ的にも問題ありそうであるが

正直、命名疲れしていたのかも知れぬ。

 

・・・・・・・・・・う〜む

ゴマ模様のマダラ、いつかきっとこの目で確かめよう。

 

話がソレついでに

少しゴマから離れてみたい。

 

もう一種「普通種だけどね」とOちゃんに

ののしられつつ撮影した蝶がいた。

徳之島の林道でひときわ美しいコバルトブルーの光を放つ蝶で

写真ではぜんぜん美しさが伝わらない。

あまりの美しさに何が何でも撮影したくなり、粘った蝶だ。

やはり足が4本しかないマダラ・・・

ツマムラサキマダラ。

 

こちらもかなり悩んだ名前である。

学名はわざとらしかろうと自己満足だろうと

自己顕示欲の暴走だろうと

ラテン語で、天下にひとつの名なら良かろう。

ジャポネブンザエモナーレ・・・みたいなのでもOKだろう。

しかし、標準和名はそうはいかぬ。

あまりどハズレな名では命名者のお里が知れてしまう。

一見、超大型オオムラサキみたいな蝶で

トクダイムラサキでも良いような蝶だ。

オオムラサキはタテハチョウ科だから、またややこしいが。

 

とまったときに、なかなか羽を開かない面倒な蝶で

撮影にはえらく手間取ったが、着ていた服が蛍光剤入りで

多分紫外線を滅法反射していたのだろう、僕の周りを

ハラハラと飛び回って逃げないでいてくれたので

なんとか撮影できた。

 

つい最近までは「普通種」なんぞと言われることもなく

実は分布を広げ、八重山方面から北上してきた蝶らしい。

そのため北上当初は採集マニアがこぞって狙ったそうだ。

虫の世界も流行り廃り?が激しいなぁ。

 

そもそも、人間など地球上どこでも、極地でも見られる

どどどどどどどどどどどどどど普通種である。

その普通種に「ど」普通種などと言われる筋合いは

このチョウたちにはないのではなかろうか。

なぁ、Oちゃんよ。

動物たちから見れば、多分人間の町は巨大なアリ塚みたいで

他の生物が作り出した巣である。

多少規則的で、大地のかなりを埋め尽くすやっかいな巣で、

我々がスズメバチの巣に抱くような嫌悪感すらあるかもしれない。

そのような感覚を他の動物が抱くかもしれないことを

想像したことがあるだろうか。

人間とは、全く自己中心的で勝手な生き物であることを

しみじみ思い知らされる。

僕自身、あまりに人工物が多い環境では、逆に不安や

嫌悪感もあるので、やや野生寄りなのだろうか?

 

さてと

最近天気がすぐれず、アオスジアゲハや鳥の撮影にも

行けないが、もうすぐ秋がやってくる。

恵みの秋はどのようなことを恵んでくれるのだろうか。

そもそも、秋の恵みを感じる余裕はあるのだろうか???


ではまた