号外 2005年、4月2日

晴れて、失業の休みを憩う

 


とうとう、失業者に成る事ができた。

肝っ玉の小さい長男には、とても大変なことであった。

 

しかし、思いはいたって普通の人の感じ方だと思う。

 

ただただ、だらだらとサラリーマンをやってきたわけでもないが

自分の尺度と離れすさんだ、閉じた世界が狭すぎるので

がらりと戸を開けて、外へ出た。

そんな感じである。

外は、雷交じりの土砂降りなのか、かんかん照りなのか

爽やかな風が花吹雪を舞うのか、自分で確かめない事が

人生にとって最大の悔いである、そう思ったのだ。

 

たった一度の人生、どうせ正解は無いのだから

思うようにやってみて、自分で答えを出すことこそ

生きる意味があるのではなかろうか。

 

これから自分がやりたいことが、上手くいこうと行くまいと

そんなことは問題ではない。

こんな世だからこそ、山水の息吹を極めたい。

大洋と心行くまで戯れたい。

もう二度と来ることの無い、過去の時間を

もう、二度と戻れぬ、ふとした先ほども

その瞬間を感じ、後世に残したい。

そしてそれを見た未来の人が楽しい気分に、安らいだ気分に

なってくれたら、僕の人生はその時に正解だったと分かるはず。

 

今更、急ぐ必要は無い。

もう、曜日にはさしたる意味も無い。

春には春の、うりずんにはうりずんの風が吹く。

 

新居には、3月の最後にもらった花束のユリの香りが満ち満ちてて

大都会の築30年の部屋を巡る風を感じる。

 

嬉しい時には喜び、楽しいときには思い切り笑う

旨い魚が釣れたらば、友と飲み交わし、

先に逝く人を想い、寒風に身を震わせ

月を友に飲むような悲しいときには、はたはたと涙を流す。

 

 

人間の生きる様とは、こういうものではなかったろうか。

 

さて

人生後半、平成素浪人のような姿で始まった。

明快な未来に夢があるわけでもなく、けしてカッコよい暮らしぶりでもないが

人生を悔いず、人を恨まず、自他友に笑顔を多めにできれば言うことはない。

 

さあ

明日は何をしようか・・・、おっと明日のことは明日考えよう。

今日は今日のことを思い切りやればいい。

 


ではまた