人生半分の卒業

 


人生の40年が過ぎようとし、折り返しの刻がやってきた。

ようやく、M下電器を中退できる。

 

サラリーマンが嫌いになるのは

つまらぬ政権の民営化だの、空米(くうまい)切符のような国債発行だの

年金、保険金、税金製造業に徹しろという酷な言葉もある。

 

だが

そういう政権を許している日本が嫌になっているということもある。

許しているというようり、あきらめてしまっているというか

跳ね返す意味すら見失ってしまった国民の生き様が好かぬということも

ないでもない。

 

僕にとって、そんな小さなことは捨てておこう。

人生はたった一度しかないのに、もう半分過ぎた。

やっておかねばならぬことは、まだまだある。

が、一方では

向こうの世では、生き生きとした先人に逢えるのではないか

そんな期待すら浮かんでくるようになってきた。

 

現世も向こうの世でも、どっちでもいい、面白ければそれでいい。

思い残すことのないように生きてきた証し、長男の証し

それが今の僕自身の存在だ。

 

あの人もそうだから・・・外野がどういうか分からないから・・・

周りの視線が気になるから・・・と、つまらぬ人生を流されるよりも

笑われてもケナされても、自分で選んだ道を行く

これこそが長男の人生にふさわしい。

 

今日も、両親と電話した。

我が家は親子仲が良いし、両親夫婦の仲もとってもいい。

 

そこで話したのだが、失敗するかもしれんぞ・・・と父が言う。

失敗か・・・成功するまで続けるか、駄目なら次の世を見てみたいから

「そしたら、人生仕舞うわ」と言っておいた。

 

かりそめの恐怖の向こうにある、向こうの世。

あるかどうかも分からぬが、今の世が駄目なら

ブラックホールの向こうだろうが、地獄だろうが

新たな地平を目指せる場所へ行く、それが長男のやり方だ。

 

残念なことなのか、それとも幸いなのか

長男が、向こうの世へ行っても悲しむ人は少ない。

だが、簡単に今の人生をたたむ気も毛頭ないし、まだまだやりたい事も

山のようにあるので、そう簡単には行けそうにない。

 

どうでもいいが

逢ってみたいものだ。

坂本竜馬、ユリウスカエサル、孟子、玄奘、曾爺様、曾婆様、

ジャックモイヤー博士・・・

 

とどまっていられないなら、動くしかない。

だから、今、失われつつあるものを、僕の力で残せるなら残したい。

どんな形でもいいから残したい。

だから、僕は写真をとる。

けれど、誤解してはいけない。

失われつつあるものを保存したいのではない。

失われつつあるものは、おそらくそれで、一生を全うするのだから

それをむやみに延命したりしない。

だが、存在を残すことで、先の存在に何かを感じさせたいのだ。

それこそが、今を生きるものの役割である。

 

ちょっとした、気候の変化で失われる、過去の生態系。

過去の社会、過去の自分の考え方。

 

かさばらないのなら、残しといても良いではないか。

 

働くことが、幸せのためでなく、金で買う世間並みの生活という

かりそめの形だけの生活に変わった現代の日本社会。

長男にとって、これほどつまらぬ社会はない。

 

だからこそ、この社会から弾かれても、別の生き方を選びたい。

 

流石は長男である。

こういうことを予測したのかどうか、中学のとき

すでに人生を折り返すときは、全く別の何かを求めて

ひとつの仕事だけで終わる人生では駄目だと

老後などではなく、人生の半分で、必ず別の道を見つけて

最低二つの人生を歩まねばならぬ、それこそが最低限

僕の人生としての存在感である、と想い描いていた。

 

自分のことを流石というのも何であるが

でもやっぱり、自分なりに生きようとする「生」(せい・生きる事)への

疑問、理由の追究の心は、今も変わらず生きつづけている。

思っていた人生とは、全然かけ離れているが、考え方は変わらぬようだ。

 

現世、現代的会社組織、現代日本的世間体の高みに立ってみれば

また人生も変わる、と大東の大親友であり人生の大先輩は語ってくれた。

だが、長男はそれだけでは物足りぬ。

高みが問題ではない。

高みに立てば、確かに配下の姿や、世間の小さな事が手に取れる。

だがそれは、うたかたの姿であり、一段や二段の高みなど

別段問題ではなくて、

問題なのは、人生を燃やし尽くすには何が大切かを作り出すことこそ

その高みの役割なのだから、燃やし尽くすネタの見つけ方は

一見、見つけやすそうな、世間的立場の高さもあろうが

今の長男には、自然の中にあり、地球の上にあり、

身近な知人の中にある「何か」こそが、人生を変える、

否、折り返しを補正する材料なのだと信じている。

 

南大東の大先輩で大親友のM清さん、すみませぬ。

でも、先輩の言葉、しかと受け取った上での判断と信じてほしい。

 

さて

4月からの3ヶ月は、人生のお休み期間だ。

実家に帰るもよし。

もちろん、M清さんの南大東へも行くし、Oちゃんの徳之島へも行く。

そして、今は亡きジャックモイヤー博士の愛した三宅島、そして御蔵島

Y下マスターの居るあしたば荘のある八丈、久々の母島へも行く。

 

ボルネオやマダガスカルも行きたいが、それはまた修行後にすることに。

そういえば、座間味にもタマンを釣りに、N浜さんの観光協会も訪ねたい。

 

人生には、メリハリが必要である。

特に、今の日本人・・・

豊かさの何たるかを問い直すためにも、メリハリが大切である。

一人一人の始める世直し・・・・やってみたいと長男は目論んでいる。

見上げれば春近き月夜。

寒月も通り過ぎた。

時は待ってくれないのだから、少しでも、今少しでも

楽しく生き生きと前に進みたい、長男の切なる願いである。


ではまた