風に問う

 


風はどこから来て、どこへ行くのだろうか

そんなことは、風に聞け・・・

 

太平洋の風にはずいぶんとたずねてきたが

とんと、答えてくれた験しはない。

 

少し前までは、大島で怒涛の向こうから吹く風に

今はめっきり暖かくなって、なんだか甘酸っぱい香りをはこぶ風に

もう少しすると、サクラを吹雪かせる風に

 

風とて思いがあったなら、行きたい場所もあろう

しかし、カラコルムを登りそこねたり、ガンジスを抜けたかと思ったら

セイロンの家の屋根を飛ばして嫌われ者になったり

モルディブの青く澄んだ海のなかを流れてみとうても

みなもを荒らすだけで、沿うことはできても

大洋に身をまかせ、共に流れることはできぬ。

 

また、いごこちがよくても、その場にとどまるには、ままならぬ。

 

風転というくらい自由な風とても、存外自由でもないものである。

 

さて

長男の生活も風転のようにならぬものかと思っていたが

まだ、その時期にはないようである。

ましかし、せっかくだから

この来月から3ヶ月ほど風転をやることにした。

 

長らく、林立する高層ビルの螺旋階段を

なるべく下を見ないでぐるぐる、ぐるぐるりと上るが如く

暮らし続けてきたが、地に足が着いていないことがやっぱり不安で

いっぺん大地に下りることにした。

 

自分の背丈がどのくらいか、もはや見失っている自分が

怖くなったのだ。

 

上るのには、15年かかったが、降りるには1年あまりかかっている。

そして、大地が今、目の前に見えてきた。

 

あらゆることが、その螺旋階段の幅のなかで完結するような

妙な生活観しかなかったが、今は少し違った未来が

垣間見えるようになってきた。

 

この階段は、一度下りたら、もう登るまい。

そして、大地は荒涼として、耕しても耕しても

なかなか実りには結びつくまい。

でも、もう二度と登らないはずだ。

 

友と大地と海と風がない生活には、人間は馴染めないのだ。

いつ誰が作ったかわからぬ螺旋階段を、意志なく登るのは

たった一度の人生に、もったいないの一言につきる。

 

大それた事ではないはずである。

当たり前の事のはずである。

 

もうじき風転

食べたこともないのに甘酸っぱい香りが

新しい春を、そこまで運んできている。

(知らぬ間に、もうジンチョウゲが)

こんなに待ち遠しい春があったろうか。

こんなに遠かった春があったろうか。

そして、こんな春はまたやってくるだろうか。

 

厳しい夏も、実り少なき秋も、寒月を見上げる冬も

もっと身近になる、もっと肌に近くなる。

 

それでも、長男は長男らしく行くために

しばらく風転になる。

これも友のおかげ、これも螺旋階段のおかげ

それでも長男でいつづけたおかげ

これからも、おかげに感謝しつつ、生き抜いていくぞ。

 

と、久々の青空に、まだ冷たい風を感じつつ

胸いっぱいに風を吸い込む長男であった。


ではまた